徒然なるままに~地球クン

私の永遠のグルであるラマナ・マハルシの対話本について自分なりの解釈で語っています。

第1巻 対話209

2017-05-22 17:10:50 | 日記
自由意志と運命についての質問に対して。

マハルシ「それは誰の自由意志でしょうか?あなたは「私のです」と言うかもしれませんが、あなたは意志と運命を超えているのです。「それ」としてとどまりなさい。そうすれば、そのどちらも超越するでしょう。それが自由意志によって運命を克服するという意味です。運命は克服できます。運命とは過去の行為の結果です。賢者との交際によって悪い性癖は克服されます。そのとき、正しい視野のもとに体験を観ることができるようになるのです。
今、私は存在する。私は楽しむ者だ。私は行為の結果を楽しむ。私は過去に存在したし、未来にも存在するだろう。この「私」とはいったい誰でしょうか?
この「私」が行為とその楽しみを超えた純粋意識であることを見いだすことが、自由と幸福の獲得なのです。そのとき努力はありません。なぜなら真我は完全であり、それ以上獲得するものなど何も残っていないからです。
個人性が存在するかぎり、人は行為者であり楽しむ者です。しかし個人性が失われれば、神の意思が支配し、出来事の流れを導きます。神の力を感じ取ることのできない人たちが個人性を感じるのです。
戒律や修行は個人のためのものであって、解脱した人のためではありません。聖典の戒律の中に自由意志は良いものであるということが示されていますが、それは運命を克服することを意味しています。そしてそれは叡知によって為されるのです。叡知の炎はあらゆる行為を焼き尽くします。叡知は賢者と交わることによって、と言うよりむしろ賢者の霊的な臨在によって得られるのです。」

運命とは過去の行為の結果、まさにその通りですね。何を選択してきたかの結果です。
グルとの関わりは、例えそれが直接ではなくても、悪循環を絶ち切ることができます。
もちろん努力は必要です。

運命やら自由意志やらをどうにかする、あるいはしたいという縮こまった意識ではなく、もっと大きな意識として在ることで本当の自由になるのです。

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