LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

PAROLE DE FLIC (3)

2005-05-08 | THE 80'S CINEMA
DVDライナーノーツ
「LES COULISSES(舞台裏)」より
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『スワンの恋』と『真夜中のミラージュ』の2作品においてアラン・ドロンが演じた役柄は、
それまで演じてきたドロンのイメージから大きくかけ離れており、
『LE BATTANT』(邦題『鷹』)での成功を喜んでいた彼のファンたちを
かなり失望させてしまった。

ドロン“ベルトラン・ブリエ監督(『真夜中の~』の監督)は
   私のキャリアの中でも最も素晴らしい役柄を与えてくれた。
   そのことには異論はない。
   しかし私のファンは「ドロン」がアル中になることを望んではいなかった。
   『真夜中のミラージュ』が商業的に失敗した今となっては、
   それとよく似た主人公を演じることになる
   アンドレ・テシネ監督との次回作に出る事はできなくなった。”

実際にこのときドロンはパスカル・ブルックナー原作本の映画化で、
ある女性に破滅させられる男の役柄をオファーされていた。
結局この作品にドロンは参加せず、
1992年にロマン・ポランスキー監督によって
『赤い航路』として映画化された。

ドロン“私はやむを得ず『真夜中のミラージュ』のイメージとは正反対で、
   なおかつより伝統的な「ドロン」に戻ることにした。
   そのためにあの作品のイメージを打破し、冒険アクションに舞い戻る必要があった。
   それこそが観客が見たい「ドロン」なのだと私は確信したのだ。”

問題がその後に発生した。
『危険なささやき』『鷹』の2作品でその実力を証明させた監督の腕前を
ドロンは新作でも引き受けるかどうか?ということだ。
結局ドロンはキャメラの後ろで演出することを今回は拒絶した。

ドロン“監督の仕事はあまりにもハードでヘヴィーだ。
   今度の作品には肉体的な準備が必要で、とても俳優と監督の二足のわらじは履けない。”

では一体誰にこの野心的な作品の監督を任せることができるだろうか?
ジャック・ドレーやジョゼ・ジョバンニらの永年の友人の監督たちと仕事するのではなく、
主演のスターはむしろ新しい空気が必要だと感じていた。
そしてドロンは監督にジョゼ・ピネイロを考えついた。

ピネイロ“私のエージェントがある日ドロンが新しい血をさがしているぞ、と予告してきた。
    そのときまでに私は2本の作品の監督をしていたが、
    とてもアクション映画と呼べるようなものではなかったよ。(笑)
    かなりのプレッシャーと少しばかりの社交心を抱きながら
    私はこの2作品をドロンに見せにブローニュのスタジオに行ったんだ。
    彼はそこに自分用の映写室を持っていた。
    まず初めに『Les Mots Pour Le Dire』が上映された。
    そして映画が始まってからちょうど5分を過ぎた頃、ドロンが席を立とうとした。
    ところが当時ドロンのパートナーで、その場に一緒に来ていたカトリーヌがドロンに
    最後までこの作品を見たいと言ってくれたんだ。
    するとドロンが座り直して、上映が再開した。
    結局彼は私のもう1作品もその場で見てくれた。
    その上何とドロンは私に月曜日の朝に来てくれと言い、
    シナリオを手渡してくれて、
    もし監督を引き受けてくれるなら、今から4時間後に返事を聞かせてくれ、
    と言ってくれたんだ。
    これはうそじゃないのか?!本当なのか?っていう心境だったよ!”

この自由奔放で心理学に夢中な若手監督がドロンとコンビを組むとのニュースは映画界を驚かせた。
そして今ではこの二人のコンビネーションは重みのあるものとなっている。

ドロン“監督の住む世界と私のとは確かに異なってはいる。
   しかし彼はその個性や才能ばかりでなく技術的な事でも私が望むものを導き出してくれる。”

ピネイロの編集の技術に接して、ドロンはますます彼のテクニックを評価するようになった。
彼はアクションシーンに欠くことのできないリズムのセンスを持ち合わせていた。

ピネイロ“ドロンは私に言ってくれたんだ。
    君は今まで小さなトロール漁船の船長だった。
    でもこれからはスーパー・タンカーの船長になるんだ!ってね。”


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ドロンとジョゼ・ピネイロ監督は、この作品の後も3つの作品
(『私刑警察』『FABIO MONTALE』『LE LION』)でコンビを組んで、
ジャック・ドレー、ジョゼ・ジョバンニ監督に次いで多く
ドロンとのコラボレーションをその後展開していくことになるわけですが、
そのきっかけとなったのが当時のドロンのパートナーであったカトリーヌさんの
“最後まで見たい。”という一言であった、というのが何か運命的なものを感じます。
(カトリーヌさんは先日のジュネーヴでのドロンの舞台公演にも招待されていました。)

ドロンがこの監督を抜擢したエピソードは、
TVドラマ『シネマ』の中で若手監督を突然新作に起用することを決めた決断力を
思い起こさせるもので、翻訳しながら大変興味を持ちました。
ピネイロ監督の喜んだ姿が目に浮かぶようです。

しかし残念なのはドロン主演の『赤い航路』が実現しなかったことです。
(オファーされていたのはピーター・コヨーテが演じた役です。)
もしドロンがテシネ、あるいはポランスキーと組んでいたら、
これはこれで映画史に残る素晴らしい作品になっていたことと思います。

ライナーノーツでは否定的に書かれていましたが、
80年代前半、ドロンが40歳代の後半に『スワンの恋』『真夜中のミラージュ』
という2本の異色の作品を残してくれたことは、20年経った今となっては
ドロンのキャリアにとって(その商業的な失敗は別として)大変貴重なものです。
そしてこういった作品がアクション刑事物の作品群の間に存在することこそ、
ドロンが共演した他のスター俳優たち(ベルモンドやブロンソン)と一線を画する要因である
と私は思っています。

次回はライナーノーツ中編を御紹介します。
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