徒然なるままに~地球クン

私の永遠のグルであるラマナ・マハルシの対話本について自分なりの解釈で語っています。

第2巻 対話336

2018-08-09 06:27:03 | 日記
真我実現に関する質問に対して。

マハルシ「今、あなたは身体に気づいています。しかし深い眠りの中では身体に気づいていませんでした。それでも、あなたは眠りの中で存在していたのです。目を覚ましてから、あなたは身体をとらえ、そして「私には真我を探すことがきません」と言うのです。眠りの中でもそう言ったでしょうか?眠りの中でのあなたは分割されていなかったため、そうは言いませんでした。現在のあなたは身体という限定の中に閉じ込められているため、「私は実現していない」と言うのです。なぜ自己を限定しておいて、それから惨めになるのでしょうか?あなたの真の本性として在りなさい。そして幸せで在りなさい。眠りの中では、あなたは「私」とは言いませんでした。あなたがそう言うのは今です。どうしてでしょうか?なぜなら、あなたが身体にしがみついているからです。この「私」がどこから立ち現れるのかを見いだしなさい。そうすれば、真我は実現されるでしょう。
生命意識を持たない身体に「私」と言うことはできません。無限の真我も「私」と言うことはできません。ではいったい誰が「私」と言うのでしょうか?

マハルシ「どこから「私」が立ち現れるかを見いだしなさい。そうすれば、この「私」は消え去り、無限の真我が残るでしょう。この「私」は意識あるものと意識のないものとを繋ぐ結び目です。身体は「私」ではありません。真我も「私」ではありません。では、いったい誰がこの「私」なのでしょうか?それはどこから現れるのでしょうか?」

ここで言う「私」とは自我のことですね。

自己を限定しておいて惨めになる、というくだりはちょっと笑ってしまします。
自分で首を絞めておいて、苦しい苦しいともがいているのですから。
手を放すだけで良いのです。

ですが、真っ暗闇の真っ只中にいる人にとってはとても難しいことなのかもしれません。

「この想念は誰に起こっているのか?」とい続けるのもいいかもしれません。
私は、マハルシに全てを明け渡します。


第2巻 対話335

2018-08-07 14:41:26 | 日記
どうすれば性的衝動は静まるのか、という質問に対して。

マハルシ「区別が消え去ったときです。」

マハルシ「性別やそれにまつわる事柄は、単なる精神的概念でしかありません。『ウパニシャド』(古代インドの宗教哲学書)は「すべてが愛おしく感じられるのは、すべての生きとし生けるものにとって真我が愛おしいものだからである」と述べています。
人の幸福は内側にあります。愛とはただ真我ゆえの愛なのです。それは内側だけにあります。それが外側にあると考えるのをやめなさい。そうすれば、区別は消え去るでしょう。」

性別があるから性的衝動が起こるのでしょうか。

そうではなく、身体があると思い込んでいるから性的衝動が起こるのです。
その衝動は誰に起こっているのか探してみるべきです。

外側に愛は在りません。