山本七平の遺稿を読んでいる。江戸末期の見聞録は漢文の読み下しにも似てかくしゃくとした文字運び。それでいて現代に近いゆえに意味は取りやすい。典拠を繋ぐ筆者の言はべつに漢文調でもなんでもないのだけれど、それでも時折耳慣れない語彙に行き当たる。たとえば「辺邑」。たとえば「膂力」。「膂力」はこないだ別の処で出て来て覚えた。「辺邑」は見れば意味は分かるが、自分からは使えない語彙である(使う機会もないけど)。ちなみに相変わらずアンポンタンな「ことえり」は、邑(むら)を変換してくれなかった。・・・全国の木邑さんや山邑さんは淋しいことだ。
多分私は歴史周辺の語彙におおいに開拓の余地があるのだろう。でもそうした語彙は、「査収」とか「具申」とか「勘案」とかいったような、「ほぼ日」で言う処の「オトナ語」とはかけ離れたジャンルだ。世間のプラグマティズムや効率性からするとどうでもいい語彙群なのかもしれない。
ちなみに「邑」の字は、Googleに「ヨドコウ」と入れて拾った。物置で有名なヨドコウは芦屋にフランク・ロイド・ライト設計の迎賓館を持っており、旧山邑邸とも称されているのを知っていたからだ。・・・へんな処で役立つどうでもよい知識。
何のオチだ。意外にハンドルのアソビの部分がいざというときの道を開くってオチ?
多分私は歴史周辺の語彙におおいに開拓の余地があるのだろう。でもそうした語彙は、「査収」とか「具申」とか「勘案」とかいったような、「ほぼ日」で言う処の「オトナ語」とはかけ離れたジャンルだ。世間のプラグマティズムや効率性からするとどうでもいい語彙群なのかもしれない。
ちなみに「邑」の字は、Googleに「ヨドコウ」と入れて拾った。物置で有名なヨドコウは芦屋にフランク・ロイド・ライト設計の迎賓館を持っており、旧山邑邸とも称されているのを知っていたからだ。・・・へんな処で役立つどうでもよい知識。
何のオチだ。意外にハンドルのアソビの部分がいざというときの道を開くってオチ?