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自国の新聞より朝日新聞を信じたあの国の国民

2014-10-19 19:22:57 | 国際・政治

日本国民は朝日新聞を信じたばかりに世論形成を狂わせ、世界から非道徳な国とレッテルを貼られた。他国新聞を信じた韓国民と自国新聞を信じて裏切られた日本国民のどちらが不幸なのか。

韓国 日本の報道が信頼された故に朝日慰安婦報道信じ込まれた (1/3ページ)

2014.10.19 

朝日新聞は32年かけて慰安婦報道の誤報を認めたが、しかしその報道が日韓関係にどのような悪影響を与えたかについての検証は、いまだにない。ベストセラー『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』(小学館)の著者であるジャーナリストで元朝日新聞ソウル特派員の前川惠司氏が、古巣に代わって検証した。

 * * *

 朝日新聞は9月11日の木村伊量社長による、東電福島原発事故での「吉田調書」報道の取り消しと謝罪を主とした記者会見で、精力的な報道を続けてきた従軍慰安婦報道についても、「吉田証言」を取り消したなどと、初めて謝罪した。

 ただし、木村社長は、「朝日新聞の慰安婦報道が日韓関係をはじめ国際社会に与えた影響について」は第三者委員会で徹底して検証してもらうと述べたにとどまり、朝日新聞の報道が韓国社会にどれほどの影響を与え、日韓関係に深い傷を与えたかは言及しなかった。実際には、どうだったか。検証するうえで、見逃せないのは、韓国では国内メディアより日本メディアの報道が真実だと信じられた時代が、永く続いたということだ。

 1961年5月16日の朴正煕軍事クーデーター以後、1965年の日韓国交正常化から1987年の民主化宣言まで、日本のマスコミ、特に新聞が、韓国社会に与える影響力はとても強かった。

 背景には、韓国マスコミが、政府に言論統制で首根っこを押さえられていただけでなく、経営的には、言論弾圧の反作用で新たな競争相手の出現を心配する必要はなく、開発独裁下の経済成長に合わせて、広告媒体として独占的な、部数も安定していた時代でもあったとの事情がある。

 それで、紙面では反独裁だが、同時に軍事独裁の享受者という二つの顔を持っていた韓国マスコミに不信感を抱く国民も少なくなかった。
一方、日本マスコミは、命まで狙われていた反政府政治家、金泳三氏や金大中氏の活動を国際社会に伝え、国際的な関心を呼び起こし、民主化への動きを励まし続けていた。だから、韓国の人々は韓国メディアより日本メディアを信用し、とりわけ反政府運動家などは、日本メディアに期待していた。政権に睨まれ、支局閉鎖に追い込まれたこともある“権威ある”朝日新聞への信頼はとりわけ高かった。

 そうした記憶が、自国のことなのに、無批判に朝日新聞の慰安婦報道を信じ込むことにつながった面はあるだろう。

 日本支配下の朝鮮半島・済州島で「女狩り」をして捕えた朝鮮人女性を慰安婦として戦地に送り込んだ、との「吉田虚偽証言」を朝日新聞が初めて報じたのは、独裁政権下の1982年9月2日の大阪本社発行版だ。「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり 危機感で沈黙破る」の見出しの記事はこう伝えた。

 「昭和17年から10数回、吉田清治氏は朝鮮半島に行き、約6千人を強制連行した。うち950人が慰安婦で、皇軍慰問女子挺身隊として戦場に送ったが、昭和18年の初夏には、済州島で完全武装の日本兵10人が集落を包囲した後に女狩りをし、連行する途中のトラックで、兵士らが集団暴行するなどしながら、200人を従軍慰安婦にした」

 この記事とほぼ同じ内容の吉田清治氏の著書『私の戦争犯罪』の韓国版は民主化時代に入った1989年に韓国で出版された。するとすぐ、地元の「済州新聞」は、「事実と異なる」と報じた。しかし、それが韓国内で反響を呼ばなかった。韓国社会では自国メディアより、外国紙への信頼が強かったことの裏返しだったろう。
朝日新聞が1992年1月11日に、「慰安所 軍関与示す資料」と報じると、その資料は吉田証言による「女狩り」を裏づけるものではなかったのに、4日後の東亜日報は、「日本は11歳の韓国人少女まで戦場で性のおもちゃにした人面獣心の国だ」と、何の根拠もはっきりとは示さないままに、とんでもないことを書きたてた。

 日本政府がこの記事に強硬な抗議をしなかったのが一番の問題だったが、朝日新聞はこんな記事が韓国で出た後も、

 〈「国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」〉(1992年1月23日付夕刊 「窓・論説委員室から」)

 そんなこと本当にあったのか、との読者の当然の疑問には、こう答えた。

 〈知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない〉(同3月3日付夕刊「窓・論説委員室から」)

 ※SAPIO2014年11月号

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http://www.asahi-tadasukai.jp/


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