Ryo徒然なるままに

日々の暮らしを徒然なるままにつづる。
何でもありの日記のようなもの・・・

ついにギニア再上陸

2006年08月27日 | ギニア
2006年8月27日(日)

朝食は前回と違って最上階(前回の出国日に時間をつぶすために過ごしたBar)だった。
(前回はず~っと1階にあるレストランで朝食だったのに、今回はなぜか最上階・・・雨季で蚊が多いからかなぁ
窓の外を眺めると、この前ゆがんだ足場を組んで工事を行っていた建物ができていた。
あんなゆがんだ足場だったのに、できあがった建物がまっすぐなのが驚きです。
また、全てにおいて何かとのんびりしているのがギニアだという印象があったのでこれにも驚いたものです。
あのドゴール空港の屋根が崩落したところすら2年くらい経った今でも放置されているのに・・・

朝食時の会話で、昨晩合流した京都大学の学生さん「清野さん」には僕が学生だと思われていたことが判明した
ま、いつものことだから気にならないのだけれど・・・
(山越先生もとても助教授とは思えない若々しさでそれこそ学生かと思った・・・)

朝食の後、山越先生は車のタイヤ交換に立ち会わないと行けないということで出かけ、ボクは部屋で何をするでもなく時間を浪費していました

昼食はホテル・カマヤンヌ(Hotel Camayenne)
前回、最終日に土産物を買いに行ったホテル。
ボッソウ30周年記念シンポジウムの会場の下見に出かけたときに、カバの木彫りがあり、牛田先生がいたくそのカバを気に入り、是非それを買って帰りたいというので最終日に再び訪れたという経緯があったのです。
しかし、そのときには土産市はなくなっていて、ひどく牛田先生はがっかりしていたけれど・・・。

そのホテルの周辺にはたくさんの土産物屋が軒を連ね、ボクもその中の一軒で土産物を買って帰ったものです。
ホテルの駐車場にはニンバゴッデス(ニンバの守り女神)の大きな彫刻があったのだけれど、写真をとろうとすると金を要求され諦めた経緯があります。
その大きなニンバゴッデスはまだ当時のまま置かれていた。

ただ、記憶では3体あったと思うのだけれど、2体しかなかった・・・
売れたのだろうか・・・
高さはゆうに2mを超えるような大きなものだったのに、誰があんなもの買うんだろう

昼食は、フランス料理というか洋食というか、普通に文化的な料理で、量がいささか多すぎることを除けば満足できるもの
しかし、その食事中に、山越さんと清野さんは現地の人々が食べているものを食べるのが基本的に好きらしいということがわかり、いささか「げんなり」した気分になってしまった
朝食の時に山越さんは山岳部でもなく、探検部でもなく、陸上部だと聞いて少し安心していたのだけれど・・・
それでも、ネズミが食べられないことは伝えておかねばと思い、その旨伝えると、清野さんは
「えネズミ食べるんですか
と驚いていた。
一瞬、味方が増えたと喜んだのだけれど、
「楽しみ~
の一言・・・何じゃそら・・・

昼食の後、山越さんはタイヤ以外の自動車のメンテナンスが残っているから出かけたいと思っていたようだけれど、例によって今日の仕事はここまでと切り上げられてしまってあえなく明日に持ち越したようである。
予定通りに物事が進まないのがギニア(アフリカ)流であるということを嫌でも思い出してしまった

昼食後はすることもなく、また時間の浪費に精を出す

夕食はRocher(ロシェ)の4Fで食べる。
ピザとビール
最後にシーバスのロックで締める。
文化的である
夕食時の話は、清野さんが研究を行っている地、タンザニアの話で盛り上がった。

そういえば、ヘキサチューブがウガンダだかタンザニアだか知らないけれど、さらにアフリカのどこかに入る話が進んでいると言うことを小耳に挟んだのだけれど、
ウガンダタンザニア
誰が行くというのか・・・
いささかウンザリさせられる話ではあるなぁ・・・