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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

サンバチームでクリスマス

2007-12-24 | サンバ
 クリスマス前に、モシダージ・アレグレの練習に行きました。このチームは昨年の優勝チーム。我々が13年前に初めて参加したときは、一部リーグから落ちそうな弱小チームだったのが、ここ数年ずっと上昇中で、2004年も2007年も優勝しています。

 ここ何年もクリスマスの時期には、モシダージの練習に参加していなかったのですが、今年は再びサンパウロに舞い戻って来たので、久々にクリスマス前の練習に出ました。

 その温かかったこと。練習の後に、キリストの誕生を再現した役者たちがステージに立ち、聖なる歌を歌い、シャンパンを開け、みんなで乾杯をし、「フェリス・ナタウ!」(メリークリスマス)と抱き合い、そしてバテリア(打楽器隊)に合わせてサンバを踊りました。

 サンバチームからは、一人ひとりにこんなクリスマスカードが贈られました。

「私たちモシダージは、今年一年、一緒によく頑張り、勝利をおさめました。来年も共に楽しく明るい家族をモシダージで築き、いい年にしましょう!」

 何とも、心温まる一文でした。
 
 サンバチームで感じるのは、人と人のつながり、一つの共同体である、ということです。

 このブログを読んでくれた方々にも、フェリス・ナタウ!(メリークリスマス)
 
 

 
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サンバは夜が遅い

2007-12-20 | サンバ
サンバの練習は楽しいのですが、夜が遅いのが考えものです。車がない我々は、いつも終バスの時間を気にしながら練習に出ています。自分らが出入りしているチームは、すべて遠く、バスを乗り継いで、1時間から1時間半、雨が降ると、渋滞で片道2時間かかる所もあります。

 先日、10歳の息子と2人で、サントスFCの応援団のサンバの練習に行ったときのこと。私は打楽器隊の前で、チーム、ナンバー2のダンサーとして、気合いを入れながら踊っているというのに、打楽器隊から抜け出して来た息子が、自分の腕時計を指して「お母さん、急いで帰らないとバスがなくなるよ!」と言ってくるのです。
 打楽器隊の前で踊っている人に近寄って、気やすく話しかけるというのは、ありえない行為です。隣で踊っているハイーニャ(女王)の冷ややかな視線を感じながらも、息子に「まだ、大丈夫だから、ここに来ないで」とその場をしのぎました。

 案の定、その日は、終バスになりました。家までバス2本を乗り継いで帰るのですが、1本目のバスの中で、息子はぐっすりと眠りました。乗り換えのバスターミナルは、すでに最終バスが出たところも多く、人もまばらです。3カ月ほど前には、このバスターミナルで深夜、パンク少年が売店の店員さんを刺し殺した、という治安の悪い場所です。
 自分のひざの上で熟睡している息子を見ながら、こんなところで、一体全体、私は何をしているのか・・・と自問自答してしまいました。

 しかし、深夜までの練習がなくては、サンバは語れないのがつらいところです。次回の練習は午前4時までです。今度は、終バスではなく、始バスになってしまいます。カーニバルまで、あと1カ月余。息子の機嫌をうかがいつつも、この練習期間を十分に満喫したいものです。
 
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カーニバルNHK取材

2007-12-16 | サンバ
 先週まで、「沖縄」をテーマとして来年のパレードを行う、サンパウロのサンバチーム、プローバ・ジ・フォーゴにNHKの取材が日本から来ていました。
 この取材は、11月の我々の沖縄サンバカーニバルにも来てくれていたのですが、ず~っと張り付いてカメラを回しているので、ちょっと戸惑います。プローバの人たちも、非常にやりにくそうで、笑ってしまいました。

 NHKの取材班は、水、金、水、金と4回続けてプローバの練習に来たのですが、まずいつもと違うのは、うす暗い練習場の周囲にカメラ用の照明がついたので、突然、とても明るい練習場になりました。
 ふだんの練習には、ヨレヨレのTシャツで来ているバテリア(打楽器隊)の兄ちゃんたちも、なぜかこの4日間は、カラフルなシャツで来ていたりしていました。

 バテリアのメストレ(指揮者)も歌手もドアップで撮られるものだから、調子が狂うようで、苦笑いをしながらやっていました。

 傑作だったのは、打楽器隊の隊長(指揮者)が「今日の練習は、オレがいる2年間で最悪な練習だ!」とゲキを飛ばしたとたん、カメラが隊長に急接近して、隊長をドアップで映しました。隊長は「私に近づかないさい」と困ったようにカメラマンに話していました。怒られていた打楽器隊のメンバーも思わず、クスクス笑っていました。

 先日の練習は、久々にテレビの撮影なしの練習でした。いつもの薄暗~い練習に戻り、みんな妙に安心して、伸び伸びと叩いていたかのように見えました。私も気兼ねなく、踊ることができました。

 カーニバル直前の1月末には、再びNHKの取材班がプローヴァの撮影に来てくれるそうなのですが、またみんな、緊張するのかと思うと、ちょっと気の毒なようにも思います。

 
 
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カーニバルCD 発売記念フェスタ

2007-12-10 | サンバ
 先日、サンパウロのカーニバル2008年のCD発売記念フェスタが、市内有数の大きなサンバチーム、「ホーザス・ジ・オウロ」で行われました。
 何しろ、初めて、私たちオ・ペイシで選曲会に参加し、その曲が優勝し、今回のCDに収録されたのですから、こんなに嬉しいことはありません。
 サンパウロの上位22チームのサンバがCD2枚に録音され、その中に、沖縄をテーマとした私たちの曲が入っているという、恐らく我々のサンバ生涯、これほど名誉なことはないと思います。

 CD発売記念フェスタでは、22チームすべてが、新しい曲を発表し、正式にサンバ協会に曲を公表する、というオフィシャルな行事です。この記念すべきイベントに自分がどう出場するか、というのも色々苦労がありました。
 
 22チームもあるのですから、各チームのパフォーマンスはコンパクトでなくてはならず、大人数で出場することはできません。打楽器隊(バテリア)は、各チーム6名、と限定されていました。打楽器隊の前で踊る女の子も女王(ハイーニャ)のみと言われ、今年初めてこのチーム「プローバ」に加わった自分は出ることができないかと、あきらめかけていました。
  
 それでもチームの会長に「出ていいですか?」とダメもとで聞いてみたところ、「あんたならいいよ」と快くOKがもらえました。しかし、それからが大変です。気軽に選曲会のときの衣装でいいかと思っていたら、「羽根つきのサンバ衣装で出ること」と会長に言われてしまいました。

 これが、イベント2日前のことです。大急ぎで、オ・ペイシの売り物用の衣装やパーツを集め、自分の衣装制作に取りかかりました。といっても、徹夜で苦労したのは、夫の方でありますが。

 このCD発売記念フェスタの日は、小学生の息子の劇の発表の日でもありました。劇場に大きなサンバ衣装を見えないように黒いビニールに包んで持って行ったのですが、息子の友達の親戚の人にまで「ルーカスのお母さん、カーニバルにはまだ早いんじゃないの」と大ばれで、冷やかされていました。
 親子共々、大舞台を踏んだ1日でした。

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