雑木帖

 ─ メディアウオッチ他 ─

耐震強度偽装問題からもまた”接待”の話

2005-12-17 22:22:50 | 政治/社会
 元通産省官僚だった評論家は「首都機能移転」の必要性を、東京では接待の誘惑が多いという意外な理由に帰していた。
 いったいどんな接待が未だに行われているのだろうか。
 今度の耐震偽装構造書の問題でもまた業界の接待の話が出てきた。

 「週刊ポスト」2005.12.23号

 公的資金投入 これは政治家・官僚たちのマンション業界への”口止め料”か!

 …(略)…
 危険にさらされている住民を緊急避難させなければならないのは当然にしても、偽装問題の解明や責任の追及がまるで終わっていない段階で、政府が手回しよく税金で片をつけようとする動機と目的がどうにもひっかかる。
 その裏側を準大手ゼネコンの役員が明かした。
「小泉政権は公共事業費を減らしたため建設業界は干上がっているが、かわって自民党の資金源になっているのが売れ行き好調のマンション業界だ。今や、政治家も国土交通省の役人もマンション・不動産業者にたかっており、偽装問題が長引いてマンション不況になればタニマチを失う。だから住民救済を口実に業界救済に走り出した」
 本誌は複数のマンション業者からとんでもない政官癒着の現実について証言を得た。
 まずは中堅デベロッパーの営業担当役員の語だ。
「われわれが接待する相手は政治家なら上は国会議員から市議、区議まで幅広いし、役人は中央官庁のキャリアも市役所の課長の時もある。目的は2つ。国や自治体は財政難から公有地の払い下げを進めている。それにからむ情報と、もう一つは建築許可や地元住民の反対活動が起きないように根回しを頼む。とくに公有地は立地条件のよいマンション建設に適した土地が多く、払い下げの情報を他社より早く得ることができるかどうかが利益に直結するから何でもやります」
 マンションブームの背後では、かつての大蔵官僚の≪ノーパンしゃぶしゃぶ接待疑惑≫以来、とうに滅びたと思われていた政官下半身接待が復活していたのである。
 …(略)…
 これでは接待汚職の時と実態は何も変わっていないではないか。しかも、業者との関係に慎重になっている高級官僚や政治家を1か月でメロメロにさせるというのだから凄まじい。そこまで辿りつくと、落ちたも同然のようだ。夜が更けるとマンツーマンの≪特攻作戦≫に移る。
「私たちが接待に使うコンパニオン業者の中には、夜の相手を務めてくれる特攻専門の女の子がいる。人気があるのは女子大生。議員や官僚が気に入った子がいたら、そのままホテルにお持ち帰りさせてしまう。部屋はこちらで予約を入れ、請求書はもちろん会社持ちです。コンパニオン料金もオール込みで払う」
 ただし、それでも落ちない役人もいる。そんな時は、別のパターンが用意される。
「2次会で特攻ホステスがいる高級韓国クラプに違れて行く。日本語がほとんどできない女の子であれば、後で情報が漏れる心配が少ない。お堅い役人や政治家も安心して遊んでくれますね。うちは赤坂で2軒、六本木に1軒、ひいきのクラブがあります」
 1次会の料亭、2次会のクラブやホテル代、特攻コンパニオン料金を含めると、一晩の接待費用は100万~200万円はかかるという。

 「オフレコ」という名の癒着関係

 記者クラブでは政府要人などが「オフレコ」と称して語る時間があり、それは記事にはしない約束になっている。新聞・テレビと政官の癒着構造を端的に示しているものだと僕などは思うのだが、不思議にも問題にすらされていないグロテスクな慣習である。
 その「オフレコ」では、たとえば『スーパーフリー事件』(コンパと称して女性に酒を飲ませ集団でレイプをした複数件の事件)の時には福田官房長官(当時)が次のようなコメントをし、それがどこからか外部にもれ物議をかもした。
「女性にもいかにも『してくれ』っていうの、いるじゃない」「そういう格好しているほうが悪いんだ。男は黒豹なんだから、情状酌量ってこともあるんじゃないの」
 この事件の時には、記者クラブの懇談会のオフレコ発言ではないが、こんなひどい発言もあった。
 太田誠一・自民党衆議院議員は鹿児島県内の全日本私立幼稚園連合会主催の公開討論会で「集団レイプする人はまだ元気があっていい、正常に近い」と発言した。
 森元首相は「そんな所(レイプが行われた酒席)に来る女性も女性なんですけども」「子どもを1人も作らない女性が自由を謳歌して…年とって税金で面倒みなさいというのはおかしい」と発言した。
 福田官房長官の「オフレコ」コメントも含め、こうした発言を小泉首相は「表現の自由」と述べたと新聞は報じたが、この首相の発言は「オフレコ」ではなかった。

 この種のひどい発言では、東京都港区赤坂の小学6年生4女児監禁事件のとき、鴻池祥肇・自民党防災担当相が衆院予算委員会の集中審議で、「少女4人も、加害者か被害者か分からない」と発言している。
 この事件に関して、ジャーナリストの有田芳生氏は次のように書いている。
「赤坂界隈には政治家専用の売春クラブがあり、『ロリコンクラブ』がある。かいま見えたアンダーグラウンド世界の小さな穴も容疑者死亡で封じられるのだろう。」
 また、同じくジャーナリストの勝谷誠彦氏は次のように書いている。
「(4女児監禁事件の犯人の)Yの父親は朝日新聞元警視庁キャップから西部本社社会部長を経て自殺した。警視庁キャップと言えば談合記者クラブの仕切り役であり警察とはズブズブ。そのことを根底においてこの事件は読み解こう。Yが久喜の自宅から少女の写真や名簿を棄てた時、清掃業者が届け出たのに埼玉県警は無視した。これは偶然なのかね」

 今年3月10日に中西一善・自民党衆院議員が東京都港区六本木の路上で女性の体を触ったとして、強制わいせつの現行犯で逮捕された。それを受けて与謝野馨・自民党政調会長がやはり記者団との懇談で「オフレコ」発言をした。
「…あんなことをした後に、別の店に逃げ込んだら駄目だよ。タクシーでそのまま逃げてしまわないとね。(そうすれば)現行犯逮捕は免れただろうに。今の麻布署には、捜査本部を置く余裕なんてないんだからさ…」
 要人たちの「オフレコ」の発言内容そのものにも驚かされるが、それが内々の話として権力を監視する役目を負った公器である新聞・テレビの記者たちと共有されているという事実にはもっと驚かされる。

 野中広務氏の『私は闘う』という著書に次のような一節がある。
 逓信委員会所属議員のヨーロッパ視察旅行があったが、ここで大変不愉快な思いもした。機内で酔っ払ったNHKの某副部長が私の座席のところに来て『委員長が腹くくってくれたら島会長は助かるじゃないですか』と背広の内ポケットの札束を見せて、『私は、委員長対策のためにここに三百万円持ってきているんです』と言い放ったのである。私は一喝して、視察旅行から帰ると公的な場で島氏の責任を問うようになった。
 この「委員長が腹くくってくれたら島会長は助かるじゃないですか」というのは、NHKのアメリカでの放送衛星BS-3Hの打ち上げで、NHK会長の島桂次氏が女性同伴で渡米して、打ち上げが失敗(二度続けての打ち上げ失敗であった)したその現場にすら居なかったことが明るみに出て追及されていた件のことである。
 実は、野中広務氏は書いていないが、その時にNHKの副部長は三百万円の札束とともに、「女」も提示していたのだ。
 『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日』ベンジャミン・フルフォード著に次のような一節がある。
 高市早苗(39)は、ヤクザにつけ狙われたことがあった。手紙爆弾を送りつけられ、車のタイヤをパンクさせられ、車庫も荒らされたうえ、「殺す」とくり返し脅迫されたという。「10分ほど車を離れただけで、もうタイヤがパンクさせられており、そのために何度も高速道路で事故を起こしそうになった」と彼女は語る。
 それにもかかわらず、警察は特別な身辺警護もしていないし、彼女は一般市民ではないのに、日本のマスコミがこのことに注目していないというのも不思議だ。彼女はテレビ・パーソナリティであり、与党・自民党の衆院議員である。「同じ党内のライバル議員がヤクザを雇っている、という情報を得た」と彼女は語る。
 日本では、政治家へのこうした犯罪的ないやがらせ行為 criminal harassment は珍しいことではない。
 この高市早苗議員は1987年~89年に米国の連邦議会で勤務(金融・ビジネス立法を担当)していた頃、渡米してくる日本の国会議員の(かなりの大物もそこには含まれる)あまりの恥知らずな行動を諌めようと日本の週刊誌に寄稿したことがある。
 彼らは米国の上下院議員のオフィスに来て、お土産と称してコンドームを手渡す。それも税金で購入してきたものだ。当然だが、上下院議員の多くはその行動に戸惑う。また視察で来ていながら、視察らしきことなどほとんどしない。有名な米国の議員に会うと、何か意見を交わすのでもなく、握手した写真を求める。日本に戻るとその写真を人に見せ、俺は彼と会って来た、と言って自慢する…等々。「恥かしいからやめていただきたい」という寄稿である。
 さすがに僕も驚いたが、日本の議員のあいだなどでは、コンドームをお土産にする習慣があって、それは何かの催促なのかもしれないとふと思ったりしたものである。

「日刊ゲンダイ」で連載された三好徹氏の『政・財 腐食の100年』──明治・大正・昭和の裏面史──を読むと、こうした日本の政官財の”接待”は歴史も古いことがわかる。
 少し前に欠陥自動車で問題になった三菱は、「国有財産を濡れ手に粟的なやり方で、ほとんど無償で払い下げを受け、時には、補助金さえもらって手に入れたのであり、三菱の資産は、本来ならば日本国民に属するもの」(『日本丸は沈没する』藤原肇著)といわれるが、この『政・財 腐食の100年』読むと、裏では”接待”がおこなわれており、三菱は”抱かせ”で財を築いたともいえるようだ。

「日刊ゲンダイ」連載

『政・財 腐食の100年』──明治・大正・昭和の裏面史──
 三好徹(稿)
 1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家となり、66年「風塵地帯」で推理作家協会賞、67年「聖少女」で第58回直木賞を受賞。「チェ・ゲバラ伝」「幕末水滸伝」「三国志外伝」などの歴史小説をはじめ推理小説、サスペンスなど幅広いジャンルで活躍している。

 ■元勲たちと死の商人

 (略)
 板垣退助を何のために柳橋に招待するのか、本当は後藤だって見当はついていたが、わざと「何のために?」と質問したのだ。
「九十九商会が国有化されて帳簿を調べられますと、長崎時代の俗事がすべてつかまれてしまいます」
 と岩崎はいった。後藤に対しては、高知在住の保守派から「京、長崎において公事に託して遊興の事」の山内容堂(15代土佐藩主)あて告発状が出たことがあった。俗事とは遊興や不行跡の意昧であり、それが公になったら、岩崎も困るが、後藤はもっと困る。さらに、岩崎の返事は廃藩置県の計画をつかんでいることも暗示しているのだ。
 後藤は苦笑して、板垣を連れて行くことを約束した。板垣は金銭に淡泊だった。新政府の大官たちは大邸宅に住み、召使を数十人も雇って幕藩時代の大名のように暮らす者が多かったが、板垣は土佐藩邸の一室で起居していた。晩年に至っても、板垣の財産は高知市内の200坪の家屋敷と趣味の100頭の猟犬だけだといわれた。
 板垣のそういう性格を知っている後藤は、岩崎の接待攻勢も通じないだろう、と予測していたが、この招宴のあと、板垣が休息所を持つ、といい出した。休息所とは妾宅のことである。
 岩崎が宴席に呼んだのは小清(本名せい)という柳橋きっての美妓で、このとき17歳。5尺そこそこの小柄な女性だが、板垣は自分に酌をする小清を見て思わず息をのんだ。
 もとより岩崎はそれを見逃さなかった。

 板垣退助も丸め込んで九十九商会はスンナリ岩崎弥太郎の手に

 板垣退助には、高知に正妻の鈴がおり、ほかに政野という弘化元年(1844年)生まれの28歳の権妻(めかけ)が高知郊外の九反田にいる。彼がとくに好色というわけではなく、この時代の上層の武家階級では、妾宅を持つのはこく普通のことだった。板垣などはむしろ堅ブツの方だったかもしれないが、岩崎弥太郎の狙いは的中した。35歳の板垣は、安政2年(1855年)生まれの17歳の柳橋芸者・小清(本名せい)に心を奪われてしまった。
 こうした女性たちの年齢や本名がわかるのは、実は明治4年4月制定の戸籍法によって、正妻のほかに権妻も出生地や生年の届けを出すことに定められ、その記録が残ったからである。戸籍法はそのあとの学制や徴兵制のための前段階の新法だったが、同時にこういう副産物をもたらした。ただし、権妻条項は、具合が悪いと感じた政治家たちによって程なく削除された。
 また、岩崎は柳橋や新橋のきれいどころを写真に撮って秘蔵していた。数百人分あったという説もある。何も趣昧で写真を集めたわけではなく、威張ラセル飲マセル抱カセルの岩崎流の商策にとって必要だからなのである。
 岩崎は板垣にすすめて小清を落籍させた。余談だが、彼女は明治7年9月にほんの3日間寝込んだのちに亡くなった。20歳の短い人生だった。自由民権の闘士板垣の嘆きぶりは、見るものの目を覆わしめたという。そのあと板垣は権妻を持つことなく、浜町に家を買って高知から家族を呼び寄せた。
 そのことはともかく、九十九商会を岩崎に払い下げる一件については、とくに異議を唱える声はなく、海運、製糸、特産品の販売などの商権が岩崎のものとなった。また、フランス製の製糸機械と付帯設備3万円相当を30年の年賦にしてもらったことも、彼の辣腕ぶりを示している。
 明治6年3月、岩崎は屋号を三菱商会と改め、家紋の三階菱と山内家の三ツ柏紋を分解合成したマークを作った。もともとは所有の船の船旗用にデザインしたものだが、書類その他にも用いた。

 (略)
 三菱商会つまり岩崎弥太郎に対する政府のあまりにも過大な恩典は、岩崎流の猛烈なごちそう商法のおかげであったことは確かである。
 この頃の岩崎は、社員の誰よりも早く出社し、社員が社長室に置いてある出勤簿に捺印するのを確認した。そのあと、、各部門について社員に指示を与えてから外出。市場の景況、商店の動静を視察して11時頃に帰宅して昼食。そのあと外国人居留地(築地)へ行って外国商人を訪問ないしは商談。午後2時頃には会社へ戻って、朝に下した指示の実行ぶりを確認する。もし、思ったほどに進行していなかったら大声で叱咤し、それが一段落すると、要路の高官を招待してある妓楼へ赴き、酒席の間に政府の次の動きをさぐり、ときには徹底的に頭を下げ、場合によっては威嚇的な言葉をつらねる。これが岩崎の日課であった。


 三井・三菱など「企業慰安所」運営していた
 朝鮮日報(韓国)2003/01/03

 太平洋戦争当時、日本軍だけでなく、日本企業も韓国人女性を利用し「企業慰安所」を運営していた事実を証明する各種の文書記録や写真などが3日、国内外の学者によって公開された。

 ソウル大学の鄭鎭星(チョン・ジンソン)教授と米リバーサイドカリフォルニア大学のチャン・テハン教授はこの日行った記者会見で、過去6カ月間、韓米日の10人の学者が共同で発掘した慰安婦関連の各種の文書記録と写真などを公開し、「日本の三井、三菱といった企業らが日本政府の奨励の下、労働者を相手にした企業慰安所を日本本土で運営した」と明らかにした。

 鄭教授などによれば、企業慰安所で働いた慰安婦の規模は、労働者1万人あたり40~50人で、あわせて1万5000~2万人に達したという。

 鄭教授はその根拠として、1940年の日本陸軍省と1942年の大東亜省企画院の公文書、企業慰安所で現金の代わりに使用した「金券」、現在北海道に残っている企業慰安所の建物の写真などを提示した。

 陸軍省は1942年、北海道の某炭鉱会社に送った公文で、「炭鉱内労務者の生産性の向上と性的欲求を解消するため、朝鮮、中国女性の娼婦を誘致すること」を指示している。

 1942年の大東亜省企画院の閣議決定(官僚会議)文書でも、「労務者のために慰安所を設置すること」を指示したと、鄭教授は明らかにした。日本政府は企業に洗濯婦などの名義を使い、合法に偽ることも指示した。

 企業慰安所の存在は1992年、日本の市民団体が提起したが、軍慰安所問題に埋もれ、関心を集められなかった。鄭教授は「慰安所を運営したことが明らかになった企業を対象に、責任を問う訴訟を進める」と話した。

 一方、チャン・テハン教授は昨年8月から、米国立文書保管所(NARA)から発掘した「米情報部隊(OSS)の「1945年中国昆明・捕虜収容所の捕虜審問報告書」など、米国の秘密文書を提示しながら、「慰安婦が『強制と詐欺』によって連れて来られたことが初めて公式記録でもって確認された」と主張した。

 韓国女性23人など100人あまりの陳述を総合したこの報告書には、「韓国女性たちが強圧と詐欺によって慰安婦として駆り出された。この他の韓国女性300人あまりは、『シンガポールにある日本の工場に就職させる』という新聞広告に騙された」と書かれている。

 同文書は米軍の秘密文書で、最近秘密から解除された。チャン教授はまた、NARAから身元カードが発見された46人の慰安婦の名簿も一緒に公開した。米軍が45年に作成した慰安婦の身元カードには、写真と指紋、故郷、職業などが記されている。

 チャン教授はNARAから発見された中国書籍『ビルマ戦線従軍記』の日本軍連隊長タカミの手帳内容を提示しながら、英国やフランス女性も日本軍慰安婦として利用されたと明らかにした。

 鄭佑相(チョン・ウサン)記者
http://japanese.chosun.com/cgi-bin/printNews?id=20030103000024


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2 コメント

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Unknown (らぷぽ)
2005-12-18 07:37:01
「らぷぽ」にコメント感謝致します。

 どれもこれもすごい情報ですが、さもありなん!と思われるものも多くあります。

 公共事業がらみの接待で花町を支えてきたと言っても過言じゃないし、そういう話はチラホラ・・

 それがマンションがらみになって来たのも納得です。だからなかなか、内部告発も少ない訳・・恥ずかしながら、また書くことに致します。ありがとうございました。これからもお邪魔虫させて頂きます。
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らぷぽさん ありがとうございます (c-flows)
2005-12-18 11:10:40
ブログは新参者でまだよくわからないことだらけです。

また、タブー的なことをけっこう扱っているので、コメントやトラックバックではそのへんのことも(そのブログのかたのことも)考慮しなくてはと考えています。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

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