台風一家の青空

台風はすごい雨が降ったり、すごい風が吹いたり大変な騒ぎになる。でも、その後の青空はすばらしい!(はず・・)

出会いとご縁

2008-06-30 15:01:32 | 周りで起きたこと
我が家は転勤族。
なので、4月や7月になると、家族皆で一応、びくびくする。
今回、旦那に辞令が出て、職場がかわることになった。
でも、引越しはなかった!!
よかったーーー

でも、仲良くしていたお宅が転勤になり、その話を聞いた時には
涙した。
特に、りょうがとっても仲良くしていたお友達のお宅だったので、
りょうは
「Yくん引越しでいなくなっちゃうんだって・・どうしよう・・」
と落ち込んでいた。

子供も自分達は転勤族だとわかっている。
いつかは引越しをしなくてはいけないことも。
そして、何度も経験して親しいお友達がここから引っ越していってしまう寂しさも。

でも、子供もそして親の私も受け入れてがんばるしかない。


さて、今日で旦那は今の職場は最後になる。
この職場での仕事はたくさんの出会いと、縁をくれた職場だった。
旦那はたくさんのことや人から刺激をうけて、子供のように目を輝かせて
私にいろいろなことを話してくれてた。

そんな少年のような旦那をみれてうれしくも思ったし、
旦那の話から私もたくさんの刺激を受けた。

旦那の出会いは私にも出会いをくれた。
今まで、全く縁がなかった世界を見ることができ、感じなかったことを
たくさん感じた。

それは、私の感性や考えに影響し、そのまま私の子育てにいかされた。

旦那自身も変わったように感じる。
私がいうのもなんだが・・人間として大きくなったようなきがする。

世の中にはたくさんの世界がある。
その中で情熱をもって、何かに真剣に取り組んでいる人に出会うこと、
そんなこと、大事だとも必要だとも思わずにたんたんと生きてきた。
でも、自分の知らない世界をのぞいてみることのすばらしさを
今回旦那からおすそ分けしてもらって知った。

ここで得た出会いやご縁を今後も大事にしていってほしいと思うし、
私も大事にしていきたいと思っている。

明日からなれない職場でお仕事大変だと思うけど、
木彫り・・なんていわずに、めいっぱい力を発揮してがんばってね





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気持ちをぶつけられる場所

2008-06-29 23:36:19 | 私のこと
先日ある人に
「台風母さんって、いつもにぎやかに楽しそうにしているから、基本そういう人かと
 思っていたけど、結構落ち込んだりして、違うんやね」
と言われた。

そう、違います
(今そこでいろいろ思った方、おっしゃりたいことはわかります

とても落ち込みやすいし、一旦落ち込みだすとどこまでいっちゃうのーーというくらい
とことん突き進む。
(立ち直りもいがいに早かったりするけど。)

いがいに神経質にまじめにいろいろ考えちゃうし・・・。
気にしなくていいこともきになって考えちゃう。
(考えても結局いきずまって、「ま、いっか」で終わってしまったりもするけど・・。)

昔は本当にマイペースで、周りの人のことなんておかまいなしにわが道を行っていた・・。(巻き込まれた人ごめんね)


でも、子供を持つと、そうもいっていられない。

子供は敏感でいろいろ感じる。
悲しい顔や怒った顔をしていると、子供の気持ちもすぐ不安定になる。
だから、なるべく笑顔で気持ちも穏やかに子供とは接しなくては!と思う。
(思ってはいる。できているかは別)

そして、子供は私よりずっとマイペースで私は我慢することを覚えた。

でも、基本よく悩んだり、考えたりする私は、子育てしはじめるともっと
悩んだり、落ち込んだり、考えたりすることが増えた。

また、子供にいいように振り回されて、我慢にも限界があると知った。
(子育ては忍耐の世界だった)



そんな自分の感情のぶつけどころがなくて、精神的にイライラしたり
落ち込んだり、感情が自分でコントロールできなくなったり(鬼のように
子供を怒っていた)
そして、結局どうしていいかわからず、とことん自分を奈落の底に追い込んでいったりした。


結果、その被害にあうのは、一番が子供で、二番が旦那。
旦那はしょうがないとしても、子供は本当にかわいそう。

子供の成長において、いいはずもなく・・そのことがわかっているから
なお自己嫌悪になって落ち込んだりして、悪循環になっていた。


でも、ブログを書き始めてから、変わった。
自分の気持ちを文章にすると、なんとなく気持ちが落ち着いた。
自分がいけなかったところも、どうしたらいいのかも、書いているうちに
自然に見えてきたりして、気持ちが楽になった。

へこんでいる時も、コメントからどれほど元気をもらったかわからない。

昨日の妊娠に対しての不安もブログでなかったら、打ち明けられずに
自分ひとりでもんもんとしていたかもしれない。
でも、書いたことで、『どうしようもない気持ち』の行き場所ができて
気持ちが救われた。

私にとって、ブログは正直な気持ちをぶつけられる場所になった。
そして、それは私には必要な場所。

そんな私の場所にいつもお付き合いいただけていること本当に感謝です。
そして、これからもよろしくお願いします



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つきまとう不安

2008-06-28 16:17:05 | 新台風(3号)ちゃん 妊娠期間
30歳を過ぎたあたりから、「あれ?」と自分でも思うような事が増えた。
年齢にともなういろいろな現象がやはり体には正直にでるのである。
この頃特にビニール袋等が本当にあけられなくて、指先の潤いのなさに
体全体の状態を感じ、悲しくなる。

そんな私は今妊婦・・・。

そうたとりょうを産んだのは・・まだこんなふうになる前だった・・・・。

昨日は検診に行ってきた。
今回の妊娠、検診は実はいつもびくびくなのだ。
そうたとりょうの時は検診の時なんて、大きくなっているかななんて
ルンルンだったのに、今はびくびくなのだ。

若い妊婦さんに混じって、病院で順番を待っていると、
急におなかが痛くなった。
10分様子をみていたが、一向に治まらず、座っているのもしんどくなってきた。
意を決して、受付の人に事情を話し、横になれるところはないかと頼んでみた。

看護士さんがいらして、ベットに連れて行ってくれた。
一人で横になっていると、不安が押し寄せる。


三月、大量の不正出血をして、がん検診を受けたときに、私にはポリープがみつかった。
(その時の落ち込みブログはこちら⇒景色が違って見えた日
その時に、ポリープは1cm大で子宮の真ん中あたりにあり、ポリープが邪魔して
自然妊娠は非常に厳しいと先生に言われた。
妊娠がしたいのなら、ポリープの除去手術を受けたほうがいいとまで言われた。
がんでなないとわかり、そのうれしさが大きかったが、このときに、
自分が自然妊娠が厳しい体だとしった。
三人目の妊娠を望んでから2年近くもできなかったのはこのためかと納得できた。

がんではないとわかると、年齢的なものから今年が最後のチャンスと思えて、
もう一人子供をうんでみたい!という思いが強くなっていった。

でも、子供はほしいが、手術をしてまで・・・という思いがあった。

また、りょうの幼稚園の役員に仲のいいお友達がなる予定があり
一緒にしようと誘われたりもしていた。
年長の役員を引き受けるのなら、それなりに責任をもってきちんとしたい!という
おもいがあり、中途半端な気持ちで受けたくはなかった。

役員をしたら、赤ちゃんはあきらめる。
赤ちゃんがほしいのなら、役員等すべてを切り捨てて、体と向き合ったほうがいい。

この時に自分の人生の一つの岐路だなと思ったりもした。

結局私は役員を引き受けることができなかった。
自分でもびっくりしたが、どうしても赤ちゃんをあきらめるという踏ん切りが
つかなかった。
こんなにほしかったのか?と自分でもびっくりした。
でも、手術となるとどうしたものかとこれまた踏ん切りがつかないでいた。

お医者さんの「このままでの自然妊娠は厳しいでしょう」という言葉は私に
大きくのしかかっていった。


そんな時に、体に少しずつ異変を感じ始めた。
なんか、いつもと違う・・・。

まさかね・・・と思って、検査をした結果、妊娠反応が出た時には
本当にびっくりした。

自然妊娠できるの?
でも、ポリープ子宮にあるままだよ。
大丈夫なの?

おまけにこのときに出血もしていた。

うれしさよりも大きな不安に襲われて、旦那に助けの電話をしたことを覚えている。

病院にいって、妊娠は確認されたが、赤ちゃんがまだよくみえないといわれた。
子宮外妊娠の可能性もあるといわれた。(これはポリープがあるからではなくどの妊娠にもありうることらしい)
妊娠さえしてしまったら、ポリープは関係ないと言われた。

妊娠はすごくうれしかった。
でも、同時に大きな不安が私にうまれた。

検診ごとに一つづつ不安はクリアはされていく。
子宮外妊娠の可能性はなくなり、前回は赤ちゃんの心臓が見えますといわれた。

それでも、私は検診のたびに
『もしだめだと言われても、とりみだすことなくきちんと受け止めよう』
と思ってのぞんだ。



そんな検診の前におなかが痛くなるなんて・・・
私は天井を見つめながら、気をしっかり持とうと自分に言い聞かせた。
妊娠の喜びが日増しに増えれば増えるほど、気をしっかり持って覚悟をすることが
難しくなってきていた。
不安で涙がでた。

先生に診察してもらうと

「子宮がちょっと収縮しているかな。卵巣は前回も腫れていたけど、今回の腫れも前回に比べ大きくなっていないし、大丈夫な範囲でしょう。ねじれて痛みが出たか・・・どうでしょう。でも、妊娠に問題は無いですよ」

といわれた。
すごくほっとした。
よかった。

でも、おなかの痛みは家に帰ってもちょっとあって、今日はもうなにもしないと決め、
本当に何にもせずに寝ていた。
気分が不安になったせいか、吐き気もいつにもまし激しく、昨日はしんどかった。

今回の妊娠はどこか不安がついている。
自分の年齢的なものなのか、がんかもしれないというあの思いを経験したあとだったからか、ポリープが残っていると思うからか、なんでだろ・・。
だから、つわりさえも、赤ちゃんが育っている証拠と思えてうれしくなったりもする。
(つわりは本当にしんどいが・・・でも、今日は調子がよくてブログ書いているけど)

自分の体に自信がないのか、出産までの数ヶ月、私は無事に乗り越えられるか・・
と不安にもなる。
なにかしら不安を抱いてしまう妊娠だ。

でも、神さまがくださった命、大切にしていきたいと考えている。

ここで、自分の不安を正直にぶちまけたら、ちょっと気持ちが楽になった。
(って、聞いたほうは心配になる?ごめんなさい)

今は順調に赤ちゃんが育っているので、それを喜んで、きちんと今を見つめて、今を大事に、頑張りたいと思う。

とりあえず、ソファーの上に山済みになっている洗濯をなんとかしよう・・。





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踏ん切りつけてやってみよ

2008-06-26 18:48:37 | 1号
小さかった頃、絆創膏をはぐのが痛くて嫌いだった。
ちょっとづつ痛くないようにはいでは叫んで、絆創膏はぎは何事ですか??
というくらい、大事(おおごと)になったりもした。

そんな私も人生いろいろ経験して、絆創膏はぎなんて、びりっと一動作になった。
まゆも動かない。
あまりのいさぎよさに自分でほれぼれする。


子供はまだまだ人生経験が浅いので、何事にも未知の恐怖と激痛を予感するものなのか・・。


外でたくさん遊べば怪我は付き物。
先日も足がはれるほどのすり傷をつくって、そうたが泣きながら帰ってきた。
足をみると、シャワーで一度洗わないと汚くて傷もよくみえない状態だった。

一度水で洗うと告げると、泣く泣く。
嫌だと泣き叫ぶ・・・。
泣き叫んでも、洗わないことには始まらない。

私に洗われるのは嫌だといいはり、自分でするという。
自分でするのは別にいいが・・・・・
洗うという踏ん切りが一向につかない。

泣き続けること、15分。
さすがに私もだんだんイライラしてきて、

「今、こうやって何もしないでいる間に、泥のばい菌が間違いなくそうたの傷から
 体の中に入っていっているよ!!!」

と大人げも無く、思い切り脅した。

そうたは、ぎょっとした顔をしてそのままお風呂場へ直行。
脅しで踏ん切りがついたようだ。


つい2週間くらい前も・・・
サッカーでたくさん動いて腹ペコになり、さあ、大好物のハッシュドビーフを
食べようとしたところで、前歯が抜けそうでいたくて食べれないと・・。

抜けないと食べれないと、前歯を前後左右にゆすぶりながら格闘すること2時間。
絶対に自分で抜くと言い張る。

「おなかがすいたーーーなのにいたくて食べれないーー

とどうにも抜けない状態にしまいには、わんわん泣く・・・。

私もしびれをきらして、

「歯、みせてみなさい!!!」

と言って、前歯をつかみ、思い切り下にひっぱったら、あっさり抜けた。

「あれ、ママ、抜けたよな。痛くなかったわ

といって、食卓にダッシュですわり、すごい勢いで好物をたいらげた・・・。

そんな姿がおかしくて、おかしくて笑えた。

でも、つかんでいる歯をみていたら、

『この歯はそうたが本当に小さい頃にはえてきて、にって笑うと前歯二本あって、
かわいいって見続けたあの歯なんだなぁ・・・・』

と思ったら、涙が出てきた。

そんな私を見て、

「俺がやっと歯がぬけて、ご飯が食べれることがそんなにうれしいんか?」

とそうたに言われた・・・。

そんなわけあるかい!!

しかし、よくもまあ、2時間もひんひんあーあー言いながら歯と格闘していたものだ。
私にかかれば、一秒なのに

この子も人生経験つんだら、一気に踏ん切りつけてずばっと行動できるのだろうか?
いや、多分無理な気がする・・・





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プレッシャーの中で

2008-06-25 12:30:31 | 2号
「今日はシールが2枚増えたよ」

幼稚園で「うたとリズム遊び」の発表会に向けて、メロディオンの練習がされていた。
上手にひけるようになると、その旋律にシールを貼ってもらうことができる。

ここ一週間、私とりょうの会話にはこのシールの話が必ずでた。

年中の時の三学期の音楽会、私はりょうはメロディオンはひけないだろうと思って、見に行った。
しかし、実際に発表を見ると、りょうは本当に上手にひいていて、感動で号泣した。
⇒その時の記事『心に響く歌と音色

その時の思いがあり、りょうだって頑張ればできるんだ!!と妙な期待が出てしまっていた。
「先生に言って、練習したらシール増えるよ
と私がいうと
「りょうちゃん、がんばるからね
なんて言って、本人からもやる気を感じていた。
嫌なそぶりもなかったし、楽しんでいるのだと思っていた。

でも、本当は・・・・
私は知らず知らずのうちにりょうにプレッシャーをかけていたのだ。


発表会でのりょうは、本当に緊張していた。
大人でもあの壇上にあがったら、緊張すると思う。

そして、目の前には期待に胸膨らませ、目なんてさせている母がいるのだ。

私には見向きもせずに発表に集中していたそうたと違い、
りょうは何回も私をちらちら見る。

緊張して、じっと集中して音楽を楽しむなんてとても無理です・・
といった感じで、息をはいたり、ぼそぼそ歌ったり、あくびがでちゃったり

そして、最後のメロディオンの時、りょうは緊張が頂点に達したかのように
目をパチパチさせ始めた。

りょうにこの現象をみることはめったにない。

『がんばって上手にひかなきゃ!!』

というりょうの気負いと必死さが私には伝わってきた。
私はりょうの発表を見ながら、なんともいえない思いで一杯になっていた。

『幼稚園児なんだから、楽しく発表会をさせてあげたらよかったのに、
 私がこんなにプレッシャーかけていたなんて・・・気づかなかった』

前回の発表会とは違う涙がでた。

私はメロディオンから顔を上げたりょうに精一杯大きな拍手を送った。
りょうはうれしそうに私を見た。

発表会がおわって、りょうを迎えに行くと、

「ママ、うれしくなった??」

とりょうに聞かれた。

「すごく上手だったよ。もちろんすごくうれしかった。
りょう、本当に難しい曲頑張って練習したね」

というとうれしそうにしていた。


りょうは、上手に発表したいのだって、きっと私に喜んでほしいかったのだろう。
私を喜ばせたくて、練習も発表会もがんばったのだろう。
だから、上手だった?という質問ではなくて、うれしくなった?だったのだ。

りょうには、人が喜ぶことが自分の幸せと感じるところがある。
そんな優しいりょうに私はいつも助けられてきた気がする。


そういえば、朝幼稚園についた時に

「ママ、心配ないからね。気持ち悪くなったら、先生にいったら大丈夫だから」

といわれた。
自分の発表のことで一杯になって当たり前なのに、私の体調を気にしてくれていた。

りょうって、すごいな・・・と今改めて思った。


「私、応援しているつもりだったけど、りょうにしらないうちにプレッシャーかけて、
りょうのいいところののびのびしたところつぶしちゃってたよ・・。」

と旦那に話すと、

「これから常にプレッシャーを感じての生活だと思うで。
今、プレッシャー感じることも必要やろ。」

というようなことをいわれて、なんだか気持ちが楽になった。


でも、私の気持ちの中にもう一つひっかかるものがあった。

りょうが幼稚園で私に

「まだ、シール2枚はれてないんだよ。全部になってないんだ・・・」

と言って肩をおとした。

「いいんだよ。りょうは上手にひけていたよ。がんばって練習したよ!!」

と答えたが、このことがずっとひっかかっていた。
がんばってきたのに、中途半端なままで終わらせていいのかな・・と。
できた!!という満足感を感じることなく、このまま、終わらせてしまっていいのかと。

この音楽会の意味はなんだろう・・・と、ふと思った。
目的によって、取り組み方や得ようとする結果は違ってくるだろう。

すごく難しい曲にチャレンジしただけで私はすごいとは思う。
出来上がった時の見栄えも違う。
その分、完成した時の喜びが大きいことは確かだ。
でも、得意な子、得意でない子・・子供には様々な子がいる。
ハードルを上げてしまったために、乗り越えることができない子はでてくるだろう。

でも、それは私たちが暮らす社会の中で必ずおこってしまうことではある・・・。


多分りょうは二つシールが貼られていない楽譜をもって帰ってくるだろう。
その時に、私がもう一度りょうと取り組んで、シールを貼ってあげよう。

そうしたら、りょうはどんな顔をするだろう。
きっと私にとびきりの笑顔をむけてくれるだろう。


帰りにりょうが私に言った。

「りょうちゃんが今度メロディオン持って帰ってきたら、ママにもう一度聞かせてあげるね。
そうしたら、赤ちゃんもママも気持ちよくなって、元気になるよ。ねっ

りょう、いつも優しさをありがとう。


『うたとリズムあそび』

スティック奏   「ヤッターマンの歌」
Jazz Chants   「In The Park」
うた       「アイスクリームの歌」
メロディオン奏  「美しく青きドナウ」




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            母もりょうに笑顔を送れるようにしたいなと思っています、ということでぽちっつ

時はたつ~やけどをさせてしまった母の記~

2008-06-23 18:02:02 | 2号
今日は私にとって忘れられない日・・と朝からなんとなく気持ちが落ち着かないでいたが、
よーく確認したら、昨日だったことがわかり、正直ほっとした。

知らないうちに何事もなく、一日過ごせてたんだ・・・・。

ほっとして、涙がでた。



一年前、りょうは大やけどをした。

救急車で運ばれるほどのやけどだった。
私は命さえ危なくなっているのではないかと、正気ではいられなかった。

今でもあの時のことを思い出すと、胸の奥がぎゅっとつかまれたようになり、
息が苦しくなる。

りょうは救命救急に運ばれた。
左のふともも全部と右のふとももの一部がやけどしていた。
やけどは深さによって3段階にわけられれるが、りょうは2度(深2度)のやけどだった。

私は気が狂いそうだった。

治療をしてもらった結果、入院にはならず、通院での治療になった。

家に帰ってきてからも、私はただただ泣くだけだった。
りょうの顔を見ているだけで、自然に涙があふれて、手が震えた。


毎日病院へ通っての治療が2週間は続いた。

先生に七夕をめざしてがんばろうな!と言われたことを覚えている。


正直、この一連の時のことがよく思い出せない。
断片的に記憶があるだけだ。

私は救急車で運ばれた日はただ、命があることを願い、
次の日からは、やけどのあとが残らないことをひたすら願った。

りょうはとても強い子だった。
痛さにも耐え、治療にも耐え、恨み言も一言も言わなかった。

私が母親としてできることは・・・
「栄養のある食事を与えてあげてください」
と先生に言われ、それをただ、がんばるしかなかった。

やけどをさせたキッチンに立つだけで、正直とてもつらくて、立っているのが
精一杯だった。
あの時の光景がよみがえり、息をするだけで苦しくもなった。
手は震えた。

でも、私にはこれしかできない。
おいしいご飯をつくるしかないのだ。

母として必死だった。


やけどを冷やしたお風呂場も私にはいたたまれない場所になった。
お風呂に入るだけで、あの時のりょうの声が頭に響き渡った。
でも、これは私がうけなくてはいけない罰なのだと反対に思え、
そう思うと、気持ちが楽にさえなった。

皮膚は私が思ったよりもはやくできて、人間の再生のすごさを知った。

しかし、りょうのやけどは素人から見てもひどくて、あとが残ってしまうだろうと
絶望的な気持ちになった。



しかし、一年経って、りょうは驚くほどやけどのあとはきれいになってきている。
ケロイドにもならず、薄く、やけどの部分があざのようになっているだけで、
よーくみないとわからない程度まで回復している。
多分運ばれた病院の初期の治療も良かったのだと思う。
やけどは紫外線がよくないと先生に言われ、りょうはこの一年日焼け止めと
長ズボンでの生活になった。でも、それもよかったのかもしれない。
(紫外線をあてると色素沈着がおこり、やけどの部分が黒くなってしまうらしい。
私たちのちょっとしたやけどでも、皮膚がはってから日焼け止めを塗ったほうがあとが残りづらくなるので、参考に)

そして、今では短パンを履いて、楽しそうに元気に飛び回って遊んでいる。


一年前にこんなりょうの姿を私は想像できなかった。
あの時は、りょうの将来をただ悲観していた。

一年という年月は、私の心の傷もりょうのやけどのあとも薄くしてくれた。
そして、私にたくさんのことを学ばしてくれた。
たくさんの感情を経験し、一年前の私と今では自分ではっきりと違う自分だと
自覚している。
(そんな私の気持ちの部分のブログ『弱さを知ると強くなれる』)


りょうの怪我をやけどとして書けたのは、今回が初めてだ。

りょうがやけどをした時に、私はインターネットでやけどのことを必死に検索し
調べた。
りょうはどんなふうになってしまうのだろう・・・。
不安で、不安でしょうがなかった。

きっとどこかで、私のような思いをしている人がいると思う。
そんな人がこのページを見つけてくれたらいってあげたい。

りょうの場合は、治療とその後の過ごし方で、傷はおどろくほどきれいになりました。
希望を捨てずにがんばって。
そして、自分を責めないで。

つらい思いをしている人の一つの希望の光になればいいと思い、最後に今のりょうの足の写真をUPします。




そして、最後になったが、たくさんの人の支えと協力により、りょうと私はここまでこれました。
感謝の気持ちで一杯です。
本当にありがとうございました。


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にほん村 子育てブログ 男の子育児へ←子供にけがをさせてしまう、そんな経験、誰にもあると思う。
             自分を責めるなというほうが無理だけど
             気持ちはみんな一緒だよ。だから一緒にがんばろう!!
             ということで、ぽちっ

ありがたく感謝

2008-06-23 10:48:29 | 新台風(3号)ちゃん 妊娠期間
先週一週間、我が家に子供がいるということがほとんどなかった。

そうたは学校から帰ると外へ飛び出した。
りょうは毎日違うご近所のお宅へと渡り歩いて遊ばせてもらっている。

私はというと、寝ているとだいぶ良いが、起きるとつらいというなんとも都合がよい症状に襲われており、日々、寝て過ごすというありがたい状況だ。

しかし、寝ていては何もできない。
子供と旦那はおなかをすかせるし、部屋もよごすし、洗濯も出す。

ちょっと動いては、ひーひーオエオエ言って寝て、の繰り返し。

最初のうちはしょうがないと思っていても、思い通りにならない自分にこのごろは涙が出る時もある。
子供にいつもと違う症状がでれば、私がこんなんだからか、と常日頃抱いていた
後ろめたさが顔を大きく出して、私を痛めつける。

どんなにグータラが好きでも、さすがにこれだけ何もできないとつらいものがある。


でも、反面、周りの人の優しさに涙もし、励まされる。

りょうちゃん遊びにおいで!!といってくださる気遣いに感謝する。

金曜にはご近所のkさんが大量の手作り餃子を作って持ってきてくれた。
それも、ちゃんと焼いた状態で。
私はすごくうれしかった。
その気持ちがうれしかった。
kさんだって、まだ小さい子がいて大変な状態なのに、私を気遣ってくれる。
そして、その餃子がすごくおいしくて、そうたなんて、どれだけ食べんのというくらいばくばく食べていた。

もちろん我が家の家族も様々なことを協力してくれる。

自分が情けない状態でつらいことも確かだが、周りの人の温かさにふれて、
ありがたくて、うれしくて、こんな今をとても感謝している。





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いなくなるという事

2008-06-21 21:30:28 | 1号
私が小さい頃、母の実家で畑に行くと言って出かけた祖母を一人で追って、迷子になった事がある。
ワンワン泣いているところに運良く地元の中学生が通りかかり、
私はそのお姉さんにおんぶをされて戻る事ができた。祖母宅の近所ではすごい騒ぎになっていた。
皆が私をみて、よかったよかったと言っていたことを覚えている。
でも、その時の母の顔はどうしても思い出せない。
中学生のお姉さんの背中は思い出せるのに…

この時の話を母は笑いながらよく話してくれた。
私も笑いながら話を聞いていた。

でも、自分が親になり、自分の子が見当たらなくなった時の、あせり、動揺、必死さ、
頭が真っ白になって名前を呼んで、なりふりかまわず走り回るという事を経験した時に、
初めてあの時の母を想像し、わかる事ができた。

今日、旦那の実家でそうたがいなくなった。

私は体調がよくなく、一人家に残って休んでいたので、その騒動は知らなかった。

でも、旦那をはじめ、義父義母がどれだけの思いをしてそうたを探したかは容易に想像できる。

そうたは一人で家に帰ると家に向かっていたようだ。橋を渡ったところで旦那がそうたを見つけた。
かなりの距離をきていた。
私はこの事件を旦那と子供達が我が家へと車で向かっている最中に義母から電話をもらって知った。

義母には重々お詫びとお礼を伝えた。

私は何も知らない振りをしてそうたを迎えた。
そうたも普通に帰ってきた。

しばらくは、さっぱりした髪の毛の事を二人で話していた。

多分相当お灸をそえられたであろうと想像ができ、どうしようか悩んだが、私からも一言だけ伝えとこうと口を開いた。

「そうた、一人で家に帰ろうとしたこと、やっぱりいけなかったよね」

「知ってたん?オレが帰って来た時にはもう知ってたん?」

知ってて怒らなかった事がいがいだという顔をした。

「みんながすごくすごく心配した事だけは、わかっておきなさい」

でも、彼が親になって初めて、きっと私のようにこの時の皆の心配を理解する事ができるのかもしれない。

しかし、こんなふうに騒動を起こしてしまうのは、血かな…

ちゃんとしたお兄ちゃん

2008-06-18 11:02:11 | 2号
私に赤ちゃんがいるとわかった時、そうたもりょうも本当に喜んでくれた。

お手伝いを率先してやってくれるようになった。
私のことを気づかってくれたりもする。
そんな二人の優しさが、とてもうれしい。

特に、りょうの変化は非常に大きかった。
というより、頭の中の半分は赤ちゃんのことになってしまった。

旦那と出かける時には、必ず玄関から大きな声で
「赤ちゃんさ~」
と話が始まるらしい。

毎日私のお腹に耳をあてて、
「今日は、ばぶばぶっていっているわ!!」
と、日々赤ちゃんの様子を報告してくれる。

空き箱を使って、生まれてきた時にプレゼントする赤ちゃんのおもちゃも
すでに製作済み。
(今の段階でほこりをかぶっているが・・・・)

お風呂洗いもりょうが毎日してくれる。
(先日私が久しぶりに洗ったら、びっくりするくらい洗剤が減っているのに、
 お風呂のスポンジのすべりが悪かった・・・。汚れに引っかかる感じ?
 でも、たまに私がだまって掃除したらいいか・・とりょうには何も言わないで
 おいた。
 気持ちを大切にしてあげたい。)

そして、今日トイレに入って、ウンチをしたあとに一生懸命に自分で拭いていた。
いつもなら
「ママーーーでたよーーー」
と叫ぶのに。
「自分でできた?すごいね!」
というと、

「だって、りょうちゃん、普通のお兄ちゃんじゃなくて
ちゃんとしたお兄ちゃん
になりたいんだよ~。
だから、たくさん今から練習しとくの。」


りょうは今のりょうで十分素敵なお兄ちゃんにもうなっているんだよ。

自分が兄になるということをこんなにも楽しみにしているりょうが
いとおしい。

子供たちにずっと
「赤ちゃんがほしい」
といわれ続けてきた。

三番目の台風ちゃんはこんな優しいたくさんの会話を聞いているかな。
こんなに今からみんながあなたの誕生を待ち望んでいるんだよ。

そうたとりょうの時とは違う幸せを母として感じている日々だ。



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話してみる

2008-06-18 10:32:12 | 1号
昨日夜寝る前にそうたが久しぶりにしきりに目をパチパチした。


母「今、何考えていたの?嫌なこととか、心配なことじゃない」

そ「なんでわかるの?」

母「お母さん、そうたのことわかっちゃうんだよ!!」

そ「はいはい、好きだからでしょ・・」

母「そうそう

そうたはしばらく何も話してくれなかったが、
話すだけでらくになったりしちゃうのよ~
とお気楽に言っているとぼそぼそ話してくれた。

今日、4年生のお兄さんにドッチボールを思い切り投げられてほんまに痛かったこと。
そのあとに思いっきり投げたらあたってよっしゃーって思ったこと。
いじめられたとかそういうのではないらしい。

ただ、それだけ・・・

前後になにがあったのかわからないが、考えるとしんどくなるようなことだったのだろう。
そうたはいがいに繊細だ。

話を聞いた後に、私のお得意の
「大丈夫!明日は楽しい一日さ~」
を言っといた。

その後、久しぶりにそうたをぎゅーっと抱きしめた。

そうたは照れていたけど、そのまま目をつぶってすごく優しい顔で眠りについた。
(もちろんりょうもぎゅーした。きゃっきゃっ言って喜んでいた)


朝、起きると、そうたは自分からチャレンジの勉強をしていた。
そして、とても穏やかな顔をしていた。

ちょっとしたことで子供の心は不安にもなるし、反面、安定したりする。

私のぎゅーはまだ効果があるのかもしれないとうれしくなった。

そうたは学校に行く時に、

「帰ってきたら、また、勉強するからなぁ

と元気に言った。
そういわれると、なぜか私が不安になって

「宿題だけでいいから、思いっきり外で遊んだらいいんだよ~」

といっていた。
せっかくやる気になっているのに・・・・。


昨日のぎゅーと今朝のそうたの事を旦那に話し、

「母としてこういうふうに接してあげたらいいのかな・・って思った!
 私もやればできるじゃないか!」

と伝えると、

「母もたまにはほめてやらんとな」

といわれた・・・・。
どうも、ありがとさん。


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