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盗聴検閲をしていた30年前と同じあの国

2014-10-14 15:47:09 | 国際・政治

韓国の言論統制を報じた新聞はほとんど記憶にない。朝日新聞が朴政権を軍事政権とヒステリックに批判していたのを思い出した。「因果は巡る火の車」父親の独裁政権を批判していた朝日新聞が娘の独裁政権に支持されるのだから世の中面白い。特定秘密保護法案を烈火のごとく批判した朝日新聞は下記の記事に何と答えるのか聞きたいものだ。

2014.10.13 00:41

更新 産経新聞

【本紙前ソウル支局長起訴】
韓国は「幼稚」 軍事政権下と体質変らず RKBの元ソウル特派員、沈黙破る

朴槿恵(パク・クネ)韓国大統領に関するコラムをめぐり、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長がソウル中央地検に情報通信網法における名誉毀損(きそん)(きそん)で在宅起訴された問題について、元RKB毎日放送(福岡市、TBS系列)のソウル特派員、廣崎靖邦氏(72)が産経新聞の取材に応じた。延長ビザの発給に、理由もなく圧力をかけられたという廣崎氏は、朴政権について「30年たってもあの国の本質は変らない」と断じ、以下のように語った。(奥原慎平)

 私は1984年2月から86年8月までRKBのソウル支局長として全斗煥(チョン・ドゥファン)政権下の韓国社会を取材しました。ビデオテープの検閲、通信傍受などにより取材活動は筒抜け状態でした。

 30年たってもあの国の“怖さ”は変わりません。(産経の)加藤氏のケースは民主国家として信じられない行動です。

 問題となっているコラムは、地元紙(朝鮮日報)の引用に過ぎず、加藤氏の意見を表明したわけではない。なのに、名誉毀損で在宅起訴までされるとは…。幼稚というほかない。
報道の自由が保障され、他紙が自由に報じる中、産経新聞だけを問題にする政権の意図がわからない。

 軽重の差はありますが、私も加藤氏と同じ思いをしたことがあります。

 ソウルへの赴任当時、日本では韓国社会が報道される機会は少なく、ソウル五輪(88年)を前に、活況を呈す韓国の実情を報じようと意気込んでいました。

 ですが、韓国当局の意向もあり、仕事は代表取材が多く、自由に取材できる環境ではありませんでした。

 特ダネもなければ、1社だけニュースを報じ損なう「特オチ」もない。記者たちは悠々とゴルフやマージャンをしていましたよ。

 私は独自取材に徹する決意を固めました。

 ですが、全政権下では海外メディアは当局から厳しく監視されていました。私がいた支局には、朝と夕方に韓国中央情報部(KCIA、現在の国家情報院)職員や警察官らが訪れます。

 雨が降った直後の南大門市場の活気を撮影したことがありますが、舗装されていない泥でぬかるむ街並みを放映されると「韓国の近代化が遅れている」となるのでしょう。「あの報道はやめてよ」などとプレッシャーをかけてくるのです。繁華街の犬料理専門の屋台を取材したときも同様でした。
通訳や運転手として雇った韓国人も、当局に首根っこをつかまれています。彼らを通じ、私の取材活動の中身は筒抜けでした。

 当時、言論基本法という法律が施行され、検閲が義務づけられていました。撮影したビデオテープは飛行機で日本に送る前に、文化公報部(当時)に持参し、チェックを受けます。部分的に削除を命じられることもありました。

 ある昼食会の席で、文化公報部長官に言われた言葉が忘れられません。

 「なぜ廣崎さんは、そんなに仕事をするんですか。ネタが欲しいなら私があげますよ」

 カチンと来ました。こんなバカなことがあるものか。記者として許せませんでした。

 ソウル勤務は2年間の予定でしたが、会社と相談の上、滞在期間の1年延長を決めました。ですが、ビザ延長の申請がなかなか認められないんです。

 週に1度の割合で、当局に連絡しても理由は教えてくれない。当局の言いなりにならない私の取材手法が疎ましく思われたのでしょう。

 何とか3カ月の延長を2回繰り返しましたが、意地を貫くと、後任特派員の迷惑にもなりかねず、断念しました。ソウル五輪の取材に支障がでてはいけないからです。
当局の意に沿わない記者の事実上の国外追放だったと今でも思っています。

× × ×

 韓国当局が報道に神経質になる理由は、北朝鮮への意識があったのだと思います。

 日本で放映すると、当然、北朝鮮にも伝わります。街の隅々まで映されると、「韓国社会は遅れている」というプロパガンダに使われる恐れがあり、それを避けたかったのでしょう。

 もう一つ。当時、金大中(キム・デジュン)氏と親しかったことも原因でしょう。

 金氏とは、私が特派員になる前から、民主化活動の取材を通じて面識がありました。

 金氏は当時、南アフリカのマンデラ氏、フィリピンの(コラソン)アキノ氏と並び、世界三大反権力者と呼ばれていました。全政権発足直後に死刑判決を受け、米国に亡命し、私がソウル特派員だった85年に帰国したのです。

 当局は通信傍受もしています。金氏に取材のアポイントを取ると翌朝には、KCIA職員が支局を訪れ「明日、行くみたいだね」といわれる始末です。
対照的に、経済界のトップたちは好意的でした。彼らは日本のウイスキーが好きで、私が持参したウイスキーでよく飲みました。

 現代(ヒュンダイ)グループ創始者の鄭周永(チョン・ジュヨン)氏に蔚山(ウルサン)の造船工場の取材を申し込むと即OKでした。現代グループ専用ヘリをチャーターしてもらいましたが、KCIA職員が同乗していました。

 そんな韓国ですが、87年に民主化宣言し、報道の自由は確保されたはずです。

 なのに、権力者にとって不都合な記事を配信したとして、加藤氏を名誉毀損で起訴するとは民主国家として信じられません。あの国の本質が、軍事政権時代と何ら変わっていないことを物語っています。

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http://www.asahi-tadasukai.jp/


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