ブラジルマニア 名古屋サンバ 沖縄サンバ

沖縄サンバカーニバルと名古屋サンバカーニバルに向けた情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを目指しています。

オリンピックサンバ

2016-08-05 | ブラジル
 ブラジル リオ・デ・ジャネイロでオリンピックがいよいよ開幕を迎えます。
 2016年は、オリンピック開催でサンバ熱が高まり、特に最近は、サンバ出演の依頼がどっと増えています。

 思えば、年明けと共に、名古屋の地元紙、中日新聞でも私たちオ・ペイシ・キ・ヒのサンバを取り上げていただき、サンバダンサーの記事を掲載してくれました。

 このブログで掲載記事をまだ紹介していなかったので、ここに貼っておきます。

 オリンピック開催のお陰で、ふだんはブラジルにはあまり関係がない方々にも、サンバがぐっと身近にせまったのでは、と思います。
 
 オリンピックにサンバという競技があっても、いいくらいだと思います。(笑)

 さぁ、リオオリンピック、サンバと共に楽しみましょう!
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ブラジル人にとってのフェンシング

2011-05-08 | ブラジル
 サンバの話ばかりでしたが、今日は全く毛色の違う話を。
 夫婦共々サンバにどっぷりつかっている家庭で育った我が家の息子ですが、中学生になったらゴーイング・マイ・ウェイとなり、サンバ以外に自分の好きなことを見つけました。
 学校の放課後のレッスンで始めたフェンシング。なぜまたフェンシング? と思うのですが、ブラジル人にとってのフェンシングは、もしかすると、私たち日本人にとってのサンバなのかもしれません。つまり、自分の国にはない文化に興味を持ってやっているわけです。

 先日、その大会がある、というのでサンパウロ市内のスポーツクラブに観戦に行ってきました。電気が通るコードを体につけた状態で戦う、ということを生まれて初めて知りました。勝負が即決で出て、子供でも、なかなか見ごたえがありました。

 日本人の子供たちが、異文化のサンバを頑張ってやっているように、ブラジルの子供たちも、「アレ!(行け)」というフランス語の掛け声で、フェンシングをやっていて、微笑ましくもありました。

 前回の北京オリンピックでは、フェンシングの日本人の銅メダリストが出たそうで、フェンシング、結構、面白いのかもしれません。
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物が上手く売れるビジネストーク

2010-06-26 | ブラジル
 ワールドカップのシーズン中ですが、私が愛用しているサンパウロのバスの中で、面白い場面に出くわしたので、書いておきます。
 
 市内でもちょっと遠くまで行くバスには、よく「物売り」が乗ってきます。大抵は男の人で、バス代も払わず、運転手さんに頼んで乗り込んで来ては、乗客全員のひざの上に有無を言わさず、キャンディーやチョコレートを置きます。

 ここからが勝負。物売りの兄ちゃんは、「スピーチ」をするのです。
 「このキャンディー、おいしよ! 1つで50センターボ、3つで1ヘアウ、家で待っている奥さんに、だんなさんに、子供に、お母さんに買ってってちょうだいな!」

 人を引き付ける話し方をする人は、1台のバスで3、4人のお客さんが買って行ってくれます。

 この前の人は、「このチョコレートを買うと、バスの移動も楽しくなりますよ~」と、よくあるスピーチをしていたのですが、私の前を通ったとき、「外人」と見極めたのかどうか、突然、英語でこんな話をしました。

 
 「ユー ハブ マニー、アイ ハブ チョコレート
  アイ ドント ハブ マニー
  ソー バイ ジス チョコレート!」

 私の隣に座っていた、おばさんは、クスッと吹き出し、「彼の英語は、みんな合っている」と、関心をしていました。
 私も思わず、彼の巧みなスピーチに笑ってしまいました。

 ビジネストークは、こうでなければ、いけないのでしょうね。今度、彼がバスに乗ってきたら、チョコレートを買おうと思います。(笑)

  
 
 
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多すぎる若い死

2010-04-07 | ブラジル
 2回続けて悲しい話を書くことになってしまいました。
 私が所属しているサンバチームのアーラ(グループ)のリーダー、ジュニオが火事で亡くなった日は、もう一つのサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンの前会長がバイクの事故で亡くなって1週間、初七日のミサの日でした。

 前会長は、2年前、このブログでも書きましたが、前ハイーニャ(サンバ・クィーン)が急病で亡くなったとき、途方に暮れてクアドラ(練習場)へ行った私をお通夜の会場まで車で連れて行ってくれた人です。

 超コワモテで、筋肉モリモリの前会長(当時は会長)は、正にサッカー応援団の「顔」で、怖くて近寄りがたい人でした。でも、ハイーニャのお通夜で初めて話をして、実は優しい人なのだと知りました。

 ハイーニャの棺までサンバチームの団旗を持って行き、ハイーニャのお父さんで、我々のバテリア(打楽器隊)のメストレ(指揮者)に、チームの代表として話をしに行った前会長。この人が、トラックと衝突して、彼自身が亡くなってしまうとは、本当に信じられないことでした。

 今日は前会長の初七日か、と夜道を考え深く歩いて帰って来た直後。夫が「アキ、ショックな話がある。ジュニオが亡くなった」と言いました。
 私は世の中、何が起きているのか理解できませんでした。

 30代のマッチョな兄ちゃんが1週間立て続けに不慮の事故で亡くなる。しかも、どちらも私たちのサンバチームの超重要人物。
 考えてみれば、ハイーニャも18歳で亡くなり、その前の年には、ジョーベンのバテリアのメンバーが、フェスタの帰り、クアドラの前の幹線道路を渡る途中、車にひかれて即死でした。他にも若くして病死した人たちがいます。

 日本でこんなに若い人がたくさん亡くなることがあるでしょうか。
 ふと、いつか沖縄で同じ感情を抱いたことを思い出しました。沖縄では、近所の人や、お店の常連さんだった人までが自殺で亡くなっていました。このブログにも「多すぎる自殺」というタイトルで書いたことがあったように思います。

 サンパウロでは事故や病気で若い人が亡くなり、沖縄では自殺で亡くなっていく。
 どちらも本当に悲しいことで、ただただ、冥福を祈るのみです。

 (写真は、前会長が愛したサントスFC応援団、ジョーベン)
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アングラ・ドス・ヘイス 大雨被害

2010-01-04 | ブラジル
 2010年 明けましておめでとうございます。
 初夢は、いきなり、沖縄サンバカーニバル 2010年に向けてのミーティング、というなんだか現実味たっぷりの夢でした。

 この年末年始、リオ・デ・ジャネイロ州の3つの町を家族で旅行してきました。

 最初の場所は、アングラ・ドス・ヘイス。小さな島々がきれいに見えるリゾート地で、泊まった宿の扉を開けて、20歩も歩くとサブ~ンと海に飛び込むことができ、久しぶりにビーチの生活に憧れを持ちました。

 ボートでの島めぐりも楽しく、離島ごと別荘になっている家を見ては、将来は小さな島を買いたい、と真剣に考えたほどでした。

 この町を離れて6日後。リオのホテルで信じられないニュースを目にしました。連日の大雨で、アングラ・ドス・ヘイスで土砂崩れが起き、家やホテルごと流され、49人が亡くなったというのです。

 私たちが島めぐりで昼食を食べるのに立ち寄った島では、年越しの深夜、ホテルが流され、私たちのように観光で宿泊していた夫婦や小さな子供たちが犠牲者となっていました。

 雨が降り始めるのが、1週間早かったら、私たちが泊まった宿が土砂崩れになったかもしれない、と考えると、恐ろしくなりました。

 亡くなった方々のご冥福を祈ると共に、美しい自然の脅威も認識せざるを得ませんでした。
 町の復旧がこれから大変です。
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カポエイラ洗礼式

2009-12-10 | ブラジル
サンバの練習の合間をぬって、カポエイラの洗礼式、バチズモに初めて参加してきました。自分のいるチームの本家本元の行事で、サンパウロから車で2時間のスポーツセンターでありました。

 自分がコルダン(ベルト)を受け取る洗礼式は、よりによって、サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーベンの結成40周年のフェスタと重なり、私は欠席してしまいました。
 洗礼式を休んで、先生にはさんざん怒られ、、大ひんしゅくを買ったのに、次の練習でベルトをちゃっかりもらってしまった私。それだけに、今回は道義的にも是非とも参加すべき行事でした。

 今回の洗礼式の一番の目玉は、我々の先生が、「プロフェッソール」(指導者)から「コントラ・メストレ」という、カポエイラの世界で一番格が上の「メストレ」(師匠)の一歩手前の地位に昇進したことです。
 私たちサンパウロのメンバーは、新しい青と白の混合のベルトを受け取った先生に、思い切り大きな拍手を送りました。

 この洗礼式で私が何よりも驚いたのは、カポエイラのすそ野の広さです。4時間にわたり、生徒や先生クラスの人たちが次々に戦ったあとに、ベルトを巻く儀式が行われるのですが、そこには、幼稚園にもまだ入っていないちびっ子の姿がたくさんいるのです。
 ベルトは、それぞれのお母さんやお父さんが巻いてくれるのですが、家族のほほえましい光景がありました。

 カポエイラは、筋肉盛り盛りの兄ちゃんだけのものではありません。こんな小さいうちから、年数を重ねて、少しずつ立派なカポエリスタになっていくわけですね。

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カポエイラかサンバか 1

2009-10-12 | ブラジル
 先日、恐れ多くもカポエイラの昇段試験を受けました。後発の私は、一緒に練習している仲間のなかで、一番下手。それでも力試しに、と受けてみました。
 昇段試験のために、ふだん、私たちを教えてくれている先生の師匠、メストレが、サントスからサンパウロにやってきました。

 このメストレの怖いことといったら、ありません。昇段試験は1人ずつで、メストレが言う20種類ほどの技を次々に、やります。この技の名前となかみを覚えるのは、カポエイラの動きに不慣れな私にとってなかなか、大変なことでした。
 ビデオを見ながら、家で汗だくになって覚えたものです。

 昇段試験の当日、私の出番は1番目で、これはこれは緊張しました。技は自分では大きな失敗はなく、何とかやることができました。

 しかし、問題は口頭試問。これは、たじたじでした。何より、メストレの質問の仕方が怖すぎて、それだけで圧倒されてしまいます。ななめに見て、こちらをにらみながら「カポエイラ」というのですが、これは、カポエイラの語源を説明しなさい、という意味なのです。

 ただでさえ下手なポルトガル語が、緊張で頭の中でくるくる回って、口から出てくる言葉は、めちゃくちゃです。
 このメストレは実はやさしい人だと、前に会ったときに知っていたから良かったものの、そうでなければ、私はその場で泣き出していたと思うほどの緊張感でした。その後の質問は、ほとんど答えられませんでした。

 そしてホーダ。これは、もう、カポエイラをやっていく根性を試されているようなものです。七転八起とは、まさにこのこと。
 何度、転ばされても立ち向かっていかなくてはなりません。メストレ相手に、ふだんの練習以上に体力を消耗し、へとへとでした。
 先生によると、この昇段試験で、緊張のあまり、気分が悪くなって、吐いた人もいたそうです。

 この昇段試験は、4時間半にもおよびました。試験を経て、次に行われるのが、バチズモ、洗礼式です。この洗礼式で、腰に巻く帯、コルダンが渡されます。

 洗礼式の日程は、私の愛するサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンの40周年記念のイベントとばっちり重なってしまいました。
 カポエイラかサンバか。私は、この選択に悩まされる日々を送ることとなりました。

 
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ブラジルカルチャー オタク

2009-07-24 | ブラジル
 サンバ、サッカー応援、カポエイラ、カバキーニョ
 私が現在はまっているブラジルカルチャーです。
 
 18年前からやっているサンバのダンスは別として、サッカーや、カポエイラ、カバキーニョ、バテリア(サンバの打楽器)、これら全てを極めるのは、無理があります。

 それでも、どれも本当に面白いので、かなり夢中でやっています。

 先週は、土曜日に2度、サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーベンでバテリア(打楽器隊)の練習があり、2コマとも参加しました。
 楽器の叩き方を知ると、踊るときの微妙なタイミングがつかめます。
 
 翌日は、再びジョーベンへ行き、1人で応援団のバスに乗り込み、対サンパウロ戦の試合へ。

 ただでさえ女が極端に少ないところなのに、女1人で行くのは、結構、珍しいことなのですが、ジョーベンの元気あふれる応援には、いつもワクワクしてしまうのです。試合から4日たった今日も、口ずさむのは、ジョーベンの応援歌です。

 カポエイラは毎回、すごい運動量なので、へトヘトになるのですが、あのリズムで体を動かすのは、何とも気持ちがいいのです。
 初めてわずか4カ月ですが、週3回の練習は、まだ一度も休んでいません。
 早く上手くなりたくて、頑張って練習しています。
 いつの日か、宙返りができるようになりたいと思っています。(笑)

 カバキーニョは、ウクレレのようなサンバの楽器ですが、これも練習あるのみです。しっとりとしたショーロやサンバの課題曲を習っていて、とりあえず毎日1時間は練習しようと心がけています。早いカーニバルの曲が弾けるようになりたい、というのが目標です。
 
 サンバ、カポエイラ、サッカー応援。
 この3つのブラジルカルチャーの共通点を見つけました。
 それは、拍手、歌、そして汗です。

 ブラジルカルチャー オタクとしては、できる限り、それぞれを掘り下げて知りたいところです。
 
  
 
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カポエイラ始めました

2009-04-22 | ブラジル
 長年やりたいと思っていたカポエイラを始めました。敏速なカポエイラの動きはサンバにも役立つはずですし、ブラジルの芸術という面で、サンバと通じるものがあります。

 この年で始めて、どこまでできるようになるか、わかりませんが、まあ頑張ってみたいです。

 側転の練習をしているのですが、足が伸びているかどうか、自分ではわからないので、息子にイビラプエラ公園で写真を撮ってもらいました。

 骨折でもしないように気をつけながらやりたいと思います。
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アハスタォン 集団強盗

2009-03-15 | ブラジル
 アハスタォンといっても、沖縄サンバカーニバルに助っ人出場してくれている東京のサンバチームのことでは、ありません。最近、サンパウロ市内で、よく発生している集団強盗のことです。

 先週土曜日の夜、市内2カ所のマンションにアハスタォンが入りました。手当たり次第、各戸に入り、現金や宝石などを奪っていくのです。
 
 そのうち1つは、日本人駐在員が多く住む、パライーゾ地区の高級マンション。11人もの武装強盗が入り、住民を人質にして、1つ目の部屋に入りました。
 幸いガードマンが即、アラームを押すことができ、警察がすぐに駆けつけたのですが、暗いマンションの周囲で、強盗と警察が撃ち合いになりました。

 私は報道の仕方に非常に驚いたのですが、テレビも新聞も、11人中9人をその場で即、逮捕した警官のヒーロー物語にしていました。
 また1人目の人質になった男性も「相手はプロの強盗だが、自分はプロの人質だ」と冷静に強盗の要求に応えたことを自慢気に語っているのです。
 
 サンパウロは、こんな恐ろしい事件が1晩に2件も起きる町である、ということが論点ではなく、強盗をすばやく適切に対処した、めでたい話になっていました。
 
 一歩間違えば、アパート全室、強盗の被害にあっており、まったくもって恐ろしいことだと思うのですが、近所の人たちも、このドンパチをビデオ撮影したり、逮捕劇に拍手を送ったりしていました。

 治安は最悪である、ということを大前提にみんな生活しているんでしょうね。
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