徒然なるままに~地球クン

私の永遠のグルであるラマナ・マハルシの対話本について自分なりの解釈で語っています。

第1巻 対話246

2017-07-31 23:43:33 | 日記
マハルシ「言語は自分の考えを他の人に伝達するための媒体にすぎません。それは想念が生じた後にのみ呼び起こされます。他の想念は「私」という想念が立ち現れた後に起こります。それゆえ、「私」という想念がすべての会話の根源です。思考のない状態にとどまるとき、人は沈黙という普遍の言語によって他者を理解するのです。
沈黙は絶えず語っています。それは絶え間ない言葉の流れです。しかしそれは話すことによって妨げられてしまいます。私が今こうして話しているこれらの言葉が、その沈黙の言語を妨げているのです。」

マハルシ「何年にも及ぶ会話でも知ることができなかったことでさえ、沈黙の中、あるいは沈黙の臨在の前では一瞬にして知ることができます。」

言語は脳を通じて、沈黙はハートを通じて語られてるということでしょうか。

言葉を発していると沈黙からとても遠いところにいるように感じます。

第1巻 対話245

2017-07-27 18:24:56 | 日記
真我を知識や理論上では理解できるが、それは体験ではない。どうすれば実際に実現できるのか、という質問に対して。

マハルシ「想念の不在が空白状態を意味するわけではありません。そこには空白状態を知る者がいるはずです。知識も無知も心に属します。それらは二元性から生まれ出たものです。しかし真我は知識と無知を超えています。それは光そのものなのです。真我を見るために、他の真我を必要とすることはありません。二つの真我がそこに存在しているのではありません。真我ではないもの、それが非真我です。非真我に真我を見ることはできないのです。真我にとっては見ることも聞くこともありません。真我はそれらすべてを超えたところに、純粋意識として「唯一」存在するのです。」

マハルシ「空白状態は心を探究する上で起こる悪い結果です。心はその根と枝を断ち切らなければなりません。考えているのは誰か、探究しているのは誰かを見いだしなさい。考える者、探究する者としてとどまりなさい。そうすれば、すべての想念は消え去るでしょう。」

真我を実現することは探究者にとって本当に渇望することではないでしょうか。
どうすれば実現できるのか?

マハルシが何度も繰り返し話している「実現は新たに獲得されるようなものではない、それはすでにそこに在る」ということが、真我を知ってわかりました。

マハルシが例え話をしています。首にかけていたネックレスを失ったと思い込み探し回っていたが友人から首にかかっていると教えられた話があります。ネックレスを失ったという感覚、探している間の不安、発見したときの喜びはすべてその人がつくり出しています。
真我についても同様だと話ています。

まさにその通りなのです。
とても本当に近くに在りすぎて私たちは忘れてしまっているのです。
近くに在ると知識として知っていましたが、実現して初めてここまで近くに在ったのか!と驚愕したものです。

私が真我実現できたのは、マハルシからネックレスが首にかかっていると教えられたからです。



第1巻 対話244

2017-07-22 06:50:51 | 日記
欲しいものはすべて手に入れたが心の安らぎがないのは運命か。
運命についての質問。

マハルシ「運命というものは存在しないのです。明け渡しなさい。そうすればすべてはよくなるでしょう。すべての責任を神に投げ出しなさい。自分一人で重荷に耐えようとしてはいけません。神に任せるなら、いったい運命に何ができるというのでしょう?」

明け渡しは不可能です。

マハルシ「初めのうちから完全な明け渡しは不可能です。部分的な明け渡しなら確かに誰にとっても可能でしょう。時とともに、それは完全な明け渡しへと導かれていくのです。
もし明け渡しが不可能なら、何ができるというのでしょう?それでは心の平安はなく、あなたにはどうすることもできないでしょう。ただ明け渡しによってのみ、それができるのです。」

部分的な明け渡し、それで運命は取り消せるのか。

マハルシ「もちろんです!それは可能です。」

運命はカルマによるものではないのか。

マハルシ「もし神に明け渡したなら、神が面倒を見るでしょう。」

マハルシ「すべては神の中にのみ在るのです。」

マハルシ「もし心が内面に向かえば、神は内なる意識として現れるでしょう。」

マハルシ「神はすべての中に、そしてそれを見る者の中に存在しています。いったいそれ以外のどこに神を見いだせると言うのでしょう?神を外側に見いだすことはできません。彼は内側に感じられるものなのです。対象物を見るには心が必要です。対象の中に神がいると考えることは知的作用です。しかしそれは真理ではありません。心を一掃した内なる意識、それが神として感じられるのです。」

例えば美しい色があると、それを目にすることは喜びでその中に神を見いだすが。

マハルシ「それらは精神的観念です。」

マハルシ「それらもまた精神的なものでしかありません。」

マハルシ「魂も神も精神的概念にすぎません。」

どのようにすれば心を消し去ることができるか。

マハルシ「いかなる試みもそれを破壊することはできません。それについて考えたり、願ったりすること自体が想念だからです。しかしもし考える者を探し出そうとするなら、想念は消え去るでしょう。」

マハルシ「実在ではないからこそ、それは消え去るのです。難しいと考えること自体が実在への妨げです。それは克服されなければなりません。真我としてとどまるのは難しいことではないのです。」

人が望むすべてを手に入れる祝福を与えられたと話す王妃との9ページにもおよぶ長い対話です。

すべてをもっているからこその不安でしょうか。

この対話の中で私が気づきを得たのは、例えば美しいものを見た時の喜びが精神的概念にすきないということです。
真我実現に向けた努力、スピリチュアル的な探究をしていると精神的高揚を伴う出来事が多々あります。自然を感じたときの喜びやふとした中での一体感、エネルギーの流れに気づいたり神の存在を身近に感じたり等あります。

ですがそれはすべて精神的作用でしかないのです。
その精神的作用は自我を満足させるための出来事であって、真我実現ではないのです。

探究を進めていく上での通り道であってそこにとどまってはいけません。
絶えず真我実現に向けて努力をするべきです。

第1巻 対話241

2017-07-15 21:36:30 | 日記
不幸についての質問。
どうすれば不幸を避けることができるか。

マハルシ「不幸に形があるでしょうか?不幸とは単なる望ましくない想念にすぎません。心はそれに抵抗するだけの力がないのです。」

どうすれば心の強さを得られるか。

マハルシ「神を礼拝することによってです。」

内在する神への瞑想は、理解しがたい。

マハルシ「神のことは放っておきなさい。あなたの真我をとらえなさい。」

私たちが不幸とよんでいる出来事は単なる出来事でしかありません。
ですが、不幸(とよんでいる出来事)の真っ只中におかれている時は本当に苦しいものです。

真我を知ったからといって不幸がなくなるわけではありません。山積みの問題が一瞬で解決するわけでもありません。不幸は相変わらず存在しているし、問題も問題のままです。
ただ不幸が不幸でなくなり、問題が問題でなくなりました。
真実を知ったので、そこにとらわれることがなくなるのです。

心の強さを得られる質問に対してマハルシは神を礼拝することだと語った後すぐに神のことは放っておきなさいと語っています。神も真我も同じものですが質問者に合わせて丁寧に語られています。

真我を知った今でさえ不幸や問題にのみ込まれることはまだまだあります。ですが、神に帰ることを知っているので帰る最大限の努力をします。真我を知った後からが本当の意味での修練です。


第1巻 対話240

2017-07-10 22:48:03 | 日記
世界は物質主義で、それを改善する策とは何か、という質問に対して。

マハルシ「物質主義であれ精神主義であれ、それはあなたの観点によるものです。
あなたの観点を正しなさい。創造者はどうやって彼の創造の面倒を見るか知っているのです。」

未来を安全でたしかなものにするためには、何をすれば一番よいか、という質問に対して。

マハルシ「現在の面倒を見なさい。未来のことは未来自体が面倒を見るでしょう。」

マハルシ「努力しなさい。井戸を掘ることで水を得るように、あなたも探究によって実現するのです。」

マハルシ「あなたはすでに地表に湿り気があるのを見ています。あなたはおぼろげながら真我に気づいているのです。それを突き止めなさい。努力が止んだとき、真我は輝き出すでしょう。」

努力しなさいと言っておきながら努力が止んだとき、と話ていますがこの努力は方向性、種類が違います。

マハルシの話の中で好きな言葉は「それ自体が面倒を見る」てす。
他のことの心配なんてせずに今、まさに今、井戸を掘る努力をするべきです。