ブログ バジリカ

今日もシャランラ♪

お茶と筋肉痛

2010年04月04日 | 茶道
動けない。というか立てない。

社中のお茶会に参加させて戴いた。今までお客さんとしてしか出たことがなかったのだが、今回はホスト側、お茶席を用意する側としての参加である。

京都のお寺や神社では月釜を掛けていることがよくある。月釜というのは、お寺が開催する、月に一度のお茶会。お客さんは年間チケットを購入し、毎月楽しみにお茶会にやってくる(飛び入りのお客さんも千円くらい支払うとお席に入ることができる)。同じお寺のお茶席とはいえ、毎回季節に合わせてお道具からお茶碗から何から何まで趣向が異なる。亭主も異なる。では誰がそのお茶室のお席をしつらえ、お茶やお菓子を手配し、お茶を立てて振る舞うのか、というと、それは近隣のお茶の先生方。今回の月釜も、開催者の一人がうちの先生だったので私も参加させていただくことになったのだった。

前の日の掃除と搬入は失礼させて戴いて、当日5時起き山門前7時集合。9時始まり、と聞いていたのに、8時半くらいにお客さん第1号がいらっしゃる。一席18名から20名、約30分。所謂、大寄席である。

お手前と後見は先生方がやってくださる。お釜の前でお茶を立てるのは正客次客の2名分まで。全部をそこで丁寧に立てていると時間が足りなくなるからだ。残りはバックステージ(水屋)のスタッフが人海戦術で即座に立て、着物を着た人間(たいてい色無地か訪問着を着ている)がそれを受け取っては次から次へと運んでお客さんにお出しする。これを「お運び」と言う。

「お運び」の作法は前に教えて戴いていた。水屋でかがんでお茶碗を受け取る。左手の古帛紗の上に載せて右手を添えて持って行く(入っていく時は、畳の縁は右足で越えるという和室の歩き方の鉄則がある)。お客さんの前に座る。お茶碗を右へ2回90度づつ回し、正面をお客さんに向けて畳の上へお出しする。古帛紗の輪を右側にして膝の右側に置く。膝を、左、右、と下げてお辞儀。左踵を立てて立つ。去る(帰り道の畳の縁は左足で越える)。他、お菓子を出したり、お菓子器や空のお茶碗を回収したりする。・・・そんなにむづかしくはない。べつに着物の裾も踏んづけないし、たまに出す足を間違うけど、そんなに酷いことにはならないのではないか、と思っていた。甘かった。

お運びは1回や2回ではないのである。お茶はお盆で持っていく訳ではないので、1人に対してひとつづつ。何回も行っては帰ってくる。つまりその度に、立ったり座ったりを繰り返すのである。

異変が起き始めたのは昼前だ。なにやら足が重い。太ももとふくらはぎだ。力を入れる度に、むきっ、と鈍痛が走る。な、なんだこれは。と心に衝撃が走った。・・・スクワットだ。立って座ってお辞儀してまた立って歩く。この「お運び」という奴は、つまり飽くなきスクワット運動なのだ。

そういえば先生が以前言っておられた。お年を召された先生方は、お茶会になると立ち上がるのがしんどうならはるんやわ、足使うさかいにねえと。お茶会とは亭主側のことだったのだ。お年を召していなくてもこれはなかなかのものである。最初はなんともないけれど、回を重ねる毎にゆるやかに着実に負担がのし掛かっていく。

そんなこんなで終わって片付けをして帰ってきたときには、相当なボテボテ歩きになってしまっていた。なるほど。着物も帯も全然しんどくないのに、こう来たか。なるほど。と1人で納得した。

お茶会をモジュール化するとその一要素としてスクワットが入っている。日本の伝統文化は、立派なお道具やきれいな着物、たおやかな心遣いの陰で、スクワットで支えられているのだ。人知れず猪木なのだ。

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