徒然なるままに~地球クン

私の永遠のグルであるラマナ・マハルシの対話本について自分なりの解釈で語っています。

第1巻 対話273

2017-10-18 20:15:27 | 日記
不二一元論学派の師であるマハルシが、神としてアルナーチャラ(マハルシがグルと見なした山で真我実現した後、生涯を麓で過ごした山)を分離した存在として崇めることができるのか、という質問に対して。

マハルシ「帰依者、神、賛歌はすべて真我なのです。」

マハルシ「あなたは真我を身体と同一視しています。帰依者が真我とアルナーチャラを同一視してはいけませんか?」

マハルシ「この地にあなたを引き寄せたのは何でしょうか?これら大勢の人々は何に魅力されたのでしょうか?」

マハルシ「なせ私はこの地に惹きつけられたのでしょうか?アルナーチャラによってです。その力を否定することはできません。アルナーチャラは外側ではなく、内側にあります。真我がアルナーチャラなのです。」

ハートに瞑想するために胸の右側に瞑想するべきか、という質問に対して。

マハルシ「ハートとは身体的なものではありません。瞑想は右側や左側にではなく、真我にされるべきものです。誰もが「私は在る」ことを知っています。「私」とは誰でしょうか?それは外側にも内側にもなく、右側にも左側にもありません。「私は在る」。ただそれだけです。
ハートはそこからあらゆるものが現れ出る中心です。あなたが世界や身体などを見るため、そこにはハートと呼ばれる中心があると言われるのです。あなたがハートの中に在るとき、そのハートは中心でも周辺でもないことがわかります。ハート以外には何も存在しないのです。いったい誰の中心だと言うのでしょうか?」

繰り返し惹きつけられる、という場所はありますね。
真我実現した後はまだ行っていないので(そういう場所に興味がなくなってしまいました)、自分がどう感じるかまた行ってみたいですね。

アルナーチャラにはまだ一度も訪れたことはありません。
そういう場所に興味がなくなってしまいましたが、機会があればマハルシが生涯を過ごした山にはいつかは行ってみたいです。

真我を知る前はハートに瞑想していても知識でしかないハートで瞑想していました。
マハルシが言っていた「心臓より指二本分右側」(の身体)がハートだと思っていました。
自分ではそれが肉体だとは思っていませんでしたが肉体でした。

真我を知って、ようやくマハルシの話していたハートの意味がわかりました。

そこは確かに「心臓より指二本分右側」なのだけれど肉体的ではなく、確かにそこに在るのだけれど、それではなかったのです。
ハートから全てがわき上がり、全てがそこから始まるのです。

ハートが何なのかわかったときは、かなりの衝撃でした。

ハート(だと思っている場所)に瞑想することももちろん大切なことだと思いますが、「私は誰か?」と問い続け真我実現する方が本当のハート知る近道ではないのでしょうか。

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