那須@Home 日々のときめき・・日々JTrim

師匠はSachiさん
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悲しき子守唄 かわいいおまえって

2014-07-19 | 思い出

母の最初の子だった私です

こもりうたというと

母は

江戸こもりうた

そして・・・

この歌もよく口ずさんでいました

かわいいおまえって

私のことですよね

群馬から下谷へ嫁いで来て私が生まれた当初

大家族の家庭内の諸々に耐え切れず

2階にあがっては

私を抱きしめて泣いていたそうです

耐え忍んで母は実のある人生を父とともに全うしました

 

江戸子守唄 悲しき子守唄

それはいつまでも母の声で私の胸で鳴り響いています

 


理研に想いおこすこと・・・・乳兄弟の逝った夏

2014-04-11 | 思い出

 

小保方さんの行方が案じられます

 

もう半世紀前のことを想いおこしている私です

私には乳きょうだいが居たのです

生家の三軒先のX君

私の母は若く、X君の母上は歳を重ねており、お乳の出が悪かった

そんな環境の中での助け合いだったんでしょう

 

共に長じてお互いが23歳になる夏の日

彼は理研の研究員として学窓から巣立った日々を送っていました

 

一方

私は某大学の演奏旅行中で神戸におりました

オーケストラの一員としてベートーベンの英雄を演奏中

二楽章・・いわゆる葬送行進曲・・を演奏中、

看過しかねるほどの地震が起きました

でも~指揮者は演奏を中断しなかった!

 

ほどなく帰京した私の耳に

X君が急逝したとの知らせが

 

学校は中学からは別々だった私達

成人式にひさしぶりに逢い、

帰り道で彼は打ち明けた

「僕は理学部なんだけれど、本当は建築学を学びたかったんだ」

これが彼と交わした最後の言葉となってしまったのです

 

理研の日々はどんなだったんだろう・・・

 

 

彼を思い起こすこと・・・これが私の彼への供養です

 

 

 

 


整理整頓・・記憶のかなたに・・中島太郎吉先生

2013-01-05 | 思い出

私が金曽木小学校一年生と二年生の時の担任の先生のお名前は

中島太郎吉先生

幼い私の目からすると

そのとき既に初老の域

お言葉が丁寧

いつも微笑みを絶やさない

たとえてみれば

柔和な表情の東海林太郎

長身で寸足らずの国民服を着用しておられた

 

学校へ行くのが毎日楽しくて・・

それを傍らで見ている母も

先生を信頼し崇めていたようでした

 

教室には達筆で

整理整頓という字が掲げられていました

だからいつも私たちの目に入っていたのです

今回私がphotoscapeで再現しました

画鋲は今風にして

「天国の中嶋太郎吉先生、ありがとうございました。あの世からweb閲覧できるのでしょうか?」