すみません、、、今回は相当長文です。
旧長崎刑務所は、長崎県諫早市野中町にある煉瓦造建造物群の総称です。明治40年に完成、設計者は鹿児島県出身の山下啓次郎です。ここ長崎刑務所はじめ日本の五大監獄を設計した名手として知られます。
平成4年、地元の要請に応じ現地改装の方針を撤回、同市小川町に移転後、跡地利用がはっきりしないまま約10年間放置されることとなりました。
跡地に関して動きが見られたのは9年後の平成13年、財務省は長崎刑務所を公売対象にしたことです。これに対し、長崎県建築士会は保存に関する要望書を提出、保存に関する気運も高まるかに見られました。
しかし、これら動きは結果的に失敗に帰します。関係者曰く、「諫早の人間は外圧に弱く、自発的な行動に乏しい」との話の通り、刑務所は更に6年間眠りに就くこととなります。
この間、全国的な保存運動に結びつく動きはありませんでした。理由はいくつか考えられますが、
1.首都圏に情報が集まっているため、遠く離れた地域から保存運動を行う際、情報発信が難しいこと。
2.刑務所施設という特殊性があり、地域住民に愛着がわかなかったこと。
3.放置されていた時期に不法侵入などが頻発していたことから、治安・防災面に関する不安が住民から寄せられていたこと。
4.行政・自治体の文化財(とりわけ近代、構造物)に対する無理解。
以上のことが挙げられるでしょう。当然動くべき建築学会は、この危機に際して何をしていたのでしょうか。私は若輩であったこともあり、皆目分からないのですが、ただ手をこまねいていたとしたら、その罪が無いとは言い切れません。
それでは、長崎刑務所の「価値」とは何でしょうか。大規模な煉瓦造構造物、という点では登録文化財の要件に十分に当てはまるでしょう。しかしそれだけではこの建物を表現するに十分ではありません。
まず、この建物の成立背景に「日本の近代化」、とりわけ受刑者の待遇改善が西洋各国から求められていたことが挙げられます。
明治中期までの日本の刑務所は、「ギスカン」とも称された江戸時代からの「キリギリスの籠」のような劣悪な環境でしかありませんでした。時の明治政府は、欧米諸国が不平等条約改正の際、日本を対等国家と見なさない原因のひとつに刑務所環境の不備があると踏まえ、その上で長崎に見られるような豪壮な監獄建築を作り上げました(※)。この建物は、近代における日本の成長記録をそのままの形で保存しているのです。その歴史的過程自体が既に重要文化財級であることは、敢えて申すまでもありません。
平成19年(つまり、今年)所有移転した民間企業は、内々に市との折衝を行いながらも全建物の解体の方針を示します。これは、公売方針から予想されていたことではありましたが、今回改めて明るみに出た格好となりました。この部分に関しては折尾駅の問題と重なる所でもあります。
6月から解体との話ではありましたが、一般公開の時期が長引いたことなどもあり、若干スケジュールはずれる可能性があります。ただ、このままでは完全に解体されることは間違いないでしょう。
解体工事が始まったとしても、完全撤去までには未だ数ヶ月の余裕があります。また跡地活用方針が決まっていない以上、そこに住む人々はじめ建築を愛する私たちの要望がまだ入る余地があります。餘部橋梁もそうですが、あきらめるのは、まだ早すぎるのです。
実際解体されつつあった、これまた九州有数の煉瓦造構造物の「旧熊本紡績工場」は、解体中に有識者の手によって一部保存されています。幾人もの人間の思いが繋がれば、「できない」事実をも覆すことは可能です。
私たち、建築を愛する人々にとって今できることは、長崎刑務所の価値を少しでも公表し、地元の意識を高め、一部なりとも現地保存を目指していくことで、日本全体での近代建築の保存意識を向上していき、また自らの来し方を振り返って誇りを持つ意識を取り戻す、一里程にしていくことだと思います
願わくば、この駄文が皆様にとって「契機」となれれば幸いです。
(※……参考:『建築探偵東奔西走』藤森照信/朝日文庫)
http://www.chiken.isahaya.net/keimusho.htm
参考サイト・地建設計(代表である栄田さんは、長崎県建築士会諫早支部の支部長をされています。一般公開の際はお世話になりました。改めて御礼申し上げます)
旧長崎刑務所は、長崎県諫早市野中町にある煉瓦造建造物群の総称です。明治40年に完成、設計者は鹿児島県出身の山下啓次郎です。ここ長崎刑務所はじめ日本の五大監獄を設計した名手として知られます。
平成4年、地元の要請に応じ現地改装の方針を撤回、同市小川町に移転後、跡地利用がはっきりしないまま約10年間放置されることとなりました。
跡地に関して動きが見られたのは9年後の平成13年、財務省は長崎刑務所を公売対象にしたことです。これに対し、長崎県建築士会は保存に関する要望書を提出、保存に関する気運も高まるかに見られました。
しかし、これら動きは結果的に失敗に帰します。関係者曰く、「諫早の人間は外圧に弱く、自発的な行動に乏しい」との話の通り、刑務所は更に6年間眠りに就くこととなります。
この間、全国的な保存運動に結びつく動きはありませんでした。理由はいくつか考えられますが、
1.首都圏に情報が集まっているため、遠く離れた地域から保存運動を行う際、情報発信が難しいこと。
2.刑務所施設という特殊性があり、地域住民に愛着がわかなかったこと。
3.放置されていた時期に不法侵入などが頻発していたことから、治安・防災面に関する不安が住民から寄せられていたこと。
4.行政・自治体の文化財(とりわけ近代、構造物)に対する無理解。
以上のことが挙げられるでしょう。当然動くべき建築学会は、この危機に際して何をしていたのでしょうか。私は若輩であったこともあり、皆目分からないのですが、ただ手をこまねいていたとしたら、その罪が無いとは言い切れません。
それでは、長崎刑務所の「価値」とは何でしょうか。大規模な煉瓦造構造物、という点では登録文化財の要件に十分に当てはまるでしょう。しかしそれだけではこの建物を表現するに十分ではありません。
まず、この建物の成立背景に「日本の近代化」、とりわけ受刑者の待遇改善が西洋各国から求められていたことが挙げられます。
明治中期までの日本の刑務所は、「ギスカン」とも称された江戸時代からの「キリギリスの籠」のような劣悪な環境でしかありませんでした。時の明治政府は、欧米諸国が不平等条約改正の際、日本を対等国家と見なさない原因のひとつに刑務所環境の不備があると踏まえ、その上で長崎に見られるような豪壮な監獄建築を作り上げました(※)。この建物は、近代における日本の成長記録をそのままの形で保存しているのです。その歴史的過程自体が既に重要文化財級であることは、敢えて申すまでもありません。
平成19年(つまり、今年)所有移転した民間企業は、内々に市との折衝を行いながらも全建物の解体の方針を示します。これは、公売方針から予想されていたことではありましたが、今回改めて明るみに出た格好となりました。この部分に関しては折尾駅の問題と重なる所でもあります。
6月から解体との話ではありましたが、一般公開の時期が長引いたことなどもあり、若干スケジュールはずれる可能性があります。ただ、このままでは完全に解体されることは間違いないでしょう。
解体工事が始まったとしても、完全撤去までには未だ数ヶ月の余裕があります。また跡地活用方針が決まっていない以上、そこに住む人々はじめ建築を愛する私たちの要望がまだ入る余地があります。餘部橋梁もそうですが、あきらめるのは、まだ早すぎるのです。
実際解体されつつあった、これまた九州有数の煉瓦造構造物の「旧熊本紡績工場」は、解体中に有識者の手によって一部保存されています。幾人もの人間の思いが繋がれば、「できない」事実をも覆すことは可能です。
私たち、建築を愛する人々にとって今できることは、長崎刑務所の価値を少しでも公表し、地元の意識を高め、一部なりとも現地保存を目指していくことで、日本全体での近代建築の保存意識を向上していき、また自らの来し方を振り返って誇りを持つ意識を取り戻す、一里程にしていくことだと思います
願わくば、この駄文が皆様にとって「契機」となれれば幸いです。
(※……参考:『建築探偵東奔西走』藤森照信/朝日文庫)
http://www.chiken.isahaya.net/keimusho.htm
参考サイト・地建設計(代表である栄田さんは、長崎県建築士会諫早支部の支部長をされています。一般公開の際はお世話になりました。改めて御礼申し上げます)
早朝に、庵田さんのこの記述を見つけて、よくぞ書いてくださったと喝采しました。トラックバックもいただき、ありがとうございました。gooのブログには、なぜかトラックバックすることができないので、コメントさせていただきました。
小生も、先ほど「不動産を所有するということ」という一文を載せました。これまでの保存活動の経験などからの思いを綴ってみました。
旧長崎刑務所のこと、小生もまだ諦めてはいません。
多くのブログに書かれている「廃墟」だという評価は、マズイですよね。正しく、建物としての評価、施設としての評価が、人々の間に広がらなければ。
平成13年といえば、札幌のキノルド記念館の保存運動で小生も微力ながらお手伝いをしていた時期です。
全国に発信すべく、さまざまな手を尽くしておりました。結局、解体されてしまったのですが。
長崎でも同じ時期に、一つの転換点があったのですね。
でも、今からでも決して遅くありません。
前村さんのところでブログの記事に触発され、ちょっとまとめてみました。
昨今はやりの「廃墟」という評価の仕方には、私も賛同しかねます。建物はその用途と物語を以て評価すべきというスタンスをとっており、建物の劣化による滅びの美学なんてものは、またそれは別のところでやって貰いたいものです。
>栄田さん
九州伝承遺産ネットワークサイドでも保存要望書の提出を検討しています。こちらは観光・まちづくりサイドでの後方支援が行えると思いますので、長崎刑務所保存に向け、頑張っていきましょう!!