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世界最大の「水輸入大国」日本が巻き込まれる「水戦争の世紀」

2005-12-03 18:27:04 | 記事

 「SAPIO」 2005.10.12

 「ボトル・ウォーター産業」「水道事業」の巨大ビジネス市場に複合企業が群がっている
 世界最大の「水輸入大国」日本が巻き込まれる「水戦争の世紀」


 東京農業大学客員教授・食品安全委員会委員
 中村靖彦

 ──「水と安全はただ」という言葉が存在するように、日本では、水に金を払うという感覚は長らくなかった。しかし、世界を見まわせば、先進国では昔から飲み水に金を払うのは当たり前だし、農作業に必要な水を確保するのに常に頭を悩まし、水の確保はもはや、石油に劣らず、欠くことのできない重要な問題なのだ。
 そうした、世界中で起こる水不足問題を、水だけは潤沢な日本が、今後「共有」する可能性があるとは誰が想像できるだろう。
 今後の水にまつわる危機と問題点を、東京農業大学客員教授で『ウォーター・ビジネス』の著書もある中村靖彦氏に聞いた。──

 日本の年間降雨量(1700~1800㎜程度)は世界平均のおよそ2倍あり、一時的、局地的に水不足が起こることはあっても、台風などによる集中豪雨でじきに解消される。また、国土の四方を海に囲まれている。このため「水は無尽蔵」という感覚を持っている国民も多い。だが、それは錯覚であり、実は水は石油同様、限られた貴重な資源だ。しかも、後述するように、日本は事実上、水資源の輸入大国であり、世界の水資源の枯渇は安全保障の根幹にも関わる重要な問題なのである。
 IM0(世界気象機関)によれば、地球に存在する水の量はおよそ14億㎞3。そのうち97・5%が海水で、淡水は2・5%だが、淡水の多くは南極、北極に氷として存在し、その他はO・8%。さらに、そのO・8%のほとんどが地下水で、河川、湖沼などの水量はわずかO・01%に過ぎない。つまり、農業用水、工業用水、生活用水として比較的容易に利用できる水量は限られているのである。
 人類誕生以来、これらの絶対量は変わっていないのだが、近代以降の人口爆発と都市化の進展のため、実質的に水資源は不足の方向に向かっている。しかも、食糧同様、公平に分配されていない。WHO(世界保健機関)によれば、世界には上水道、井戸といった安全な飲料水を利用できない人口が11億人、下水道などの衛生施設を利用できない人口が24億人も存在し、その9割以上がアジアとアフリカの人々だ。水の面から見た富の偏在もまた、世界の安定を脅かす問題である。

 アメリカ・中国も深刻な水資源不足国

 水資源の枯渇は、実は先進国でも問題になりつつある。その典型的な現象をアメリカに見ることができる。
 アメリカ中西部に「コーン・ベルト」に代表される世界有数の穀倉地帯がある。トウモロコシ、小麦、大豆、などが大規模栽培され、それらがアメリカ農業の重要な輸出品目になっている。その「コーン・ベルト」の年間降雨量は300~500㎜程度と少ないため、農業生産のための灌漑を地下水に頼っている。「コーン・ベルト」の下にはオガララ水系という世界最大級の地下水脈が南北に走り、北はサウスダコタ州、南はテキサス州に至る8つの州がその水を利用している。ちなみに、ジョン・スタインベックの名作『怒りの葡萄』(1939年)に登場する貧しい小作農たちはオガララ水系の上に広がるオクラホマ州の出身である。
 そのオガララ水脈は20年ほど前から枯渇が懸念され、実際、1993年から10年間で見ると、ほぼ毎年水位が下がり、トータルで3・5mも下がっている。私は2003年にテキサス州を取材したが、農民から、水位の低下を実感する話や井戸を閉じざるを得なくなった話を聞いた。
 もちろん、大水脈が今後10年、20年という期間で完全に枯渇することはあり得ない。だが、このまま水位が下がり続ければ、いずれ農業生産に深刻な影響を与えかねない。
 このアメリカ以上に深刻な水資源不足に悩まされている大国が中国だ。
 中国には北から順に海河、黄河、准河、長江(揚子江)という4つの大河が流れているが、イメージとは裏腹に実際に水量が豊富なのは長江だけで、逆に黄河などではしばしば「断流」──水量が不足し、上流からの水が河口に届かない現象が起こっている。97年などはなんと226日も記録したほどだ。海河、黄河、准河の流域は降雨量が少ないことに加え、それらが流れる平原地帯は人口が密集し、農業生産も盛んで、生活用水、農業用水などのために水資源を過剰に使っている。さらに、長年、河川の水量不足を補うために地下水を汲み上げ続けたため、地盤沈下や生態系への影響も次々と報告されている。今年6月、中国政府は「中国の水不足は今後さらに深刻化し、2030年には現在の『軽度』から『中度』に悪化する」との予測を発表した。
 こうした事態を解消するため、中国では今、50年代から構想が練られていた「南水北調」という、総予算7兆円とも推定される巨大プロジェクトが進行中だ。先の4大河川を連結し、長江の豊富な水をその他の河川に流し込み、北部地域の家庭用飲料水を確保しようという計画だ。3つのルートのうち東ルートと中央ルートはすでに着工し、それぞれ2007年、201O年完成予定になっている。だが、急激な経済成長、都市化などが進む限り、「南水北調」によっても増大する水需要を補うことはできない、という懸念が専門家から指摘されている。

 日本は世界一の水輸入国!?

 日本が、アメリカ、中国が陥っているこの事態を対岸の火事と見なすのは間違いだ。
 日本の食糧自給率はカロリーべースで先進国の中でもっとも低い40%程度であり、大量の食糧を輸入しているが、その最大の相手国はアメリカだ。つまり、将来、水資源の枯渇によってアメリカの農業生産量が低下すれば、それは日本の食糧事情に直結する。同様に、中国の農業が水不足の打撃を受ければ、中国の食糧輸入需要は増大し、それもまた日本の食糧輸入に影響するのである。
 農産物、畜産物の生産には大量の水が必要である。その水は表面的には見えないため「間接水(仮想水)」と呼ばれる。その観点から見ると、大量の食糧輸入国である日本は、同時に大量の水資源輸入大国であり、総輸入量は国内の農業生産に使われる農業用水の総量に匹敵している。おそらく世界一の水の輸入大国だ。
 こうしたことからわかるように、実は世界の水資源の枯渇は日本の食糧事情に密接に関わっており、安全保障を脅かさないとも限らない。石油と違い、農業用水は輸出入が不可能なため現地で調達しなければならない。それだけに農業生産地の水不足は厄介だ。
 日本は島国のために無縁だが、世界には複数の国にまたがって流れる国際河川が282あり、水の利用に関して国家間で条約や協定が結ばれている。だが、流域の水量が需要を下回る場合、分配を決める条約、協定がない場合、分配バランスが不公平だと考えられる場合、しばしば水を巡る国際紛争が起こり、なかには武力衝突にまで発展する。20世紀に起きた武力紛争のうち、水を巡る対立が原因と思われるものが7例あり、うち4例が実際に戦闘に突入した。
 たとえば、1958年にはエジプトとスーダンがナイル川の利用を巡って交渉中、エジプトが問題発生地域に軍を派遣した(その後、両国間でナイル川水利条約を締結)。63~64年には、エチオピアとソマリアが重要な水源があるオガデン砂漠の領有権を巡って対立し、当初は小規模だった武力衝突は数百名の死者を出すまでに拡大した。
 イスラエルは、67年の第3次中東戦争で占領したヨルダン川西岸地区をいまだに返還していないが、それはヨルダン川の水源確保のためだと見られている。トルコ、イラン、シリア、イラクを流れるチグリス・ユーフラテス川を巡っても、トルコのダム建設計画に対してフセイン大統領下のイラクが「ダムを破壊する」と警告してきた。
 インドとパキスタンの間にはカシミールの領有権を巡る紛争があるが、カシミールはインダス川上流域に位置し、その水源が両国にとって譲れない権益であることも紛争を長引かせている。
 これ以外にも、武力衝突に至らない対立は世界各地にある。今後、水資源がさらに枯渇に向かえば、水を火種とする地域紛争はさらに増えるだろうと懸念されている。
 この一方、今活況を呈し、将来巨大市場に成長すると見込まれているのが「ウォーター・ビジネス」である。
 その柱のひとつはボトル・ウォーター(ボトルに詰められた飲料水)だ。日本の市場規模は過去10年間で約7倍に成長したとは言え、まだ1500億円程度に過ぎないが、世界の市場規模は4兆円にも上る。特に歴史の長いヨーロッパでは1人当たり日本人の10倍のボトル・ウォーターを消費している。水源が限られているため、複合企業は世界中に水源を探し求めている。その典型が、ヴィッテル、コントレックスなどのブランドで知られるネスレ(本社スイス)で、世界80か国以上に水源を持っている。
 だが、メーカーの水源探しは、ときに地域住民との間でトラブルを起こす。たとえば、アメリカ・ミシガン州の過疎地で、ネスレ系の企業が大地主と地下水を汲み上げる契約を結んだところ、住民が地域全体の地下水の枯渇や生態系への悪影響を心配し、工場建設の中止を求める訴訟を起こした(未決着)。アメリカでは同様の訴訟がテキサス州やフロリダ州でも起きており、フロリダ州の場合などは、地下水の汲み上げ過ぎで家の柱が傾いた例があるなど事態は深刻だ。
 今後、ボトル・ウォーター市場が拡大するにつれ、この種のトラブルが世界的に広まる可能性がある。
 ボトル・ウォーター以上に巨大市場化が見込まれているのが水道事業だ。ヨーロッパではフランス、イギリスを筆頭に水道事業が民営化されている国が多い。2003年に日本で開かれた「世界水フォーラム」の事務局長を務めた、尾田栄章氏によれば、日本の上下水道事業は粗収入が約10兆円で、収益が約4兆円。これを考えれば、水道事業がいかに巨大市場であるかが想像できる。実際、世界のトップ企業であるヴィヴェンディ、スエズ(ともに本社フランス)などは、それぞれ売り上げ1兆数千億円規模だ。ヴィヴェンディはこれまで上海(上水道)、成都(浄水場)、仁川(下水処理)、ベルリン(上下水道)、プラハ(上下水道)など世界中で事業を展開している。
 冒頭に書いたように、世界には安全な飲料水や衛生的な下水施設などを享受できない人が数多くいる。今後、そうした発展途上国が経済発展によって豊かになった時、複合企業がビジネスチャンスを求めて激しい競争を展開するだろう。
 国家レベルでも企業レベルでも、21世紀は「水戦争の世紀」になるに違いない。



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