能登半島地震から、4か月半の月日が流れました。
2月から金沢駅前で2次避難者の方のための支援物資を扱う拠点でボランティアをしていましたが、3月からは輪島市で現地に出向いたり
自分の住む地区も被災地区なので、地区の方の荷物の搬出や片付けのお手伝いなど。
ちょっと無理がたたったか、コロナに罹患し、新人研修になんとか間に合わせるべく体力温存に努めましたが、5月からはまた現地へ。
私のお訪ねしている地区は、まだ水が出ていなかったり、避難所に身を寄せている方も幾らかいらっしゃり、炊き出しのニーズもあります。
ご高齢の方が多く、片付けも一苦労かと思うのですが、ボランティアに片付けを依頼することを躊躇われたり、地区外に避難している方もいらっしゃって、ボランティアのニーズが少ないです。
いわゆる「受援力」が弱め。
室内の片付け以外に、制度の対象外で応急修理が必要な事情に直面します。
まともに業者に頼むと、いつになるかわからないのと、請求書が怖い金額になったりします💧
そんな時、これまでの災害ボランティアで知り合った技術系のボランティアの方が、忙しい作業の合間をぬって、現場に来てくれたり、
Facebookでの呼びかけに、2、3トントラックを貸してくれたりや荷物の仮置き場として倉庫を提供してくれる友人がいたりして、
被災者の方が、助かった、ありがたいと、被災した人の重荷が少しでも軽くなっていくのを見ると本当に良かったなと思います。
助けてくれるのは、強いつながりかっていうと、むしろ何年も会っていなかった緩やかなつながり。
ゆるい紐帯の強さってやつです。
災害の復興というのは、まさにソーシャルワークの実践の場だと思っています。
無理だ、不可能だと思うことでも、つながりを社会資本として、とにかくなんとかする。
それって精神保健福祉士の実習で痛烈に学びとったソーシャルワーカー的な行動の1つだと思っています。
その繋ぎ目、調整役になることは、机上での電話やメールなどの遠隔作業が中心で、目に見えない仕事で、正直言うと、忙しい時はちょっと負担に感じることもあります。
ですが
被災地区や被災者の方がこれまで会ったこともない人と繋がって、その後、復興がまた進んでいくなら、私は繋ぐ役目を果たしていきたい。
そうやって、私を今の地区に繋いでくれた方がいて、そのつながりをさらにつないで、いろんな人に手伝ってもらえたらと思います。
とは言え、ボランティア活動の動機に曇りがなく、被災された方々の気持ちに配慮ができる方でないと、
地元の方に、地区外から入ってきた人に土足で街を踏み荒らされたと感じさせてしまうようではつなぎ役は失格なので、
誰でもいい訳じゃないし、事前の対話の時間をしっかりとって、現地でもうまく連携しながら活動できればと思います。
先日、地震の際の崖崩れで孤立した地区の住人の方が、避難先の金沢からお戻りになって、その地区のお片付けをさせていただきました。
朝早くから、裏庭でとったたけのこで「たけのこごはん」を振る舞ってくださいました。
昼食持参で自己完結が基本のボランティアですが、「食べてね」という被災者の方のニーズに応えでいただくことも大事な関わりなのだろうなと思いつつ、
ありがたくいただきました。
お母さんの熟練の味、能登弁では「まんでまい!」「まんでうまい!」
こんな大変な時でも、おもてなしの心を忘れない、ご高齢の女性の笑顔は輝きに満ちていました。
忘れがたい時間でした。
2月から金沢駅前で2次避難者の方のための支援物資を扱う拠点でボランティアをしていましたが、3月からは輪島市で現地に出向いたり
自分の住む地区も被災地区なので、地区の方の荷物の搬出や片付けのお手伝いなど。
ちょっと無理がたたったか、コロナに罹患し、新人研修になんとか間に合わせるべく体力温存に努めましたが、5月からはまた現地へ。
私のお訪ねしている地区は、まだ水が出ていなかったり、避難所に身を寄せている方も幾らかいらっしゃり、炊き出しのニーズもあります。
ご高齢の方が多く、片付けも一苦労かと思うのですが、ボランティアに片付けを依頼することを躊躇われたり、地区外に避難している方もいらっしゃって、ボランティアのニーズが少ないです。
いわゆる「受援力」が弱め。
室内の片付け以外に、制度の対象外で応急修理が必要な事情に直面します。
まともに業者に頼むと、いつになるかわからないのと、請求書が怖い金額になったりします💧
そんな時、これまでの災害ボランティアで知り合った技術系のボランティアの方が、忙しい作業の合間をぬって、現場に来てくれたり、
Facebookでの呼びかけに、2、3トントラックを貸してくれたりや荷物の仮置き場として倉庫を提供してくれる友人がいたりして、
被災者の方が、助かった、ありがたいと、被災した人の重荷が少しでも軽くなっていくのを見ると本当に良かったなと思います。
助けてくれるのは、強いつながりかっていうと、むしろ何年も会っていなかった緩やかなつながり。
ゆるい紐帯の強さってやつです。
災害の復興というのは、まさにソーシャルワークの実践の場だと思っています。
無理だ、不可能だと思うことでも、つながりを社会資本として、とにかくなんとかする。
それって精神保健福祉士の実習で痛烈に学びとったソーシャルワーカー的な行動の1つだと思っています。
その繋ぎ目、調整役になることは、机上での電話やメールなどの遠隔作業が中心で、目に見えない仕事で、正直言うと、忙しい時はちょっと負担に感じることもあります。
ですが
被災地区や被災者の方がこれまで会ったこともない人と繋がって、その後、復興がまた進んでいくなら、私は繋ぐ役目を果たしていきたい。
そうやって、私を今の地区に繋いでくれた方がいて、そのつながりをさらにつないで、いろんな人に手伝ってもらえたらと思います。
とは言え、ボランティア活動の動機に曇りがなく、被災された方々の気持ちに配慮ができる方でないと、
地元の方に、地区外から入ってきた人に土足で街を踏み荒らされたと感じさせてしまうようではつなぎ役は失格なので、
誰でもいい訳じゃないし、事前の対話の時間をしっかりとって、現地でもうまく連携しながら活動できればと思います。
先日、地震の際の崖崩れで孤立した地区の住人の方が、避難先の金沢からお戻りになって、その地区のお片付けをさせていただきました。
朝早くから、裏庭でとったたけのこで「たけのこごはん」を振る舞ってくださいました。
昼食持参で自己完結が基本のボランティアですが、「食べてね」という被災者の方のニーズに応えでいただくことも大事な関わりなのだろうなと思いつつ、
ありがたくいただきました。
お母さんの熟練の味、能登弁では「まんでまい!」「まんでうまい!」
こんな大変な時でも、おもてなしの心を忘れない、ご高齢の女性の笑顔は輝きに満ちていました。
忘れがたい時間でした。
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