a lively time

ハラハラドキドキ、ワクワクソワソワの毎日。

よく生きる。

2006年03月30日 | がん患者学<Ⅲ>
『将来何が起こるのかは、誰もわかりません。先のことばかり不安がっていては、今日、負けてしまうかもしれない。お茶を飲む楽しさを失い、楽しいおしゃべりの相手も失ってしまうかもしれない。一年後に起きて欲しいことで頭がいっぱいになって、庭に咲きかけた今日の蕾の美しさ見逃してしまうかもしれません。
このようにして人生で失うことはたくさんあります。将来に焦点を会わせ、集中しすぎるあまり、隣に居る人との友情を分かち合うことができなくなる。
生命を脅かす病を得て初めて、どうしたらよく生きられるか、に気づく、発見することがたびたびあるのは、そういうことだからではないでしょうか?』(医師レイチェル・ナオミ・リーメン)【柳原和子・著“がん患者学 Ⅲ”(中公文庫)】より
15歳の時にクローン病を患い「40歳まで生きられない」と宣告されながらも、その後50年以上も生きる小児科医師レイチェルの、この言葉は、深い。

人間だからこそ、生と死を考えることが出来る。
でも、多くの人は漠然と生と死に悩み恐れながら今を生きているのではないだろうか。
もし、私自身ががんと診断されなかったら、
レイチェルの言葉に決して巡り会うことはなかったと思う。
まさに「気づく、発見する」機会を与えてくれた病に、感謝したい。

決戦は木曜日

2006年03月16日 | 病状経過
「あと一週間」注射を続ける。
加えて(無理しない程度に酒も飲んじゃえ!という)私のチャレンジ。
結果、GOT:46⇒40・GPT:63⇒54 となった。
次なる挑戦は
「一週間何もしないで様子をみましょうか・・・」
飲みたいと思えば飲む。ごく普通に1週間を過ごした。
結果、GOT:42・GPT:56。
「注射もせずにこの程度なら大丈夫だと思いますが、念のため2週間後に診ましょう。」ということになった。
そう決まった次の日から、私にとってかなりハードな日が続いた。
久しぶりに残業の日々。就寝は1時過ぎ2時過ぎが約一週間連続だった。
しばらく早寝早起きを信条に生活してたもんだから、肉体的だけでなく精神的なプレッシャーを感じつつも、もちろん、初期のチャレンジも忘れていない。
と、言うより、無意識のうちに芋焼酎の一升瓶の栓を開ける日々となった。

そして迎えた今日、いつものように木曜日。地下鉄で乗り込んだ病院。
♪大丈夫、3回手のひらになぞって飲み込む・・・
ドリカムの歌が頭をよぎった。
「何もせずに(数値が)下がってますね。これなら通常検診で大丈夫でしょう。」
主治医がにこやかに言ってくれた。
GOT:41・GPT:53 だった。

最近「・・・免疫力」とか「病気にならない・・・」といった類の本の広告や新聞・雑誌の特集を、やたらと目にする。
中身を見ずしてとやかくは言えないけれど、キャプションを読んだ限りおいては、目新しいとは感じられない。基本的には、エビデンスを得られてはいないけれど人にとって有益であろうと思われる事柄、つまりは、当たり前の生活訓が多い。
これはこれで大いに結構なことだと、私は思う。
友人の手紙の一節に忘れていた何かを思い出したように、多くの人がそう感じるきっかけにはなるのではないかと思うからだ。

あえて私が言うとすれば、身体は正直だよ、っていうことかな。
身体が気持ちいいと感じれば、きっと気持ちも気持ちいいはずだから。
頭でっかちの世の流れだからこそ、
自分の足が地べたについてる感覚を大事にしないとね。