a lively time

ハラハラドキドキ、ワクワクソワソワの毎日。

研修医(エピソード2)

2004年09月28日 | 医療について
私の手術に関わった研修医がもう一人いる。麻酔科のSS先生。
外科研修医のSD先生と同い年の女医さんである。
手術の為の入院なのだから、もはや“俎板の上の鯉”である私としては、
麻酔に関しても医師の勧めに従うつもりでいた。
だから、術前日にSS先生が病室に説明に来た時も、
(はいはい、と言って同意書にサインすればいいや)と思っていた。
ところが、SS先生。麻酔に関することだけではなく、雑談めいた私の話しも
よく聞いてくれ、かなり長時間居てくれた。
おかげで、麻酔の副作用や危険性の話しをさんざん聞いた上でも、
(全身麻酔は経験したことがないし、術後の痛みが怖いなぁ~)といった
私の漠然とした不安がなくなっていく気がしたのである。
硬膜外麻酔・・・背中から脊髄間近の硬膜外腔に針を刺し
痛み止めのカテーテルを入れる・・・と全身麻酔をお願いして、サインした。

麻酔科指導医のHD先生のもと、
手術台の上の私に針を刺したのも全身麻酔をしたのも彼女だった。
少なからぬ緊張感はあったものの、不安はなかった。恐怖心もなかった。
冗談を言いながら、あっという間に眠ってしまった。

「ぜ~んぜん痛くないよ。ほんとに切ったのか?ねぇねぇ俺の肝臓見た?・・・」
手術室に入ってから6時間後、HCU・・・術後回復室・・・で麻酔が覚めた途端、
家族に軽口をたたいていた。
後で聞いた話しでは、私が勝手にべらべら喋っているのに、看護師さんに
「他の患者さんも居ますから・・・」と家族がたしなめられたとか。。。
SD先生は「麻酔が覚めてこんなに喋る人は初めてだ」と言っていたとか。。。
翌日、さしたる痛みも訴えない私に主治医のHT先生が言った。
「麻酔科の先生のお手柄ですね」

研修医(エピソード1)

2004年09月26日 | 医療について
私はかなりおしゃべりだ、と自覚している。
しかも身勝手である。ゆえに、先ず私の話しを頷いて聞いてくれる人が好きだ。
その後に「そうだよね。うん。でもネ・・・」なんて言ってくれる人なんか居たら
もう、惚れちゃう!っていうか尊敬すらしてしまう。
ちなみに、カミさんがそうである。あはは(●^o^●)
人それぞれに相性などというものがあって
まぁこれは、いかんともしがたい部分ではあると思うから、
例えば診察室で向き合う医師の評価も人それぞれ、であろう。

ベットに貼られた私の名札には
治療にあたるスタッフとして3人の医師名が書かれてあった。
SN先生、HT先生、SD先生。
SN先生はSNチームのリーダーで、実質的な執刀医。
術前説明で、私とカミさんの目を見据えるようにして話してくれて、
術後も毎日必ず1回は病室来る。私を見るしっかりとした目に安心できた。
HT先生が、主治医である。
静かなおとなしい先生だから、私の方からあれやこれや訊くチャンスも多く
ひとつひとつ納得しながら進むのでとても安心できる。
そして、この3人の中で私が最も惚れたのがSD先生。研修医である。
小柄で長髪、もちろん若い。裾の長めの白衣を羽織っている。
あまり多くを語らず、一見するとクールな感じなのだが、
目をぱっちりと見開いて私の質問に頷き、ちょっと間をおいて話す声は
おだやかで、突き放す感じも威圧感もまったくない。
研修医の優劣など私が論ずる事は出来ないが、
少なくとも私にとって、彼は優秀な医師!であった。
術前のカテーテルやチューブの挿入から日々の採血など全て
研修医の仕事である。点滴がヘンだというだけで深夜でも飛んできてくれる。
彼の受け持つ患者は、もちろん私ひとりではないのだから
大変な仕事である。

会議室的な心

2004年09月18日 | つぶやき
「○○であったことをご自身のホームページで公表されました。それによりますと・・・」
などというニュースを近頃よく耳にするのでございますが、
芸能人の結婚やら離婚やらの話しにとどまりませんで、
NHKのニュースなどでも言っておりますですよね。
で、今日は「病の公表について考える」の巻。
私の知り合いのSさんの奥様がついこの間、乳癌だと言われたそうなのでありますよ。
Sさんは奥様が乳癌だと知って大変お困りになられましてね、
しばらく声が出なかったそうでございますよ。
お困りになったと申しますのも、
癌に茫然として声がでなかったんじゃあないんですね、
奥様になんと言って良いのか分からなかったのでございますよ。
「大変だね」はないでございましょう。「大丈夫だよ」も無責任すぎまさぁね。
かといって「頑張れ」なんて言うのもヘンだなぁ、と思ったそうでございます。
実は、かく申す私にもおんなじ経験があるのでございますよ。
病院の会議室のような所にですね、母上様をはじめと致しまして
3人の子供、まぁ私たちなのでございますが、その連れ合いも同席しておりましたよ。
主治医の先生が黒板に絵を描き始めましてね
「患者様のご希望により病状をお話しします」と来たもんですよ。
当のご本人の親父殿は先生の対面で大きく頷きながらメモ帳を出していましたですね。
もうだいたい雰囲気で、そーなんだな~、ってことは分かるじゃございませんか。
みんなシーンと聞いておりましたですが、なにやら末期に近いような言い方なのですよ。
そうなるともう、
お前ら生きてんのかよ、とでも言いたいくらい静かになっちゃいましたねぇ。
Sさんの気持ちが良く分かりますですよ。
この時の私どもの救いは、親父殿の多弁でございましたね。
とにかく一人でよくしゃべりましたですよ。
聞いては書き聞いては書きしておりましたです。
ひととおり終わりましたら、親父殿
「まぁ、そんな訳だから、みんなよろしく頼むよ。」と笑うのでございますよ。
意気地なしの私なんざぁ、押し黙ってコックリするのが精一杯だったのでありますが、
母上様はすごいんでございますよ。
「こうなったらしょうがないよ!頑張るっきゃないよ、パパさん!パパさん、頑張れ!」と
大声でエールを送ったのですよ。
まぁ、これにしましたって、親父殿の明るい第一声がございませんければ
出なかった声援だと存じますですよ。
明るく振舞う親父殿を支えるには明るく!明るく!という母上様の
心配りだったのでございましょうねぇ。
その後の家族の合言葉は「明るく明るく」でございましたよ。
親父殿の日記など紐解いて見ますとですね
「皆が明るく振る舞ってくれたのがジーンときた。・・・みんな、みんな有難う」などと
綴ってございましたですよ。。。
ありゃりゃ、ついつい親父殿の話しになってしまいましたですが、そうそう「病の公表」。
これは、いかがなものでがざいますかねぇ。
家族ですら戸惑うのでございますよ。
赤の他人の芸能人がホームページで公表されましても、こう申しますと失礼ではございますが、「あぁ、そんなんだ」程度に思われる方が多ございましょうけど、
これが、知り合いの御仁に目の前で言われましたのでは、そりゃぁお困りになられる方が
ほとんどでございましょうねぇ~。
Sさんにいたっては、奥様の手術の当日までも
奥様のご兄弟連にすら連絡出来なかったと仰っておりましたですからねぇ。
そのお話しを伺いましてね、私も反省いたしたのでございますよ。
皆さんもそうでございましょうけど、
手術して・・・などと聞きますと何となく、かなぁ~、みたいなのございますですよね。
うっかりにも「癌なの?」などと訊く方は先ずいらっしゃいませんですよ。
それを無理やり病院の会議室に連れ込むようなこたぁ、あなた、
しないほうがよろしいのではないかと思いました訳なのでございますよぉ~
・・・と言うことで今日は「病院の会議室的ココロだぁ~」

母の心配

2004年09月17日 | つぶやき
辞世の言葉が「死にとうないわ!」だったという禅の高僧・仙涯和尚。
書や俳画でも有名らしいが、その和尚がめでたいこととしてこう書いた
「祖死父死子死孫死」
小林一茶が結婚式で詠んだといわれる
「親が死に子が死にそして孫が死に」と同義である。
死は悲しいことだが、その順序が違えばもっと悲しい。
寿命に従って順序どおり往生できるのが一番幸せなことである・・・
私が癌の告知をうけて先ず思ったのはこのことだった。
亡夫の遺影と共に一人で暮らす母、74歳。
血圧がちょっと高めなのと若干の肥満ではあるものの元気である。
告知された“胆管細胞癌”の多くは、発見された時には症状が進んでいて
余命1年、などとネットに書かれていた。
私の場合は手術が可能であることから、そんな切羽詰ったものとは
思わなかったし思いたくもなかったが
いずれにしても、万が一の確率は母より私の方が高いのではないか・・・
母に心配をかけたくない。思いはこれだけであった。
「特異な症例みたいなんでT大病院の専門の先生に診てもらうことになった。
検査で入院して、場合によってはヘンなところを切るようになるかもしれない。」
癌・手術などという言葉は出さずに説明した。
手術後の報告も
「ヘンなもんはみんな採っちゃったから、もう腹の中にはなんにもないって」
肝癌の手術をする事なく1年で他界した父のもとで過ごした母である。
当然のことながら、私に訊きたい事は山ほどあったに違いないが、
多分、薄ら気付いてはいたのだろう
「そうかい、よかったね。あ、お見舞いやんなくっちゃね。手術代」と
母は明るく言った。
母も母で、心配を悟られるのが心配だったのだろう。
出来ることなら、最後の親不孝だけはしたくない。そんな思いである。

たら・・・れば・・・

2004年09月14日 | 病状経過
人には、どう頑張ったって強くなれない時がある。
そしてそんな時はたいがい
あの時こうだったら・・・こうしていれば・・・と、思ったりする。
ましてや、
万が一の場合にはその原因となるであろう病名を宣告された人は、
その深刻さの度合いや思い悩む期間の長短はあったとしても、
誰しもが考えることではないだろうか。
私の場合も例外ではない。が、「現世御利益」とでも言うのか(笑)
たとえ昨日や明日のことでも、映画「カサブランカ」のセリフのように
「そんな昔のこと忘れた。そんな先のこと分からない。」などと、
うそぶいていたいタイプが幸い(?)してか、さほど重くはない。
とは言うものの、
このブログを立ち上げたこと自体、そういった気になることを
日々吐き出して清算したいという気持ちからであることは白状しておく。
昨年2月

市内の診療所にて健康診断と追加検査

同3月

追加検査の結果を聞く(肝硬変の疑い)

同4月 *1

診療所からZ医大に紹介状

同7月

Z医大医療センター受診(肝硬変は無い)

同9月

Z医大で1回目の造影CT検査(血管腫らしきもの)

同10月~2月 *2

Z医大医療センターで毎月検査(特に異常なし)

3月 *3

Z医大で2回目の造影CT検査(なにかある)

4月

Z医大からK病院への紹介状

5月

K病院受診

6月

K病院で血管造影検査(癌告知)。T大病院へ紹介状

T大病院受診

私の受診経過から
*1:診療所でエコーの再検査を受けてたら・・・
⇒「やはり肝硬変はないです」と言われれば・・・安心したまま病状は悪化?=×
⇒「CTの必要有り」と言われれば・・・転院
*2:この間にエコー検査も1回やっている
(診察は臨床的とは言えなかった。エコー画像も見ずにレポート読むだけ!)
⇒せめて画像を見ながらだったら・・・納得できる
*3:インフォームドコンセントが得られたら・・・
(この診察もCT画像を見ずにレポート読むだけ!)
⇒先ず肝臓の検査をすすめてくれれば・・・納得できる=○
⇒あるいは、この時点で専門外来での受診をすすめてくれていたら・・・=◎
以上が私の大雑把な「たられば」であるが、
どの「たら・・・」「れば・・・」をとっても(最悪の×を除いて)
その後の時間的な経過を考えれば、そう現状と大差ないではないか、と思う。
人の生き死にに関わる病気・医療について語るとき
「運がいいとか悪いとか」を持ち出すのはどうかとも思うが、
「そういうことって確かにあると・・・」私は考えている。
私の場合でたとえれば、先ず、運悪く病に侵されてしまったらしい。
運悪くインフォームドコンセントを理解していないような医師の診察を受けてしまった。
今はセカンドオピニオンによって運良く納得ができる医療が受けられていると感じている。
・・・「運良く」である・・・しかし、運が悪ければ
セカンドオピニオンによってもっと悲惨な状況になっていたかも知れない。
つまり、インフォームドコンセントとは、決して医師だけに求めるものではない。
運不運も念頭においた上で、患者自らの責任において成立するものだと思う。
いま改めて今までの経緯を思い浮かべながら書いてきて、
今この時に地に足をつけて、癌と共に生きていかなければならない私の「たられば」は
ここでキッパリと終わりに出来そうである。
ついでながら、つらつらと書き綴ってきた
誤診~インフォームドコンセント~セカンドオピニオンの章もここで終了する。
チョットひと休みしてから、手術や治療についても書きたいと思っている。
あ、それから、家族との関わりなんかも・・・

早期発見・早期治療

2004年09月13日 | 病状経過
物言わぬ臓器=肝臓の癌では、黄疸などの自覚症状が出てからでは
多くの場合、手術が難しいと聞いている。
私の場合は何の自覚症状もなく、健診で大丈夫と言われながらも
あえてオプションの追加検査もし、再検査でも異常の所見なく、
毎月毎月、定期的に検査をして来てきた。・・・で、告知された癌。
早期発見=ステージⅠ(肝癌の病期ステージはⅠ~Ⅳ)だろう。
早期治療の手術も可のようだし、不幸中の幸いと言うべきかも知れない。
・・・などと思いながらT大病院肝胆膵外科の診察を受けた。
診察室の担当医師名がM教授になっている。
事前に調べたところによると、T大病院の肝胆膵外科の患者への治療方針は、
M教授の監督のもとに毎日のカンファランスで決定している、と言う。
そのM教授。「コレ、どうする?切る?」
紹介状に目を通し、CT画像を置くとすぐさま切り出してきた。
もとより手術覚悟で「外科」宛に紹介状を書いてもらった以上、異存は無い。
「はい。他に・・・方法はあるんでしょうか?」
「あると思う?ないね。」と断言した上で、いくつかの治療法を
ざっくばらんな口調でずばずばと説明してくれた。
そして
「たとえ良性って言われた腫瘍だって大きくなっちゃイイもんじゃないだよ。
切っちまった方がいいに決まってる。」
というのがM教授の結論だった。
教授自ら私のお腹にゼリーを塗りエコーのモニターを見ながら叫んだ
「おいおい、CTのとは違う人の腹ん中診てるみたいだぞ!
こりゃあ切るときゃ5センチぐらいになっちゃうな~」

「えっ、今なんセンチぐらいなんですか?」
「3センチ以上。3.5、6かな。どうだ。」診察室にいたもう一人の先生が
プリントアウトしたエコーの画像を確認する。「3センチ7ミリです」
「コレが2センチ位だからなぁ」手にしたCT画像は
3月にZ医大で撮ったものだった。
「この時だったらな~。まぁ、今更しょうがねぇことなんだけどサ・・・」
(・・・!)
この時点で、早期発見(ステージⅠ)とは言えない病期であることを、
おぼろげながらにも感じざるを得なかった。

告知

2004年09月12日 | 病状経過
診断医のH先生がパソコン端末の前の席に私を招いた。
腰を下ろしながら異様な画像のスライドショーを見つめた。
「コレなんですが・・・」
色が一番濃い画像で止まった。
肝臓の中にかなり大きな造影剤の溜まりが出来ている。
「癌、ですか・・・」
「“胆管細胞癌”が一番疑わしいと思います。」
「・・・・・・」
入院前に、
もし癌であってもありのままを教えて欲しいと伝えてはあったが、
それにしても、あまりにも単刀直入な告知だった。
「あの・・・・・・」
この病院で初めてCTの画像を見た時のT医師の話しから、
最悪の検査結果を、当然のように考えてはいたものの
言葉が・・・・・・、出ない。
「外科的な治療になると思います」
「手術、ですか・・・」
肝癌が発見された時はすでに手遅れで、手術不可。1年後に他界した
父の事が脳裏をよぎった。(手術出来るということはまだ助かる!)
「・・・ええ、どこか希望する病院がありますか?」
「えっ?どこか、って・・・」
「“胆管細胞癌”だとすると、この癌は肝臓の中に出来る癌の
たった数%しかないんですよ。
もう一度、専門医の診察をお受けになった方がよろしいかと・・・」

「・・・と、言われても・・・私には、ちょっと・・・、先生に、お任せします」
「では、T大病院でよろしいですか?」
「えっ?T大で診てもらわなくっちゃならないほど悪いんですか!」
私のあまりの慌てぶりに
「いやいや・・・」と、少し微笑んだ医師の顔にちょっと安心する。
「専門医の先生も症例数も多いですし、T大病院なら・・・」
幸か不幸か分からないが、
私にとっては、あまりにも正直すぎる「3度目の正直」だった。
帰宅後直ぐに、パソコンにかじる付いたのは言うまでもない。
キーワードは“胆管細胞癌”、“T大病院”、“肝臓専門医”、“肝切除”・・・
確かに、
K病院には日本肝臓学会肝臓専門医が居なかったし、
T大病院の専門医と症例数の多さも分かった。
その後、
妹が持ってきてくれた7月4日付の読売新聞「病院の実力」の切り抜きを見て
改めて、H先生の対応を有り難く思った。

血管造影検査

2004年09月10日 | 病状経過
左腕の肘の内側、ちょうど腕が折れ曲がるあたりに動脈がドクンドクンとしている。
そこに切り込みをいれてカテーテルと呼ばれる細い管を
肝臓まで挿入するという。素人の私には神業としか思えない!
動脈カテーテルと言えば、足の付け根からと思い込んでいたが、
検査だけなら腕からで可能だと、外来診察の時に説明をうけた。
剃毛もせずに済むし、検査後の安静時間も1時間程度で良いとのことで、
ちゅうちょなく、F先生の神業に頼ることにした。
しかし、その当日はちょっとビビッた。
同室の患者さんがこの検査に行って2時間を過ぎても帰ってこない。
そんなに長くかからないはずなのに・・・しかも、ナースがベットで迎えに行った。
私もちょっと青ざめてしまって、慌ててベットを片付けはじめた。
帰って来て聞くところによると、
その患者さんも腕からカテーテルを入れようとしたのだが、
動脈硬化のために通らず、急きょ足の付け根からに変更したらしいのだ。
ちょっぴり不安な気持ちでレントゲン室に入った。
天井は青空、雲が気持ちよさそうに浮かび、イージーリスニング が
心地よい音量で流れている。
「BGMはなににする?演歌からクラシックまであるよ。これでいぃい。
他に何かして欲しいことがあったら何でも言ってね。」
「すいません。手を握っててくれますか」←また言ってしまった。ハハハ
手術帽?からはみ出た茶髪と大きなマスクの間で目が笑った。
局部麻酔の注射が痛かっただけ。
「おおお~、来た来た。心臓の脇を通ってる~~」
すごいもんで、分かるのだ。事前にカテーテルの通り道の説明を
聞いていたせいもあるのだろうか。
すんなりと、20分位だったろうか、30分もかからなかった様な気がする。
無事に終わってラッキー!
翌日、「ホントに検査だけで帰れるの?いいなぁ~」
検査入院のまま40日になるという同室の患者さんに羨ましがれながら、
これまたラッキー!って気分で、2泊3日の病室を後にした。
が、その気分も、退院前に検査結果を聞く寸前までしか続かなかったのだ。

はかり知れない悲しみ

2004年09月09日 | 医療について
誤診は誤診でも、
私の場合は健診での見立て違いのようなもので救われましたが、
kuppyさんのお父様に対する病院の対応は最悪だと思います。
「こんなことで死にたくない、助けてくれ。・・・」
お父様の言葉に涙がでました。
私の父も個人病院に長いこと通っていながら肝癌に気付かず
医大病院に入院した時にはすでに末期。一年後に他界しました。
いざ!という時では遅いんですよね。
医師を疑うというのではなく、自分自身が納得して医療を受ける為に
私も、インフォームドコンセント・セカンドオピニオンは欠かせないと思っています。
kuppyさん、コメントありがとうございました。

診断

2004年09月09日 | 病状経過
紹介状と共に持ち込んだCT画像を見ながらK病院のT医師が唸った。
「う~ん、cefiさん、これですよコレ」
検査をした医療センターでは目にすることがなかった私の肝臓のCT画像。
1回目のと2回目のを見比べながらT医師は続けた。
「これは他の検査より先に肝臓そのものの検査が必要ですね。
血管腫のような良性の腫瘍ならこんな短期間に大きくならないんですよ。」

素人の私にでさえ、そのものの異変がハッキリ分かった。
かなり大きくなっている!
「癌・・・」
「確かに肝機能の数値も腫瘍マーカーの値もさほど高くない。
でも、この場合は先ず悪性の腫瘍と疑ってみるべきでしょう。」

Z医大の初診から10ヶ月後にして初めて
私の肝臓にできた腫瘍に診断が下ったように感じた。
「何か分からないから・・・」の検査ではなく
こうこうこういう理由でこのようなことが疑われる。
それをハッキリさせるために入院検査
・・・動脈からカテーテルを肝臓に入れ造影剤を流す「血管造影検査」が
どうしても必要なのだという説明に、私は入院を即断した。
「最低2泊3日で予定しておいて下さい。その後のことは
結果をみてからご相談しましょう」

日を改めて、血管造影検査を担当してくれるF先生の専門外来を受診した。
ゆっくり話しが出来るようにと、T先生の計らいで予約は最後の診察時間だった。
最後だけあって、かなり待たされたが(笑)
おかげで詳しい説明をを受け、検査方法と入院日が決まった。
病院(医師個人の問題?)によってこれほどまでに対応が違うことに
今更ながらビックリした。
“手術するとなったら他の病院にも診てもらったほうがいいよ!”とは
良く言われる事である。
しかし私は、例え検査でも、その目的や方法に疑問を感じ
どうしても納得できなかったのなら
堂々とセカンドオピニオンを求めるべきだ!と訴えたい。
納得なくして医師と患者の信頼関係は生まれっこないと思うから。。。

患者から医療に一言

2004年09月08日 | 医療について

私なりにインフォームドコンセントを考え、
セカンドオピニオンを得ようとした過程を書いてきた。
その後、私は肝切除の手術を受けることになるのだが、
(それに至る経過も、今後るる書きたいと思うが・・・)
くしくも、術後退院してから買い求めた本に
インフォームドコンセントに対する私の思いと重なる内容を発見し、心強くした。
” ~がん告知それからどうする~「悪化するがんの治療百科」 ”
幕内雅敏監修/三省堂刊)から何ヶ所か引用させてもらうと・・・
・・・情報を医師と共有し対等な立場で自らの治療法を選択することは、
あなたの人生にとってきわめて有意義な反面、大きなストレスを伴います。
しかし、勇気を持って現実に立ち向かうことで得られる人間としての尊厳は
かけがえのないものです。
最初にがんを発見してくれた診断医を主治医にする必要はありません。
他の医師も受診して診断や治療方法に誤りがないか確認してもよいのです。
早く入院手術しないと手遅れになるよ、などと脅しをかける医師は
要注意です。あなたの主治医選びの手伝いをしてくれるような医師の方が
信頼できます。
どんなにあなたがしつこく質問してもいやな顔一つせず
丁寧に時間をかけて説明してくれる医師は見込みがあります。
実際にはなかなか難しいところが多いが、
患者が主体的に意思決定が出来るような医療を、あくまでも求めるべきだ。
ということだと思う。
私の場合、セカンドオピニオンを推奨する医療生協系の診療所に
Z医大への紹介状を書いてもらうのはなんでもなかったし、ごく自然でもあった。
その後、Z医大のM医師の時は、うん、はっきり言って、
かなりのストレスだった。
しかし今、後悔していない自分がここに居る。
まだ治療中だし、この先どうなるかという不安は別にして、現時点では、
その後に出会った先生方によって、
納得がいく医療を受けられたと心底思っている。
いずれにしても、あらゆる患者の意思決定を充分にサポートしてくれる
そんな医療環境を切に望みたい。

セカンドオピニオン

2004年09月07日 | 病状経過
K病院はZ医大の医療センターと同等の設備を持つ病院で
19年前、私の肝臓を初めて診てもらった病院でもある。
そしてなにより、いち早く「患者の権利章典」を制定した医療生協の病院。
セカンドオピニオン・・・あ、私の場合はサードオピニオンかな(笑)・・・を
この病院に求めることにした。
先ず、K病院とコンタクトをとった。
「セカンドオピニオンは今や常識ですから、K病院に紹介状をと言えば
あちらの先生も快く書いてくれるはずですよ。
紹介状が出来次第ご連絡いただければ、診察予約をお取りします。」

・・・さて、その、あちらの先生。
「エッ、どうしてかなぁ~。入院した方がいいって言ってるのにぃ~。
いいですよ。書けって言えば書きますよ。
でも、もうこの病院では診られませんよぉ。いいんですね!」

「診療記録も一緒にお願いします」
「出しますけど・・・CTの画像とか、コピー代が掛かりますよ。いいですね!」
数百円のコピー代(?)を払い、大きな袋にドサッと入った診療記録をもらう。
封印された紹介状には、日を追った診療(検査)の過程と
「肝臓に腫瘍が有り入院検査をすすめたが本人の都合でを拒否」
程度のことしか書かれていなかったらしい。。。
セカンドオピニオンならぬサードオピニオンに
3度目の正直を期する私であった。

インフォームドコンセント(3)

2004年09月07日 | 病状経過
自覚症状がまったくない、という強み(?)がそうさせたのかも知れない。
半年間、検査のみで通い、なんの診断も得られないまま転院することになる。
「入院して検査しますので、至急手続きをして下さい。」
「はぁ?入院、ですか?」
「通院で検査することはしたから、あとは入院しないと出来ない検査なんですよ」
「突然言われても、仕事もあるし・・・」
「自分の身体のことですよ!
肝機能はさほど高くないけどマーカーが上がってきてるし」

「マ・-・カ・-?」
「腫瘍マーカー。腫瘍があるとコレが上がる。
ま、直ぐにベットが空かないだろうから、それまでに肺のCTでも撮っときましょう」

でもはないだろう!)←キレかかる私。
M医師は、検査予約画面に入力しながら
「大腸にはなにもなかったんだよねぇ~」と、期待はずれだったような言い方。
「黄疸はないですよねぇ~」と私(患者)を見ないで聞く。
「あの~、黄疸出てますか?」
「ないようですね」目があう。
「入院て、何日ぐらいでしょうか?」
「何日ぐらいだと思います?」
(なに言ってんだ?この医者!)
「検査だと、2~3日・・・」
「いや~、検査結果によっちゃ3~4週間はみといたほうがいいでしょうね」
「検査って、どんな検査なんですか?」
「いろいろな方法がありますからね。入院したら病棟の先生と相談して下さい」
「あの~、CTの画像とか見せてもらえないんですか?」
「それも入院したら病棟の先生から説明があると思いますよ。
いずれにしても、入院まで結構待たされるから早く手続きした方がいいですよ。」

(・・・・・・!)
帰宅して、事の成り行きを妻に話しながら無性に腹が立ってきた。。。
そして、(Z医大には入院しない!)と決めた。
インフォームドコンセント=充分な説明と納得
M医師が例え充分な説明をしたとおっしゃろうとも、私は納得していない。
つまり、残念ながらインフォームドコンセントは成立していないのだ。

インフォームドコンセント(2)

2004年09月06日 | 病状経過
1回目の造影CTの結果
「肝臓に血管腫(良性の腫瘍)らしき物がある」と告げられてから半年間
毎月の血液検査、その間に1回のエコー検査も「特に変わりないですね」で過ぎた。
そして2回目の造影CTの結果が出た。
「なんだろ?コレ」
「何か・・・?」
「ん、今、そこのとこ読んでる・・・」
検査技師からのレポートが表示された
コンピューターのディスプレイを見つめたままM医師が続けた。
「・・・なんか大きくなってるみたいなんだよね」
「血管腫ですか?」
「いや、なんかヘンなんだよね・・・」
「?」
「肝臓に出来る腫瘍とは形態が違うみたいなんだ・・・
一応、大腸の内視鏡検査をしてみようか」

「大腸?ですか??」
「他から来てるもんだとしたら、先ず大腸を調べといた方が・・・」
「他から、って癌の転移ってことですか?」
「それは診てみないと分からないから調べた方がいいでしょう!」
大腸検査の先生に「痛いですか?痛み止めの点滴しますか?」と言われたが
「だいじょぶです。でも、看護婦さん、すいません手を握っててください」←これホント(笑)
唸りながら結構しんどい検査だった。
「大丈夫ですね。悪いものはありません。ポリープが2個ほどあるけど
コレは良性だし、今すぐどうのってのじゃないですから」という
検査の先生の言葉がせめてもの救い。

インフォームドコンセント(1)

2004年09月06日 | 病状経過
私のこれまでと今とこれからを記録しようと書き始めたが、
結構あいまいな事が多いのに気づいた。
検査ひとつとってみても
何の為に・どのように・結果によって次はどうするのか?
その辺の説明を充分に聞いていなかったような気がする。
医師に具体的な質問ができない患者である私の姿勢にも
当然ながら問題があるとは思うが、
B型肝炎ウィルスによる慢性肝炎の危険性と、その治療方針について大雑把にでも
医師に語ってもらいたかったと思う。
「肝硬変の疑いはないように思うけど・・・
念のため胃の内視鏡検査をしてみましょう、どう?」

Z医大附属医療センターでの主治医・総合内科のM先生。
(念のためでも胃カメラは飲んどこう)「はい、お願いします。」
・・・後でネットで調べたら、肝硬変が進むと食道や胃に静脈瘤ができる。
その有無の検査だったらしい・・・
M先生自ら施してくれた検査の結果は・・・
「胃も食道もきれいだね。なにもない」
次にCT検査を受けることになった。
この時の私は、これも「念のため・・・」の検診の一環と思っていたし、
造影CTと言われても、何の疑問も湧かなかった。