雑木帖

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続:メディアスクラム

2006-01-28 05:53:30 | メディア

 “ホリエモン”持ち上げたメディア、責任問う声も (読売新聞 2006/01/28)

 ライブドア前社長の堀江貴文容疑者(33)は、「想定外」の行動で世間を騒がせるたびに、テレビを中心とするメディアで自らを露出してきた。自分が広告塔になって知名度を上げることで、ライブドアの業績アップを図る狙いがあったようだ。

 だが今回の事件で、「ホリエモン」をもてはやしたメディア側の責任を問う声も上がっている。

 堀江容疑者が、金持ちになるための“法則”を説いた自著「ホリエモンの新資本主義!」。この中で、自身がメディアに頻繁に登場することについて「知名度があがるので良いこと」「ライブドアの収益にプラスになる」と語っている。

 事実、メディアへの露出と比例して、ライブドアの業績は向上。ライブドアは2004年6月に近鉄球団の買収を表明して以降、メディアで大きく取り上げられるようになり、同年の9月期決算の売上高は、前年比約3倍に跳ね上がった。

 ニッポン放送株取得を巡るフジテレビとの対立が話題になった05年前半、300~400円台だった株価は、フジテレビと和解後の5月から上昇を続けた。9月の衆院選に出馬、株価は同年12月に700円台に乗った。年末には日本経団連への入会も認められた。

 プロ野球参入表明から今月16日の強制捜査の前まで、読売新聞に「堀江貴文」の言葉が含まれる記事は約470本掲載された。

 ニッポン放送株を巡るフジテレビとの攻防で、「ジャーナリズムはインターネットがない時代には必要だったが、今は必要ない」と発言した堀江容疑者。社説で「堀江社長の語るメディア観では、放送の将来が心配だ」(05年3月24日)などと警鐘を鳴らし、堀江容疑者の「マネーゲーム」を批判してきた。

 だが新聞の中には、堀江容疑者を「旧秩序への挑戦者」というイメージで持ち上げる報道もあった。

 それ以上に、堀江容疑者の人気上昇の原動力となったのはテレビだった。TBS「ブロードキャスター」のワイドショーランキングでは、昨年、各局が「ホリエモン」を扱った時間は計54時間6分48秒に上り、6位にランクインしている。

 最近では、クイズ番組に登場したり、自家用ジェット機を紹介したりするなど、“タレント化”していた。
 ホリエモンと対立していた某ナベツネ氏の新聞が、ホリエモンを批判してきたと自慢して書くことに何の意味があるのかと思うが、それはともあれ最近またマスメディアの決まり文句、「視聴者が望むから我々はやっている」発言をよく見かけ、未だに言っているのかと信じられない思いがする。

 事件や事故が起きてメディアスクラムを組んでの過剰取材も、「我々はそれが良いと思ってやっているわけではない」「視聴者が望むからやっているのだ」そうだ。そして、”それをやれば視聴率が上がる=視聴者が望んでいる”という一見もっともらしい理屈をつける。
 しかし、そこにはゴマカシがあるはずだ。彼らの目的は”視聴者の望みに応えること”ではない。”視聴率を上げること”が目的なのである。”視聴者の望みに応えること”はその目的を達するための手段でしかないということだ。
 だから本当は彼らは次のように言わなければならないだろう。
「我々はそれが良いと思ってやっているわけではないが、視聴率を上げるためにはやむをえない」と。

 上の証明は簡単だ。彼らは視聴者の望むことを必ずしもやるわけではない。
 たとえば自局の人気女子アナの家にまで押しかけて昼夜と問わず取材攻勢を彼らはかけない。不思議な話だ。視聴者は望んでいるはずなのに=視聴率は上がるはずなのに…。

 すると彼らは今度は一転、「我々には公益に鑑みて事実を知らせる義務、報道をする義務を負っている。局の女子アナの張り込み取材はそれには該当しない」と言う。
「視聴者が望むからやっている」が「公益に鑑みて事実を知らせる、報道の義務」になる。これも一見、両方の条件が重なる場合はやっている、という理屈にもなり如何にももっともらしい。
 しかし、一番最初に戻ってみるとしよう。
 彼らは「我々はそれが良いと思ってやっているわけではない」と言っているのではなかったか。これは「公益に鑑みて事実を知らせる、報道の義務」という条件には該当しないことを表明しているも同じなのだ。もし、その条件に該当するのであれば「我々はそれが良いと思ってやっているわけではない」などとは言えないからである。「我々はそれが報道機関の義務だと思ってやっている」と、自らの意思で、メディアスクラムを組んでの過剰取材をおこなっていることを認めればよいことである。

「刺客候補を映してはいても、我々は彼らに批判的なもの言いをしている。だから、彼ら刺客候補たちを持ち上げた、などというのは間違いだ」とも言う。
 批判的なもの言いをしようと、番組担当者が刺客候補の映像を流す目的はそれが視聴率を上げることを知っているからである。そして、心理学的には、度重なる刺客候補の放映映像が、それをみる視聴者には”馴染み””親近感”という感情をうえつけることをも、知っているのである。

 彼らの言い分が正しいのならば、問題は、いい番組を作っても視聴率が上がらなければ存続はできないし、企画の段階で既にはねられる、ということになるのだろう。でも本当にそうだろうか。僕にはどうもそうは思えない。
 たとえば、昨日のエントリーで書いたような、毎日新聞の記事に対する米ファンド系不動産の訴訟、また道警と北海道新聞の問題で、メディア各社が「メディアスクラム」を組んで問題化させたら、それを報じる番組の視聴率は下がるだろうか?僕は上がりこそすれ、下がることはないと思う。
 本当の問題は、そういうことが出来ない今のメディアの構造にあるということなのではないか。

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