先日ご紹介したPARIS MATCH誌でのドロンさんのインタビュー記事を翻訳しました。
http://www.parismatch.com/parismatch/Dans-l-oeil-de-match/Reportages/Alain-Delon-l-art-d-etre-pere/(gid)/58619/
なかなか難しい文章ですが、恐らくこのような内容であると思います。
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アランドロンと18歳の娘アヌーシュカ
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パリマッチ誌 キャサリン・シュワブ記
11月15日土曜日、レストラン・ル・バークレーにて。
彼はまだ空腹ではないように見える。 "今日は2回公演の日だよ。"
彼は彼が信頼を寄せる店主のクリストフが用意した周りから隔離された一角で
ひとりミネラル・ウォーターを飲みながらカボチャスープを飲んでいる。
照明を巧みに操作しているのであろうか?
彼の髪はふさふさになっている?
めがねをかけていない彼の瞳は青々としているじゃないか?
(と人々は疑問に思うであろう。)
彼は正に若返っていた。
"確かに私は体が引き締まったよ。2キロ痩せたんだ。
でも痩せようと思って痩せたんじゃないよ!
皆はどうやって痩せたのか聞いてくるんだけどね。
私は年を取れば取るほど若くなっていくみたいだ。困ったことだよ!"
少し以前の彼はかなり元気がなかった。
"私は落ち込んでいればいるほど、より体が引き締まっていくみたいだ... "
さあ食事は終わりだ。
午後4時ちょうどから180分間を経て午後7時に彼はまたマドレーヌ劇場の舞台の上に上がることになる。
いつも着ているグレーのスーツを着用し、
とても魅力的な赤いドレスを着たアヌーク・エメと壇上で横一列に並んでいる。
彼は生涯にわたって彼女に"ラブレター"を書く。
そしてこの手紙を続けることを宣言し、
しかしあえてそれ以上には踏み込もうとはしない、そしてやがて彼女を失う。
物語は悲しい結末を迎え、ドロンは目に涙を浮かべている。
劇場中の観客たちがスタンディング・オベーションをするなか、
一人の女の子が舞台に上がってきて、腕を彼の首に回そうとする...
アヌーク・エメは困惑して笑いながらそこから離れようとする...
"アヌーク・エメのことはこの50年の間ずっと知っているよ。
私たちの関係は姉と弟のようなものさ。”
【彼の夢、それは自分の周りにいつも女性がいること】
いや、だが彼は彼女らと恋物語をしたことはない。
"当時は、成熟した女性だけが私を虜にさせていたよ。
同年代の少女たちには興味はなかったな。
ブリジット・オーベール、ミシェル・コルドゥを愛していた。
だが彼女らは私より15歳も20歳も年上だった。
彼女らには女性らしさの本質が備わっていたよ。"
今彼はこういう彼を魅了するような"女性の中の女性"に出会うことを夢見ている。
Alain Afflelouと離婚したロザリーとの冷え切った関係は緩和してきている。
だがこれ以上よりを戻すことはない。
周りの人間たちは心配して何人かの女性を時々紹介してくれる。
その女性たちの中で彼がキスをしていたのがEstelle Lefebureだった。
"エステル?嬉しいね!だがダメだ。もう一度考えてくれ! "
今のところ、彼の人生で唯一の女性は18歳になる彼の娘アヌーシュカただ一人だ。
"彼女は何かほしいものがあると私を呼び出すんだ。
電話で話す彼女のイントネーションを聞けば彼女が私に何かを要求しているのがわかるよ。
「お父さん、いい?... ...ほら、私たちライブに行きたいの... 」
そして、いっしょに行くと、私は驚かされるんだ!”
彼は言う。
"二人の子供たちに対する接し方はアンソニーのときとは同じではないよ。
(二人が生まれたときは)私はもうキャリアを築き上げていたからね。
一方アンソニーが生まれたときは、私は映画をプロデュースし、
たくさんのことをすることが義務付けられていた 。"
もちろん彼はこの愛しながらも屈折して育った息子の感動的な自伝を読んでいた。
"私はショックを受けたよ。
息子は自分がどのように人生を過ごしてきたのかを私に説明していたよ。
そしていくつかの地獄を見て、彼は失望を感じて失敗したんだ... "
アランドロンは、大酒を飲み、銃を持ち、娘たちを身の回りに集めるといった
彼の息子の大きな反抗についてはあえて何も言わなかった。
アンソニーは17歳のときに自らドアを閉ざし、
父親が映画で演じてきたようなタフな人間を演じてきた。
しかし彼の名付け親で乳母であったルルが2003年に亡くなったとき彼は落ち込んでしまった。
そして彼の身を包んでいた鎧が割れていく。
川の流れのように涙を流し、胸が張り裂けるような思いから生き返ってきた。
自分自身を分析し再構築した...
ドロンは、彼を称賛する。"今の彼はとても強く見える。"
彼は40年前の自分自身を思い出す。
彼は将来を期待された俳優であったが一方で未熟な父親であった。
初めて彼は自分のことをこう認めた。
"そうだ、私は、自己中心的で誰とも妥協しない権威主義者だった。
幸いなことに、彼はそのことがよく理解できる年齢になった。
そして我々はお互いのことを分かり合ったんだ。"
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アンソニー・ドロンとの複雑な親子関係についての
ドロンさんの生の声が聞ける貴重なインタビューです。
次回に続きます。
http://www.parismatch.com/parismatch/Dans-l-oeil-de-match/Reportages/Alain-Delon-l-art-d-etre-pere/(gid)/58619/
なかなか難しい文章ですが、恐らくこのような内容であると思います。
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アランドロンと18歳の娘アヌーシュカ
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パリマッチ誌 キャサリン・シュワブ記
11月15日土曜日、レストラン・ル・バークレーにて。
彼はまだ空腹ではないように見える。 "今日は2回公演の日だよ。"
彼は彼が信頼を寄せる店主のクリストフが用意した周りから隔離された一角で
ひとりミネラル・ウォーターを飲みながらカボチャスープを飲んでいる。
照明を巧みに操作しているのであろうか?
彼の髪はふさふさになっている?
めがねをかけていない彼の瞳は青々としているじゃないか?
(と人々は疑問に思うであろう。)
彼は正に若返っていた。
"確かに私は体が引き締まったよ。2キロ痩せたんだ。
でも痩せようと思って痩せたんじゃないよ!
皆はどうやって痩せたのか聞いてくるんだけどね。
私は年を取れば取るほど若くなっていくみたいだ。困ったことだよ!"
少し以前の彼はかなり元気がなかった。
"私は落ち込んでいればいるほど、より体が引き締まっていくみたいだ... "
さあ食事は終わりだ。
午後4時ちょうどから180分間を経て午後7時に彼はまたマドレーヌ劇場の舞台の上に上がることになる。
いつも着ているグレーのスーツを着用し、
とても魅力的な赤いドレスを着たアヌーク・エメと壇上で横一列に並んでいる。
彼は生涯にわたって彼女に"ラブレター"を書く。
そしてこの手紙を続けることを宣言し、
しかしあえてそれ以上には踏み込もうとはしない、そしてやがて彼女を失う。
物語は悲しい結末を迎え、ドロンは目に涙を浮かべている。
劇場中の観客たちがスタンディング・オベーションをするなか、
一人の女の子が舞台に上がってきて、腕を彼の首に回そうとする...
アヌーク・エメは困惑して笑いながらそこから離れようとする...
"アヌーク・エメのことはこの50年の間ずっと知っているよ。
私たちの関係は姉と弟のようなものさ。”
【彼の夢、それは自分の周りにいつも女性がいること】
いや、だが彼は彼女らと恋物語をしたことはない。
"当時は、成熟した女性だけが私を虜にさせていたよ。
同年代の少女たちには興味はなかったな。
ブリジット・オーベール、ミシェル・コルドゥを愛していた。
だが彼女らは私より15歳も20歳も年上だった。
彼女らには女性らしさの本質が備わっていたよ。"
今彼はこういう彼を魅了するような"女性の中の女性"に出会うことを夢見ている。
Alain Afflelouと離婚したロザリーとの冷え切った関係は緩和してきている。
だがこれ以上よりを戻すことはない。
周りの人間たちは心配して何人かの女性を時々紹介してくれる。
その女性たちの中で彼がキスをしていたのがEstelle Lefebureだった。
"エステル?嬉しいね!だがダメだ。もう一度考えてくれ! "
今のところ、彼の人生で唯一の女性は18歳になる彼の娘アヌーシュカただ一人だ。
"彼女は何かほしいものがあると私を呼び出すんだ。
電話で話す彼女のイントネーションを聞けば彼女が私に何かを要求しているのがわかるよ。
「お父さん、いい?... ...ほら、私たちライブに行きたいの... 」
そして、いっしょに行くと、私は驚かされるんだ!”
彼は言う。
"二人の子供たちに対する接し方はアンソニーのときとは同じではないよ。
(二人が生まれたときは)私はもうキャリアを築き上げていたからね。
一方アンソニーが生まれたときは、私は映画をプロデュースし、
たくさんのことをすることが義務付けられていた 。"
もちろん彼はこの愛しながらも屈折して育った息子の感動的な自伝を読んでいた。
"私はショックを受けたよ。
息子は自分がどのように人生を過ごしてきたのかを私に説明していたよ。
そしていくつかの地獄を見て、彼は失望を感じて失敗したんだ... "
アランドロンは、大酒を飲み、銃を持ち、娘たちを身の回りに集めるといった
彼の息子の大きな反抗についてはあえて何も言わなかった。
アンソニーは17歳のときに自らドアを閉ざし、
父親が映画で演じてきたようなタフな人間を演じてきた。
しかし彼の名付け親で乳母であったルルが2003年に亡くなったとき彼は落ち込んでしまった。
そして彼の身を包んでいた鎧が割れていく。
川の流れのように涙を流し、胸が張り裂けるような思いから生き返ってきた。
自分自身を分析し再構築した...
ドロンは、彼を称賛する。"今の彼はとても強く見える。"
彼は40年前の自分自身を思い出す。
彼は将来を期待された俳優であったが一方で未熟な父親であった。
初めて彼は自分のことをこう認めた。
"そうだ、私は、自己中心的で誰とも妥協しない権威主義者だった。
幸いなことに、彼はそのことがよく理解できる年齢になった。
そして我々はお互いのことを分かり合ったんだ。"
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アンソニー・ドロンとの複雑な親子関係についての
ドロンさんの生の声が聞ける貴重なインタビューです。
次回に続きます。
チエイサーさんに、全部お任せで、私は、楽をしています。
大変な時間と労力をお掛けしていただいて、内容がわかりました。
いつも新しいNEWSをありがとうございます。
そして、翻訳ありがとうございました。
今年も後すこしとなりましたが、大変お世話になりました、どうぞ良いお年をお迎えください。
がんばって訳してみました。
少し間違っているところもあるかもしれませんが、
その際はどうぞご容赦下さい。
後半も楽しみにしていてください。
アランさんのようにアントニーさんも苦しんだりつらかったりたくさんの経験をされているのでしょうね。詳しいことは私には分かりませんが親子仲が良くて嬉しいです。アヌーシュカさんもなんのバンドなんでしょうか、おねだりがかわいいですね。アランさんが若いので私も驚いています。
そういう意味では日々変わりまくっております(笑)