テレビのツボ

テレビ番組の中の面白試聴ポイント(ツボ)を探し出し、それらを面白おかしく紹介するブログですε=┏(; ̄▽ ̄)┛

「ラブリン」は養父の性癖を受け継いでいるか?

2015-06-19 22:45:26 | ワイドショー・バラエティ
「片岡愛之助&藤原紀香」の異様な背景…2人の関係を双方周辺は密かに歓迎


グラドルの熊切あさ美と別れた、別れてない、藤原紀香に乗り換えた、など、今まさしく恋愛スキャンダルの渦中にある「ラブリン」こと片岡愛之助。藤原紀香が沈黙を貫く一方、熊切は先月29日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』に続いて今月16日、ネットの『ニコニコ生放送』にも出演し、号泣しつつ「別れ話はしていない」と従来の主張を繰り返した。が、未練などはないそうで、それどころか「(愛之助が)自分だけを守ろうとして、自分に有利な発言ばかり繰り返すのを見て、尊敬の気持ちや愛情がなくなった」と愛之助に対し痛烈な批判を浴びせている。要は愛之助の身勝手さや、自分だけが悪者にされている状況に納得がいかないということのようだ。
一般的に恋愛関係の内情は、当事者でないと分からないことが多い。今回の騒動について一番の当事者といえる愛之助は「僕が死ぬまでに真相を本に書く」とのコメントを出しており、少なくとも当面は封印する構えを示唆しているから、なおさら真相は藪の中だ。
ただ個別の内情はなかなか窺えなくても、愛之助の経歴を遡っていくことで、愛之助自身の恋愛観や性癖などを、それとなく推測することは出来る。

愛之助の恋愛観形成に少なからぬ影響を与えたと思われるのが、愛之助の養父である二代目 片岡秀太郎だ。愛之助は1981年、秀太郎に歌舞伎への才能や情熱を見出され、秀太郎から誘われる形で片岡一門の部屋子(へやご。内弟子のようなもので、住み込みで稽古や行儀作法をつけてもらう立場)となっている。愛之助が秀太郎と正式に養子縁組したのは93年で、多感な思春期の全期間を通じ、師匠である秀太郎から大きな薫陶をうけている。
秀太郎は上方歌舞伎界で女形の大御所といわれるほど偉大な存在だから、歌舞伎の面で熱心な指導を受けたことは愛之助にとって大変な財産に違いない。
だが引っ掛かるのは秀太郎の隠された一面で、そのことについてはどのメディアも触れない。一応、愛之助と熊切の騒動については『週刊文春』が、
「あの人(愛之助)は優しすぎるところがあるから。誤解が生まれているようだけど、しっかり(説明)しなくてはいけないね。女性を傷付けるのはよくない
との秀太郎のコメントを紹介はしているが、秀太郎自身の「過去」については言及なし。一連の騒動に直接関係ないとはいえ、類似した、いやもっとおぞましいといえるほどのスキャンダルをかつて秀太郎が巻き起こし、当時すでに部屋子となっていた愛之助にも影響なしとは思えないのに、完全スルーとはおかしい。意図的に秀太郎の過去を封印してるとしか思えない不自然さだ。

秀太郎は84年、女優でもある妻 高田美和と泥沼の離婚騒動を繰り広げている。美和は当時、そのことで記者会見を開いているのだが、そこで語られた言葉は、往年の時代劇スター高田浩吉の娘で、大映のお姫さま女優として名を馳せた彼女には、およそ似つかわしくないドギツイものだった。彼女は秀太郎のことを「SMの趣味がある変態で、そばに寄られるだけで鳥肌が立つ!」と、吐き捨てるような口調で罵倒したのだ。大女優である妻が、歌舞伎界のスターである夫をこれ以上ないくらい過激な表現で非難したことで芸能界は騒然となり、ワイドショー等でも連日取り上げられた。
美和が離婚を申し入れた最大の理由は、夫 秀太郎の特殊な「性癖」。それを具体的に物語るかのように、美和はこの離婚騒動を遡る2年前の82年、なんと日活ロマンポルノの『軽井沢夫人』という映画で主演を務めている↓



高田美和 主演『軽井沢夫人』(日活ロマンポルノ)ダイジェスト版

正統派女優がロマンポルノに出演したことは衝撃を呼んだが、その出演も美和の意志ではなく、夫が強く勧めたからというのには驚かされる。なんと秀太郎は妻が犯されることを望む性癖の持ち主だったというのだ。秀太郎は撮影現場を訪れ、「美和はこうすると感じるんだ」と言いながら、熱心に演技指導までしていたのだという。
この時は出演を渋々承諾した美和だったが、秀太郎の要求はさらにエスカレート。全身緊縛シーンまである、団鬼六 原作のSM作品『花と蛇』の出演を日活と交渉するまでになり、遂に耐えられなくなった美和が離婚を懇願するに至ったそうだ。
その経緯は当時、女性週刊誌『微笑』(96年に廃刊となったエロ系記事を目玉とした雑誌)にも詳しく掲載された↓



表紙の左端に"「私が犯されるのを見て喜ぶ夫に、もう耐えられない!」泣いて離婚を懇願する妻は…。強姦サド! 高田美和と片岡秀太郎が異常夫婦生活" と、これまた過激な見出しが躍っている。
当時これほど世間を騒がせた大スキャンダルであったにも関わらず、今ネットで検索してもこれらのことは殆どヒットしない。せいぜい2ちゃんねるの掲示板か、個人ブログやTwitter等で散見される程度だ。秀太郎のWikipediaを見ても前夫人 美和との離婚に関しては「秀太郎に起因したといわれる諸々の問題から不和となり破局」と、極めて抽象的かつ簡略化された内容が述べられるに留まっている。
秀太郎と美和の異常夫婦生活の内幕をメディアがこれほどストレートに報じられたのは、ネットシステムがなく、無秩序に情報が拡散される心配がない当時の社会背景があればこそだったろう。だが今日に至ってもなお、全然蒸し返されないのをみると、何らかの力が作用してると感じざるを得ない。
秀太郎と美和は、離婚騒動が勃発する前はテレビのバラエティにも2ショットで数多く出演していた。そこでは異常なほど仲の良さを強調し、終始ベタベタしっ放しという惚気ぶりで、だからこそ後の記者会見での豹変に驚いたわけだが、芸能レポーター界の鉄則として「仲の良さを強調し過ぎる夫婦は離婚が近い」というものがあるそうで、当時の二人はこれにピタリと当てはまっていた。もしかしたら、仲睦まじく見せていた当時から、本当は仮面夫婦だったのではないかと、後になってみると確かにそう思う。
これらを見ると「女性を傷付けるのはよくない」との今回の秀太郎のコメントは、まるでブラックジョークだ。

さて愛之助に話を戻すと、こんな異常な夫婦関係のさなかで、思春期に差し掛かったばかりの少年が、部屋子として寝食を共にしていたとすれば、(悪い意味で)精神的に多大な影響を受けたと考えるのが、やはり自然ではなかろうか。
夫婦が不仲になったもう一つの原因として、秀太郎が愛之助を「可愛がり過ぎた」からという理由も囁かれているが、これも秀太郎が女形であることと、上記の異常な性癖の数々とを考え合わせると、何やら別の意味合いが思い浮かんでくる。芸は芸でも、違う芸(ゲイ?)の道を仕込んだのでは?との疑念だ。
もともと歌舞伎界は両刀使いが主流で、女性だけしか恋愛対象にしない方(海老蔵など)が少数派といわれるほど衆道が盛んで、少年愛にも寛容な、世間一般とは異質な価値観で回ってる世界。加えて師匠がとんでもない変態性癖の持ち主とのことであれば、単なる師弟関係だけとは正直思いにくい(ジャニーズの世界とも重なって見える…)
近年の愛之助を見ていても、師匠であり養父でもある秀太郎の性癖(ゲイ&サディスティック)を色濃く受け継いでいるのではないかと思えたシーンが幾つもある。例えばドラマ『半沢直樹』で見せたおネェ口調の国税庁エリート官僚黒崎役の、あまりにリアルな演技や、今回のスキャンダルでの、週刊誌記者の追跡を振り切る乱暴極まる運転などだ。
後者は、日本でのデリバリーが先月開始されたばかりの最新モデル「フェラーリ488」を駆って、新恋人と噂される紀香の自宅マンションへ向かう際のもので、週刊新潮の記事では
「(首都高で)150キロを越える猛スピードでコーナーを駆け抜け、車と車の間を縫うようにして前に出て、車線が塞がれている場合はパッシングして蹴散らす。
あんなメチャクチャな運転は初めて見ました。
重大な事故を起こしかねない、あまりに危険な運転…」

と書かれており、如何に無法な暴走だったかが分かる。いくら記者に追われイライラしていたとしても、普通に理性があればここまで危険な運転はしない。よく車の運転にはその人間の本性が表れるというから、一見穏やかに見える愛之助も、その奥にはサディスティックな本性を秘めてるのではないかと思える。



歌舞伎界の、世代を跨いで継承されているであろうドロドロした内幕を知るにつれ、世間やメディアから幼稚とか未練がましいと非難されている熊切がむしろ、社会通念上は一番マトモではないかとさえ思えてくる。紀香にしても、歌舞伎界や愛之助を取り巻く内情を全く知らぬわけではないだろう。親しい友人には「彼の才能にめっちゃ惚れてるの! 芸のためなら寝る時間すら惜しむ姿勢とかも尊敬してる!」と、無邪気に惚気てるそうだが、これを額面通りには受け取り難い。本音では愛之助の人気と財力に惚れてるのではないか? その上で、仮に異常性癖を受け継いでいようが、ゲイ道に精進していようが、そんなことは承知の上で割り切って交際していると、勝手ながら推測してしまう。
愛之助の贔屓筋(スポンサー)も、歌舞伎界の異常性に対して耐性を持たない熊切よりも、したたかで計算高い紀香の方が何かと安心できる、そう踏んでいるのだとしたら、紀香との交際に難色を示さないのも分かる(ただ結婚となると話は変わってくる。紀香の場合、年齢的に跡取りを設けることが難しいから…と思いきや、週刊文春の記事によるとそうではないようだ。片岡家には既に跡取りがおり、部屋子出身の愛之助は別に跡取りを設ける必要はないというのだ。紀香が梨園の妻に相応しくないのは、派手で目立ちすぎる、芸能活動に比重を置きすぎ、などの点らしい。熊切に対しては、グラドルという肩書きを贔屓筋は嫌っているようなので、どう転んでも了承はしなさそうだ。なお歌舞伎役者にとって贔屓筋の意向は絶対で、その了承なくして結婚は出来ないというのは、いわば不文律の掟)。

だが、そもそも紀香は愛之助との結婚を本当に望んでるのか、との疑問もある。本業である女優業でなかなかヒット作が出ず、やる事なす事バッシングを浴びせられっ放し。そんな閉塞状況を打開するため、歌舞伎役者として今一番の注目株といえる愛之助を話題作りに利用しようとしてるのではないかと、そういう邪推もしてしまうのだ。しかも紀香の所属事務所は大手かつ「悪名」高いバーニングプロダクション。同事務所が、迷走気味の紀香を影から強力にプッシュしてるのだとすれば、話はますますややこしくなる。
愛之助とて、熊切と完全に手を切るため、紀香を利用してるのでは?と、やはり邪推してしまう。少なくとも芸能マスコミにキャッチされることは計算ずくだろう。でなければド派手なフェラーリで「密会」へ向かうなどあり得ない。捻くれた見方かも知れないが、お互いに利用し合ってるのだと解釈すれば、何となく合点がいく。
とにかく考えれば考えるほど、愛之助と紀香の「熱愛」が純粋なものには程遠い印象が強くなって仕方ない。

で、今回のツボは、当事者の愛之助でも紀香でも熊切でもなく、騒動(の本質)の隠れた原点ともいえる片岡秀太郎に決定!

これぞバラエティの真髄! 見事な「有終の美」

2014-04-07 08:51:38 | ワイドショー・バラエティ


またまた久々となってしまった拙ブログの更新で、再び登場願うのはやはり「笑っていいとも!」。とうとう迎えた最終日(お昼の最終回と、夜のグランドフィナーレ)は、まさしくテレビ史上に残る伝説の神回となった(番組が終わって一週間以上経ってからUPしたのは、その後「いいとも最終日ネタ」を各メディアがどう伝えたか知りたかったから。具体例は後述)。
なぜ伝説の名に値するのか。多くを語らなくても、冒頭にUPした画像を見たらその理由は一目瞭然だろう。誰がこのメンバー達での共演を予想し得ただろうか。「実現したら凄いな」と、願望としては抱いていても、大半の人は「やっぱり無理だろうな」と諦め半分で観ていた筈。実際、当事者が後日ラジオ番組で明かした裏話によると、「犬猿の仲」と噂されているダウンタウンVSとんねるず・爆笑問題は、スタジオ内でも絶対顔を合わせないよう配慮され、出番も別々に設定されていたらしい。
ところが、である。テレフォンショッキングの最終ゲストとして登場した明石家さんまが、引き続き「タモリ・さんまの日本一の最低男」コーナーでも長々と喋りまくり、業を煮やしたダウンタウンとウッチャンナンチャンが「長~~い!!」と怒声とともに乱入してきたことで予定調和の流れは吹き飛んだ。浜田雅功が、悪態をつきながらさんまの口に粘着テープを貼り付けて喋りを封じ、松本人志は「とんねるずが出てきたらネットが荒れる!」と煽り立てた。
だがここまでならまだ、想定の範囲内といえなくもなかった。問題シーンはこのあと。松本から公然たる挑発を受けたとんねるずが黙っていなかった。すぐさま爆笑問題の楽屋を訪れ、「おい、殴り込みに行こうぜ!」と加勢を求め、まずはとんねるずが先陣を切って乱入。スタジオ内はステージ、客席とも大騒ぎになった。「今出てきたらダメでしょ!」と浜田が制するなか、続いて爆笑問題も乱入。スタジオはさらにヒートアップした。

その際の松本のリアクションは見ものだった。明らかに虚を突かれたようで、苦笑とも照れ笑いともつかない表情を浮かべ、困惑した様子がありありだったのだ。が、そこはベテラン芸人。すぐさま態勢を立て直し、ある種"禁断のフレーズ"である「ネットが荒れる~~!」を再び繰り出した。これに対して太田が吠えた。
「荒れろ、荒れろ~~! 燃やせ、燃やせ~~! この野郎~!!」
両者の応酬でステージはカオス状態に陥った。客席を埋め尽くす、いいともゆかりの有名タレント達も「悪乗り」して大いに盛り上げた。
とんねるず石橋、ダウンタウン松本、爆笑問題太田の三者のなかでも、特に松本と太田の確執は半ば都市伝説のようになっていて、発端は次のようなことであったとされる。
20年以上前、松本はチンピラ紛いのジャージ姿で漫才をしていて、それを見た太田が自身のラジオ番組でさんざんバカにした。そのことを松本が聞きつけて激怒。太田を楽屋へと呼び出し、「俺に殴られるか、芸能界を引退するか、土下座して謝るか、どれかを選べ!!」と凄んだというのだ。太田はやむなく、その場で土下座して謝罪。以来両者は「絶対共演NGタレント」になったそうな。
この噂、両者とも全く言及しないので真偽のほどは定かではないが、太田がパーソナリティを務めるラジオ番組「爆笑問題カーボーイ」のなかで水道橋博士から「もしダウンタウンDXにゲストで呼ばれたら?」と問われ「絶対行かねえよー!」と答えている(動画サイトで確認済み)ので、何らかの確執があったのはどうやら事実のようだ。松本も遠回しながら、確執の存在を暗に認めている→松本人志が「不仲説」認める

乱入後も太田はいつもの芸風通り言いたい放題。ステージのあまりの荒れように、見かねたディレクターが出した「みんなで仲良くお話しして下さい」というカンペに対しては「はっきり言って、このメンバーで仲良くできるわけねえじゃねえか!」
タモリへの労いの言葉を求められると「タモリさんのお陰で、こうして仲悪い人達と会うことができた」。当の松本が真横にいるにも関わらず、だ。ピリピリした緊張感が漲る、何でもありの「真剣勝負」は実に見応えがあった。

ネットニュースや雑誌記事などで続報を更に調べてみると、不仲説が取り沙汰されているのは上記の芸人達だけではないようだ。さんまと松本も、松本シンパの後輩芸人をさんまが引き抜こうとしたことが原因で犬猿の仲になったと噂されており、木梨と浜田の間にも、かつて小川菜摘(現在の浜田の妻)と木梨が恋人同士だったことで、今だにシコリが残っているという。ナインティナインに対しては、松本が自身の著書のなかで非難、というより完全に見下した論評をしていて、そのことによりナイナイの二人は松本のことを怖がって共演を避けてきたのだそうだ。これらの報道が事実だとしたら、ウッチャンナンチャンを除き、あとはことごとく「敵同士」の芸人が一堂に会したことになる(以上のことを踏まえて録画を観るとなお面白い)。

これほど本気度溢れるバラエティは近年なかなかお目に掛かれない。第一線の芸人が、手抜きなし・タブーなしでステージに臨み、それを編集なしでストレートに放送すれば、これほど面白くなるのだということを改めて認識させられた。巷でもそう感じた人は多かったのだろう。放送後、ブログや掲示板だけでなく、ネット上のニュースサイトでも「いいとも最終日」のネタで持ち切りになった。まさしくネットが「荒れた」のだ。もちろん肯定的な意見ばかりではない。辛辣な批判も相当ある。だがそれでいい。バラエティは賛否両論真っ二つに割れるほどアクの強いものでなくては面白くない。クレームを恐れ、無難に予定調和でまとめる生温いバラエティが蔓延る現状では尚更その感が強い。

「グランドフィナーレ」のハチャメチャ振りは、昼の「いいとも最終回」から既に始まっていた。皮切りはテレフォンショッキングの最終ゲストとなったビートたけしが読み上げた「感謝状」。タイトルこそタモリへの感謝状となっているが、たけしが真面目な感謝状なんか持ってくるわけがない。当然ながら内容は感謝とは程遠いふざけたものだ。以下その全文を記してみたい。



表彰状、タモリ殿


長らく「笑っていいとも!」の司会を務めてきたタモリさんに、私から表彰状を送りたいと思います。
ちなみにこの表彰状はゴーストライターが書いたものです。私は一切書いていないことをご了承ください。

本日は32年間続いた国民的長寿番組「笑っていいとも!」の最終回という晴れの日に、世界的人気映画監督であり、高額納税者人気タレントであり、さらに「総理大臣にしたい男」5年連続ナンバーワン、「上司にしたい男」3年連続ナンバーワンという、人気と実力を兼ね備えた超一流タレントである私を呼んでいただき、誠にありがとう。

私の「笑っていいとも!」の思い出と言えば1983年2月、理屈ばっかり言っていた田中康夫が気に食わず、生放送中に乱入し、首を絞め上げたこと。その結果、翌日のスポーツ新聞には「たけし、心身症」と書かれてしまいました。今となってはいい思い出です。

「いいとも青年隊」と言えば、かつて女をだまし、金をせしめ、詐欺恐喝罪で訴えられたH賀研二、パチンコでマンションを買ったといばっていたK保田篤さん、いまだ「世界ふしぎ発見」でしか姿を見ることのないN々村真さん、さらにはいいとも青年隊卒業後、ホームレスになってしまったK田健作さん、そして全く売れなかった萩本欽一さんのところのあさりど。などなど、数々の一流タレントを輩出してきたことを忘れてはいけません。

そして何と言ってもこの番組の名物コーナーである、「テレフォンショッピング」。友達を紹介するという名のもとに、いきなり電話をして出演をお願いするという斬新な企画でありました。
しかしながら、女優の矢田亜希子さんが大竹しのぶさんを友達として紹介するときに、思わず「初めまして」と言ったとき、私はショックのあまり、耳が聞こえなくなりました。得意の作曲活動をあきらめなければいけない事態に陥ってしまいました。あらためて芸能界というのはヤラセの世界だなと痛感した次第でございました。

そして32年間、初めて新宿に来た番組観覧の田舎者を相手に何もやらず、まぬけな芸人に進行を任せてきたタモリさんに触れないわけにはいきません。
かつてあなたは、ヘルスの呼び込み、オレオレ詐欺の出し子、パチンコ屋のサクラ、フィリピン人との偽装結婚の斡旋などを経て芸能界に入り、イグアナの形態模写、4か国語麻雀、意味不明なハナモゲラなどの卓越した芸で、一部のエセインテリ集団から熱狂的な支持を受け、あれよあれよという間に国民的人気番組の司会者まで上り詰めました。

しかし、そんな「笑っていいとも!」も今日をもって終わってしまうのかと思うと、私としては残念でありません。明日からは、O倉智昭さんの「かぶっていいとも!」という番組がはじまると知ったとき、私はそのとき思わず聞こえなかった耳が回復し、今は歪んで聞こえるまでになりました。最近では、新垣さんとの一度壊れた友情も復活し、今では二人で元気に作曲活動にいそしんでおります。ですからタモリさんも何の心配もすることなく、二流とも三流ともつかない芸人しか出ないと言われている「タモリ倶楽部」に全精力を注いで頑張ってください。


2014年3月31日 「A女E女」復活を望む会
会長 イジリー北野



「いいとも!」で封印されてきた矢田亜希子の「初めまして事件」や、フジテレビでタブー視されている小倉智昭の「かつらネタ」を堂々と盛り込み、時事ネタの「佐村河内ネタ」までトッピングした、如何にもたけしらしい感謝状だ。
因みに末尾にある「A女E女」はこちらを参照→A女E女 この番組もまた素晴らしい! 今回の「グランドフィナーレ」以上に問題視された番組だが(実際バッシングの嵐になった)、これもこれでやはりバラエティの真髄と言って差し支えないと思う。なぜならタブーに挑戦しているから。バラエティはタブーに挑むか、もしくは緻密なストーリーを構成しているかのどちらかでなければ魅力を感じない。無理だと分かってはいるが、こんな番組こそぜひ復活してほしい。

「グランドフィナーレ」に話を戻す。確執を抱えた松本・太田を核に、一癖も二癖もある「お笑い怪獣」が勢揃いしたステージは、もはや誰も仕切れない。意味不明なボケや怒号が飛び交い、ついには全く関係のないサンコンやおすぎとピーコ、田中康夫や橋田壽賀子まで客席からステージ上に引っ張り上げておもちゃにする始末。田中康夫などは、たけしの感謝状に書かれていた内容そのままに、太田に首を絞められ床に背中から叩き付けられた。必死で謝る相方の田中に対し、田中康夫は何を思ったかいきなり田中にハグしてチューをしたもんだから、さあ大変。田中は「なにチューしてんだよ!」とブチ切れ、田中康夫をステージ上から蹴り落とすようにして客席へ追い返してしまった(同じ苗字でややこしいなぁ…)。
ネットニュースによると、この時ステージ裏の各芸人のマネージャーや事務所関係者の間でも「聞いてないよ!」とか「ヤバイよ、ヤバイよ!」などといったダチョウ倶楽部や出川哲朗張りの怒号が飛び交っていたそうだ。彼等にしてもとんねるず&爆笑問題の乱入劇は完全に想定外だったようで、ベテラン芸人の暴走にはさぞ頭を抱えていたことだろう。

今回のツボは、こんな滅茶苦茶なステージ上で、何ら動じることも熱気に水を差すこともなく、淡々と司会をこなし続けたタモリ本人。自らは全然仕切ったりせず、芸人たちに好きなようにやらせてるにも関わらず、タモリを軸に番組が動いてる感が醸し出されていて感心させられた。ギネスに掲載されるほどの長寿番組の司会者の存在感はやはり伊達ではない。
ダウンタウンらが乱入してきたのが、番組が始まってから52分30秒後。そのあと3回のCMを挟んでの約35分間は「奇跡の35分間」と言っても過言ではないくらい光っていた。確かに内容らしい内容は何もなかった。ネット上での批判意見の大多数も、無意味なドタバタ劇は見苦しいという類のものだった。けれど個人的にはそんなことは問題ないと思っている。生放送で、かつタブーに挑戦する、その二つがあれば充分。次の瞬間、何が起こるか予測できないドキドキ感こそバラエティの醍醐味なのだから。

さて肝心のテレビが「いいとも!」をどう伝えたかだが、これはどうも物足りない。全部は見ていないが、総じてネットの充実ぶりとは比較にもならない。
まず翌日(火曜日)のワイドショー。フジテレビ以外は他局とあってスルー状態。お膝元の「とくダネ!」にしてもあっさりし過ぎ。芸人の乱入劇については紹介したが、なぜそれが凄いことなのか、裏事情に関しては(おそらく意図的だろうが)完全スルー。笠井アナが「爆笑問題が入ってくれば、そりゃ大荒れになります」なんて無難にサラッと触れただけだった。もちろんと言うべきか、最終回でたけしが読み上げた「感謝状」については何も触れなかった。小倉キャスターに関するタブーはまだまだ破られそうにない。
日曜日の情報バラエティの中では、「アッコにおまかせ!」がもっとも突っ込んだ情報を提供していた。ステージ裏が大騒ぎになっていたことも紹介し、さらには「不仲説」にまで言及したが、レギュラーのIMARUが「あくまで説ですからね」と釘を刺し、番組内でも内幕については一切触れなかった。当人同士さえ触れないことだから仕方ないとはいえ、この辺りにテレビの限界を見た思いがした。同じくお昼の時間帯、関西系の芸能情報番組「上沼・高田のクギヅケ!」はというと、こちらは完全スルー。上沼の毒舌に期待していたのに肩透かしを食らった。前々から思っていたことだが、関西ローカル系の番組はどうしても関西芸人のスキャンダルについてはツッコミが甘過ぎる!
深夜枠から移動してきた「ワイドナショー」は前述の通り。同時間帯の「サンデージャポン」は一番期待していたのだが、残念ながら完全スルー。確執の根深さを匂わせた。
以上、テレビ報道の概要を見るにつけ、如何に「大人の事情」が幅を効かせているかが分かる。それだけになお、「いいとも最終日」の凄さが窺えようというものだ。

「いいとも最終日」の素晴らしさに引き換え、後番組の「バイキング」のなんと生温いことか…。はっきり言って失望を通り越している。MCが不慣れとか、内容が生煮えとか、そんなことはどうでもいい。あんなお化け番組のあとだ、いきなり上手くいかないのは当然のこと。フジテレビの広報も、現段階では試行錯誤しながら進めているのを認めている。
問題はもっと根幹、そう去年のちょうど今頃、やはり「笑っていいとも!」の偉大さを称えた際、最後の一節に込めた願望が全く叶えられなかった。「生放送で、かつVTRを一切使用しないこと」この二点のうち後段の部分が無くなり、凡百の情報バラエティと同類に成り下がってしまった。いくら生放送であっても、VTRを使用したら意味がない。タレントが100%トーク力と演出力だけで勝負するのと、VTRの逃げ道を作るのとでは画面から滲み出てくる緊迫感が段違いなのだ。
「VTRを使用しない」という最大の美点を引き継がなかった時点で、新番組は死んだも同然と言っていい。「いいとも!」があんなに生温く、マンネリ化してもギネス級の長寿を達成し得たのは、ひとえに「VTRを使用しない」というコンセプトだけは絶対に曲げなかったからだと推察している。今後どんなに企画に工夫を凝らしたとしても、根幹部分を変更してVTR無しにするとはとても考えられないから、「バイキング」には全然期待していない。

バラエティでVTRを使用していいのは、「VTRでなければ表現できない映像を映し、なおかつその映像が番組のコンセプトと密接に関わっている」場合のみだと思っている。過去の番組で例えれば「トレビアの泉」がその典型だ(奇しくもタモリがMCの番組!)。
「トレビア…」はバカバカしい疑問に対し、潤沢な予算を投じ、大変な手間暇を掛けて検証するという、バラエティの王道を歩む素晴らしい番組だった。「バカバカしいことを大真面目に…」これを貫けば、たいてい優れたバラエティになる。翻って「バイキング」でのVTR映像は、グルメ情報とか最新トレンドとか、どうでもいいものばかり。こんなものなら他にいくらでも代わりがあり、見応えも何もない。

ロウソクは燃え尽きる寸前にもっとも明るく輝くという。「いいとも!」はまさしくそれ。最終日に最高の輝きを見せた。と同時にそれは一つの番組のみならず、真のバラエティの終焉を告げる弔鐘のような気がしてならない。ある有名ブログでは「いいとも最終日」を「テレビのお葬式」と例えていたが、まさに言い得て妙だと思う。
だがこのままバラエティを死なせてはならない。生放送で、かつVTRを一切使用しないバラエティか、もしくはバカバカしさの極みに対し、大掛かりに、かつ大真面目に取り組むバラエティか、そのどちらかの復活を強く望む。もちろんその際のMCは、タモリでお願いしたい!


矢口真里 ベッドの上でも 裸舞マシーン

2013-05-26 05:51:13 | ワイドショー・バラエティ


去る24日、不倫騒動の渦中にある矢口真里が、金曜レギュラーとして出演している日テレの情報番組『ヒルナンデス!』を、体調不良を理由に急遽欠席した。まあ、ある程度予想されたことではある。無理に出演しても番組の雰囲気を壊しかねないし、共演者にも余計な気を使わせてしまう。東海ローカルの番組には出演していたが、全国ネットだと影響は段違いに大きいから、止むを得ない選択肢だったのかも知れない。
矢口は「急性胃腸炎」との診断を得たそうだが、身から出た錆とはいえ、これほどの騒ぎになってしまえばストレスで身体を壊してもおかしくはない。案外仮病ではなく、本当に体調不良だった可能性は充分にある。

不倫報道の経緯についてはNAVERまとめ 矢口真里の不倫がばれた経緯がゲスすぎるを参照して頂くとして、拙ブログではいつもながらのヒネくれた視点から突っ込みを入れてみたいと思う。それは矢口が噂されてるように根っからの浮気性なのか、という点と、不倫は文字通り倫理に反することなのか、という点。

まず浮気性かどうかという点だが、芸能レポーターや関係者のコメントを聞く限りでは、元モー娘。メンバーの中でも随一の肉食系女子であるのは疑いようがない。過去にも小栗旬はじめ、何人ものモデルや俳優と浮き名を流してるし、自ら積極的に言い寄っている姿を多くの関係者に目撃もされている。
とにかくイケメン好きで、本能的に自分にないものを求めるのか高身長の男性には目がないらしい。
某占いサイトでも矢口のことを取り上げていて、顔相家・池袋絵意知によると矢口の顔は、幾つかの「浮気しやすい顔」の特徴のうち【丸顔】と【大きくて丸い目】の二点がピタリと当てはまる典型的な浮気性の顔相だという→顔相学で見る、あの人のホントノトコロ
池袋は、矢口の「整形疑惑」にも触れており、「アイテープを貼って目を二重にした」との矢口の証言にも否定的なコメントを載せている。



う~ん、確かに上の写真と現在の顔を見比べると、とてもアイテープで貼っただけの変化とは思いにくい気はする。顔が変化したことによって、より浮気性になったということだろうか?😁
ここだけ見てると「人相占いって結構当たるんだなあ」と思えてくるが、同じ占いサイトの中の「シュウ先生」と名乗る占い師のコーナーでは「矢口さんの目と眉を見ると、身持ちが堅く、貞操観念はしっかりしている」と、まるで見当外れなことも言っていたりするから、(当然ながら)占い師によって当たり外れは大きい。

もうひとつ、不倫に対する社会的見解についてだが、日本では「不貞」は配偶者への重大な背信行為とみなされ充分、離婚理由になり得る。さすがに現代日本では法で罰せられることはないが、国によってはれっきとした犯罪だ。韓国では戦前の日本のように、不倫をすれば今でも姦通罪に問われる。しかも、かつての日本とは異なり男女ともに…(戦前の日本で不倫が罪に問われたのは女性のみ)。韓国に限らず、姦通罪を設けている国は数多く、それらの国だとスキャンダルくらいでは済まない。
極端なのは中東のイスラム圏で、イスラム教の戒律を厳格に守るこれらの国で不倫などしようものなら、非常に重い刑罰(長期の服役や拷問)を課せられる。中でもサウジアラビアやアフガニスタンでは、不倫による最高刑は死刑と定められているから恐ろしい😱

ところが所変われば品変わるで、真逆のケースもある。代表的なのは昔(フランス革命以前)のフランスで、当時の宮廷社会では不倫はして当たり前。むしろ、しない方が恥だった。しかも男女とも!
当時のフランス貴族にとって、配偶者の愛人の数はステータスでさえあった。それだけ魅力的でモテる相手と結婚している証でもあるからだ。橋下流に言えば「当時は」浮気は必要不可欠なものだった。
たとえば、仲間内での会話は次のようになったりする。

「私の夫(妻)は愛人が5人もいるんですよ」

「フフフッ、大したことないですねぇ。ウチなんか10人ですよ~」

「・・・」(負けた!)

…てな具合😁
で、ウチに帰るや配偶者に「もっと頑張って愛人を作るように」とハッパを掛けたりするわけ。配偶者の浮気に嫉妬して怒るなど、もっともハシタナイ行為とされた。
矢口の件みたいに、自宅の寝室で配偶者と浮気相手がお取り込み中にバッタリ…なんてケースも当然多く、その際の対処の仕方にもきっちりとしたマニュアルがあった。決して慌てず騒がず、非礼を詫びながら静かに寝室を退出するのが最上のマナーとされた。怒り狂って修羅場を演じるなど論外中の論外。そんな対処をしたら宮廷で爪弾きにされ、誰からも相手にされなくなる。

当時のフランス貴族社会の基準で判定すれば、矢口はこの上なく魅力的な良妻ということになる。もし矢口の夫・中村昌也が当時のフランス貴族だったとしたら、妻の不倫現場に出くわした時に「妻がお世話になってます」とか御礼を述べて退出し、周囲に妻のモテっぷりを大いに自慢していた筈だ。

時代や国によってここまで評価の分かれる不倫行為だが、現代日本の基準ではもちろんアウト。特に矢口のようにママタレ的な売り方をしてきたタレントにとっては致命的だ。仕事激減どころか芸能界追放も必至の状況だ。
離婚も避けられないだろうが、不思議なのは不倫報道がされたのは不倫行為が夫に見つかってから約3ヶ月も経ってからだったこと。よくバレなかったものだ。その間、夫は『行列のできる法律相談所』に出演して夫婦円満をアピールしていた。別居して夫婦関係も完全に冷え切っていたであろう時期に、よくそういう企画の番組に出演できたなあと感心する。
離婚騒動の思わぬ余波というか、同情が集まったことによって夫に仕事のオファーが急増しているそうだから、被害者の面を目一杯「活用」して、しばらくは仮面夫婦のまま稼ぎまくるっていうの一つの手かも知れない😜

さてさて、下の写真みたいに寝起き状態で夫と対面した時、果たして矢口はどんなリアクションをしたのだろうか?😁




偉大なる『笑っていいとも!』

2013-04-02 22:27:14 | ワイドショー・バラエティ
…本当に久しぶりの投稿! 日記更新は実に1年8ヶ月ぶり。頂いたコメントへのレスを含めても1年4ヶ月ぶりだ。結局去年は一度も更新することなく終わったことになる。
再開するなら4月から、と密かに思っていた。新年度で区切りがいいことと、番組改編期に当たるためネタにしやすい特番が目白押しだから。で、再開後初のネタとして取り上げる番組は…と迷った末に選んだのは『笑っていいとも!』



「何を今更?」と訝る声が聞こえてきそうだ。放送開始から30年以上。度々リニューアルを繰り返してきたが、それでも経年劣化は避けられず、今やマンネリを通り越して化石状態。司会のタモリにもあまりやる気は見られず、すっかりオブジェと化している。「もう見飽きた」というのが多くの視聴者の本音だろう。先月、1年2ヶ月ぶりにテレビ復帰を果たした「やしきたかじん」(関西地区以外では知らない人が多いかもしれない。本業は歌手だが、仕事の大半は司会。歯に衣着せぬ毒舌で知られるタレント。食道ガン治療のため長期休養していた)も、自身が司会する番組『たかじんNOマネー』で早速「もういい。終わっていいとも」とギャグ混じりの辛口評価を下している。

これらの評価、確かに間違ってはいない。どこをどう切り取っても新鮮味のかけらもない。一昔前から何度も打ち切り説が出ており、いつ終わってもおかしくないくらい視聴率も低迷している。こんな超マンネリ番組のどこに「ツボ」があるのか、と疑問を呈する向きも多いかと思う。
しかし、である。注目すべきは番組内容の良し悪しではない。ギャグの面白さなんか二の次三の次。もっとも評価すべきなのは、その基本コンセプトだ。この番組は、かつてなら多くのバラエティ番組にみられた「バラエティの王道」とも言うべき素晴らしいコンセプトを受け継いでいる、殆ど唯一といっていいバラエティ番組なのだ。タイトルの「偉大なる」は皮肉でもなんでもない。

そのコンセプトとは、生放送でかつVTRを一切使用しないこと。
な~んだ、そんなことかと思われるかもしれないが、よくよく考えてみてほしい。特番を除くレギュラーのバラエティで、今この二点に当てはまる番組が他にあるだろうか? 少なくとも私の知る限りひとつもない。
かつてなら以上の二点に当てはまるバラエティ番組なんて珍しくもなかった。それどころか、その二点に大仕掛けの舞台中継までプラスした、今では考えられないほど骨太のコンセプトを誇った番組まであった。『8時だよ! 全員集合!』だ。生放送だから失敗は絶対に許されない。それだけでも大変なプレッシャーだったろうに、セットが倒れるわ、車は飛び込んでくるわの大仕掛けまで盛り込まれていた。目の前には大勢の観客がいるので、失敗は即大事故に直結する。そんな極度の緊張感の中でギャグを繰り出していたドリフターズの面々や、裏方のプロフェッショナリズムには畏敬の念すら覚える。これほどバラエティの王道を貫いていた番組が「子供に観せたくないワースト番組」の常連だったなんて信じられない。

『8時だよ! 全員集合!』当時やそれ以前に生放送のバラエティ番組が多かったのは、録画用テープが高価だったという物理的事情が背景にあったからだが、それはともかくそれらのバラエティ番組は今観ても生放送ならではの緊迫感がみなぎっている。VTR番組において意図的に演出された緊迫感とは似て非なるものだ。
VTR番組が主流になって以降も80年代辺りまでは、過剰な編集は控え、できるだけ生放送に近い形で視聴者に提供しようという気概は受け継がれた。その気概の主な担い手はドリフターズや大橋巨泉らであった。
ドリフターズも特番はVTR収録が中心だったが、編集は必要最小限に抑えられていて、如何にも舞台中継のような作りになっていた。大橋巨泉もそうで、たとえVTR収録であっても編集は極力させなかった。彼らに共通するのは黎明期からテレビ業界に関わっていたこと。バラエティはもちろんドラマでさえ生放送が当たり前だった時代から活躍していたタレントだから、生放送に対するこだわりは並大抵ではないのだろう。

ところが80年代以降、タレントからも制作者サイドからも、これらの気概は急速に失われていく。生放送のバラエティ番組が激減したのみならず、VTR番組の編集も継ぎはぎの域を越え、姑息な演出がやたら目立つようになってしまった。具体的には過剰なテロップや、クライマックスシーンの直前に長々と引っ張り、ゲストの大袈裟に驚く顔のアップとともにCMに入り、一番の見どころはCMのあとにお預けというお馴染みのパターンだ。かつてこんな演出はなかった。ひとつのコーナーがきっちり終わってからCM入りし、CM明けには次のコーナーが始まるというパターンが定番だった。が、今やそんな定番は皆無に等しく、バラエティに限らずどの番組も判で押したようようにCM跨ぎの見苦しい演出を繰り広げている。
そんなVTR番組に嫌気が差し、生放送の番組を観たからといって事は解決しない。番組は生放送でも、番組中では大抵VTRを使用するからだ。そこではやはりテロップが飛び交い、CM跨ぎの演出が幅を効かせている。

何故こんな有様になってしまったのか? 原因は様々あろうが、なかでも大きなものはリモコンの普及ではないかと思う。リモコンが無かった時代、チャンネルを変えようと思えばテレビ本体にまで手を伸ばし、ガチャガチャとダイヤルを回して選局するしかなかった。当然面倒くさい。少々面白くなかろうと、退屈だろうと、視聴者は面白いシーンがやって来るまでじっと待ってくれた。だが今は違う。ちょっとでも面白くなかったら即座に手元のリモコンでチャンネルを変えられてしまう。だからこそテロップだらけで子供でも分かる簡単な内容や、CM中にチャンネルを変えられないよう、クライマックスシーンを先送りするような演出がはびこる状況になったのだ。ハードの進化がソフトの劣化を招くとはなんたる皮肉だろうか。

このような現況を鑑みれば、孤軍奮闘し、細々と黎明期の気概を守り通している『笑っていいとも!』が何やら光ってみえる。なるほど『8時だよ!全員集合!』のごとき真に偉大な先達に比べれば小粒な感は否めないが、それでも芯の部分では昨今のバラエティ番組より遥かに骨太な気がする。
そういえばタモリにとって大橋巨泉は早稲田大の同窓で、芸能界でも師匠格に当たる存在だ。テレビ業界の黎明期を知る先輩の薫陶を得て、姑息な演出に流されない気概を体現するに至ったのかもしれない。
『笑っていいとも!』の後番組である『ごきげんよう』も、よく観ると他のバラエティ番組とは一線を画している。上記の姑息な演出が全くないのだ。この番組はVTR収録ではあるが、生放送かと勘違いするくらいナチュラル感に溢れている。ゲストのサイコロトークが終わってからCM入りし、CMが明けると次のゲストの新たなサイコロトークが始まる。やはりテロップもVTR使用も一切ない(出張サイコロトークなどの特別企画で、例外的に若干のテロップを用いることはあるが…)。こんな当たり前の演出が新鮮に感じられるのは、他のバラエティ番組の演出がひどい証でもあるから手放しでは喜べないのだが…。

最近は民放の姑息な演出に辟易としているせいか、相対的にNHKの番組が良くみえる。NHKにはCM自体がないから、CM跨ぎの演出などやりようがない。テロップはあるにはあるが、民放よりもずっと控え目だ。加えてスポンサーの縛りがないから意外や意外、民放よりも社会的なタブーへの挑戦は積極的。例えば知的障害者によるバラエティなんて、民放だと恐らくスポンサーからクレームが付いてなかなか出来ないだろう。
昔はそれでも企業名や商品名の紹介は一切ダメとか、公序良俗に反すると見なされた芸能人の出演はダメとか厳しい制約があったが、今では大幅に緩和されている。今となっては想像もつかないが、かつてグループサウンズ全盛期の頃、長髪の男性歌手はNHKに出演できなかったのだ。なので当時紅白に出演できたグループサウンズは七三分けのヘアースタイルだったブルーコメッツだけだったという逸話がある。
制約が緩和され、それでいながら民放の悪弊には染まらないとなれば必然的に番組の魅力は増す。シリアスな番組だけでなく、下手をするとバラエティの分野においても民放がNHKの後塵を拝しかねない。

さて『笑っていいとも!』についてであるが、コンセプトはともかく内容に新味がない以上いつ打ち切りになっても仕方ないとは思う。目玉コーナーであるテレフォンショッキングにしても、友達へ繋ぐという建前がなくなり、番組サイドが勝手に次のゲストを選ぶ変則的な形へと変貌している。その一因となったのはたぶん矢田亜希子だ。矢田は次のゲストとして大竹しのぶを指名したのだが、友達である筈の大竹に対し電話口であろうことか「初めまして」と挨拶してしまったのだ! 目玉コーナーがこんな不可解な形になってしまっては、無理に番組を続けていく意味もないように思える。ただ後継番組がどんな内容になるにせよ、生放送でかつVTRを一切使用しないという基本コンセプトだけは何としても守り抜いてほしいと切に願っている😁




『たかじん胸いっぱい』~大麻戦争の真相激白!

2011-04-30 16:40:33 | ワイドショー・バラエティ
大麻戦争と聞いてピンときた人はかなりの芸能通かも!? 例のツイッター騒動の当事者、大桃美代子と麻木久仁子それぞれの頭文字を取ったネーミングだ。

『テレビのツボ』と銘打っている以上、大桃美代子ネタを取り上げないわけにはいかない(単なる個人的なこだわりだけど…)。
今日放送の関西ローカル正午のバラエティ『たかじん胸いっぱい』に、渦中の大桃美代子が出演。ツイッター騒動の真相を激白した。

「去年の暮れまで、本当に1ミリも知らなかったんです」
大桃はツイッターで呟く直前まで、山路と麻木が結婚していたことはおろか、付き合っていたことさえ全く知らなかったと告白した。

真相を知るきっかけになったのは昨年11月、山路が取材先のミャンマーで拘束された事件。新聞報道を見た大桃は《山路徹(本名:松本徹)》という表記に疑問を抱いた(あれっ!? なんで山路さんの本名が松本なの?)。
疑問を解くためネットで調べ、初めて山路と麻木が付き合っていたことや結婚していたことを知ったのだという。

3年前に山路から離婚を切り出されたのは、このことがあったからなのか! 私だけが何も知らなかったなんて~と、大ショックを受けた大桃。で、どういう影響があるか深く考えないまま、衝動的にツイッターへ不倫の事実を書き込んでしまったらしい。

その直後、大桃はプライベートな目的で海外旅行へ出掛けた。その間、ネットにはアクセスしていなかったので、日本でどんな騒ぎになってるかは全く知らないまま。久しぶりに所属事務所へ電話してみると「大変です! あのツイッターが大騒ぎになってます! 電話もジャンジャン掛かってきてます!」との担当者の悲鳴(*_*;

「そんなに大変な状況になってるのかあ! 原因を作ったのは私だし、帰ったらちゃんと説明しなきゃ…」
帰国直後、麻木に続いて記者会見に臨んだ。その時に、山路と麻木が交際していただけではなく、結婚までしていたことを暴露! 「私と山路さんが交際を始めた時には、すでに山路さんと大桃さんの結婚生活は破綻していた」という麻木のコメントも全否定。「当事、山路さんとの婚姻は破綻していなかった」と証言。窮地に陥った麻木はファックスで結婚していた事実を認めたが、ウソを付いていたと取られたため一気にイメージダウン↓ それ以後メディアから姿を消してしまうことになる。

年が明け、山路と再会した大桃は、いつから麻木と付き合い始めたのか、山路を問い詰めたそう。返ってきた答えは「6年半から…」。3年半前からと思っていた大桃は「ショックで卒倒しそうになった」(@_@;)

「とにかく不信感でいっぱいになった」

「何も知らなかったのが私一人だったってことが一番ショック」

「なんで離婚する時に本当のことを言ってくれなかったんだろう? 好きな人が出来たんなら、正直に言ってほしかった」

交際を申し込んだのも、プロポーズしたのも大桃からだったらしい。それくらい山路のことが好きだった大桃だが「また同じことがありそうで怖い。復縁は考えられない」。

山路は「優しいウソ」のつもりで真相を敢えて伏せていたそうだが、そのことが結果的に大桃を傷つけていたようだ。知らない所で二股かけられ、本当の理由も知らされずに離婚を求められたと後で分かったら、そりゃショックだろうね┐(´~`;)┌

でも大桃は一連のツイッター騒動で注目度が飛躍的にアップした。オファーが激減した麻木に代わり、バラエティやイベントに出まくっている。山路にしても、色モノ扱いではあるけどやはり知名度が大幅に高まり、バラエティへの出演機会が増えた。

割を食ったのは麻木ひとり。先週は紳助の『行列ができる法律相談所』に久々にゲスト出演していたが、不倫騒動については一言も触れなかった。まあ、何を言っても叩かれまくる恐れがあるから、何もコメント出来ないんだろうけど…。「不倫略奪婚した女」というレッテルは簡単には剥がれそうにないな(>ε<)

ツイッター騒動と同じ頃、芸能マスコミで話題になっていたのが、海老蔵への暴行事件。この時、記者会見に臨んだ海老蔵が記者から「もし事件が起きた当日に戻れたとしたら、自分に対してどんなアドバイスをしますか?」という質問に対し、「出掛けるのをやめなさい」と答えたのは有名な話。
『たかじん~』では、この時の海老蔵の答えをもじって、大桃に短歌を詠んでもらっていた。その短歌が

「あの時に 戻れるならば伝えたい 呟くことを やめなさい」

大桃は、やっぱりツイッターで不倫を暴露したことを後悔しているのかあ…と思ったが、司会のやしきたかじんが「もしツイッターというものがなかったとしたら、どうしましたか?」という質問には

「そしたらブログというものもあるし…」

って、全然懲りてないッ! もしかしてツイッターへの書き込みは、大騒ぎになることを見越した確信犯じゃないの~?