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アルビレックス新潟元選手 伊藤優汰の「しくじり先生」開講中

2022年05月24日 06時00分00秒 | アルビレックス新潟
2022年5月13日付の京都新聞朝刊に、以下の見出しの記事が載りました。

「元サンガ選手伝える 技術も失敗も 伊藤優汰さん 京滋でドリブル専門塾」

京都サンガFC育成組織上がりで、将来を大変嘱望された彼。
が、京都で十全に覚醒するに至らず、アルビレックス新潟に移籍し、カターレ富山に転じ、最後は埼玉県川口市に本拠を置く県リーグクラブでユニフォームを脱ぐという〝淋しい〟締めくくりで、第一線から身を引いたのでした。

伊藤優汰が、新潟で結果を残せなかったのは、契約満了を言い渡されたのは、「私生活がだらしなかったから」「自律的な生活を送れなかったから」という悪い評判が立っていたことは、みなさんご存知の通り。
が、果たして事実なのか?妄想による戯言なのか? 伊藤はそんな選手じゃないはずという思い入れが働いたりもして、信じない人も多かったと思います。
筆者もそうでした。
されど、富山入団まで時間を要し、せっかく加入したカターレを早々に退団し、流れ着いたのが県リーグのクラブだと知って、 ああ事実であったんだろうな、と。

そして、引退から1年1カ月が経過し、優汰は京都新聞の取材に応じて、自らの「しくじり人生」を語ったのでした。
5月13日時点では、京都新聞ウェブでは有料会員しか読めませんでしたが、1週間経過してYahoo!ニュースで記事全文解禁。
ただ、いつウエブ配信記事が削除されるか分からないので、ここにコピペします。
なお、Yahoo!ニュースの見出しは「「消えた天才」誘惑、けが…元京都サンガのドリブラーが「反面教師」として伝えたいこと 」と改められています。


京都サンガFCの下部組織出身で、トップチームでも切れ味鋭いドリブルを披露した伊藤優汰さん(29)=大津市=が、京都や滋賀でドリブル専門スクールを運営している。
下部組織の頃から将来を嘱望された“天才ドリブラー”だが、プロ入り後は自身への厳しさを欠いた時期もあった。
誘惑に勝てず、J1を経てJ3や社会人クラブへと移り、第一線を退いた。スクールでは、技術指導はもとより、自分の弱さや失敗を隠さず子どもたちに語り、挑戦し続ける大切さを伝えている。

「グッド!素晴らしい!」「大丈夫、大丈夫。続けよう」。
4月下旬、宇治市のフットサルコートで行われたスクール「R.W.Sドリブル塾」。
京都・滋賀支部代表を務める伊藤さんが、約20人の小学生にボールタッチやテクニックを手取り足取り教えていた。
現役時代はチームメートを鼓舞するタイプではなかったが、約2時間、休むことなく大きな声で励まし続ける。
「モチベーションをあげて、楽しんでほしい」と笑顔。
練習後には、「毎日どれだけ真剣にサッカーと向き合ってきたかどうか。でないと自信は付かない」と熱っぽく語りかけた。

熱い言葉の裏には、自らの苦い経験がある。

伊藤さんは宇佐美貴史(G大阪、長岡京市出身)や柴崎岳(レガネス)ら「プラチナ世代」の一人。
またぎフェイントを交えたドリブルや、正確な左足を武器とし、U-15、16日本代表にも選ばれた逸材だった。
サンガの同期は宮吉拓実や駒井善成(札幌)ら。
ユース最強世代の一翼を担い、U-15では日本クラブユースサッカー選手権で優勝を飾った。
突破を武器とする駒井と両翼を担い、「左の駒井、右の伊藤」として名をはせた。
サンガの寮でも練習を続け、当時を知るスタッフも「人よりずっと自主練習をやっていた」と認める。
高校2年の夏、宮吉に次いでトップチームに2種登録された。

高校卒業後の2011年にプロとなり、1年目はJ2で20試合出場3ゴール。
しかし徐々に相手に研究され、リーグ後半は出場機会を減らした。
そんな時、踏みとどまれなかった。
誘惑に打ち勝てず、夜の街に出かけた。
練習に集中できない日や、寝不足で練習する日もあった。

16年、当時J1の新潟に移籍。
開幕戦でゴールして華々しいデビューを飾ったが、9月に前十字靱帯を断裂した。
ここでも地道なリハビリに向き合えなかった。
「あのリハビリをサボったから、自分のサッカーが終わった」。
19年にJ3富山に移ったが1年で契約満了に。
周囲の勧めでトライアウトも経験したが「燃えてくるものがなかった」。
アルバイト生活も経験した。
20年4月、当時の埼玉県1部チームに誘われ参加。
電気関係の仕事をしながら、関東2部昇格に貢献し、2年間プレーしたが、熱は上がらず、第一線から退いた。

スクールは、妻の知人の紹介で知った。
「感覚でドリブルしていたので、コーチは向いていないと思ったが、言語化して伝えるのも面白そうと思った」。
スクール代表と会い、昨年7月から始めた。
指導ライセンスは持っておらず、指導マニュアルもないという。
「個性あるドリブラーを育てたい」と、自分でメニューを考え、褒めて子どもたちの意欲を引き出す。

練習後などには、自分よりうまかった宇佐美が自分より向上心を見せていたことや、J1時代の外国人選手との厳しい競争、誘惑に負けた自身の失敗談なども明かす。
「あの時ちゃんとしていれば」と思う自分がいるからこそ、反面教師を買って出る。
現在は宇治市や守山市、木津川市でスクールを開く。
「自分の意志の弱さに後悔した。何回失敗しても立ち上がり、挑戦し続けられる人間になってほしい」と願う。

塾を通じて、サッカーへの思いも再認識した。
スクール会場の知人を介して、今年から関西リーグ1部の「守山侍」にも加入。
「やっぱりサッカーは面白いっすね」と人懐っこい笑顔を見せる。

自身のサンガ時代も振り返り、宮吉や駒井ら下部組織時代のチームメートの名前を次々と挙げ、「めちゃくちゃ楽しかった。やりやすかったし、ずっと残っていたらどうなっていたかなと思う」とも。
自身はJ2時代にクラブから離れる決断をしたが、今もサンガの動向を気に懸ける。
J1昇格に貢献した麻田や川崎ら下部組織出身選手にも注目し、「J1の試合で活躍しててすごい。育成出身の子たちが『ここにずっといたいな』と思うクラブになってほしい」と願う。
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