徒然なるままに~地球クン

私の永遠のグルであるラマナ・マハルシの対話本について自分なりの解釈で語っています。

第1巻 対話286

2017-12-14 00:17:13 | 日記
なぜ私たちは自分の意思で好きなだけ眠りの状態の中にとどっまていられないのか、という質問に対して。

マハルシ「眠りの状態はこの目覚め状態の中でも続いています。私たちは常に眠りの状態の中にいるのです。今この目覚めの状態にいるときに意識的にその中に入り、それを悟ることが私たちのすべきことです。実際には、その中に入って行くことも、そこから出ることもありません。それに気づくようになること、それがサマーディです。
無知な人は長い間眠りの状態にとどまることができません。彼は生来の性癖によって強制的にそこから追い出されてしまうのです。彼の自我はまだ死んではいないため、再び立ち現れます。しかし賢明な人は、自我が源にある間にそれを破壊しようと試みるのです。自我は生来の性癖、つまり運命に駆り立てられて、何度も何度も立ち現れてきます。すなわち、真我実現した人にも真我実現していない人にも自我は生じるということです。二人の違いは、自我が立ち現れるとき、真我実現していない人はまったくその源に無知であり、夢見と目覚めの状態における眠りに気づいていません。一方、真我実現した人は自我が立ち現れても、常に自我を標的である源にとどめながら、超越体験を楽しんでいるのです。この自我は危険ではありません。それはロープの燃え殻のようなもので、それでは何もできないからです。絶えず源に的をとどめることで、自我は海の中の塩人形のようにその源に溶け去るのです。」

どうすれば真我を実現できるか、という質問に対して。

マハルシ「絶対的な真我が存在します。そして炎から火花が飛び散るように、真我か閃光が発せられます。この閃光が自我と呼ばれるものです。無知な人の場合、自我は立ち現れると同時に、それ自体を一つの対象物との関わりに依存せずには存続することができません。この関わりが無知であり、その破壊が私たちの努力の目標なのです。もし対象物との同一化の傾向がなくなれば、自我は純粋なままとどまり、源へと融け去るでしょう。身体との誤った自己同一化が「私は身体だ」という観念です。良い結果が現れる前に、まずこの観念が去らなければなりません。」

私は真我を実現しましたが、常に真我の中にとどまることはできません。
自我は何度も何度も立ち現れてきては私を惑わせます。

けれども絶えず源を意識することで自我は遠くへいってしまいます。
初めは大変でしたが日々努力を積み重ねることで簡単に源に帰りとどまることができるようになります。

真我実現した後こそが本当の修練の始まりだと思います。

質問好きの人に向けてマハルシが一言。「それ自体が偽りである世界の中で、真実や偽りについて語ることに何の意味があると言うのでしょう?」

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