ホリスティックライフ in 世田谷

都会の中の田舎に住み、ウキウキ、ワクワク楽しく暮らす。
キーワードは、ホリスティックライフ。

16世紀の切支丹

2005-09-19 19:19:58 | 日記
昨日の続きです。
1582年に天正遣欧少年使節の4人が日本を旅立ちました。
伊東マンショ、中浦ジュリアン、千々石ミゲル、原マルチノの4人です。
歴史の教科書に伊東マンショの顔がよく出ているので、ああ、と思う人が
いるかもしれません。
それにしても、どんな気持ちで旅立ったのでしょうか。

長い長い船旅の末、ポルトガルのリスボンに着いたのは1584年。
ローマ法王にも歓待されたそうで、一応の大役を果たすことができました。
その後、ゴアを経由して、1590年に帰国。

あまり知られていないことですが、彼らが持ち帰ったものの中に、
活版印刷機があります。出版社の元祖、と言えるかもしれませんね。
西洋楽器も持ち帰り、秀吉の前で演奏し、秀吉はたいそう気に入った、
という記録も残っています。

それにしても、その後、禁教の嵐が吹き荒れ、4人の少年たちは
それぞれ数奇な運命をたどりました。
中浦ジュリアンは、壮絶な拷問を受け殉教。
原マルチノはマカオに追放され、マカオで死亡。
伊東マンショもその後、布教を続けました。
一方、千々石ミゲルは棄教。その胸のうちはどんなものだったか
興味があります。

切支丹の里を訪ねる旅、ザビエルの足跡をたどる旅で
島原半島にある千々石という町へ行ったことがあります。
一応、千々石ミゲルの像が立っていました。

あ~、マニアックな世界に入ってきました。今日はここまで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする