オイラは、ボイラ 寒がりボイラ

6月から9月まで迄の4か月間は、失業状態ですが、冬期間はボイラーマンとして出身高校を暖めています。

北海道公立高校入試

2017年03月07日 20時04分15秒 | 一年に一度のチャンス
今日の北海道は、雪が積もり悪天候でした。

15才の春を目指して、全道で高校入試がありました。


私も、40年近く前に入試に望みました。

自分の入りたい国立工業高専を落ち、田舎の公立高校に

受かりました。

中学までは、特に変わりなく、過ごした学校生活が、

高校からは、変わりました。

同級生が、15人から135人に増えたのです。

将来、何になろうなんて考えてもいない高校時代です。


6年前に息子が高校受験、4年前に娘が受験しました。

二人とも、志望高校には受かりました。


将来の仕事を、息子は決められずに、大学進学し、

娘は管理栄養士を目指して、大学進学しました。

二人ともアルバイトをしてがんばっています。

二人の就職が決まり、職が安定したら、シガナイ介護士を引退です。


小学生の時から、日本海に浮かぶカメ岩







塚本幼稚園が明るみに出た。

2017年03月07日 15時10分58秒 | 最近の出来事について
今回、大阪の幼稚園が何度もテレビに出ている。

森友学園、愛国心を前面に出した幼児教育。

大阪は、日本の中でもかなり個性的な組織がある。

モーターボート競争会のドンであった笹川良一もその一人。

愛国心、丸出しでは、黒色に日の丸をあしらった宣伝カーと

同じ組織か?


かわいそうなのは、安倍総理と夫人である。

野党からの追求で、初めて見せたあの動揺した姿、

北朝鮮から拉致被害者5名が帰ってきた時には、

小泉首相の補佐役としてかなり活躍したのに、

毅然とした態度で、野党の議員を跳ね除けていただきたい。


小学校は、おそらく認可されずにこのままズルズルと行くだろう。

森友学園は、教育組織を解散して、別な活動に励んで頂きたい。

例えば、北方領土返還や北朝鮮拉致被害者の救出。

籠池泰典氏には、ヤマト魂の日本人、独特の能力があると感心する。

工場勤め開始、張り切る美也。

2017年03月07日 09時24分06秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 3月15日(月曜日)今朝は、6時前に目が覚めた。
いよいよ仕事始めだ。工場での金属加工の仕事はテレビで見たことはあるが、実際は難しいのだろうか。美也の頭の中を不安がよぎった。
朝食を済ませ、寮母さんに作ってもらった弁当を持ち、7時半に寮を出た。工場に着くと、先にスクーターで来ていた1つ先輩の
山口良平が作業着を手渡してくれた。「これに着替えなよ。」気さくな感じでの笑顔が印象的だった。
少しすると、総務係長の伊藤がやってきて、美也を皆に紹介した。工場長の遠藤元は、50歳代後半でベテラン職人の風格が
顔の表情から滲み出ていた。「よろしくな。君は最初、製品管理と搬送、出荷業務をやってもらうから。」と美也の顔見て、
言って来た。「はい。」とだけ答えるしかなかった。遠藤は離れたところで、リフト車を点検していた40歳代前半の男に、
「西田主任、北石君の面倒を見てやってくれ。」と言い、美也を紹介した。真面目そうな人だったが、表情は冷たく無愛想であった。
美也は、「この人が、オレの上司?」と心で思った。「北石です。よろしくお願いします。」と挨拶すると、「あ~、よろしく。」と
だけ返してきた。8時になり、始業のチャイムが鳴り各部署に皆移動していった。3つある大きな建屋の内1つは倉庫であり、製造された
物をリフトで、高く積み上げてあった。西田主任は、美也を呼びつけた。「ここの倉庫に、出来た製品を運んで梱包し、保管管理する。
火曜日と金曜日が出荷日や、トラック積みして終わり。」と説明した。「簡単な仕事だが、種類と数をキチンと把握しないとあかんで。」と
強い口調で檄を飛ばした。「はい、解りました。」と美也は少しビビリながら答えた。「後な、リフトの運転も徐々に覚えてや。」
倉庫の奥の方では、女性工員が3名で製品を梱包していた。機械が多く使われていて、女性にでも楽に作業ができる環境であった。

西田の言葉は、関西弁が時々混じる。美也の高校時代の体育教師が奈良の天理大を出ていて、関西弁だった。
どこか威圧的で美也は嫌いだった。まず始めは西田に連れられ、2つの建物から製品を運ぶ仕事を覚えるように言われた。
リフト車の後を付いて歩き製品を回収した。各工場には、30名以上の工員が忙しそうに、機械の操作や金属部品の溶接、
製品の検品などをこなしていた。後で、工場長に説明を受けたが、1つ目の工場では、金属を大まかにカットしたり、
熱を加えて曲げたりする行程の建屋で、二つ目の工場は、その金属を更に精密に形成したり、溶接し、製品化し、検品をする建屋となっていた。
工員の数は70名ほどで、すべて男性だ。第3の建屋倉庫で梱包している女性工員はパートである。

あっという間に4時間が過ぎ、昼休みになった。各建屋に休憩室があり、そこで昼食を食べる。第3の建屋の休憩室では、西田とパートの
女性工員と美也だけの5人での昼食だ。皆弁当を持ってきており、40歳後半ぐらいのおばちゃんが皆にお茶を入れてくれた。
「お兄さんは、いくつなの。」と顔を覗き込んできた。「18歳です。」と美也が答えると「あれ~、うちの息子は17歳の高校二年生よ。」
と言って驚いていた。「えらいね。寮に入ってるの?」と聞いてきたので、「はい、北海道の高校を卒業してまだ2週間で、寮生活です。」と
答えた。「北海道~、遠いところから来たんだね。私は、20年以上前に新婚旅行で行ったけど、広くて良い所だったわ。」と懐かしそうに
話していた。美也は、笑顔でうなずいた。主任の西田は、無言で黙々と手作り弁当を食べていた。後の二人は30歳位の主婦のような感じ
の人であった。一時間後に、仕事開始のチャイムが鳴り、皆持ち場に戻った。今日は2時間の残業がある事を、工場長から聞いていたので、
午後は、4時から15分だけの小休憩をした後、7時まで働いた。

 作業着から私服に着替えて帰ろうとした時、西田が声を掛けて来た。
「晩飯、おごったるわ。何食いたい。」美也は驚いた。今まで無愛想で、あまり喋らなかった西田主任が笑顔を見せたのだ。
「何でも食べます。」美也は少し緊張して、こう言った。「焼肉でも行くか。」と言い、水心寮の近くにある焼肉「白頭山」に二人は入った。
「ここのホルモンは、やみつきになるで。自分の好きなの頼んでええで」と西田は言った。美也は、カルビが好きだったが、遠慮して
サガリとホルモンを注文した。「生ビール飲むか?」と聞かれ、首を横に振った。「そやなぁ、未成年やもなぁ。」と言い、「コーラでも
何でも頼みや」と言った。美也は、コーラを頼み、西田は大ジョッキの生ビールを頼んだ。「ご苦労さん。」と西田は言い二人は、乾杯した。
西田は、飲み始めると口数が増えた。ここの焼き肉屋は月に2回来るらしく、家もここから歩いて5分の所に母と二人暮らしをしていると、
話してくれた。以前に大阪の天王寺動物園で働いていた事があったと言っていた。この会社には13年いるらしく、最近主任になったらしい。
話を聞いていて、どこか影がある様な感じがしたので、美也はあえて質問はせず、ただ頷いていた。
何で北海道からこんな遠くまで来て、就職したのか聞かれた。「都会生活に憧れて、出て来ました。」東京が大好きな事を、西田に伝えた。
「そうか、がんばりやぁ~、ここの会社で働くと金がたまっるで。」と西田は言い、自分も最初は水心寮に入っていた事を話してくれた。