特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

断腸

2015-04-15 08:53:35 | 動物死骸特殊清掃
その日の作業予定は、とあるアパートの汚腐呂掃除と遺族が残していった家財の撤去。
汚腐呂はライト級。
大方の家財は遺族が片付け、残された家財は大型のモノばかりで数量も少なめ。
「軽作業」とは言えないものの、私にとっては決してハードな作業ではなかった。
そして、その日は、それが終われば帰宅できるはずだった。
しかし、急な予定変更は、この仕事の宿命。
で、作業の最中、動物死骸処理の依頼が入ってきた。
が、特掃魂には一件分しか燃料を入れておらず、私は、まったく気分を乗せることができなかった。

そうは言っても、依頼が入ったからには、誰かが応答しなければならない。
そして、うちの会社では、そんな仕事に応答するのは、私の役目みたいになっている。
そんな汚仕事は、まず先に私に回ってくる。
いい言い方をすれば「頼られてる」、悪い言い方をすれば「うまく使われてる」、そんな感じ。
仲間内でも、私を押しのけて自らすすんで行こうとする者はいない。残念ながら。
ただでさえ世の中が嫌う仕事をやっているのに、その中で、更に仲間も嫌う仕事に進んでいかなければいけない私・・・
それでも、「努力・忍耐・挑戦は自分にためになる」と自分に言いきかせ、“特掃隊長”を着るのである。

金額が安い割に作業は易くないのが動物死骸撤去の仕事。
仕事やお金をバカにしてはいけないが、仕事としての旨味は少なく、個人としては旨味がまるでない。ただただ、辛いだけ。
だから、やる気がでないどころか、行きたくない気持ちでいっぱいになる。
それでも、依頼があって、それを請け負う約束(契約)をした以上は、行かなければいけない。
結局、その現場も私が行くことになり、私の中には何とも言えない不満と悲しみが沸々・・・
「毎度毎度、何で俺が行かなきゃならないんだよ!」
と、心の中でブツブツ文句を言いながらも
「怠けていいことなんかない!鍛錬!鍛錬!」
と、自分をなだめながら、やけに重く感じるハンドルを握って現場に向かった。


到着した現場は、繁華街にある古い雑居ビル。
とある会社の事務所。
夕方遅い時刻だったが、まだ、多くの人が仕事をしており、電話でやりとりした担当者が私を出迎えてくれた。
私が、ネコ死骸の処理業者であることは、他の人も周知のことのはず。
私は、事務所にいた人達の視線が私に集まっているのを感じながら、誰とも視線を合わさず無表情のまま担当者の後に続いた。

私は、この手の視線がかなり苦手。
皆が、私のことを奇異に思っているのがヒシヒシと伝わってくるから。
そして、悪いことをしているわけでもないのに、惨めなような、恥ずかしいような、後ろめたいような、そんな気分に苛まれるからだ。
「自意識過剰」「被害妄想」「いらぬプライド」と言われればそれまでだけど、いつもそんな気分になってしまい、それは歳を重ねるごとに重くなっている。

そんな気分も相まって、現場に入っても尚、やる気は湧かず。
「何かの間違いってことないかなぁ・・・」
往生際の悪いことに、そんな考えが頭から消えず。
しかし、やはり、間違いはなかった。
指示された更衣室には、すぐにそれとわかる悪臭が充満。
やはり、それは動物死骸の腐乱臭に間違いなく、私は、観念するほかなかった。

手ブラで帰るという選択肢がなくなった私は、動かない精神は放っておいて、とにかく身体だけは動かすことに。
持って来た脚立を点検口の下に立て、力の入らない足でそれに登った。
そして、マイナスドライバーで止金具を回し、“超ゆっくり”点検口の蓋を開けた。
(何年も前の話だけど、ネコ死骸が点検口の真上にあって、蓋を開けたとたんに死骸が私の顔に降ってきたことがあった。そんなトラウマを持っているものだから、そこにはいないとわかっていても、ものスゴクゆっくり開けるクセがついているのである。)
そして、緊張の中、愛用のマスクを着け、懐中電灯を点け、これまた超ゆっくりと頭を点検口から上に差し入れた。

目当ての死骸は点検口の近く・・・つまり顔から近い位置にあった。
私にとって、すぐに発見できたことは幸いだったが、その近さは不幸以外の何物でもなかった。
ただ、そこで凹もうが折れようが、助けてくれる者は誰もいない。
とにかく、自分がやるしかない。
私は、懐中電灯の光の先で不気味に光る黒い毛を、眼球のなくなった頭からウジが引き上げた後の足までを、いつでも瞼を閉じられるように細目で観察。
「腐りたいのはこっちだよ・・・」
と、腐ったネコに愚痴をきいてもらいながら、瞼を少しずつ開いて凄惨な光景に自分の目を慣らしていった。

対象を確認したら、次は、作業手順の組み立てと準備・・・
と大袈裟に言っても、やることは、死骸をビニール袋に入れて持ち出すだけのこと。
極めて単純な作業。
しかし、メンタルな部分は単純にいかない。
複雑に絡み合う感情と、幾重にも対立する自分の中の自分に右往左往しながら、それでも、“自分のため”と信じて、心の中に折り合いをつけられる場所を探す。
そうして、少しずつ、少しずつ自分を前に進める。

通常は、死骸にタオル等をかけ、小型の熊手やシャベル等を使うことが多い。
手袋とつけているとはいえ、やはり、手で直接触るのはスゴク気持ちが悪いから。
だから、私は、ここでも、先に道具を使った。
まずネコの上半身の下にシャベルを差し込み、ネコを少し動かしてみた。
通常は、死骸はひとつの身体なわけだから、シャベルにのっていない部分も一緒に動くもの。
が、あまりに腐敗がすすんでいる場合、肉体は溶解しているわけで、“一体”とならないことも多い。
悲しいことに、このネコがまさにそうで、上半身と下半身は連動せず。
「マ、マズイ!」
ネコの身体が不自然に伸びたことを察知した私は、とっさに手をとめた。
緊急の防衛本能が働いたのだ。
そして、しばし動きをとめ、ネコを壊さず回収するアイデアを出すべく、いまいち力の入らない頭をひねった。

私は、どうしても“一体”で回収したかった。
死骸がふたつ以上に分かれるということは、相当に悲惨な状態になるということだから。ネコも私も。
これは、避けられるものなら避けたい。
ネコも可哀想だけど、自分はもっと可哀想だから。
結局、浮かんだ妙案は、最後の“手”を使うこと。
そう・・・意のままには動かない道具ばかりを頼らず、意のままに動く道具・・・つまり自分の手を使うことを決心。
ネコの下半身に自分の手を恐る恐る直に当て、シャベルと一緒に動かすべく力を入れた。
し、しかし・・・
「あれ!?ん!?」
一緒に動くはずの下半身は微動だにせず。
まるで、床面(天井板)に貼りついているかのように。
「おっかしいなぁ・・・」
怪訝に思った私は、電灯の光を集中させ、床面をよく見た。
すると、そこにはネズミ捕の粘着シートが。
また、周囲を見回すと、あちらこちらに同じ粘着シートが仕掛けられていた。
「チッ・・・そういうことか・・・」
ネコは、そのシートに引っかかり脱け出せなくなって、そのまま死んでしまったよう。
その事故死を思うと、ネコが少し可哀想に思えてきたが、私には、深い感傷に浸れるほどの余裕はなく、迫りくる最後の決断を前に走る悪寒に鳥肌を立てるばかりだった。

「仕方がない・・・か・・・」
私は、ネコが壊れることを覚悟。
そして、自分まで壊れないよう気をつけながら、ヤケクソ気味に上半身を持ち上げた。
それで持ち上がったのは、やはり上半身のみ・・・
下半身は、粘着シートに残ったまま・・・
胴体は真っ二つになり・・・(詳しく書くこともできるけどグロ過ぎるので省略)。
それから、目を固く閉じ、手探りで上半身と下半身の間につながるモツを引きちぎった。

一仕事を終えた私は、とりあえず安堵した。
しかし、達成感はなく、いつもの疲労感と妙な虚しさを覚えた。
そして、
「これって、ホントに自分のためになってんのかなぁ・・・」
そんな風に思いながら、断腸のネコを抱えてトボトボと現場を後にしたのだった。


「怠けることは自分にとってプラスにはならない」
と信じたい一方で、
「本当は楽した者勝ち、楽した方が得なんじゃないか?」
そんな疑心に苛まれることがある。
それでも、マシな方の自分は、なんとか踏みとどまろうとする。
そして、色んな葛藤を胸に、やるべきことを自分に課す。

断腸の思いでする決断が、断腸の思いで進む道がプラスとなるかマイナスとなるか、やってみないとわからない。
ただ、そこまで苦心して進んだ先にマイナスはないと信じたい。
それを信じないと、逃げてばかり、くじけてばかり、怠けてばかり・・・そんな生き方になってしまう。
残り少ない時の中、せっかくの人生、せっかくの今日、そんな生き方はイヤだ。
・・・私は、弱い人間だからこそそう思うのである。


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整心力

2015-04-01 16:17:44 | 特殊清掃 消臭消毒
今日から四月、新年度のはじまり。
とは言っても、前ブログに記したとおり、私には特に変わったことはない。
何の節目もないまま、いつもの春を感じているだけ。
でも、世間の雰囲気にあやかって、少しは新鮮な気分を味わいたい。
心も身体もリフレッシュして、残された日々を満喫したいと思っている。

というわけで、昨夜は夜桜を愛でに公園へ出掛けた。
面倒臭がりの私が、風情を楽しむために、仕事の後わざわざ出掛けるなんて珍しいことだけど、出掛けた甲斐はあった。
陽下の桃色桜は気持ちが浮いてくるような感じだけど、月下の白色桜は気持ちが静まるような感じがして、また違う趣があった。
お陰で、マンネリにだらけた心が、少しは生き返ったような気がした。

そうは言いつつも、なかなかリフレッシュできないこともある。
そう・・・チビ犬のことだ。
いなくなって四ヶ月半余が過ぎたのに、なかなか立ち直れないでいる。
もう、大泣きすることはなくなったけど、「会いたい・・・」と思うと目が潤む。
遺影になってしまった待受画面を見ると、「ホント・・・可愛かったなぁ・・・」と思う。
そして、色んなことを想い出してはこぼれる溜息混じりの独り言に心を乱されている。

使っていたリードと首輪は、一緒に墓に入れた。
買い置きしてあったドッグフード・トイレシート・オムツ等は、動物愛護団体に送った。
ただ、食器、トイレ、ハウス、服はそのまま。
処分することができず、そのままにしている。
最近になって、やっとトイレと食器だけは片付けたが(捨ててはいない)、ハウスまでは片付けられないでいる。

目に見えるものに永遠はない。物にも命にも限りがある。
私は、時間の限りと人生の儚さをイヤというほど知っているはず・・・
目に見えるものに執着することは賢いことではないこともわかっているはず・・・
今の感傷が一時的なものであることも理解しているはず・・・
なのに、チビ犬のグッズを処分できないでいる。
心の整理は理屈ですすめることはできない・・・
これもまた、いつか笑顔の想い出にかわる・・・
それまで、乱れがちなこの心を想い出で整えて、できるかぎり穏やかでいたいと思っている。



呼ばれて出向いた現場は、マンションの一室。
現場に現れたのは初老の夫婦。
亡くなったのは女性(妻)の弟。
「身内が孤独死」「推定死後数ヶ月」「一緒に部屋に入って状況を確認してほしい」
そんな依頼だった。

半年も経っていれば、腐乱溶解の峠は越えている。
故人の身体はとっくに骨と化していただろうし、生まれたウジやハエも、その生涯を終えたはず。
溶けでた腐敗液や腐敗粘度も乾燥凝固し、凄まじかったはずの異臭も腹を突くレベルから小鼻を突くレベルにまでダウンしているだろうと思われた。
そんな具合を想像した私の頭にヒドイ光景は映らず、そんな部屋の状況確認なんて私にとっては“お安い御用”。
私は、緩ませてはいけない気を緩ませ、平べったくなった気分に寝そべりながら、鍵が開くのを待った。

「え!?」
玄関ドアを引いた私は、驚いた。
そこは、目を見張るほどの酷いゴミ部屋。
私は、事前にそんな情報なかったから、フツーの(?)腐乱死体現場だけを想像していた。
また、待ち合わせた二人も、それを感じさせる素振りはまったくなし。
私は、ノーガードの精神をいきなり殴られ、驚嘆の声をあげてしまった。

「ちょ、ちょっと見てください・・・」
私は、外に漏洩する悪臭のことなんかそっちのけで、ドアを大きく開けた。
そして、後ろにいた及び腰の二人にも中を見るよう促した。
私が戸惑う様子が見てとれたのだろうか、二人は、恐る恐る私と位置を代わった。
そして、中を覗き込み、私より大きく驚嘆の声をあげた。

「この状態、ご存知なかったですか?」
警察から何も聞いてないのは不自然に思われたので、訊ねてみた。
が、二人もゴミのことは何も聞いておらず。
私は、そのことを少し怪訝に、また、少し気の毒に思いながらマスクを装着。
立ち止まっていては何も始まらないので、二人の許可も得ず土足のまま一歩を踏み出し、二人も後に続くよう目配せをした。

中は、かつては普通の部屋だったはずの2LDK。
しかし、そこは威圧的な光景に変容。
全室、ゴミで埋没し床は見えておらず、低いところは足首、高いところは腰の高さまで堆積。
食べ物ゴミ、雑誌新聞、衣類、生活雑貨など、ゴミを構成したものは色々あったが、最も目についたのはチューハイの空き缶と、焼酎の大型ボトル。
それは、ゴミ全体の半分くらいを占める膨大な数。
そんなゴミ山・ゴミ野を見渡し、二人は唖然呆然。
玄関前では泣きそうな表情を浮かべていた女性だったが、凄まじい光景を前に悲哀の表情は消え、ただただ表情を強ばらせるのみ。
充満する悪臭やクッキリ残る遺体痕も気に留まらないくらいショックを受けたようで、か細く震える声で、
「どうしちゃったんだろう・・・何があったんだろう・・・」
と、繰り返し呟いた。


故人は、とある企業に定年まで勤務。
出世コースには縁がなかったものの、固い仕事で収入も安定していた。
また、妻子もなく、家族持ちに比べて自由になる金は多かった。
ただ、生まれた家は裕福ではなく、幼い頃から社会の厳しさと親の苦労を知って育った。
だから、辛抱することと質素倹約は身に染みついていた。
よって、生活は地味。
その経済力を考えると家を持つのも難しくなかったのに、長い間、安アパート暮し。
現場となったマンションも中年になって購入。しかも、中古の割安物件で。
見栄っ張りなところもなく、ほどほどの生活で満足できるような人物だった。

両親はずっと以前に亡くなり、近しい身内は女性(姉)のみ。
二人きりの姉弟ということもあり、その仲は良かった。
ただ、家は離れており、お互いの家を行き来するのは一~二年に一度あるかないか。
日常の付き合いとしては、たまの電話と盆暮の贈答くらい。
二人が最後に故人宅を訪れたのも、もう二~三年も前のこと。
それはまだ仕事を辞めて間もない頃で、そのときは故人にも部屋にも変わった様子はなかった。

二人が知っている故人は、きれい好きで几帳面。
苦労人で怠けることを知らず、何事も辛抱できる人間。
だから、自宅をゴミ部屋にするなんて、微塵にも想像できず。
また、故人が酒を好んでいたことも、二人にとっては意外なこと。
長い付き合いだったが、二人は故人が酒を飲んでいる姿をほとんどみたことがなかった。
食事の場等でも、すすめられて飲むことはあってもすすんで飲むことはなかった。
だから、二人は、故人のことを“酒嫌いの下戸”だと思っていた。
しかし、目の前には、それとは真逆の現実・・・
この現実をどう整理し消化すればいいのか、二人には、そのヒントさえ見つからないようだった。


あくまで、私の勝手な想像だが・・・
故人の生活が変わったのは定年退職が境。
友人みたいに付き合っていた同僚は、仕事や会社という共有物がなくなると、それぞれ別の道へ進み、付き合いはなくなった。
自分一人が生活できるだけの貯えと年金は充分にあったため労働の必要はなく、また、現役時代に十二分に働いたため、その意欲も湧かず。
結果、社会に参加することもなくなり、社会における自分の身の置き所を失った。
次第に、社会と疎遠になっていき、そのうち漂いだした閉塞感に自分の存在意義までも奪われそうになった。
やるべき仕事もなく、これといった趣味もなく、一緒に泣き笑いする家族もなく、孤独な毎日、退屈な毎日。
そんな中でおぼえた酒の味。
一時的とはいえ、酔いは、虚無感を中和してくれ、嫌な気分も紛らわしてくれた。
同時に、それまでの人生と見返りのない現実を比べて、投げやりな気持ちになった。
そうして、酒に頼ることが多くなり、そのうちに溺れていった・・・


長期に渡った作業の最終日、ゴミが撤去され空っぽになった部屋には男性が現れた。
請け負った作業が完了したことを確認してもらうためだったが、故人の実姉である女性は来なかった。
ただ、それも仕方がなかった。
女性は、大事な弟の孤独死に長く気づくことができなかったこと、そして、晩年の苦悩にも気づくことができず、何の手助けもしてやれなかったことをヒドく気に病んでしまったよう。
「相当ショックだったみたいで、あれからちょっと体調を崩しまして・・・」
「DNAで本人確認したのに、“あそこにいたのは弟じゃなく別の人間なんじゃないの?”なんて言うような始末でして・・・」
「気持ちの整理がつくまで、しばらく時間がかかりそうです・・・」
と、男性は、女性の苦悩を吐露し、男性もまた苦悩の表情を浮かべた。


時間と手間をかければ、どんなゴミ部屋も片付けることができる。
ただ、人の心はそういうわけにはいかない。
人の心は、理屈では片付かない。
自分(人)の力ではいかんともし難い悩ましさがある。

意に反して荒心・乱心を抱えてしまうのも人間の本質・本性であり宿命。
大小高低あるけど、私にも、常に心の乱れ・心の荒れは存在する。
そして、それに苦しめられることが多々ある。
しかし、人間の“深み”というか“厚み”というか・・・そういうものは、荒心と整心との積み重ねがつくりだすものかもしれない。
そして、その重みが心を落ち着かせ、平安をもたらしてくれるのかもしれない。

乱れやすい心と脆弱な整心力に悩まされながらも、乱れ咲き、そして乱れ散る桜の趣に人生の機微を重ね、唯一無二のこの生を愛でている私である。



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