巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

「一歩上いく英文履歴書の書き方、使い方」連載終了

2005-12-28 22:05:49 | 異文化コミュニケーション
Resume_last@IT自分戦略研究所「一歩上いく英文履歴書の書き方、使い方」の連載が無事終了。

もとの原稿は、joshさん主宰のメルマガ「B-zine」のために書いた全10回の連載もの。それにマイナー修正したうえ、毎回、後半部分に@IT用のオリジナルのコラムを加筆し、全11回になった。

10回が11回になってしまったのは、もとのメルマガ用原稿の第10回目が英語面接時の注意という、履歴書そのものとは関係ないものだったためだ。そこで、「10回目の連載をカバーレターに差し替えたい」といったところ、カバーレターの回(「第10回 『添え状』と侮るなかれ、カバーレター」)が完全に書き下ろしになり、もともと10回だった面接時の注意が「第11回 英文履歴書の選考をパスしたら」にそのまま残ることになった。

さて、メルマガ掲載時の原稿のタイトルは「英文履歴書の行間」。英文履歴書の書き方そのものを書くものではなく、「異文化コミュニケーションの視点からみた、日本の転職市場における英文履歴書にまつわる諸事情」を書いていたつもりだった。「英文履歴書の書き方」ならすでにさまざまな本が出ているし、ネット上でも色々な情報が探せるからだ。

だから、「履歴書はこう書けば絶対に成功する!」的なものではなく、「このように書いた場合、あるグループからはすばらしいと履歴書と良い評価を受けるが、別のグループからは正反対の評価を受けることがある。その理由は…」という書き方が主になった。

このようにあいまいなアプローチゆえ、joshさんを通じて@ITの編集担当者から掲載のお話をいただいたときは、「英文履歴書を初めて書く人も読むかもしれないのに、こんなものを読んだらかえって読者が混乱してしまうのは?」と悩んだ。しかし担当者が激賞(というか、爆笑)したのが、履歴書の紙の質やサイズについてオタッキーに書いた「第9回 紙の力のなせる業」(この回のタイトルはもちろん「神の力のなせる業」をもじっている)の前半部分だったために、「ええぃ、ままよ!」とばかりに連載に同意してしまった。

まぁ、大きな迷惑をかけずに終わってほっとしている。最終回のコラムはビデオレジュメのトレンドの話にしようか、サンキューレターの話にしようか迷ったが、実用的見地から後者を選択しておいた。ホンネを言えば、ビデオレジュメについて書きたかった。米国のITエキスパートの求職用ビデオレジュメといえば、思いっきり凝ったものがあり、日本人の感覚では「やりすぎ」のものがあって、なかなか楽しいからだ。最終回については、ここが少々心残り。

最初の担当者で連載の話を持ちかけてくれた@ITの大内さんと、大内さんを引き継いで最終回まで導いてくれた長谷川さんには、この場を借りてお礼を申し上げます。(…って、ご本人たちは、ここを読んではおるまいよ。だからドサクサにまぎれてコソッと書いておくと、もし原稿料がもっと…だったら…(以下略))

さて、最終回も終わったので、ビールを飲もう。プハーッ!

[追記 2005.12.29]
ちなみに「一歩上いく英文履歴書の書き方、使い方」は、2005年12月よりJOB@IT同名の記事に、ひっそりと転載を開始した。


レターヘッドとコンティニュエーション・ペーパー

2005-08-05 19:22:46 | 異文化コミュニケーション
■ レターヘッド(Letterhead)

日本企業も最近は使うことがある社外向けの会社の「便箋」だが、日本で言うところの「会社の便箋」とは重みが違う。レターヘッドを使った手紙は、「その組織が正式に出した文書」ということになる。だから組織に属している人間がその組織から手紙を出す場合でも、個人として手紙を書く場合は、レターヘッドを使ってはいけない。ゆえにレターヘッド使用に対する管理は、厳しくしなければいけないらしい。

以下は、「英文ビジネスレター作成のためのガイドライン」より引用である。

レターヘッドとは文字どおりレター用紙の頭の部分という意味であり、企業・団体のシンボルマーク、社名、アドレス、電話番号などが印刷された、レター用紙上部のスペースを指す。一般には、そのようなデータが印刷された正式なレター用紙そのものをレターヘッドと呼んでいる。
http://someya1.hp.infoseek.co.jp/chap-2(1).html



ある米系証券会社では、ヴァイス・プレジデント以上の地位になると、企業のロゴとヘディング(=Heading)に加えて、自分の名前と肩書きがあらかじめ印刷されたレターヘッドを作ることになっていた。証券会社なので「ヴァイス・プレジデント」(=vice president、直訳すると「副社長」)とはいっても地位はそれほど高くなく、実際は「部長」程度の地位だった。米系の金融サービス業では、しばしば「オフィスで石を投げれば、ヴァイス・プレジデントに当たる」といわれるぐらい、ヴァイス・プレジデントがわんさといたりするのだ。従業員が5名のある部署では、全員がヴァイス・プレジデントだった。もちろん全員がエネルギッシュにバリバリと働いていた。

ここで、国際展開をしているBSI Groupという企業体のレターヘッドの見本http://www.bsi-global.com/Brand+Identity/Stationery/uk_strap_2.pdf)を見てみよう。(要Acrobat Reader)


用紙のどの位置に、どの大きさで、どんな色を使って何を印刷すべきかがきちんと決められている。そこで再び「英文ビジネスレター作成のためのガイドライン」より引用する。

欧米にはレターヘッドのデザインを専門とするレターヘッドデザイナーがおり、またレターヘッドデザインを含めたトータルなCI戦略を専門とするコンサルティング企業も多い。欧米企業では、ビジネス用のレターヘッドや封筒、名刺などの、いわゆるビジネス・ステーショナリー (business stationery) はこうした専門家の手によって、それぞれの企業のイメージを伝える総合的なCI (corporate identity) 戦略の一環として制作されるのが普通である。
http://someya1.hp.infoseek.co.jp/chap-2(1).html#2.4


レターヘッドとはそういうものなである。

ところで、以前勤めていた英国企業の日本法人では、社外向けの会社の便箋としてコンケラー(Conqueror) の透かし入りの紙を使ったレターヘッドを使っていた。このレターヘッドは英国本社のレターヘッドにならい、デザインを英国本社のレターヘッドを、日本法人の情報に日本語で差し替えたものだった。

わたしが「おや?」と思ったのは紙の質についてだった。社長に尋ねると、やはり英国で印刷されたものだった。「さすが英国企業だ。コンケラーを使っている。」日本法人はえらくケチな企業だったが、このレターヘッドの用紙には大いに感銘を受けたものだ。

しかし、このレターヘッドはわたしが予想しなかったところで問題になった。ある日、50代の男性従業員が思いつめた顔でやってきた。

男性従業員「ふくしまさん。このレターヘッドは、絶対にまずいと思いませんか?」
わたし「え?????」
男性従業員「当社の名前と住所が、お客様の住所と会社名より上に置かれるというのは、ものすごく失礼ですよ。」
わたし「でもレターヘッドって、こういうもなのですが…」
男性従業員「外国ではそうかもしれませんが、ここは日本です。日本では絶対にだめですよ。」

確かに、彼の説明にも一理あった。日本では手紙文で「私は」とか「私議」と言う言葉を行の一番下配置するべきとしているぐらい、文字の位置関係にこだわって、自分を低くして相手をたてるものだ。本社のレターヘッドのデザインに合わせた日本人のレターヘッドは、そんな日本人の手紙のマナーににじみ出る美徳を、見方によっては「踏みにじる」ものだった。さらには、こう言ってきた男性従業員が、米国系メーカーに長年勤務していた人間だったこともあった。「外資系企業に勤めてきた人間ですらこう感じるのならば、日系企業の人間は、このレターヘッドに対して、もっと無礼だと感じるに違いない。」

そこでわたしは、レターヘッドの上部にある日本法人の会社名や住所などの情報を、すべて英語表記に直し、用紙の下余白辺りに日本語で企業名、住所、電話番号等を入れて、英国の本社に発注した。いわゆるバイリンガル表記である。

用紙の上部の文字を英語表記にしたのは、英国本社の仕様から外れて、グループ企業としての統一感がなくなることを嫌ったのが第一の理由だ。それに「英語で書かれているものなら、日本人は『文字』というよりも『デザインの一部』という感覚で見てくれるだろう」とも考えた。さらには「英語なのだから、用紙の上部に差出人情報が置かれているのも当然だろう感じてくれる率が高い」とも。そして、

わざわざ英国に発注したのは、当時日本では入手経路が非常に限られていたコンケラーを使ってくれるはずだからであった。

ところが到着したレターヘッドは、デザインは指示通りになっていたものの、なぜか紙の質が大幅にグレードダウンしていた。まるで厚手のコピー用紙のような質で、もちろん透かしはない。ヌォォォォ! レターヘッドは企業の顔だろ。CI戦略のひとつだろ。これが以前には研修所としてお城を所有していた、格式ありげな企業のやることかぁぁぁ。

このとき、わたしはこの英国本社は近い将来、つぶれるか、別の企業に買い取られるだろうと予測した。そしてわたしが会社を去った後で、この予測は当たった。

ちなみに、全くの一個人でも、カッコいいレイアウトのレターヘッドで手紙を書く人が多くなった。タイプライターで手紙を打っていた昔にはできなかった芸当だが、現在はコンピュータを使用するため、手紙のレイアウトが自由になるからだ。

例えば、→これ←をみて欲しい。(リンク先は、Distinctiveweb.comのカバーレターのサンプルの1つである。)

差出人氏名が一番上にバーンと印刷されている。この人は使っていないが、人によっては企業よろしく、個人でもロゴマークが使う人もいる。

実はわたしも、Microsoft Publisherで作った個人のレターヘッドを、誤解を受けないときに限り使用している。(さすがにロゴマークはない。)その誤解とは「なんだぁ? こいつ、自分を手紙の一番上にでかでかと載せやがって。失礼な女だ。」というものである。


■ コンティニュエーション・ペーパー(Continuation Paper)

さて、レターヘッドを使って手紙を書く場合、手紙の2枚目以降にはどのような紙を使うべきだろうか。

レターヘッドには差出人情報がすべて含まれているが、この用紙を2枚目以降に使うと、差出人情報全部がいちいち入ってしまって余計だし、スペースをとってうるさい。

ここで2枚目以降用として、コンティニュエーション・ペーパー(continuation paper)とかコンティニュエーション・シート(continuation sheet)と呼ばれている用紙の出番である。

コンティニュエーション・ペーパーは、デザインとしては、レターヘッドで使ったタイプのロゴや会社名を小さめのサイズにしたものを、紙の上部のどこかに配しておいたものが多い。大体はレターヘッドの位置にあわせて、用紙の右肩か左肩が多い。紙の質は、もちろんレターヘッドと同じものを使用する。住所や電話番号等の情報はなしだ。

日本の企業では、レターヘッドは用意していても、コンティニュエーション・ペーパーは作っていないところが多い。かつて秘書として派遣に行った先などで、2枚以上にわたる長文の英文の手紙の原稿がきても、コンティニュエーション・ペーパーがない企業が結構あった。こんなときは、「2枚目の紙はどうするんだぁ!」と、心の中で叫んだものである。もちろん会社にケチをつける生意気な派遣だと思われると嫌なので、「コンティニュエーション・ペーパーを作るべき」などという提案は、よほどのことがない限りしなかったが。

その代わり周りを見渡して、他の秘書の方がやっている方法にならうことにしていた。レターヘッドを2枚目にも使うか、無地の用紙を使うかのどちらかだった。後者の方法を採る企業の中には、2枚目用としてレターヘッドの紙と質が同じの無地の紙を用意しているところもあった。

ちなみに先ほどレターヘッドの見本を示したBSI Groupの、コンティニュエーション・ペーパーの見本は以下のURLにある。
http://www.bsi-global.com/Brand+Identity/Stationery/cont+a4.pdf


世界でもっとも影響力のある10の言語

2005-07-13 18:22:11 | 異文化コミュニケーション
石原都知事:「フランス語は国際語失格」発言で提訴される

 石原慎太郎・東京都知事が「フランス語は数を勘定できず国際語として失格」などと発言したのは名誉棄損に当たるとして、都内のフランス語学校校長、マリック・ベルカンヌさん(46)や日本人のフランス語研究者ら21人が13日、石原知事を相手に、新聞への謝罪広告掲載と計1000万円余の慰謝料を求めて東京地裁に提訴した。

 石原知事は昨年10月、首都大学東京(今年4月開学)の支援組織設立総会で「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする」と発言。フランス語は「70」を「60+10」、「80」を「4×20」などと数えるため、知事の発言はこうした数え方を念頭に置いたものとみられる。(以下略)
[毎日新聞 (2005.07.13)]
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050713k0000e040036000c.html



言語は文化を背負っている。地方自治体レベルとはいえ、権力のある人間が、簡単にそんな言葉の良し悪しを口にすべきではない。

たしかにフランス語の数の数え方といえば、外国語としてフランス語をかじったわたしも悩んだし、結局このあたりでひっかかって挫折し、大学の第二外国語はドイツ語を履修した。しかし、それを言ってもはじまらない。「名詞の単数と複数を区別しない日本語は、数盲の言語だ。」などと切りかえされたら、どうする?

では、フランス語は国際語だろうか? ??答えは、「現状では間違いなく有力な国際語」だ。

以下、フランス語が国際語である理由を、アメリカはクリーブランドのSaint Igunatius High School(聖イグナチウス高校)がきれいにまとめた、The World's Most Widely Spoken Languages(世界でもっとも影響力のある10の言語)という有益な資料をもとに、説明してみよう。

世界中で、何語が第一言語(=母語)として多くの人間に使われているかというと、人口の多い中国人の言葉、ついでインド人の言葉だろう。彼らの言語をどのように分類するかによって統計は変わってくるが、1位の標準中国語(Mandarin)を筆頭に、ヒンドゥー語(インドの言語)/ウルドゥー語(パキスタン及びインドのイスラム教徒の言語)、英語、スペイン語、ベンガル語(インドの北東部の言語)あたりが、五指に入ることになる。日本人の人口が多いため、日本語は9位ぐらい。そしてフランス語は10位以内には入らない。

しかし、世界中で多くの人間が母国語として話す言語が、必ずしも国際語であるわけではない。そこで、第二言語として話される言語を見てみよう。

実は、第二言語として世界でもっとも多くの人間に使われているのは、フランス語である。アフリカ圏には、今でもフランス語を使っているところが多いのである。(最近では、英語に駆逐されつつあるとも聞いているが。)そして、各言語について、第一言語として使っている人間に第二言語として使っている人間を加えると、順位は、1位が標準中国語、2位に英語、3位のスペイン語のあとに、ロシア語、フランス語、ヒンドゥー語が入り乱れるのである。

しかし、第一言語話者と第二言語話者の数を足しただけでも、「何が国際語か」の定義はできない。「国際的に影響力のある国」の言語は、それだけで影響力が大きくなるし、ある地域において「この言語を身につけておけば、社会的出世は約束されたようなもの」と考えられている言語もある。

例をあげれば、伝統的に外交の言語は古くはフランス語であった。近代ヨーロッパの教養人の間ではフランス語を話すことがたしなみであり、第一次世界大戦のベルサイユ条約ぐらいまでは、外交官たちはフランス語を共通語として操っていたらしい。しかし、米国の国際的な影響力がその後大きくなったために、外交の世界においても、次第に英語の影響力が増していったのである。

というわけでGeorge Weber's article "The World's 10 Most Influential Languages" in Language Today (Vol. 2, Dec 1997)は、世界でもっとも影響力のある言語」の算出に、以下の点を加えている。
  • 第一言語(母語)の話者の数

  • 第二言語の話者の数

  • その言語が使用される国の数と人口

  • その言語が国際的に使用される分野の数

  • その言語を使用する国の経済力

  • その言語の使用が社会的な威信/名声につながるか

こうして、選ばれた世界でもっとも影響力のある10の言語は、1位から順に以下のとおりである。
  1. 英語

  2. フランス語

  3. スペイン語

  4. ロシア語

  5. アラビア語

  6. 中国語

  7. ドイツ語

  8. 日本語

  9. ポルトガル語

  10. ヒンドゥー語/ウルドゥー語


オリンピックの第一公用語がフランス語と決められたのは、近代オリンピックの父クーベルタン男爵がフランス人だったというばかりでなく、当時のヨーロッパの教養人の間でフランス語が共通語として話されていたからだ。そしてそれが今でもオリンピック憲章に残っていられるのは、フランス語が世界で2番目に影響力のある言語だからでもある。

日本国内では英語の影響力のほうが圧倒的に強いので、フランス語という言語の強さをあまり感じられないのかもしれないが、国内の感覚だけでフランス語を「国際語として失格」というのは、"国際都市"東京の首長の名が廃りますぞ。

[以下、追記] 2005.07.15

国際共通語に興味のある方は次の記事もどうぞ:「モンドランゴはエスペラントに代わり、国際共通語になりうるか?」 巣窟日誌

実はThe World's Most Widely Spoken Languages(世界でもっとも影響力のある10の言語)は、「国際コミュニケーション論」の2004年4月26日の授業において、「国際共通語としての英語と英語支配」というテーマで使った資料だ。そしてその次の授業、すなわち2004年5月10日の授業において、同じテーマで学生が取り上げた人工言語が、おなじみエスペラントと「モンドランゴ」だった。この分野に興味のある方には面白い話題かもしれない。


パーソナルスペース「塩を取ってください」

2005-04-02 22:48:48 | 異文化コミュニケーション
基本英会話や初級旅行英会話でよく出てくる表現のひとつに、"Please pass me the salt." というものがある。文自体は "Could you" など疑問形になってていねいさを出しているかもしれないが、とにかく、他人に塩を取ってほしいときに使う表現だ。

この英文を使う状況を想像してみてほしい。あなたは1つのテーブルに6人で座って食事をしている。同じテーブルの他の人たちとそれほど親しくはない。料理の塩気が足りず塩がほしいと思ったあなたは、塩が斜め前の席に座っている人の近くにあるのを見る。

自分がどうやってもこの塩に手が届かない場合には、「塩を取ってほしい」と相手にいわざるを得ないだろう。「相手にお願いして何かをやってもらうのは失礼」の意識に加え、日本語ならともかくこの表現を英語で言わなければならない状況では、「英語の発音に自信なし」などの理由で、塩を使うことのほうをあきらめてしまう人もいるかもしれない。

では、塩のビンは他人の近くにあるが、自分が手を(あるいは体を)ぐっとのばせば、取れる位置にあった場合はどうだろう?

日本人の多くが、自分で手を伸ばして相手の近くにある塩を取るのではないだろうか。その際に「すいません」とか「失礼」とかのことばを相手にかけることもあるかとは思うが、とにかく自分で取るだろう。この行動の理由は「相手の手を煩わすこと」が「相手の近くにあるものを取ること」よりもはるかに失礼であると考えるからだ。

しかしアメリカなど英語圏の場合は、どうやら逆のようなのだ。自分が手を伸ばせば届くところでも相手の近くにあった場合には、"Please pass me the salt." といって相手に取ってもらうべきものらしい。

なぜかというと、相手の近くは「相手のパーソナルスペース」つまり「相手のテリトリー」と考えられるからだ。そこへ手を出して物をとることは、相手のパーソナルスペースを侵害することで、これは彼らにとっては非常に失礼な行為にあたる。そこで相手のテリトリーにあるものは、相手にお願いして取っていただくことになる。

"Please pass me the salt."は、文化的コンテクストがたっぷりついた表現だ。自分が手を伸ばしても塩を取れないときに使う表現のみならず、「相手の近くにそれがあったときは相手にお願いしろ」というマナーもあらわしている。

そういえば昔、ディック・フランシスの競馬シリーズのTV化を日本で放送したものがあった。その中で元競馬のジョッキーでレース中の自己で義手になった主人公に対し、皆との食事中に元奥さんが、「塩を取ってくださる?」と主人公にお願いする場面があった。その塩は主人公の義手の側にあった。

「なんてイヤな女なんだ」と、当時のわたしは憤慨したが、わたしが考えたほどひどい行為ではなかったかもしれない。相手の近くにあったのだから。…いや、でもやっぱりすごくイヤな女だった。


個人主義と成果主義

2005-03-11 21:47:35 | 異文化コミュニケーション
修士課程の同期だったYさんが、「成果主義と個人主義の関係を書いた本はないか?」と、メールでたずねてきた。成果主義を異文化コミュニケーションの視点から分析したいという。

最近日本企業の多くが導入している「成果に応じた報酬」という制度に、わたしは基本的には賛成だ。ただしその導入はそれほど簡単ではない。

異文化コミュニケーションや異文化ビジネスの世界では、成果主義は個人主義と密接な関係があると考える。

文化の特徴を分析する切り口はいくつかあるが、異文化経営のコンサルティングで有名なトロンペナールス (Alfons Trompenaars) とハムデンターナー (Charles Hampden-Turner) が使った文化を分類する7つのファクターのうちののひとつに、「個人主義」(Individualism)対「共同体主義」(Communitarianism)のファクターがある。

このファクターによると、個人主義の中では成果主義がプラスの効果を発揮し、共同体主義の中では成果主義が負の効果に働くことがある。成果主義のメッカである米国と米国企業は個人主義の傾向が高く、そして日本と日本の組織は共同体主義の傾向が高い。

概して個人主義の強い文化の企業では、次のような傾向が見られる。
  • 「個人の求めると組織の求めるものは基本的には異なる」と考える。

  • 成果主義、個人の勤務評定、MBO(目標管理制度)のような個人の動機付けになるものを導入すると、業績が上がる。

  • 高業績者、ヒーロー、優秀者を探し出して、表彰したりほめたりする。

  • 従業員に個人のイニシアティブがとれるような自由を与えると従業員のやる気が出る。

  • 転職率が高い。



一方、共同体主義の文化の企業では以下のような傾向が見られる。
  • 従業員は自分のやり方を、グループ全体のやり方にあわせる。

  • 従業員は会社のために働く。団結心を強調する。

  • グループ全体を称賛し、特定の個人をほめすぎることを避ける。

  • 全員がゴールを達成しようと、一丸となる。

  • 転職率が低い。



共同体主義の企業の中で、ヘタに個人を表彰したりほめたり、あるいは一部の高業績社員に対する待遇を高めると、全体としては逆効果になることがある。「皆で頑張ったはずなのに」「皆同じように働いているのに」という意識が働き、ほめられたり昇給があった人間に嫉妬が集中したり、あるいは称賛を受けなかったその他大勢がやる気を失う。わたし自身もひとりだけ称賛されたために、その後社内で四面楚歌状態になったことがある。業務に必要な連絡事項すら入らず、かなり苦労した。

それでも「成果に見合った報酬」には賛成だ。プロセスにおいても結果においてもより良いものを出しながら、「若い」「当社に入ってまだ年月が浅い」「学歴が低い」「女だから」「パートだから」などの理由を、低い報酬の正当化にしてはならないと思う。

しかし、アメリカ流成果主義は強い個人主義傾向にリンクしているもので、これを日本企業の中に無理やり押し込むと、日本企業がこれまで持っていた「皆で頑張る」「一致団結」という、共同体的な組織ならではの強みを失う結果になりかねない。

成果主義を日本の企業に導入し、そしてプラスの効果を出したいのであれば、日本の組織にあわせた成果主義というものが必要だろう。??企業も個人も元気にする日本型成果主義の仕組み??わたしに良いアイディアがあれば、今頃それをがんがん売ってがっぽりもうけているはずだが…

警告しておくが、「人件費総額を減らしたいから、成果主義を導入した」なんていうのだけは、無しだぞ。

: ハムデンターナーとトロンペナーズの7つのファクターとは
  1. Universalism vs. Particularism

  2. Analyzing vs. Integrating

  3. Individualism vs. Communitarianism

  4. Inner-Directed vs. Outer-directed Orientation

  5. Time as Sequence vs. Time as Synchronization

  6. Achieved Status vs. Ascribed Status
  7. Equality vs. Hierarchy

この2人によれば、成果主義の効果には、この記事のIndividualism vs. Communitarianism のファクターの他に、Achieved Status vs. Ascribed Statusも関連がある。

米国社会は「実力で地位が決まる」とするAchieved Statusが強い文化だが、日本は「学歴の高さ」「年長者」「家柄の良さ」「性別」などが地位を決める要因として影響力を持つAscribed Statusの傾向がかなり見られるとされる。成果主義が上手く機能するのはAchieved Statusの強い文化においてである。

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「いっそのことすべてを「手当」にしてみれば」 (Hooray Hoopla) (2005.03.17追加)