フランソワ・トリュフォーを3作





昨年末から、今年2月1日まで、蠍座にて上映されていた、

フランソワ・トリュフォーの5作品中、3作を観ました。

1本目の 『 大人は判ってくれない 』 と 2本目の 『 終列車 』 は、

以前に観ているので今回はやめておいて、

『 ピアニストを撃て 』 『 柔らかい肌 』 『 隣の女 』 の、3本です。

この3本は、制作された年は、それぞれ 1960年、1964年、1981年、となって

おり、前2作は白黒フィルム、『 隣の女 』 はカラーフィルムでした。

私が観にいった日は3作品ともにほぼ満席に近く、お客さんの年齢層が結構高めだったのが

印象的でしたね。 60から70代後半くらいの方達が大勢来ていて、

きっと、青春時代にトリュフォーに夢中だったのかしら? などど想像しつつ。

ところで、

外国映画というものは、当然なのですが、その国その国の 色、形、自然、空気、音、

暮らしの中での人々の所作、などと、

” お国柄 ” ともいえるような、その国ならではの価値基準、加えて、監督の価値観 

などなどによって織り成され、創り上げられていて、

そのことを視覚と心で余さず味わいたくて、画面の隅々まで注意をこらすわけです。

その作品は、” その国ならでは ” というものを、監督が意図して・しないで、の、その

両方で、強烈に発していて、

外国映画鑑賞とは、つまり、

小さな映画館のシートに身を埋めながら、物理的距離を一瞬なくしてその” 異国 ” で

繰り広げられる事件の目撃者として潜入し、” 異国 ” の流儀に心乱される為のもの、

とも言えるのではないでしょうか。



トリュフォーの3作品を観て、一番感じたのが、こういったことでした。

トリュフォーという大きな名前の映画監督の、作品理論とか撮影上の技法、などといった

上級談議は私には無理なのですが、3作品を観終わって共通して感じさせられたこと、は、

それはそれは濃厚な、たぶんフランス的な流儀。

特に、『 柔らかい肌 』 と 『 隣の女 』 は、戦慄ものです。

『 柔らかい肌 』 では、すでに社会的に名を成し妻子もある中年男と、若い女の、

『 隣の女 』 では、夫のいる女と、妻子ある男の、

” 恋愛 ” という日本語の感覚では言い表せない、なんといいますか・・・・・、

どろどろで、ねっとりで、熱くて、激しくて、匂い立つような・・・・・、

たぶんフランス的、なのであろう男女の世界を描ききっているのです。

その描き方の、贅沢さと厳しさといいますと、もう! 

徹底的で、憑かれているかのような執念深さがある一方、相反する近寄りがたいほどの冷た

さも感じずにはいられないのでした。

観終えてから、すぐには席を立てない程の濃厚さ。

ふうーーっ。

素晴らしかったのでした、実に。

『 柔らかい肌 』 『 隣の女 』 共に、物語は、三面記事に大きく載る、もしくは、

ゴシップ専門の大衆新聞の一面に大見出しが載ること間違いなし!! というものです。

鈍感で退屈な日常に飽き飽きしている善男善女が、目を剥いて驚き涎を垂らして欲しがる

大醜聞を、脚本に仕立て上げ、男と女の情念の白熱と弛緩、そして秘め事であるがゆえに、

否応無く熟してゆく性愛の繭の中の、えもいわれぬ桃源の様を、やがてくる破滅を、

かくも格調高く描ききる、フランソワ・トリュフォーという監督の至芸!

『 隣の女 』 のオープニングシーン、そして、ラストシーンは、

主人公の男女2人の運命が、世間的には、単に猥褻で眉をひそめられてもしょうがない

スキャンダルかもしれないけれど、という理を巧みに観客に提示し、また、締めくくり、

深い余韻を残すものです。

それは、ある田舎の住宅地でおきた ” 事件 ” 現場に向かう、緑の山間を飛ばす救急車

の俯瞰の映像。

この、悲劇を予感させながらも、突き放した様な映像に、男女2人の共通の友人である初老

の女のモノローグが重なります。


「 一緒にいると 苦しい、 でも  離れていると 生きてはいけない 」


その愛を貫いた、というにはあまりに激しく衝撃的な2人だけの真実を、ほとんど唯一

知りえるこのマダムが、最後の最後に観客席の私たちに向かって語るこの一文に、

二つ合わさって、一つ、の男と女の在りようヴァリエーションの多彩さを理解する国

フランスの大人加減を知るのでした。



当然のことながら、なのでしょうが、一流の演技者と一流の撮影班が魅せてくれるトリュフ

ォーの愛についての美しくも厳しく容赦ない追究と実験、

他の作品では、どんなだろうか・・・・・と、考えずにはいられません。

蠍座さん、是非、トリュフォー特集第2弾を!!








































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THE SARTORIALIST

 





その棚の前を通り過ぎようとしていた私は、表紙の赤いニット帽子の彼女と、カチッと

目が合ってしまいました。 

なので、「 なあに? 」 と、答えて、国語辞典くらいの大きさと厚さの、この本を手に取

り、そして開いてみました。

INDEX 込みで511ページのそれは、

美しく楽しい、オシャレ人間の街角スナップ写真集でした。

ニューヨーク、パリ、ミラノ、フィレツェ、ストックホルム、、、各都市で出会った、

著者 スコット・シューマンの確かな目が見定めたオシャレな人々。

老若男女、お金持ちらしき人、

そんなにお金持ちっていうわけじゃあなさそうな人、

ビジネスマン、学生、塗装や、ツーリスト、通行中の人、ショッピング中の人、

休憩中の人、もちろんファッション業界の人達、人種もいろいろ・・・・・。

みんな、自分の ” スタイル ” を追求していて、磨きをかけていて、エネルギーを注いで

いて、それはそれは、もう、とーーってもおしゃれ!!なんです。

「 他の人はどう思おうと、私はこう。 これが好き。 これが、私。 」

そんな、自分を大切にし、自分自身とよーく対話してきた中から育まれた自信が漲っていて

刺激を受けます。

なにより、写真がきれい。とっても。

写真術は独学で身につけたというスコット・シューマン氏ですが、今や彼のこの、

『 THE SARTORIALIST 』 ブログは、ファッション界の動向に多大な影響力を持つ、大人気

ブログらしいですよ。

カラー、バランス、テクスチャー、そのファッションを構成する全てのものを、

1ページずつじっくりと分析してみるのもいいし、

開くたびに変わる、” この人気になるな ” のページをその時々に楽しむのもいいね。

例えば、ある日の私のうっとり、は、ですね、

248ページの、カフェらしき外に出しているテーブルで新聞をよんでいる老紳士。

白いシャツ、濃紺のカーディガン、穿きこんだブルージーン、黒か濃紺のソックスに

オフホワイトのコンバース・オールスター・・・・・・

「 なんてリラックスしていて素敵なんでしょう。 」

そして、コンバースのオフホワイトをいつか買おうかしらん、なんて思ってみたり。

買った人それぞれ違った楽しみ方ができると思います。

ちょっと日常に退屈気味の人や、おしゃれするのが大好きな人には特におすすめ、です。

『 THE SARTORIALIST 』 とは、どういう意味なんでしょうね。聴きなれない英単語。

調べたところ、「 仕立て屋 」という意味らしいです。

自分のスタイルをきっちりと作り上げている人、といった解釈でいいのかなあ。









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メトロ文庫




最寄の地下鉄駅は、東西線の琴似駅なのですが、

この、琴似駅の改札を出た横に、ベンチがいくつか設置してあり、

温かい ( もしくは冷たい ) 飲み物がペーパーカップにて出てくる自動販売機があり、

そしてその横に、本棚があります。

棚にびっしりと本が並んでいる時もあれば、ちょっとがらんとしている時もあり、

並んでいる本も、ばらばら。

ハードカヴァーのシリーズものがあったり、一昔前、二昔前のベストセラーがあったり、

純文学系、エンターテイメント系、いろんな文庫本や、子供向けの本も。

『 メトロ文庫 』 という名称のこの本棚は、読み終えた本、いらなくなった本を並べて、

読みたい人に渡す、それはそれは合理的な本のリサイクルシステム、のようです。

札幌市交通局でやっているのか、はたまたどこかの非営利団体なんかでやっているのか

わからないのですが、なかなかいいですね。


メトロ文庫は、地下鉄の営業時間内だったらいつでも見る事が出来るのでるので、

閲覧 ( っていうのかな?一応 )は、時間的にはかなり余裕があります。

それに、なによりも、返却日もなければ、貸し出しカードもない、

つまり、” ご自由にどうぞ ” 。

並ぶ本の状態の良し悪しや、ジャンルの無秩序さ、在庫状況の不安定さ、などは不問に付さ

なくてはなりませんが、

いろんな人がいろんな状況で、その時々の 「 これ読みたい 」 という本をその中に見つけ

て、自由に持って帰って読む、というわけです。


先日ここに書いた 『 モンテクリスト伯 』 全5巻も、このメトロ文庫で見つけました。

今読みかけの 『 ドリアン・グレイの肖像 』 も、この棚から。

文庫本の場合、なぜか元々のカヴァーが外されているものがほとんどです。

一応、読み終えたならば棚に返す、ということになっているようですので ( それも、各自

の自主性に依っている )持ち歩いているうちに表紙がよれよれにならないように、

自分でカヴァーをつけて読んでいるのですが、

この、文庫本カヴァー、なかなかに楽しいのですよ。

『 モンテクリスト伯 』 の時は、お菓子屋さんの包装紙シリーズでした。

バームクーヘンのユーハイムの包装紙が、冴えた黄緑色と深い茶色の2種類それぞれに

美しく、取り出して読むときに気分もよろしく、特によかった。

映画 『 愛を読むひと 』 の原作の 『 朗読者 』 には、同映画のチラシを。

『 ドリアン・グレイ の肖像 』 には、観逃した映画 『 リミッツ・オブ・コントロー

ル 』 のチラシ。 デザインがかっこよかったからね、これ。

透明の厚手セロファンを上に重ねて長さを補足して出来上がり!


・・・・・・ というわけで、まあ、メインストリームから外れている本達がほとんどの

この メトロ文庫、ではあるのですが、利用させてもらい、かなり楽しませてもらっている

今日この頃の私です。















 





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