惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

メラニー・ミッチェル「ガイドツアー 複雑系の世界: サンタフェ研究所講義ノートから」(紀伊國屋書店)

2011年12月03日 | 土曜日の本
ガイドツアー 複雑系の世界: サンタフェ研究所講義ノートから
メラニー・ミッチェル著
高橋 洋訳
紀伊國屋書店
Amazon / 7net

出たばっかり買ったばっかりでまだ読んでいないし、だいたいこの訳書もぶ厚くて税込で3400円くらいするのである(ちなみに原書のペーパーバック版はAmazonだと1500円しないのである)。そんな本を読みもしないうちからオススメするのは著者がメラニー・ミッチェルだからである。まあ複雑性の科学に関心がある人は別として、そんなでもない人は文庫化されたら(されるかどうかも定かでないが)買えばいいんじゃないだろうか。

それはそれとしてイライラする。まずこの訳書の題名である。原題は「Complexity: A Guided Tour」なのである。いつも言うことだがcomplexityは「複雑性」である。「複雑系(complex systems)」ではないのである。まったくもう、と思って本を開くとのっけから訳者が言い訳している(笑)。要は「複雑系」で人口に膾炙しちゃってんだから仕方ないダロ、と言いたいようである。確かにまあ仕方がない。悪いのは金子邦彦だと(笑)。どうせ言い訳するならそこまで書いておいてもらいたいものである。

ちなみにcomplexity scienceは「複雑性科学」と訳すべきものだが、わたしはたいてい「複雑性の科学」と訳している。なんでかって?前者のように訳すとたいていの人は「複雑な性科学」だと勘違いするに決まっているからである(笑)。そういう意味ではcomplexityという語も扱いにくい単語ではある。たとえば計算機科学では、complexityとは「計算量」のことである。

まだ中身を読んでないから冗談ばっかり書いている(読んで追加すべきことがあればその折に追加する)わけだが、もうひとつ気に食わないのはAmazonでのこの訳書の内容紹介である。

ヒトの脳に存在する何兆ものニューロンという「物質」は、いかに「意識」のような複雑な現象を生みだすのか?免疫系、インターネット、国際経済、ヒトのゲノム―これらが自己組織化する構造を導いているものは何か?一匹では単純に振る舞うアリが、グループを形成すると、ある目的のために統率された集団行動がとれるのはなぜか?第一線の研究者を案内人として、その広大で魅力的な世界を訪ね巡る、本格的入門書。

これじゃあまるで脳科学の本みたいじゃないか!しかも「何兆ものニューロン」だとか言って間違えている。脳全体でもニューロンの個数は1兆に満たないはずである。ちなみに原書の内容紹介の冒頭部分はこうである。

What enables individually simple insects like ants to act with such precision and purpose as a group? How do trillions of neurons produce something as extraordinarily complex as consciousness? In this remarkably clear and companionable book, leading complex systems scientist Melanie Mitchell provides an intimate tour of the sciences of complexity, a broad set of efforts that seek to explain how large-scale complex, organized, and adaptive behavior can emerge from simple interactions among myriad individuals...

訳書の内容紹介はこれを訳したものだろうが、こちらでは「simple insects like ants」が先である。「trillions of neurons」はその次である(どうやら「何兆ものニューロン」というマチガイもここから出ているようだ)。マチガイの方はともかく、この順序を入れ替えているというのは、誰がやったのか知らないが、複雑性の科学というものの発想の根本が判ってないのである。

実際、著者MMは「何兆もの脳の細胞」とは書いているようだが、「何兆もの神経細胞」とは書いていない。脳の中には神経細胞のほかに何しているんだか判らないグリア細胞がある。それも含めれば何兆になるのである。もちろん、別にグリア細胞が意識のありようと関係があるというわけではないのだが、そういう方向に発想することは複雑性研究のタマシーだと言っていいくらいのことなのである。人間の意識を物質的に根拠づけるとしたら(それが可能であるとすれば)、それは閉じた神経系(として考えられるもの)のその外を必ず含んでいなければならない。もっと言えば神経細胞であれ何であれ構成要素の閉じた(したがって要素の組み合わせに還元されるような)系ではなく、開かれた(還元不能な)系でなければならない。

そのような系(厳密に言えば上述の意味で開かれた系はすでに系とは呼べない、だから「複雑系」という訳語はよろしくないのである)を科学として探究することは可能なのか、そもそもそれが問題ではあるけれども、あくまでも科学であることにこだわって追及し続けている研究分野の、まあ第一人者と言っていい人物による──本当はたぶん次の世代のための──啓蒙書である。

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