夜桜や 夢に紛れて 降る、寝酒・・

観念らの規定性らによる、事象らの成り立ちようらへの解枠にも絡めて、 天下経済系の可能的な成長の度合を増すべき事らを述べる

大カント流の、 余計な属性らを持たされずに、 観念に設定される、 空間 ; おさらい。

2017-04-04 15:31:08 | 政治・経済
経済参謀
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余計な属性らを排除された形で、観念としての設定を得る、大カント流の空間
2016/06/30 22:13


規定性

自らの回答の引っ越し保管と改訂 ;

sentdvさん

2009/12/1901:25:18

例えば、 「4次元時空」といえば、
それは、数学の便宜上のものです。
いわば、相対性理論の計算の道具です。

それをもって、4次元時空があると言ってもいいし、実体はないけど、道具になると言ってもいい、と思われます。

一方、「りんご」は、誰でもあると言います。 食べたら、飲み込みます。


では、「電子」や「クォーク」は、 実際に、物があるのでしょうか。 それとも、便宜上の道具でしょうか。

補足聞きたいのは、 あるとすると、何の矛盾もないものは、全て、実際にあるのか、ということです。
実際に、それは、なくてもあるように見えることってないでしょうか。
うまく言えませんが、 何かが影を落としているように見えるが、
何かは、実際にはなく、あるのは、影だけ、ということはないでしょうか。
例えば、 3次元で変化する物があったとします。 それは、 11次元で、こんな物だから,その影だと説明した時に、
本体は、 11次元に実際にあることになるのでしょうか。

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bergflatさん

編集あり 2009/12/2123:35:49

字数の制限もあり、 ( 丁寧な物言いは、し難くなりますが )、
極初歩的な事柄に限って、記述してみます。

科学が物語る所によると、
我々の体を構成する物質らは、
原子の占める領域より、
さらに微々たる領域を占めるものらであると共に、
その各々の間を、
その大きさの何万倍もの距離のある空間に占められており、
いわば、
我々の体は、
はなはだ希薄な霧のごとき粒らの寄り集まり、といった体( てい )のものである事になるようだが、
ここで、
この微々たる物質らにではなく、
それらを包み込んでいる、
膨大なる空間に目を向けると、
果たして、 この空間は、
不動で何もせず、
何もされない類の空間なのか、
あるいは、
重力などの、諸々の力の働きを伝える機能をそなえてあると共に、
何事かをなし、
何事かをなされる類の空間なのか、
それら両者を重ね合わせ得た所のある空間性を帯びた何がしかなのか、
さらに、それに付加されるべき、何かをも見出し得る何がしかなのか、
さまざまに思い構えて観るに当り、
我々の体内の諸々の物質らの間にある、 微々たる物質らに比べて、遥かに膨大なる空間が、 第一に挙げたものである場合には、
我々が、身じろぎし、
歩いたり、走ったりする時には、
我々は、この空間を置き去りにして、
別の場を占めている空間との直近域へ入ってゆく事になり、
我々が、移動してゆく事は、
そのまま、ある領域を占める空間を、
我々が、すり抜けてゆく事を意味し、
その場その場の空間が、切れ目なく、我々の体内の無数の隙間をすり抜けて置き去りにされてゆく事を意味する。

この第一の場合の空間は、
それが実在たる対象であっても、
実在たる対象でなくても、
そんな事に関わりは無く、
我々の精神の一定以上の作業の枠組みにおいて、
時系列の観念上の空間の諸相内の諸位置を連続化して観るに当たり、
無意識のうちに、 その前提たるものとして、 設定される、
観念上の空間であり、
直接的な諸感覚の対象には成らないものでもある。

何らかの運動態を空間の諸相の系列化において想い構えて観るに当たっては、
その基準となる空間は、
この第一の空間のごときもので、
十分であり、
余計な属性らなどを、何も付与されずとも、 それで十分にその用を果たす、という事である。

これは、
大カントの述べる類の空間の一種であり、
我々が、空間内の諸物の動静を判断するに当たり、
時系列の観念上の空間の諸相同士を比べ合わせて観て、 その各々の相内の同一諸物同士や諸部分同士の位置の一致と不一致とを識別したり、
それらの様相の一致と不一致とを識別したりする際に、
その認識の脈塊( みゃくれ )を構築する上で、
どうしても要りようとなる、
余計な属性らの無い空間であり、
このての認識系を構築する上で、
その認識構築の作業の妨げになる、
余計な属性らを何一つ持ち合わせぬように設定され、 性格付けられた、
観念的な空間であって、
我々の時空絡み の認識構築の作業を、
最も易々と成り立たせるのに適した性格しか与えられていない観念的な設定存在でもある。

我々の認識構築用の便宜的な設定を、
観念上に得た空間こそが、
我々が、 宇宙や身の回りの空間として想い構えて観る、空間の第一位のものであり、
限りない宇宙の広がり等といったものとして、 我々が、空間を想い構えて観る際にも、
我々は、 まず第一に、 この類の空間を観念した上で、
アインシュタイン氏流の、 相対的な空間を想い構えて観得る所に立場を占め、
第一位の認識構築用の便宜的な空間の諸相と、 時間的な持続の諸相と、
それらに内包される運動の諸相との、
相対的な諸関係を統括して観てゆく事を通して、
アインシュタイン氏流の物理的な運動の諸相と密接な相互作用の関係をもつ、
第二位以降の空間めいたものの相を現前させて観るに至る事が可能となる。

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