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BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

蒼穹のファフナー BEHIND THE LINE 感想

2023-07-23 18:47:55 | ファフナー
無印とEXODUSの間のエピソード。

まだ甲陽とか操が合流する前の話。

このときすでに一騎は「あと4年」って余命宣告されていたのか。

でも、結局、一騎は生き残って?、余命宣告した遠見先生のほうが死んでしまうのだから、運命って酷い。

カノンとかアキラとか、いろいろと見ていてつらい。

にしても、このBEHIND THE LINEをみると、この後に続くEXODUSの完成度が高すぎることに再度気付かされて、BEYONDってホント、何だったんだろう?って改めて思ってしまう。

今どきは、平行世界の異なる時間線の話をしても全然オッケーな空気はあるから、なんだったら、EXODUSのあとでBEYONDではない世界の話をつくって、延々とファフナー、やってくれてもいいよ、って思った。

てか、わざわざBEHIND THE LINEで、過去話をしてまでシリーズの命脈を保とうとするのだから、真面目に、別世界線のEXODUS後のシリーズやってほしいけどなぁ。

それくらいBEYONDってどうでもいい話になってしまった。

BEYOND失敗の戦犯は多分、3人にいて、

ひとり目は間違いなく子総士で、このウザさはひどかったし、なにも美羽のパートナーを子総士にする必要はなかったよ。

二人目は物語のジョーカー役だったマリスで、これは前にも書いたように、とにかくこいつの子総士争奪の理由が、美羽をアルタイルに渡さないため、というウルトラ個人的理由だったのにはマジで呆れたからなぁ。

ていうか、やっぱり斉藤壮馬がCVやるキャラにはろくなやつがいない、というのを再確認した。あの声、気持ち悪いんだよね、なんかぬめっとしててw

で、三人目は脚本の冲方丁で、あきらかにかつてのキレがなくなって、無難なところでまとめるようなシナリオしか書かなくなった。

って、別にそれはファフナーに限った話ではなくて、サイコパスの方のシナリオも酷いからね。

ということで、このあたりを全部取り替えて、別世界線のEXODUS後、描いてくれないかなぁ。

BEHIND THE LINEを見てノスタルジアに浸るのはやっぱり嫌なんだよね。

てか、そもそもファフナーっぽくないじゃん。

迫りくる苦難に立ち向かうからこその、北欧神話ベースのファフナーだったんじゃないの?って本気で思うよ。

そういう意味では、冲方丁がブレブレなんだろうな、もはや。

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蒼穹のファフナー THE BEYOND 第10話、第11話、第12話 感想: これ全然ビヨンドじゃないじゃん!と思ったのは自分だけなのかな?

2022-03-17 15:54:27 | ファフナー
ようやくビヨンドの最後の3作を見た。

第10話『嵐、来たりて』、第11話『英雄、二人』、第12話『蒼穹の彼方』の感想ね。

で、見終わった後の印象を先に書いてしまうと、うーん、これは蛇足だったかなぁ、というものだった。

EXODUSまで見てきたものからすると、なんかうまくはぐらかされてしまったなぁ、という印象が拭えなかった。

これならビヨンドしなくてもよかったんじゃないの?といったら身も蓋もないのだけどw

なにがひどいかって、だって、ビヨンドっていっても、何かを「超える」わけではなく、単にこれまでのファフナーの世界を「反転」しただけで終わっただけだったから。

しかも、反転した世界は、これまでの世界よりもいい世界になった、といわんばかりの幕引きだったので。

さらに、その反転の役割を、大した説明もなく担わされたのが、子総士だったというのがねー。

いやまぁ、総士の生まれ変わりなのだから、EXODUSまでのファフナーの歴史を一応踏まえた上でちゃぶ台返ししても、許されるよね、という構造がミエミエなのもね。

しかも、最後で、というか、11話で判明したように、BEYONDの一連の騒動の出発点にあったマリスの反乱というか裏切りというのが、実は美羽が将来アルタイルに同化されるのが嫌だったから、という、極めて子どもっぽい理由からだったのだから。

なんていうか、小学生の低学年の子が、幼馴染で妹みたいに感じていた子が、将来、神様に捧げられて人柱にされるのが嫌だったから、ということなわけで。

要は、マリスがアルタイルに嫉妬したわけでしょ?

でも、そのマリスの恋心が結局、BEYONDの騒動を生み出してしまったわけで。

どんなセカイ系だよwって思ってしまったよ。

その結果、千鶴ママを失ってしまった美羽ちゃん、超かわいそうじゃん。

真壁父にしたら、とんだとばっちりだよね?

で、さらにいえば、その美羽の運命を変えたのが、今までのこと全部否定してやるマン!の子総士だったというオチw

なんだかなー。

こんなことなら、操が、とっとと美羽を食っちゃっておけばよかったんだよw(同化のことねw)

(操が死んでも、羽佐間家のパイロットの呪いで済んでしまうのもひどい話だけどw)

要は、神様=アルタイルに捧げられる美羽をめぐる痴話喧嘩だったということ。

ていうか、美羽をかぐや姫に見立てた竹取物語だった、ってことだよね。

実際、竜宮島の新たなコアは輝夜と朔夜だったわけでw

彼らの名前バレが、そのままBEYONDのネタバレだったというオチ。

なんだかなーw

いやもう呆れつつ笑うしかないw


で、そうしたBEYOND竹取物語でファフナーの物語に決着をつけてしまったので、EXODUSで主題になっていたはずの「存在と無の境界」の話もどこかに吹き飛んでしまったw

まぁ、それまで「存在と無」の、ザインとニヒトしかなかったザルヴァートル・モデルが、EXODUSの終盤ですでに「レゾン(理由)」なんて機体が登場した時点ではぐらかされてしまったわけだけどねw

で、BEYONDでは、一騎のいわば主人公機のパワーアップイベントによって「アレス(全能)」なんて機体まで登場しちゃったから、もうなにをかいわんや、なんだけど。

その全能のアレスによって、やっぱり一騎が主人公なんだな!って思わせておいて、最後は、その一騎に負けたくないだけの「真壁一騎を倒したマン」の称号を得たかっただけの無邪気な子総士に、主人公を持っていかれてしまうのだから・・・

おいおい、それはないだろう、と。

もともとそうだったけど、ザルヴァートル・モデルが登場者の意志に応えるように意味不明なパワーアップをしていく理由も、完全にブラックボックス化されたまま、終わってしまったw

なにがいいたいかというと、最終的な終着点からそれまでを振り返れば、BEYONDって結構、構成がめちゃくちゃだった、っていうこと。

むしろ、EXODUSのところまでで、もったいつけて語ってきてしまったファフナー世界の理(ことわり)について、創作者の側が決着を着けるのにさじを投げてしまった結果、主人公をすげ替えて、なんとなく有耶無耶にしてとりあえずシリーズとしては完結させてしまった、というだけの代物だった、ってことかなと。

一応、世代交代によって運命は変えられる、
人間もフェストゥムも進化できる、
異種交配は可能性の宝庫だ、

とかいって、物語は巧くたたまれた、という説明も可能だけどね。。。

でもなぁ。

最後の何がひどいかって、一騎がこれから行う世界を見て回る旅の同行者が、真矢ではなく甲洋だった、というオチでしょw

いや、それは真矢、行かせてやれよ、冲方丁!ってマジで思ったよ。

そこで禁欲しても仕方ないじゃん。

もちろん、もはや一騎も甲洋と同じ、心は人間、身体はフェストゥムというハイブリッド人間だから、真性の人間の真矢とは、人生をともに歩むことはできないのだろうけどさ。

でも、それだって、最後に、アルタイルのコアをばらして人びとの分け与えることで、たとえば真矢の目のフェストゥム化を癒やしたように、何らかの効果が一騎にも起こった、とかいっておけばなんとかなったんだと思うよ。

今回、白髪で復活した芹にしても、人間だけど「死なない」らしいから。

きっと、真矢もそっち側になる可能性もあったんじゃないかなぁ、と。


ともあれ、BEYONDで子総士が登場したのって、擬似的には、子総士が一騎と真矢の子どもがいたら、というIFに応えるための、無理矢理の設定だったと思うんだよね。

ファフナーの世界では、すでに人間は自然生殖が不可能になっていて、事実上、みな試験管ベビーとして生まれるしかなかったわけで。

だからこそ、自然出産で生まれた美羽が神子扱いされたわけで。

そういう設定があればこその、美羽と子総士のセカイ系オチだったとは思うのだが。

にしてもなぁ。。。

なんていうか、結局、BEYONDって尺でいったら、全12話だから1クール分でしょ?

なら、素直にEXODUSがあと1クール分あればよかっただけなんじゃない?って思っちゃうんだよね。

で、あのときの熱量のまま、真壁一騎と(オリジナルの)皆城総士の話として、美羽とアルタイルのことまでやっていればよかったのになぁ、と思う。

やっぱり、シリーズの終盤での主人公交代は、作劇的には逃げに見えるから。

まぁそれもあって、総士の転生体の登場で、そうした批判の矛先をずらしたのだろうけど。

転生体やコピー体が、それこそ双子がそれぞれ独立の人格を持つように、オリジナルとは異なる人格を持つ、というのは、それだけでも深いテーマなので、そのあたりをカバーするのに、子総士という存在を持ち出したのは面白い試みではあったのだけど。

ただいかんせん、子総士が逆張りにすぎた。

もう少しニヒトを介してオリジナルの総士と対話する過程が描かれていれば、そうした不満も減ったのかもしれないけれど。

ただ、それだと、やっぱり2クール分必要になるんだよなぁ。

それ専用のエピソードを用意しないといけないから。

でも、結局のところ、ファフナーの物語とは皆城総士の物語だった、としたかったのなら、そこは外せなかったと思うのだけどね。

EXODUSのときのナレーションで、すでにオリジナルの総士が遠からず消失する存在だったことは、シナリオ的にも明確に位置づけていたわけだから、それにちゃんと応えてほしかった、ということ。


うーん、やっぱり、結末がしっくりこないから、いろいろと考えちゃうんだよなぁ。

また機会を改めて、多分、BEYONDをもう一度見直してから、もう少し何か書くかも。

あーでも、それって、結局、ファフナー論になっちゃうかもなぁw

だってこのままだと、BEYONDって、ただの、セカイ系のロボットアニメだったことになるから。

でもそれって、もともと無印のファフナーが否定していたものだったはずなんだけどねぇ。。。

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蒼穹のファフナー THE BEYOND 第7話、第8話、第9話 感想

2021-03-07 17:47:04 | ファフナー
さすがに間が空きすぎて、前がどうだったか、忘れていたところもあったけど、見始めて、あ、そうか、第6話の最後で遠見先生が消えたんだ、ということを思い出した。

そこから先は、そんなに抵抗なく、見れたわけだけど。

で、どう考えても今回の3話の見どころは、一騎のファフナーが、自力でザルヴァトールモデルのマーク・アレスに進化したことと、それを見て、闘争心を燃やした、子・総士が、真似をしてマーク・ニヒトを、マーク・アレスのように進化させたこと、だよね。

もちろん、それはそれでなんか絵的にすごくて、見入ってしまう場面ではあったのだけど。

特に、マーク・アレス誕生の場面は。

ただ、このパワーアップ?が何を意味しているのか、今ひとつわからないことがある。

というか、ファフナーって、こんな、パワーインフレしていく物語だったっけ?というのが素朴な疑問。

総士が別の個体になったところからして、このTHE BEYONDって、どうもEXODUSまでの物語を受けて、ファンが作った二次創作、って感じが否めないんだよね。

いや、スタッフを見たら、そんなはずないことは、明らかなんだけど。

でも、なんで、いま、こんな戦いに巻き込まれているんだっけ?という、素朴な疑問が拭えないんだよね。

それは、もちろん、マリスがどうして島を抜け出したのか、その理由がずっと語られずじまいだからなのだけど。

でも、ここまでひたすら戦闘だけが続くのだと、マリスの造反理由をここまで隠してきているのは悪手だと思う。

製作側としては、いや、なんで襲われているのか、わからないのは、無印やEXODUSのときも同じじゃない、って言うかもしれないけれど、

でも、あのときは、襲撃者はフェストゥムで、彼らとは基本的にコミュニケートできないから、説明がないまま進んでもおかしくはなかったのだけど。

でも、今回は、マリスのように、ちゃんとコミュニケートできる相手がいるからね。

彼の動機を明らかにしないことにストレスを感じてしまう。

その一方で、ファフナーのパイロットも、一騎や真矢のような古参組と、零央や美三香のような中堅組がいて、そこに美羽と総士の新人組が加わるから、世代的に三層構造になっていて、どうしてもコミュニケーションの断絶の方が目立ってしまう。

だから、その分、話のテンポももたもたしてしまう。

というか、大して進まない。

しかも、一騎と真矢は、甲洋や操を含めて、全員が寡黙なため、肝心なことをちゃんと話そうともしない。

その結果、時間が経過すると、また次の戦闘が始まる、という展開が続くことになる。

そんな中で、マーク・アレス爆誕!のような主役ロボのパワーアップが挟み込まれると、唐突感しか与えない。


というわけで、いろいろ戦っていて大変なことはわかるし、龍宮島の大人たちと美羽や総士たちとの間の断絶が生じるのもわかるけど、もうちょっと物語の「書き込み」、なんとかならなかったのかな、と思う。

端的に、これ、ファフナーじゃないよね?と感じちゃうんだよね。

せめて、フェストゥムとのやりとりとか、アルタイルとの交信とか、あると、もう少しはわかりやすくなるのだけど。

対話を求めて戦っていたはずの物語だったはずなのに、あまりにも対話がなさすぎ。

これ、やっぱり尺が圧倒的に足りないんだろうな。

本当は2クールかけてやるべきところを1クール分しか予算がなかった、ってところなんじゃないかな。

EXODUSまでにあった、一騎と総士の二人による「フェストゥムとの対話」の実現、という大きな掛け金が跡形もないので、一体、どこを見て話を追いかけていいのか、わからない。

終盤になったら、少しは明らかになると思っていたのだけど、どうやらそんなこともなさそう。


となると、つぎの3話では、いよいよミツヒロ改め「ケイオス」・バートランドが、マーク・レゾン改を駆って、マーク・アレス&マーク・ニヒトと対戦する!ってところに落ち着くのかな?

でもさぁ、それじゃ、ただのロボット対決でしかないんだよね。

ファフナーの敵は、あくまでも不可解な異世界シリコン生命体であるフェストゥムだったはずなんだけどね。。。

これ、世界観も含めて、ぼろぼろになってきている気がする。

残りの話数で、そんな低迷ぶりを覆すことができるのだろうか?

もはやファフナーの中の黒歴史になってしまうのではないか、心配になっている。

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蒼穹のファフナー THE BEYOND 第4話、第5話、第6話 感想

2020-06-02 00:04:48 | ファフナー
第6話まで見て、THE BEYONDでスタッフがやりたいことはなんとなくわかった。

この先の、人類とフェストゥムの共存共栄?の到来をなんとか描くために、人類は善、フェストゥムは悪、という善悪二元論の構図を切り崩すことが多分、主たる狙い。

そのために、襲う側と襲われる側をひっくり返し、第1話にあった総士奪還作戦で、人類のほうがフェストゥムの襲撃を図る、という始まりにした。

もちろん、第5話でジョナミツ改めケイオスが登場したことで、EXODUSまでのストーリーを引きずっていることを明らかにしたから、視聴者からすると、マレスペロが圧倒的に悪に見えるわけだけど・・・。

ただ、それでも、偽のなんちゃって竜宮島をつくって人類の真似事をしていたフェストゥムの島を襲い、そこから総士だけをさらったのは一騎たちの側なんだよね。

しかも、その際、乙姫の偽物(てか、アザゼル型の残党w)を一騎が倒してしまい、それが、新・総士と一騎との間に、容易には埋めがたい溝を生み出してしまった。


そういう意味で、以前のシリーズを見てきたものの一人としては、いろいろな意味で、むず痒い、

実は、結構、見るのがつらい。

なぜなら、感情移入する相手をTHE BEYONDからは変えろ!と告げてくるから。

要するに、一旦、異星人たるフェストゥムの側の立場に立って、今まであった物語の意味を問い直せ、と言われているわけで。

でもさー、それ、マジでここまでシリーズを追いかけてきたものからすると、かなり辛い。

極論すれば、一騎と真矢が主人公の位置を占めないのなら、もう続編とかいいよ、と強く思いたくなる気持ちがある。

それを、新・総士と美羽の立場から世界を見直せ、というのはね。。。

でもまぁ、総士の顛末を考えると、このTHE BEYONDの展開は、EXODUSの製作を決めた時点で、既定路線だったことになるので、そうするとEXODUSを楽しんでしまった時点で、THE BEYONDも受け入れるしかないんだよなぁ。

うーん、はめられたw

ただ、そういう風にちゃんと考えさせたいなら、なんで、THE BEYONDをテレビ放送しなかったかな。

正直、このテレビ放送の尺にあわせて、3話ごと劇場公開していく、というのでは、正直なところ、全く話題にならないと思う。

なぜなら、1話ごとの情報量が、ファフナーらしくめちゃくちゃ多い上に、それが3話まとめて見せられると、その情報量の多さに頭の理解がなかなか追いつけない。

やっぱり、ファフナーって一週間に1話ずつ放送されるスケジュールで、1話に込められた情報量を咀嚼して、次回の展開を想像しながら観る・・・くらいの、インテンシブな見方をしないと、いまいち、面白みにかけるんだよな。

つまり、3話ごとに公開だと、1話分の内容を大して咀嚼しないまま、次の話を見てしまうようになるので、恐ろしいくらい惰性的になってしまう。

そういう「ファフナー流の楽しみ方」がはなから否定されてしまうのは痛い。

ファフナー、って次回がどうなるか、あれこれ想像するのが楽しいわけで。

その展開予想のために、各話の情報を理解しようとすることで、ようやく本編の意味がわかるくらいの世界だから。。。


正直、一騎と真矢の扱いが、いかにも、かつての名作の続編っぽく、バイプレーヤーにまで後退してしまっているのはいただけないんだよね。

代わりに、生まれ変わった新・総士が主人公なんだよねぇ。。。

ただ、この新・総士、かなりウザいので、全然入り込めない。

それも、今回の第4話から6話までを見て、痛感している。

てか、真矢ではないけど、みんな、新・総士に対して甘やかしすぎじゃない?って思いたくなる。

そういう意味では、ALVISの一般人クルーが、ニヒトを動かして島を破壊しようとした総士を対して、即座に敵認定したくなるのもわかる。

もともと島の出身といっても、新・総士の身体はフェストゥムみたいなものだし、そのうえ、幼少の頃に拉致されたうえにフェストゥムの側で「世界の現実」についての教育も受けていたのだから。

なので、そのフェストゥムになされてしまった教育を、まさに上書きして逆洗脳=ブレインウォッシュするために、現在のファフナークルー総出で、新・総士の再教育を行うところは、映像では、なんとなく快活な音楽を流してごまかしていたけど、かなり気味が悪い。

でもまぁ、それが「故郷の地=竜宮島」を追われて「エグゾダス」してしまった、根無し草のALVISメンバー=旧竜宮島住人からすれば、思考や行動の習慣の総体としての教育を、なかば原理主義的に徹底しないと、自分たちが何者なのか、揺らいでしまって、落ち着いていられないのだろうな。

まさにエグゾダスされた、現実世界のユダヤ系の人たちの教育熱心さに通じるものなんだろうな。ディアスポラそのもの。

でも、物語構成上、救いがあるとすれば、その「再教育」を、一応、新・総士が、自らの意志で、わかった、お前らの考え方を理解した上で、どうするかは、自分で決める、と息巻いているところねw

そして、その「俺様思考」が、オリジナルの総士の傲慢さの影を引きずっているからこそ、見ている側も、ファフナーパイロットたちも、ギリギリのところで、彼のことを人類側の存在だと考えたくなる。

もっとも、ことここにいたって「同胞」とか「同化」というタッチーな言葉が文字通りタッチーなものになるとは思わなかった。

物語をつくる側の人たちも、現在進行中の社会の動きに敏感にならなければいけなくて大変だな。


しかし、THE BEYONDに込められた意味が、今回、存在と無の地平の「向こう」にある純粋な可能性のことであるらしいことが、明らかにされたわけだけど、そして、その鍵を握るのが、新・総士であるいまでは彼だけ?が竜宮島の新コア?にコンタクトできる。それらが、さくやとかぐや、の二人・・・っていっても、夢の中でしか、まだ会えないのけど。

そうすると、新・総士の登場機であるニヒトも、どこかのタイミングで全く違うタイプのファフナーになってしまうかも。


それにしても、総士、相変わらず、ウザい。

そして、唐突に、マレスペロ軍が襲撃し、間に挟まれる、一騎の新ファフナー登場の予感。

そして、最後に、え!!!、という千鶴の死去?

いや、千鶴は殺しちゃダメでしょ。

「千鶴ママ」なんて言わせて、彼女の背負った業を説明させていたのは、この幕引きのためのフラグだった、ということなんだろうけど。

そういう意味では、来主操の死亡予告は完全に煙幕だったなw

マレスペロに対抗するためには、竜宮島とともに海の底に沈んだアルタイルの力が必要で、そのために、竜宮島の力で転生?再生?した新・総士によって竜宮島へのルート情報の獲得が必要になる。

というか、要は、新・総士が、アルタイルへのアクセスの鍵になるから、アショーカに間借りした旧・竜宮島クルーや、マレスペロたちが、ともに、新・総士の奪還に奔走する、ということのようだけど。

ちょっと本気でわからなくなってきたのは、もはやフェストゥムは、意志のある、その意味では人間化した宇宙人になってしまった、ということでいいのかな?

少なくとも、地球人類とフェストゥムの間に横たわる差異は、少しずつ曖昧になりつつある。


存在と無の地平の「向こう側」にあるのは「純粋な可能性」というのもなぁー。

なんか、これは、むりやり、ザイン/ニヒトの対立を超えるものをなんとか設定しようとしているのだろうけど・・・

ただ、これは、さすがにちょっと、屋上屋を架す感じで、なんというか、むりやり取ってつけた蛇足感がパない。

ちょっと意味がわからない。

正直、冲方丁、若い頃のような冴えがなくなってない?

いたずらに、神話的物語をなぞっているだけのようにみえてきた。

それは、サイコパス3でも感じたことだけど。。。


真面目に受け止めれば、人類とフェストゥムの間の「架け橋」となる両者の折衷的な存在、境界となる存在を見出し、望むらくは、人類とフェストゥムの共存の道を探る、ということだよね。

その核となるのが、新・総士。

実際、今の、海神島に間借りしているかたちの「竜宮島」の面々には、フェストゥムとの距離感について大きく異る3つの世代が同居している。

第1世代は、真壁史彦に代表される一騎たちの親世代

第2世代は、一騎や真矢の世代、無印からEXODUSの主人公世代で、第1世代と違って、適性を持つものはファフナーを操ることができる。

第3世代は、美羽や新・総士たちからなるエスペラント世代で、第1世代の孫にあたる

第1世代は、混じり気のないピュアな人類

第2世代は、フェストゥムの因子を身体に取り込むことでファフナーの操縦を可能になった世代。誕生は、人工子宮を介したもの。ちょっとだけフェストゥムだが、ほとんど人類。

第3世代は、美羽のように再び自然分娩による誕生、あるいは、新・総士のように、フェストゥム的再生を行ったもの。人類にかなりフェストゥム的要素が身体的に取り入れられた世代。

要は、美羽たち第3世代は、最初からフェストゥムと意思疎通する能力を持ち、その結果、人類とフェストゥムの距離がかなり縮まっている。

一方、フェストゥムの側も、人類から学ぶことを覚え、人間らしい振る舞いをする物も出始めている。来主操なんかは、その典型。

ちなみに、フェストゥムとの交戦を経て、総士、一騎、甲洋、の3人は、ほとんどフェストゥム的人類にまで変貌してしまい、その結果、元祖総士は死んだが、彼の第2世代たる新・総士が誕生している。

一方、一騎と甲洋は、フェストゥムのような瞬間空間移動もでき、身体能力はもうほとんどフェストゥムだが、心は人間のまま、という状態。

つまり、回が進むに連れ、とにかく、人類とフェストゥムの間の「グレーゾーン」に属するしかない折衷的存在が増えている。


難しいのは、新・総士をTHE BEYONDの主役にしたことで、一騎たちもバイプレーヤーに退き、その結果、ガチでグレーゾーン的存在の集団を通じて、両者の共存を真剣に考える道が物語の主軸に置かれそうなこと。

ただその場合、史彦たち第1世代はもとより、一騎や真矢の第2世代ですら、オールドタイプ側にカウントされるような物語になりそうなこと。

だから、主人公が「一騎・真矢組」から「美羽・総士組」へ移ることは必至だと思うのだけど、問題は、この変化に視聴者のほうがついていけるかどうか、それも「気持ちよく=祝福しながら」ね。

でも、これ、相当難易度が高いと思うんだよね。


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蒼穹のファフナー THE BEYOND 第1話、第2話、第3話 感想

2019-10-25 18:18:09 | ファフナー
全12話のうちの3話だから、まだ序盤にすぎないので、BEYONDとしての判断は保留すべきなのだろうけど・・・。

率直に言って「微妙」。

理由は多分、皆城総士というキャラクターそのものには、特にこれといった思い入れがないこと。
加えて物語構成が、一騎と総士の立場が入れ替わった「無印一期」のやり直しに見えること。
そのため、もう一段メタな視点に立つと、そうすることで「終わらないコンテント」としてシリーズの引き伸ばしをしているだけのように思えること。

もちろん、リピートといっても完全な繰り返しではない。
なぜなら、フェストゥムの側が一方的に進化しているから。
正確には、人類の方も、フェストゥムとの接触を通じて「エスペラント」なんていう、フェストゥムとのインターフェース機能を取り込んだ新人類を生み出しているし。

もともとファフナーという物語自体、大きな枠組みとしては、ミールやフェストゥムに代表される地球外生命体という他者と人類との間の「コンタクト」を巡るものなので、真面目にやれば、ちょっとやそっとでは終わらないものであることは間違いない。だから最初から「終わらないコンテント」であるべく位置づけられていたといえば、それまでなのだけれど。
なのだけど・・・

とにかく、ニュー総士がウザい。
というか、えー、また、そこから始めるのかよ? という残念感が半端ないw


EXODUSの最終話が2015年の12月末だったので、ほぼ4年ぶりの続編なのだけど、作中時間もほぼ同じ時間が経っている。
第1話の冒頭が2年後。
で、そこからさらに3年後が第2話以降。
だから、都合5年後の世界。

とはいえBEYONDの主人公となりそうな、生まれ変わりとしての「ニュー総士」は、フェストゥムの体(だよね?)をもつがために成長が早く、5年後といっても、すでに14歳の身体をしているらしい。

それって、無印ファフナーの総士と同い年じゃなかったっけ?と思ったり。

それもあってこのBEYOND、なんていうか、いわゆるループもののやり直し感がある。
それも、総士と一騎の立場が入れ替わった感じね。
気分的には、『コードギアス』の後の『R2』みたいな感じ。
やり直し感が半端ない。

あとは設定上、しかたがないのかもしれないけど、なんで、皆城総士という、同じ名前を使っているのだろう?とは思う
「乙姫」の転生体を「織姫」と呼んだように、違う名前をつけても良かったんじゃないの?

実際、第3話の最後でニヒトのコクピットに入るまで、ニュー総士には元祖総士の記憶はなかったわけで、その意味では、個体としては明らかに別だったわけで。
だったら、名前も変えてほしかったかなぁ。

いや、わかるんだけどね、個体としては別でもいわば「種」として「皆城総士」という存在概念が継続されていることはわかるから。
でもね、個体は個体で別だからね。

ニヒトが、いわば「皆城総士アーカイブ」となっていて、つまり、「ニヒト+個々の総士」のセットで一つの存在、という気もするから、なおさら、個体の名前は変えても良かったかなぁ、と。

それに、あのニュー総士を「総士」と名付けたのは、どこまで行っても一騎のわがままでしかないわけでしょ?

一騎の方は「エレメント」とはいっても、竜宮島ミールの計らいで「存在と無の地平線」にずっとあり続ける存在になった。つまり、永久存在になってしまったから、一騎自体が、自分を自分として同定させていくために、対となる総士を、たとえ個体としては代替わりしてもおなじく「悠久の存在」としてあり続けさせておく必要がある、と思えるから。

まぁ、単純に、未練、なわけだけど。
一騎は、死ねない身体になってしまったわけだから。
とはいえ、大幅な休息が必要になってしまったようだけど。

にしても、ややこしい。
一騎と総士の二人だけの世界の存在感が強すぎる。。。w


そういえば、BEYONDのヒロインの美羽も身体的には同い年くらいなのかな?
もっとも、美羽自身、EXODUSで強制的に身体を成長させられていて、少なくとも5年前のニュー総士が誕生した時点では、十分、お姉さんだったはずだから、幼なじみみたいな存在ともちょっと違う。

しきりに、エメリーの姿をした、旧アショーカで現海神島のコアであるルヴィ・カーマが美羽に対して、総士を導いてあげて、と言っているけど、その「導く」というのもまだよくわからない。

どうやら、ニュー総士が乙姫との関係から?海底に沈んだ竜宮島を探索することができるから、ということのようなのだけど。

いうまでもなく竜宮島の発見は、真矢たちにしてみれば自分たちの故郷を取り戻すことにつながるし、それは同時に竜宮島のミールとの再会でもある。島にはかつての同胞の記憶がミールによって保存されてもいる。

そして、なんといっても、一緒に眠りについたアルタイルがいる。
そこに、今回は、旧アトランティスのコアでEXODUSの黒幕だった存在が、「マレスペロ」とわざわざ改称して、完全な悪役として登場する。

てか、いまさら気がついたけど、ファフナーってもともとは北欧神話の影響下で作られた話だったのが、EXODUSを経て、いつのまにか、日本神話のプロットに変わってしまったのかね?
EXODUSをまんま出エジプトだったから、キリスト教というか聖書がモチーフだったわけだけど・・・。

というわけで、これ、どう考えても、12話でどうこうなる物語ではないよな。

EXODUSの最後で竜宮島とともに海の底で眠りについたアルタイル、織姫、芹、の復活を見たいなぁ、と思っていたけど、よく考えたら、数年でアルタイルと対話可能な状況が生まれるなら、あんなに苦労はしないのか。

となると、これ、ファフナーは、あと10年は続くものがたりになるのかな、と思ってしまったりして。。。
しかし、その時間軸に観るほうが耐えられるのか?という疑問が今更ながら浮かんできてしまった。
まぁ、SFなら普通にある設定なんだけどね。

でも、この感じだとBEYONDのラストで一騎が消失し、総士同様、フェストゥム?の子どもとして復活、というか、再生、というか、誕生しそうじゃない?

となると、今度は、成長した総士がニュー一騎を育てる、・・・、ってエンドレスのループに入りそうw

真矢が終始機嫌悪そうにしてるのって、この一騎と総士の世界に自分がまったく干渉できなくなってしまったから?って気がプンプンするw

で、こうなると器としてのファフナーというのを再定義しないといけないのかも。
もはや「人が乗り込む戦闘型ロボット」って物語自体、死に体じゃない?
拡張身体くらいに割り切って捉えないとしんどいよね。
もちろん、もともとファフナーはそういう設定でもあるわけど・・・

ということで、とにかく続きを待つしかないよなぁ。
なんか、思いついたことを書きなぐるだけで終わってしまったけど、またなにか気づいたら書くかも。

とにかくね、物語的にはちょっとブレイクスルーとなるサプライズが欲しい。。。
思っていた以上に、圧迫感が強い。
そういう意味では、総士を復活させたのが吉と出るか凶と出るか・・・

結構、微妙なところだよな。



あ、そうだ、一つ忘れてたけど、
フェストゥムの「なんちゃって竜宮島ごっこ」、あれはなんだったんだろう?
単に、総士に拉致を悟られないためにやっていたのか?
それとも、真面目に「人間になりたい!」をやりたかったのか?

この先、わざわざそんな人間ごっこを行わせたマレスペロの狙いも明らかにされるのだろうな。
ついでに、その計画になぜ、マリスというエスペラントが乗ったのか?、も。

このあたりについては情報が少なすぎ。
で、次回からは、どうやらミツヒロも再登場するんでしょ?
衛星軌道上のベイグラントに、マークレゾンらしき機体も残ってたしね。

あとは、OPで道生と弓子に立ってる人?は誰だろう。
一瞬、真矢っぽくも見えたのだけど。。。


ともあれ、続きを待つしかないねー。
常時ゴルゴ化してしまった真矢や、
「3人のエレメント」とともに来主や甲洋と同類扱いされている一騎とか、
もうちょっと主要人物たちの枯れた感にも呆れているので。。。

総士は生まれ変わってガキに戻って元気いっぱいなのに対して、真矢と一騎が哀れすぎる。痛々しくて辛い。


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蒼穹のファフナー EXODUS 第26話 『竜宮島』 感想3 ビリーやミツヒロ等について

2016-01-01 18:54:18 | ファフナー
前のエントリーで指摘した、シリーズ全体で伝えたかったことと思った2つ、すなわち

○災厄を未然に防ぐことの大切さ
○判断を放棄することの人間としての罪

のうち前回書ききれなかった後者について。

前者が実際には、竜宮島組についてのものになったのとは対比的に、後者は人類軍周り・・・というか、まぁ、要するにビリーの最期の解釈についてだよね。

結論から言えば、ビリーは作中最大の否(ノン)として扱われた。

その意味をちゃんと考えないと、彼の殺害がヒドイ!とか、理解できない!とか、ただの感情の垂れ流しでしかない感想に終始してしまうと思う。

ビリーは、一見すると心根の優しいナイスガイに見えるけど、その実、他人が指し示してくれてことを鵜呑みにして、他人の判断に自分の判断を委ねようとする。

そのような自立心のない人間は、少なくともこの作品世界では「悪」として登録される。

それが、最期のシーンの意味すること。
そのうえで、その意味をどう受け止めるか。

もちろん、どんなジャンルであれ、作品は最終的にはたった一つの形でしか表現できないから、その表現内容に賛否両論が出ることは、つくり手としては想定済みのはず。その上で既にある表現が選択された。

そのことをわかった上で、個々人が賛否を表明すればよい。

で、ビリーの最期について。

ビリーが最後に真矢に銃を向けた際に述べたように「何が正しいかどうかわからない」状況を迎えたなら、その正しさを一旦自分で考えなければならない。少なくともそんな錯乱状態で殺傷道具を手にしてはいけない。そんな「宙ぶらりん」の心理状態にあるなら、少なくとも真矢に対して銃を向けてはならない。

けれども、判断不能の状態を制御もできず、事前に囁かれた「兄の復讐を行え」という言葉に飲まれたまま、銃を向けた。その状況の意味がビリーには全くわからなかった。

最悪なのは、彼自身、ファフナーパイロットとして前線に立っていたにも関わらず、そのような判断しかできなかったところ。彼の愚昧さは戦場においては悪であり、その悪が最後の最後で露呈した。

作品中で言えば、キースかウォルターか、どちらの道を選ぶか選択できた時に、ビリーはその判断自体を放棄した。それは個人にとっては楽な選択だけど、周りにいるものから見れば、まさに「バカに刃物」状態なわけだから、排除の対象になっても仕方がない。あれだけ戦闘に臨みながら、その厳しさを学ぶことができなかったのがビリーだった。

結局のところ「兄さんのように」という判断しかビリーにはなかったんだよな。
だが、それは端的に兄への依存でしかない。

この点はミツヒロとの対比でもあって、ミツヒロはザインとレゾンで互いにルガーランスを刺しあった場面で、一騎の訴えに対して、自らの記憶を一部取り戻して、最後は彼自身の信念から、アイを殺した自分を消して欲しいと嘆願した。

この場合、ミツヒロは、存在としては人ではないパペットだけど、しかし、自らを顧みられる自分の心を持っていた。対して、ビリーは、存在的には人ではあるが、あいにく、自分を振り返ることができる自らの心を持ち合わせていなかった。

このように一騎―ミツヒロの関係と真矢―ビリーの関係を対比的に捉えれば、ビリーの死の意味は明確だろう。

力を持ったものは、その力を正しく使う心を持たねばならないけど、残念ながらビリーをそのような判断が出来るだけの心を持ち合わせてなかった。

そもそもビリーのそうした芯のなさは、最初に竜宮島に来た時、楽園で里奈たちと揉めた時に、その片鱗を見せていた。

かつて竜宮島を殲滅しようとした人類軍の一人であるにも関わらず、里奈たちに「何故、誰も助けないの?」と、しれっと問うてしまえるくらいなのだから。残念ながらビリーの運命はあの時点ですでに決まっていた、というわけで。

いや正確には、その一言に対する里奈の激高を受けて、里奈の立場を「想像する」ことすらできない、推測力のなさ、というか、空気のよめなさが、決定的にどこかおかしい。

それを「言ってくれなきゃわからない」と返すのは端的に、少年の甘え。でも、ビリーはそんな返しすらしない。

実際、あの場面でジョナミツはきちんと里奈たち、というか竜宮島の境遇を考慮して、ビリーをたしなめているわけだから。

つまり、ビリーの場合は、兄がいれば兄に、ジョナミツがいれば彼に、結局、判断を委ねてしまっている。つまり、最期まで傍観者でしかない。自分で学ぶこともしない。何も自分で選べない。

繰り返しになるけど、残念ながら、そうした態度は、ファフナー世界では、異者との間で対話を始めるための心の用意ができていない人間として、否定されるべき存在とみなされる。

それが、最後にビリーが排除された理由なんだと思う。


ということで、前回のエントリと合わせて

○災厄を未然に防ぐことの大切さ
○判断を放棄することの人間としての罪

がファフナー世界を創りだした制作側の価値観としてあるのだと思う。
一応断っていくと、これはあくまでも一つの解釈で、これが正解などとは思っていない。でも、何故、アルタイルとの対話は先延ばしになったのか、とか、何故ビリーは殺害されなければならなかったのか、という最終回の疑問ないし不満に対する回答の一つになっていると思う。

もちろん、こうした「メッセージ」を全く無視して、ロボアニメや、キャラアニメとして見ることも可能だ。

実際、『英雄二人』(9話)の一騎と総士の無双っぷりにはしびれたし、『憎しみの記憶』(22話)での竜宮島の合流、彼らの派遣組を救うための活躍には心が躍った。そういう楽しみは実際あるし、これらの場面はホントに素晴らしいと感じた。

ただ、物語の意図を汲まずに、最終回が雑だ、とか、尺が足りない、といって、要するに、自分が期待していたものと違っていたからクソだ!のような感想を垂れ流している人たちは、相手の立場を考えるという配慮や判断をはなから放棄している点で、上で書いたとおり、対話の基本的な作法すら持ち合わせていない、ビリーのような存在だ、ということになるのだと思う。

それから、二つの大きなメッセージ、すなわち

○災厄を未然に防ぐことの大切さ
○判断を放棄することの人間としての罪

の二つは、製作サイドのメッセージだと考えたといったけど、シリーズ構成と脚本が冲方丁によるというのだから、かなりの部分で彼の考え方や嗜好、価値観が反映されていると考えてもいいだろう。

その時、多くの人がすでに指摘している通り、冲方丁がもともと福島県在住で、一連の311の事件で脱出せざるを得なかった、という彼の体験が反映されていると推測することも可能だと思う。そして彼の立場に立ってみれば、作家として「災厄を防げなかった」ことを悔やむよりも、「災厄を未然に防ぐ」ことの尊さを物語として差し出すほうが、作家らしい素直な対応ではないだろうか。

一方、「判断を放棄することの人間としての罪」については、震災後の状況に対して、第三者に判断を預けようとする人びとに対して何からの価値判断を下したくなる気持ちが生じることもやむを得ないのかもしれない。もちろん、多くの人は凡庸だから、ビリーのように振る舞うのだろう。でも、それは極限状態では悪でしかない、ということなのかもしれない。

ともあれ、これも単なる解釈だし憶測でしかない。でも、そういうことを考えさせることができる作品として、ファフナーは、今時の風潮に完全に逆らっていて、それだけの強度のある作品だったのだと思う。

・・・と、また、結構長くなってしまった。

まだ、続編の可能性とか、幾つかの未解決の問題について触れては見たいけど、それはまた後で、かな。

もっとも、そうしたあれこれ語ってみたいという気持ちとは別に、EXODUSはEXODUSで完結している、とは思っている。だから、製作陣が未決の問題やさらなる未来について描いてみたいと思ってくれたら、それはもちろん歓迎したい。

でも、EXODUSがもろもろ投げっぱなしで終わったから、それを補完して、ちゃんと決着とつけろ!とは全然思わない。

なにしろ、一騎と総士の物語は今回の話で完結している。
それに、一騎は永遠の生をもち、総士は生死のサイクルを繰り返すのだから、片や「不死」、かたや「無限の生」で、ともに、もう物語の時間的拘束からはみ出てしまった、それこそ神様、というかファフナー世界の守護神のような存在になってしまったのだから、これ以上、彼らに何の冒険をさせるのか、と思う。

だから、仮に続編があるとして、一騎や総士ではない人物が物語の中心に出てくると思うのだけど、しかし、それは果たしてファフナーなのか?と思う。

多分、新主人公で・・・、という展開だと、ガンダムとかマクロスとかエヴァンゲリオンとかと同じ、だらしない展開しか待っていないと思えるから。

あ、でもこれもまた長くなりそうだから、じゃ、またの機会に。

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蒼穹のファフナー EXODUS 第26話 『竜宮島』 感想2 一騎・総士・真矢の運命について

2015-12-30 13:27:58 | ファフナー
どうも中にはこの最終回に対して、「尺が足りない」「描写が足りない」「感情移入ができない」という声もあるようだけど、そういう人たちは多分、最終回だけに「終わり」が記されると思いすぎているか、もしくは「終わり」にはいくつもエンドがあってどこかにTRUE ENDがある、といった発想に囚われ過ぎているんだと思う。

要するにラノベやゲームに毒されすぎてるんじゃないかな、と。

前者については、最終回だけでなくシリーズ全体を通しての展開から解釈する、あるいは、少なくとも終章の始まりといえる23話以降の4話で最終話だと思って振り返ればいいと思う。

後者については、示された最終話(ないし最終章)の構成から、まずはきちんと製作陣の意図を汲みながら自分の解釈をしてみればいいと思う。

尺が足りないのは、どんな作品でもそうであって、だから制作者はその限られた中で表現をする。たとえば、感情移入ができないのは、むしろそれを狙っているからではないか?と想像してみる。そうすれば、大抵の場合、違う見え方が浮かんでくる。

多分、このファフナーはそういう態度(やリテラシー)が必要になる作品だと思う。こういっては何だけど、視聴者が作品を選ぶように、作品(の制作者)も視聴者を選ぶものだから。その当たり前のルールを思い浮かべる方が有益だと思う。

で、最終話、最後まで見て、ああ、そういうことが伝えたかったのか、と思ったのは、大きくは2つで

○災厄を未然に防ぐことの大切さ
○判断を放棄することの人間としての罪

ということ。

前者は、最終的にアルタイルとの対話の狙いが、実は「アルタイルの封印」にあったこと。アルタイルという存在(「純粋ミール」)が桁外れの圧倒的存在であり、そのような存在とまともに対峙できる存在など、地球上にはミールやフェストゥムを含めてまだ存在しなかったということ。だから、アルタイルの封印が可能になった状況の出現を、織姫は「一番希望に満ちた未来にたどり着いた」と表現した。

もちろん、見る側としてはアルタイルとの間で積極的な対話がなんとかなされると思っていたわけで、その対話がなされずにいきなり封印された、というのには、肩透かしを食らった印象は免れない。しかし、それでも、これが「最善策」であった。現時点で直接対話を試みたり、ましてや戦ったりするなど、悪手の極みだったわけだ。

アルタイルの圧倒的存在っぷりは、地上にアルタイルが姿を現した時点で、甲洋や操が即座にお手上げだ!と表明したところから明らかだし、織姫自身もアルタイルと対話可能な存在は今はまだいない(つまり、未来には存在する)、と率直に伝えたわけで、兎にも角にも、アルタイルが自主的な判断で勝手に動き出す前にその動きを封じる必要があった。

見ている側からすれば、まさか、対話の内容がそんな消極的なものだとは露にも思わなかったわけだけど、でもそうすることで、災厄を未然に防ぐことができる。もちろん、未然に防いでしまった以上、その場に居合わせた者以外、そのミッションの困難さには気づかない。だから、最後に、美羽は真矢に対して「みんなを守ってくれてありがとう」と感謝の言葉をかけたわけで。

この、ある意味で極めて「地味な」終幕が、最終話にカタルシスを求めた人たちからすると、イマイチな印象をもってしまうのかもしれない。

それでも竜宮島は実際にアルタイルの封印場所、つまりは「寝所」としてアルタイルを受け入れ、海の底に消えていった。それで「最悪のシナリオ」は避けられたけど、しかし、アルタイルを封印しても、フェストゥムと人類の衝突、あるいは、人類どうしの紛争にも対処しなければならない。その役割を担うためにアショーカと海神島が必要だった。

そう思うとすでに物語の最初の時点で、アショーカ(のミール)は、エメリーなりナレインなりに憑依し、彼らを存命させるために力を貸すかわりに、アショーカ自身を海神島に安全に連れて行くことを求めていたことになる。

つまり、アショーカと人類の間にもすでに共生関係なり盟約関係が生じていた。アショーカはいわばエメリーたちに分散して寄生することで、確実に安全に海神島まで運ばれることを選んでいたのだろう。実際、25話で一旦は、アショーカのミールは同化され粉砕されたように見えたわけだから。

このアショーカの狙いは、アショーカのコアがベイグラントに同化されて消えたはずなのに復活しているのはどうして?という(ミツヒロも口にした)疑問への回答になっている。だから、エメリー、ナレイン、そして弓子は、アショーカの寄生によって「生かされていた」自分の命を放棄して、アショーカの欠片を戻さなければならなかった。彼らの身体に寄生して分散して運ばれたミールから、アショーカの再生が成し遂げられたことになる。

このことは多分、織姫も承知していたことだった。おそらくこのことは、物語当初竜宮島を訪れたエメリーがゴルディアス結晶を産み出す力を竜宮島に与えた時点で、アショーカの意図は織姫にも伝わっていたんだと思う。

つまり、ゴルディアス結晶は北極ミール由来の力であって、だからこそ「新同化現象」も発現した。アルタイルが飛来した時、竜宮島が封印場所になることもおそらくは、エメリーの織姫へのファーストコンタクトの時点でアショーカの意思として伝わっていたんだと思う。だから、織姫は急遽、成長し下界の外に現れなければならなかった。

今思うと、一騎が右腕を失い昏睡状態になった時にナレインがアショーカの祝福を与えようとした時、織姫がその申し入れを強く拒んだのも、一騎がアショーカの祝福を受け入れていれば、最終回の弓子同様、アショーカの再生のために命を返して消失しなければならなかったからなのだろう(危ない、危ない)。

同時に、竜宮島水没後の世界で、竜宮島に代わり人類とフェストゥムの紛争処理隊として海神島が機能するために、総士が海神島のコアとして再誕しなければならなかった。そして、乙姫/織姫同様、生誕を繰り返す存在となった総士を庇護する存在が必要で、それが「永遠の戦士」として竜宮島の祝福を受けた一騎だったということだ。

一騎をそのような総士の庇護者にするためにも、一騎の祝福(つまりミールの力で生き続けること)を与えるのは、アショーカではなく、竜宮島でなければならなかった。

ということは、織姫がシリーズ冒頭で一騎と総士を前に「二つで一つの力」を言っていたのも、その時はてっきりザインとニヒトのことだと思っていたけど、それはそのまま一騎と総士のことだった、ってことだよね。その時「いのちの使い方」を考えろ、と詰め寄っていたのも、最終段階で、一騎と総士がともに人であることをやめることを見越していたことになる。

多分、織姫は、EXODUSの物語の顛末を目覚めた時点で全て予見していたのだろう。その上で、あくまでも行動を起こすのは一騎や史彦などの島民に委ねていた。

どうしてその意図や未来のイメージをそのまま伝えないのか、実は疑問に思っていたのだけど、最終回を見て思ったのは、アルタイルとの接触が実はそのまま地球の絶滅を意味することだったから、史彦たち島民の生きる意志を削ぐことはしたくなかったからなんだろう。で、その織姫の意図にうすうす気づいていたのが芹だった、というわけで。

それから、最終回で、真矢が人類軍担当になったため、ザルヴァートルどうしの決戦には全く蚊帳の外にされ、その一方で、一騎と総士が二人の世界を作ってしまったのに対して不満に思っている人もいるようだけど、すでに物語の展開上、一騎と総士の人外化は既定路線だったから、プロットを作る側(つまり冲方丁を含めた製作スタッフ)からすれば、仮に一騎と真矢の間で恋愛を描こうとしたら、最後に悲恋しか待っていないわけで、正直、それはこの尺の中で、本筋とは関係ない迂遠なものにしかならないと判断したのだと思う。それで、真矢には人類軍との折衝役という「調停者」の役割をあてがうことになったのだろう。

そういう意味では、カノンが未来を探り当てるために自らのいのちを投げ出して消失した際、「一騎と二人の未来」という、カレンからすれば最善、しかし、島の皆にとっては最悪となる未来を拒んだのも、遠回しに、真矢もカノン同様、二人だけの未来を選択させないようにするためだったのだろうな。

ここは微妙なところだけど、カノンと真矢が親密な友人どうしであったことを踏まえると、カノンが選択しなかった道は真矢も選択できない、というのはわからなくもない話だし、そもそもカノンが人類のために行ったことは島の人のためにであり、もちろん、一騎のためでもあるわけだから。

カノンと、そして翔子とも親友だった真矢からすれば、一騎に対する想いとは、一騎に対する恋愛感情をすっ飛ばして、母性そのものの「守りたい」という気持ちそのものだったのだと思う。

もちろん、こんなことは、真矢本人の口からは表現されていないので、あくまでも推測でしかないけれど。でも、一期からの真矢の行動や交友関係を見ていれば、彼女(たち)がどういう思いや判断から行動するかは自ずと想像できることだと思う。

だから、初見の人たちにはそこまで理解を求めるのは酷なことだし、それゆえ、「感情移入できない」という不満も出るのは当然だとは思う。

となると、むしろそういう初見の人たちはとりあえず放棄して、一期から見続けている古参のファンの心情の方を優先した制作サイドの英断の方が素晴らしいということになると思う。この点は、今時よくやった!と心底賞賛したい。

ともあれ、こういう形で、一騎、総士、そして真矢の終盤における役割が確定してしまった。真矢は人外にはならないけど、父ミツヒロの記憶を呼び覚ます展開にすることで、彼女が普通の女ではなく、ヘスター同様、父の業を背負う「貴人」の血脈にあることが強調され、(一騎や総士とは一味違う)真矢ならではの「運命」が与えられた。

つまり、真矢も比喩的には一種の「人外」設定にされてしまった。弓子亡き後の美羽の後見人にならざるをえない状況も、彼女を「公人」として、自らの幸せだけを願う存在であることを困難にさせてしまった。

こうして、一騎、総士、真矢、そして(消失した)カノンという、第1クールのOPを飾った四人が皆、人としての自由な生を諦める方向に舵を切らざるを得なくなったために、逆にその反動として、その他のファフナーパイロットが、そうした公的役割からは解放され、あくまでも個人の幸福を願う存在として描かれた。

特にそれが顕著だったのがすぐ下の後輩四人で、島の平和を地球に広めることを願った広登、彼とともに歩むことで前代未聞の葛藤に直面し続けた暉、島を守った故人たちへの侮辱を一切許さない里奈、乙姫から織姫に至るまで島のコアへの感謝を示し続けた芹。彼ら四人は、個人としての願望を衒いなく表明し続けた。だからこそ、四人中三人が消える、という結末を迎えたわけだけど。


特に、最も劇的だったのが暉で、彼は結局、物語の構成上「死ねない永遠の戦士」になる道が約束された一騎に代わって、苦悩する人間の英雄として、華々しく死ぬ「誉れのある死」を体現する役割を担わされてしまった。それが、24話におけるゼロの大往生の場面。

また、主役四人の間でまともな恋愛感情を描けないという制約に対して、幼なじみどうしの結婚を成し遂げ、人としての幸福を得て、さらには夫婦ともども最後まで生き残ったのが剣司と咲良だった。一期からの咲良の同化後遺症を考えれば、まさに奇跡の生還だと思う。
あるいは、もっと淡い恋愛感情の交換を行っていたのが、零央とミカミカの二人。特に、零央は、ルーキーとしての英雄役も引き受けていた。

ちなみにカノンは一騎たちの一つ年下だったから、仮に彼女が存命だったとしても成人式には参加できなかった。そのあたりの小さな設定上の齟齬も顕在化させたくなかったのも、カノンが途中退場した理由の一つではないかと思う。そして、彼女が実はひとつ下の後輩だったということを踏まえると、すぐ下の後輩五人中、実に四人が消えたことになる。

こういった具合に、物語の大きな構成から、竜宮島の登場人物たちには、それぞれ明確に役割が割り振られていたわけだ。もちろん、それは、最後のアルタイル封印という終幕を見てから初めて可能になる解釈なのだけど。

ともあれ、以上が最初に上げた「災厄を未然に防ぐことの大切さ」というテーマとそれから引き出された物語の細部や登場人物の役割というところ。

で、もう一つの「判断を放棄することの人間としての罪」は、端的に言えば、途中までは善として描かれていたペルセウス中隊と、アルゴス中隊のことが中心になる。

・・・のだが、さすがに長くなったので、一旦ここで切って、このことは次のエントリーで記すことにしたい。

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蒼穹のファフナー EXODUS 第26話 『竜宮島』 感想

2015-12-30 00:20:01 | ファフナー
綺麗な終わり方だな、というのが第一印象。
もちろん、駆け足だったな、というのはあるけれど、その中でちゃんと濃淡を付けて終わらせてくれたから十分すぎるほど満足できた。

素晴らしかった。

いまどき、シリーズ全体で、26話全部を通じてようやく理解できる作品が送り出されたことに驚くし、素直に称賛に値する作品だと思う。

見終わって、一番やられたな、と思ったのは、EXODUSというのが、他でもない竜宮島からの脱出だったこと。
すっかりアショーカ組の強行軍こそがエグゾダスだとばかり思っていたから、この終わりには、あーそう来たか、と素直に脱帽した。

これで、竜宮島の人びとは、故郷をなくして他の地域に行くしかない。
で、これはそのまま聖書のユダヤ人の扱いだよね。
いつかカナンの地へ、すなわち、いつか竜宮島に帰るという願いとともに見知らぬ土地に放り出されて生きていく。

この終わりがなかったら、わざわざ真矢を「調停者」として位置づけ成長させようとする描写はいらなかったわけだから、ものすごく納得。

もともとファフナーは、その名からもわかるように北欧神話をベースにした物語であったわけだけど、EXODUSになって旧約聖書的なキリスト教的な世界観が加えられたと思っていたので、この竜宮島の脱出劇(プランデルタ)はとても腑に落ちた。

そうして、島の人達はみな、島に息づいていた「平和」という文化の伝道者として世界に散っていくことになる。それこそユダヤ人のように。
もちろん、反発や差別もされるだろうけど、それを乗り越えるべき運命を島民皆が、織姫(と総士)の犠牲によってすでに背負ってしまっている。

今回も度々繰り返された「祝福」という言葉に見られるように、キリスト教的モチーフは、一期の頃から、特にフェストゥム側で見られたわけだけど、部分的にミール+フェストゥムと人類との共存・共生をも描いたEXODUSでは、聖書的世界観が更に増していた。その決め手が最後のエグゾダスであったことには脱帽。

さらにいえば、最後のアルタイルを封印して海に沈む竜宮島は、イエスの再臨と審判の日を「希望」として待ち望む様子そのもの。だから、EXODUSのプロットはホントに聖書的だったんだなと思う。

それに加えて、アショーカの登場で、仏教的な輪廻転生的死生観も強調された。

とにかく、その世界観の構築に脱帽。
神話的モチーフを十全に扱っていた。


そのうえで、次に納得したのが、一騎たちの「人生」のこと。
これは前回も記したけど、彼らが成人式を迎えて「大人」になった、という描写がしっかりされていたことにも呼応している。

つまり、EXODUSは、一騎の同期が成人することで、社会の責任をきちんと引き受ける存在になる、そのための成長物語だったんだな、というのがよくわかった。

なにより、一騎が物語の最初からずっと気にかけてきた「いのちの使い方」を見つけ、七夕の短冊に記した「生きる」という願いがかなったのだから。

(だから、EXODUSは、人びとが「生きる」ことをきちんと選択できることの意義を問う物語でもあった、ということ。)

一騎の同級生たちが大人になったというのは、端的に言えば、

剣司と咲良がきちんと「結婚」したこと
真矢が、島の外の世界にでかけ、「調停者」としての運命に気づけたこと
一騎が、永遠の戦士として、存在と無の地平に立つ存在を選択したこと、
総士が、生と死の循環の中に自分の落ち着く先を見つけたこと

それぞれが生きることの意味を見出した。

もちろん、終わってみれば、シリーズ通じて多数の死者も出たわけど、それも冲方らしく、「誉れある死」と「誉れなき死」とに明確に分けられていた。前者は、カノン、広登、暉、オルガ、ウォルター、弓子、ナレイン、エメリー、といった主には竜宮島とアショーカ組。対して、後者はアルゴス小隊の面々とビリー。

ビリーの死、というか殺害については、賛否両論あるようだけど、あれは、やっぱり、自分の頭で考えて選択できない存在は、どれだけ純朴そうでいい奴に見えても、確実にこの世界では悪である、ということで。ビリーの最期が、わざわざ最後にあれだけの尺をとって描かれたという事実が、彼という存在が極悪である、という制作サイドのメッセージなんだろうな。もちろん、理解可能だし、妥当な結果だと思う。

なにせ、あろうことか、これから世界を調停する役割を担う真矢に銃を向けたのだから。であれば、この戦禍の中を生き抜いてきた生粋のゴルゴである溝口さんに撃たれたのは当然の出来事。

つまり、作中で、ビリーは最悪の「否(ノン)」だったわけだよ。
絶対的に否定されるべき存在として最初から最後まで描かれた存在だった、ってことでしょ。
いつまでたっても、自ら判断しようとしない、亡霊のような心の持ち主として。
人がいいだけのキャラとして彼を捉えてはいけないわけで。
彼に比べたら、頭のネジが外れたキースなんてまだ可愛いものだってこと。

このことは、書き始めたら長くなりそうなので、またの機会に。
というか、他にも書きたいことは山のようにあるのだけど、これくらいで。

そうそう、どうも「尺が足りない」とか「最後が雑」という人たちもいるみたいだけど、もともと尺の制約の中で作っているわけだから、前者の非難は実は非難になっていなくて、その尺の制約の中でこのような表現が選択されたのは何故なのか?とまずは自問してみたほうがいいと思う。で、後者の「雑」というのは、そう見えるんだったら、それは圧倒的に作品を見るという経験が足りてないないから、映画とか小説とかもう少し読んだらどう?、としか言えないなぁ。

あと、「描写が少ないから感情移入ができない」という意見もあるようだけど、ファフナーは、上でも書いたように、もともとは北欧神話とか聖書などの神話や叙事詩的なものが素材になっていて、特に叙事詩なんて神によって人間が蹂躙されることなんてしょっちゅうだから、そもそも人間の感情なんて表現されない。

だから、感情移入云々という観点自体が、とてもラノベ的だよね。
でもさ、ファフナーは、キャラ小説ではないからね。
もちろん、それぞれ、気になる登場人物がいて、その人物から物語世界を堪能することは否定しないけど、でも、それはファフナーの世界では劣後する。

特に最後の決戦のところなんて、決戦なんだから理由なく殺害されて当然。
その理不尽さも含めて戦闘だから。
だからこそ、自らの死に意味を持たせることができるかどうか、というのが問われるわけで。

そういう意味では、ミツヒロと対峙した一騎が、互いにルガーランスを刺しながら、ミツヒロを信じると言ったことと、真矢に銃口を向けたビリーが、何を信じればいいかわからないと錯乱していたのは、綺麗な対比になっている。

死者の扱いにしても、広登やカノンは、もう一回最後に現れるかな、と実は期待していたけど、結局、人の世界には戻ってこなかった。だから、あの消失したカノンは、あの形で死を迎えたのだな、と改めて理解できた。

そういう意味では、死の意味や重さを逐一理解しながら描写しているのがやはりファフナーだということ。

あ、やっぱり長くなってきた(苦笑
一度切ろう(苦笑

ともあれ、素晴らしい作品だった。

続編として、十数年後、十分成長した美羽がアルタイルと対話することを主題とするような新章が作られるなら、もちろん期待したいけど、今回の話の直後の状況の話なら特には必要ないかな。きちんと、26話で完結していると思うから。ましてや、キャラ小説的な日常編なんて全くいらない。ファフナーはそういう話じゃないから。

そうだ、真矢が一騎と結ばれなくて可哀想、という声もあるようだけど、それもお門違いというか。この話は一騎と総士の話だし、そもそも恋愛だけが愛情ではない。その点で、一騎と真矢も深く結ばれている。いわゆる、普通の男女の愛は、咲良と剣司のペアが担ってくれたということで納得すればいいと思う。

うーん。やっぱり書きたいことはいくらでもあるな。
でも、とりあえず、一旦ここで締めておこう。

とにかく、素晴らしい作品。
満足!

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蒼穹のファフナー EXODUS 第25話 『蒼穹作戦』 感想

2015-12-21 20:53:35 | ファフナー
どうにも尺が足りないなぁと思っていたのだけど、怒涛の勢いでまとめてきた。
しかも、綺麗に収束させる方向で。
凄いなぁ、ビックリだよ。
最終決戦の終結にアルタイルとの遭遇もガッツリ合わせてくるんだから。

しかも、アルタイルの接近ギリギリまで争っているわけだから、その瞬間までアルタイルの意図や目的、あるいは能力について触れる余裕がなくてもまったく問題ない。それゆえ、アルタイルがどんな結末を誘導しようが、作中の流れとしては全く違和感がない。だから、アルタイルがどんなワイルドカードになっても無理がない。

・・・いやぁ、ホント、凄いシリーズ構成力だよ。

さらにいえば、そうやってこのEXODUSの物語に終止符をきちんと打つだけでなく、ファフナーという物語にもきちんと終わりを迎えさせようとしているのもよくわかった。

それは一騎たちの成人式を短いながらも、きちんとこの尺の中に挟み込んできたのだから。

いうまでもなくこれは、一騎たちの旅としてのファフナーの物語もきちんと着地するということでしょ。
少なくとも、冲方丁のファフナーはあと一回で終わる。
そう納得させる描写をちゃんとしてくるのだから、ホント凄いよ。

それにしても、あの衛星軌道上にあるベイグランドをどうやって倒すのかと思っていたのだけど、まさか「落とす」とは思わなかった。
それも彗の呼び寄せの能力を、里奈とゼロファフナーで増幅すれば可能だ、ってのも、あー、その手があったか、と納得できてしまう展開が今まであったからなわけで。

こういったら不謹慎かもしれないけれど、暉の退場も、彗+里奈のコンビを実現させるためだったのではないかと思えるほど。いや、もちろん、暉が存命でも、このコンビは可能なんだけどね。でも、暉がいなくなったことで、極めて自然にこの二人のコンビが受け入れられてしまう。

ゼロにしたって何であの「呪われた死の機体」をわざわざ使うの?と前回疑問に思ったけど、でも、海神島でウォーカーのコアを倒すには単独で大砲を放つことができるゼロを使うしかないわけで。そうしてゼロとの再登場を無理なく疑問なく実現させてしまうのだから、これもよく考えられてるよね。その上で、今回のベイグラント落下作戦なんだから・・・。いやー、ほんとに参るよ。

で、そのベイグラントの落下を可能にしたのが、ヘスターによる核による援護というのだから、もうねぇ。。。

史彦の人類とは非戦を貫く、という姿勢と合わせて、このあたりは和解なり協定なりを結ぶ可能性を示唆しているのだろうし、なにより、ヘスターには真矢がいるからね。人類どうしの対話の可能性を開いたという点で、前々回の、真矢とヘスター回は絶対的に必要な回だったんだな、と思える。

それにあの回があればこそ、最終決戦後のこの世界では、人類だろうがフェストゥムだろうが、対話の可能性を互いに模索し共存共栄の道を探る、という方向性が示唆されて終わるのだろうな、と確信できるし。

そういう意味では、世界自体が作り変えられる、というか、新生する。

そのための契機が、織姫から予告された総士の死と再生、ならびに、アルタイルとアショーカ&美羽による対話なのだろう。

そうやって新生された世界の中で、真矢はヘスターという拡声器を使って、真矢の家族である弓子と美羽が開いたアルタイルとの対話の結果を人類に向かって告げて説得に回るのだろうな。
もちろん、その際には、暉の遺志を継いだ里奈も連れて。

となると、広登の遺志を芹が継ぐのか、ということが気になってくるわけだけど。
これは正直、わからないね。

あのEDの最後に出てる亀形の竜宮島?形態がまだ現れていない以上、あの形態は次回、絶対出てくるはずで、その変容に芹の同化の力が利用されるのではないかなと思うのだよね。
で、その際に、芹は竜宮島と同化を遂げる。
むしろ、広登が消えたことは、芹からしてみれば現世に留まる大きな選択理由をなくさせるためだったんではないか、という気もするんし。

広登を除けば、芹の最大の望みは、もう一度乙姫に会うことでしょ?織姫ではなく。
で、そのためには島との同化というのが一番手っ取り早いのではないかと。
あるいは、ベイグラント自体を同化して、瀬戸内海ミールを一つに集めるというのもあるのかもしれないけれど。

さらにいえば、芹だけでなく里奈も実は危ないかな、と。
まぁ、今回の彗とのやりとりはコミカルな場面ではあったけど、同時に正統なw死亡フラグではあるわけで、彼女が頑張って消えてしまい、暉の遺志を継ぐはずだった里奈の遺志を彗が継ぐ、という展開かな、と。
もともと彗は頭がいい子だから、総士亡き後、真矢とともに人類どうしの和解を進めるのに尽力するのかもしれない。

まぁ、このあたりはどうなるか、全くわからないけどねw

ただ、ゴルディアス結晶という存在と無の境界がある、ということが判明してしまった以上、死ぬことの意味が一段メタなものになってることだけは間違いないので。

しかし、ベイグラントの登場と、まさかのヘスターの援護射撃によって、EXODUSの話は、突き詰めると、ミール同士の内輪もめ、それも第一アルヴィスと第三アルヴィスの瀬戸内海ミールどうしの争いにまで集約されてしまって、人類はその内輪もめに巻き込まれているだけの存在になってしまった。このあたり、実際問題、どう落とし前をつけるかだよなぁ。

となると、今のところ、世界の王w候補であるバーンズが、聞き分けのある大人であることを祈るばかりなんだけどね。。。バーンズが、ヘスター同様、戦闘の目的を見失わない思慮のある将軍であることを祈るよ。ちゃんと史彦と、阿吽の呼吸で、戦局を収拾させろよ。

あと、将軍といえばナレイン。
彼も最後は散るのだろうか。
それは彼が受けたアショーカの祝福にもよるのだろうけど。
でも祝福を受けた、という点では、多分、エメリーも弓子も一緒なんだよな。
だから、彼らとともに、アショーカがアルタイルと接触する際に、アショーカに同化されてアショーカの再生を促すような方向に関わるのだろうか。

というか、アショーカ自体が最後は何を示すのか気になる。
で、そのアショーカとともにアルタイルとの対話役を担うのが美羽になるわけど、その結果次第では、操との約束がまっているわけで。
となると、操も、織姫とともに、その最後のアルタイルとの対話の場面で、何らかの役割を果たすなり、託されるなり、するのだろうか。

そうすると気になるのは、彼が今駆っている機体がドライツェンだということ。
やっぱり、最後の最後でカノンの再登場を願いたいよね。
なにしろ、今の物語の終幕は、カノンの尽力によって辿りつけた未来のはずなのだから。
そして、操自身も、カノンのおかげで自分たちの今、すなわちボレアリオスミールと竜宮島・瀬戸内海ミールならびに竜宮島の人びととの共存の可能性を模索する今を導いてくれたことに気づいているわけだから。

操にも、美羽を同化しない道に気づくような契機があるといいな。

で、最後に残ってるのは、三体のザルヴァートル・モデルどうしの対決の決着ね。
これはなぁ。
なにしろ、総士がジョナミツを、人のふりをさせられた怪物、とまで言ってしまってるからな。ジョナミツのマスターであるアトランティス・ミールが改心でもしないかぎり、戦闘は必至だろうしなぁ。

アイの本物が現れて・・・、という展開にも期待していたのだけど、でも、今回の偽アイの登場によって、流石にちょっと厳しいかな、と。
それこそヘスターが、この時のための隠し玉として本物のアイを匿っていた、という展開でもない限り、さすがにこのタイミングであの戦場に本物のアイが登場するというのは難しいだろうからなぁ。

かといってビリーが何かしてくれるようには思えないし。
いや、彼にはまわりまわって、道夫の拳銃が渡っているわけだから、あれで誰かを撃つ場面に出くわすことはほぼ間違いないのだろうけど、問題はその相手で。拳銃を撃つことが意味を持つ相手は人間だろうから、となると、やっぱり真矢やキースしか思いつかない。裏返すと、彼がジョナミツをどうこうすることも難しいよねぇ。

そうすると、ザイン&ニヒトによってレゾンが最終的には撃墜されることぐらいしか思いつかないよなぁ。

ジョナミツの存在のあり方からすれば、甲洋なり操なりが説得に当たるというのもなくはないだろうけど、でも、二人とも口下手だからなぁ。
となると、やっぱり戦闘しかないのかな。

てっきりレゾンは真矢の愛機になるとばかり思っていたけど、ここに来てようやくのジーベンのエインヘリアル型への改修だったから、さすがにそれもないよね。尺的にもね。

というか、真矢は人類軍との因縁ができすぎたからね。あと一回の尺では、ビリーたちの相手をするのがせいぜいだよね。

まぁ、ジョナミツに過剰な思い入れをしないまま、あっさり撃破ぐらいのほうが、物語全体の方向性を見失わないのかもしれない。

とはいえ、さすがに、第2話の来訪者の多くが、ナレイン&エメリーを除き、最終的に敵対者として立ちふさがり、彼らを粉砕することで物語が終幕するというだけでは、あまりに展開的に捻りがなさすぎるので。ここは何かサプライズが欲しいところ。

なんだかんだ言って、あとの1回。正味20分ぐらいのところできっちり描き切ってくれることに期待する。

で、最後にひとつだけ。
ジョナミツの中の人なんだけど、前々から心配だったんだけど、最後のあの絶叫は、まんまアクセラレータじゃん!
ラスボスらしく、あと間らしく、もう少しトーンを落とした絶叫であって欲しかったのだけど。一通さんと同じじゃ、ただのチンピラだよ。ホント、叫ぶの下手だよなー。

それに比べて暉の中の人はなんだかんだ言って上手いよね。ヤバイ暉と、決意し目覚めた暉の両方をちゃんと演じ分けていた。なにより、前回最後の、広登の死去を自ら認める落涙シーンは情感が乗っていて上手かった。

まぁ、ジョナミツは、総士によればモンスターだから、その意味では、アクセラレータばりのイッちゃってる演技のほうがあってるのかもしれないけれど。
でも、それならそれで、徹底的に怪物として消えてほしいなぁ。
変に人間らしい、自らを振り返るような言葉を語ることなどないまま行って欲しい。
それも、ベイグラント次第なのかもしれないけど。

しかしグレゴリー型がまさかラスボスになるとはね。
第1クールからの周到な伏線の仕込みにビックリだよ。

ともあれ、あと1話!
心して待つことにする。

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蒼穹のファフナー EXODUS 第24話 『第三アルヴィス』 感想

2015-12-15 19:23:11 | ファフナー
終わってみれば暉回。
加えて、一騎回。
あと、操回。

盛りだくさん過ぎだよ!

なんていうか、見終わって、もう一回見て、で、起こったことを振り返ると、ものすごくいろいろな出来事が盛り込まれている。

●「いのち」を擁護しようとする暉の覚悟とその結末

●存在と痛みの「調和」を図るために島の祝福を受けて生まれ変わる一騎

●竜宮島から「いのち」の重要さを学びその大切さをフェストゥムの側から語る操

大きくはこの三者の話なんだけど、この他にも

●もはや「皆を守る」が口癖になった新生・甲洋

●身体にどれだけ穴があこうがまったくブレずに島と美味香を守ろうとする零央

●島のインターフェイスと化したカノン(&翔子)

というのが要所要所を決めていてなかなかにツライ。

この上で、まだ剣司&咲良夫妻に芹、彗、里奈がいるんだから、参る。
そうだ、ミカミカは復活だし。零央くん、嬉しいだろうな。

そして、物語はどんどん壮大になっていく。
前回が、地上の人の世界の業の話だったとすれば、
今回は、完全に天上界の神(どうし)の話。

とうとう一騎がフェストゥムの側に足を踏み入れたしね。

しかし、前回が、真矢の調停者としての覚醒、今回が、一騎の英雄としての覚醒、と来たのだから、次回は、例の総士のコアとしての覚醒が描かれるのかな。
もっとも、総士は、最終回かね。

総士のあのデスポエムは、こうなると、コアとして再誕する自分に向けたメッセージなんだろうな。総士のことだから、生まれ変わった自分が自分と同一性を保持しているとは思えないから、別人格と化す新生の自分に向けた手紙。

今回、アショーカのコアが同化されたようだけど、それを総士&ニヒトが無理やりアトランティス・ミールから引き出すのか、それとも総士を再生してくれた存在は、操のミール、つまりアショーカと同じ北極ミールだから、その関係で、総士が海神島のコアと成るのかな。

ともあれ、これで、一騎、総士、真矢、の三人は、それぞれ、瀬戸内海ミール、北極ミール、人類、と代弁すべき集団を抱え込むわけで、だとすると、この三人が再び同じ場所に生をまっとうする、ということは難しいのだろうな。

ともあれ、物語は終幕に向けて超加速中。

で、その物語の収束速度に、正直なところ、映像の演出がまったくついていけてないというのが、今回の正直な感想かな。

冲方丁のシナリオ、物語構成に絵コンテが全然追いついていない。
戦闘描写に逃げている感じがした。
物語の収束方向はもう見えているから、ことさらに感動的な場面にしなくてもいいよね、という感じで。

たとえば、一騎の再誕の部分は、その入りのところが少しばかり唐突だったように思う。
音楽で無理やり前のシーンとつなげた、という感じ。
ザインが復活する場面が映像になっていなかったも残念。

あと、終わってみれば明らかに暉回なのだけど、暉があそこまで粘る理由がわかりにくい。
いや、正確には彼が島に戻ってきてからの言動を繋いでみればわからなくはないのだけど。

たとえば、22話で派遣組を島のファフナーが救援に来る場面で、彗が今度は絶対助ける、ということを言っていたと思うけど、あれはオルガたちを助けられなかったという経験があればこその言葉だよね。とても短い言葉だけど、彗の決意が明確に伝わる言葉。

あの22回のAパートの戦闘場面は、そういう短い言葉だけど、それまでの物語があったから、なるほどそうだよな、と思わせるセリフが続いて、それだけでのめり込むことができる。

でも、今回の演出、特に暉の部分はもう少し何かできたんじゃないか、という気はする。
いや、一応、前回、家に帰った暉が、ご飯茶碗によそわれた白米を手にするところで、いのちの温かさだ、と口にするところがあるんだけどね。

それに今回のアトランティス・ミールによるアショーカの同化のシーンで、天柱のようなアトランティスの侵攻に対して、ゼロファフナーが両手で支える場面は、明らかにH&Eの広登の勇姿へのオマージュなのはわかるけど、その記憶に演出がちょっと頼り過ぎのように思えた。

もちろん、尺のないところを綺麗にまとめるにはオマージュ的場面を用いることでそこで伝えたいことの描写をいくらか省いて見ている側の脳内再生に委ねる事はできると思うのだけど、それにしてもね。ちょっと頼り過ぎかな、と。

それこそザイン再誕って流れであれば、H&Eでザインが広登をギリギリで助けたように、ザインが暉を助けても良かったのではないか、と思うのだけどね。

もっとも、残り2話で、暉が消えたことにも、物語展開上意味がある、必要だったということになるのかもしれないけれど。里奈の行動は当然縛るだろうし、真矢もそのことを聞けばまた感じることも違うだろうし。

(真矢が帰還するということは、広登の遺体も帰還するわけだから、芹の反応も気になるところだけど。。。)

ともあれ、今回の暉押しで、一つはっきりしたのは、「いのち」なんだな、結局、ファフナーのテーマってこと。

で、それを言葉で説明するのではなく、物語を通じて描こうとする。

それにしても、ゴルディアス結晶の見た目からも影響を受けている自覚はあるけど、ミール&フェストゥムってシリコン生命体、というよりも、植物的生命体ではないのか、という気がしてきた。

シャッター作戦で人類から放棄された土地に根付いたフェストゥムが、それこそ植物のような群体になっていたし。

暉がわざわざ植物である白米に対して「いのち」という表現を使ったことも、植物はしゃべらないし動かないけれど、動物同様、いのちであるということを強調したかったからじゃないのかな。

そう思うと、一騎が翔子から渡されたのが、真矢から渡された一輪の花であったことも、そうしたフェストゥムの植物性を表しているような気がする。

だから、珪素、すなわち鉱物が意識を持つ、というよりも、より本源的には、植物が意識を持ったらどうなるの?とか、植物が植物の身体の間、動けるようになったらどうなるの?というところに、彼らの進化の方向性に関するヒントがあるのかな、と。

ともあれ、あと二回。
23話、24話の感じだと、カタルシスのある盛り上がりよりも、淡々と、物語を収束させるのに必要なコマを動かすように、お話が描かれるのだろうな、という気はしている。

さてさて、総士たちは島に合流できるのだろうか。
そして、真矢は一騎に会えるのだろうか。

なんかもう真矢は一騎に再会できないような気がするんだよね。

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