ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

無名の妖怪タイピスト

2017-03-28 | 雑記
先日来、体のあちこちが妖怪やら化け物に取り付かれているなどと書いてきた。

例えば、胃には胃の中で遊んでいるのがいて、そういうのは世の中にいるのかは寡聞にして知らないので、胃の頭(イノカシラ)と名付けた。

次に、最近はなんだか、今まで見えなかったものが見える。目を凝らすと、物から靄が出ているのが見えて、湯気とは違って、風に煽られて吹き飛ばされることもない。

そのノリで、仕事場の待機状態のテレビ画面を眺めたら、波打つ様子が見られたりと、尋常ではない。

さらに、そうやって見ていると、一分でも二分でも、まぶたを動かすことがなく、その上目が乾いて痛いなどということもない。

これはきっと、目の化け物が取り付いたのだろう、著作権無視でBeholderと呼ぶことにした。カタカナでビホルダー。


最近は指にもいるらしい。特にこうやって文字を打っていると、本当に自分で文章を打っているのか判らないほどの勢いで文章を書き出す。

しばらく前に書いた「人間マイスター」と銘打った記事がある。特にあの時が顕著だったように思われる。


ある程度、こういう流れでこう書こうとは思っていたのだが、いざ書き出すと、作品のシナリオのうちで取り出しておきたい部分を的確に取り出しては書き綴り、しかも作品自体見たのはずっと前だというのに、まるでさっき見てきたかのように書いていく。

きっとタイピストの妖怪が手に取り付いたのだろうと思うことにした。名前はまだない。

しかし、妖怪がタイピストをやっていたなどとは夢にも思わなかった。


こんな妖怪に取り付かれまくった化け物だが、あくまで人間である。今後トモヨロシク・・・。




妖怪の朝は早いのか遅いのかしらないが、先日は日付が変わるか変わったか位に寝ようと布団にはいた。酒も呑んだので、眠れるはずだと。

眠るには眠ったが、目が覚めて時計を確認したら、午前三時だった。

ヌウ!鎧の弟は一人で眠れない夜を過ごしているというのに、こちらは寝ようとしても寝られない体になったのか!と嘆く気はないのだが、それとは別に、変わったこともある。

寝る前に飲んだのは赤ワイン。ポークステーキなんぞ食べたので、そのための赤ワイン。

ハーフボトルを一本を空にしたのだが、まったく頭痛がない。

ワインを飲むと頭痛が起きる理由は、馴染みのワインバーの店主が言っていたが、農薬だとか、防腐剤の影響だという。

一番の原因は防腐剤だといえるらしい。ただし、添加している防腐剤で、亜硫酸塩だとかいうのは、そもそも醸造中にある程度でてくるそうな。

天然物大好きっこの間で流行っていた言葉で、ファイトケミカルだかなんだかというのがあって、野菜が生存をかけて防衛しようとして湧く物質がどうたら、とかいうのがある。恐らく、その仲間だと思われる。

どうやら、わしの体はぶどうになったらしい。そのうちぶくぶく膨れてワインに化けるのだろう。

などと冗談を考えつつ、起きて茶をいれ、先ほどPCを起動し、記事を書こうとアクセスしたら、とんでもないプレビューになっていた。

一体どこを見ているのか。書いている内容なんて実際どれもほとんど同じだというのに。

とはいえ、これはこちらも他のブログでやったものである。何か興味が引かれる記事のあるブログを見つけると、遡って記事を漁るというのはよく行っていた。

そう。これはきっとその仕返しなのだと思うことにした。仕返しとかいうのはおかしな話だというのは忘れてもらおう。



特にしたかった話は、妖怪タイピストの話だったのだが、ついでに、弟が病んでいる話を書いておく。


先日、弟から連絡があり、病んだせいで離婚して実家に帰ることになったそうだ。

そんな電話を受けていたら、酔っ払ってどこかに放り投げたマフラーを見つけて、つい「見つかった。助かったぞ」などと口走った、と書いたものである。


馴染みの店でそんな話をしたら、そういう人は自分の知り合いでも多いと聞く。マフラーが見つかった、とかいう話ではない。

病んで離婚、一応形式としての離婚で、でも結局そのまま別れ別れになっているのがほとんどだとか言っておった。

環境を変えるのが、そういう病気では一番だと、お店の人は言っていたものである。


弟の病気は「適応障害」だとかいう。

何を隠そう、わしも適応障害である。普通のワイン飲んだら頭痛がするのが当たり前なのに、適応してないのだから。

まあ、冗談はいいとして。


うつもあったとかいっていた。今もうつかどうかはしらんが、あとは客の激しいパワハラなんかもあって、病んだという。

わしなんか、「苦しんで滅びろ」だったから、これも明らかなパワハラである。訴えたら勝てるかもしれん。

人並みに「ごめんなさい」の一言すら言えない動物に訴訟しても仕方ない。動物のほうがしっかり「ごめんなさい」を身体全体で表すので、動物未満であろうな。

ともかく、適応障害は精神系の病気だと聞いたので、瞑想やってみろというと、すでに弟の知り合いが本を渡していて、「これこれこうやる奴だろう」と、知らないわけではなかったようだ、とも書いた。

瞑想についての所見は、最近の「カキノキ・ゲージング」とかいう妙なタイトルの記事にも書いたが、やり方が問題ではないのである。

型は必要だが、それは感覚をつかめるかどうかであり、型どおりやったからなるとは言えないのである。

アイクがニューエイジだかの集まりで、一人膝が悪いので椅子に座って蓮華坐をしている集団の傍で見ていた。

そこで「蓮華坐できるかできないかで判るわけがなかろうに」などと、『ムーン・マトリックス』で書いていたものである。


太陽見て腐蝕、じゃなくて不食になった!太陽すごい!というのと、蓮華坐で瞑想して悟りを開けた!すごい!というのは同じだというわけである。

千葉のどこかの歯医者のおばさんは、サンゲージングしながら口あけて、歯にいいかもしれないから、などと言っておったそうな。

これにはお日様も苦笑い。いっそのこと口を日焼けにして、物を食べられなくして悟ってもらえればと、一生懸命照らすかもしれない。

そうなって、それでも太陽すごい!とか言うなら、もはや立派な太陽信仰である。その御仁は本当に『ムーン・マトリックス』を読んだのか?と改めて問いたいところだが、無駄であろうと思う。


人のいや、人類の悪口は措くとして。


さて、弟には「型はどうでもいい。寝食を忘れるほど没頭できるものを見つけてこい」と伝えたとは書いた。

そういうことをしてたら、わし自身も妖怪染みたと伝えた上での話である。


さて問題は、どういうものがよいのか、である。

寝食を忘れるほどTVゲームがいいか?まったく悪いとは言わないが、及ばない。

親にも「なんかしたがったら、手伝ってやってくれ」というと、ペーパードライバーの弟に車の運転でも教えようかと言っていたが、これも悪くはないが、やはり及ばない。

仕事場のシャイン氏に、イメージトレーニングというのを伝えて、わしも見ていたHPの記事を死霊、じゃなくて資料として一部渡しておいた。

その中に、「手にリンゴを持っているイメージをする」というのがある。こういうのが出来るようになれば締めたもの。

先日、夜勤を共にして話していたところ、シャイン氏も結構な、人並みというべきか助平なので、エロイ妄想をするのがいいかもしれないと、今度提案してみようと思う。


前者二つと、後者の違いは何か?並べて書けば、お気づきの方もおられるだろう。


前者二つは、外部からの刺激に反応して動いているだけで、寝食を忘れて没頭したとしても、根本的な物とはなりえないのである。


シャイン氏に資料として渡したHPの中にもあったが、創作なんかもよい、とあり、そこの管理人も趣味の一連の行動をイメージするということを行っているという。

瞑想と催眠術は、自分で行うか、人にかけてもらうかの違いで、暗示に掛かっている状態なのだという。


瞑想がいいか催眠術がいいかは得手不得手があるそうだが、リンゴを持っているイメージをする、というのはまさに、創作をしている暗示を掛けているわけである。



上のHPの話ではないが、人というのは、常に何がしかイメージをする。

何がしかの行動の前には常に、自覚できないほどのものだったりするのだが、イメージが先行していて、その通りになるというのである。

愛は化学物質だとかなんとか、あのおっさんが翻訳していた本があったが、化学物質は結果として促進剤として出てきたものであり、愛情の前には、自覚できないレベルだったりもする愛情のイメージが起こればこそ、体がそう動くのである。動作だけでなく、愛情を促進するホルモンの分泌なんかも含めて、一切合切である。

解剖学的見地で見た人体の動きは、なんの意味もないのである。実際は動いているものを見ていないので、死体を見ているのと同じである。


また悪口になったが、話を戻す。


上の二種類で話をするなら、ゲームをプレイするよりも、ゲームを作ることを考えるほうがよいわけである。

こういうアクションゲームを作るとか、作っているところをイメージをするとか。凄まじいプレイのイメージをするというのもありである。

車の運転なら、ダートラリーでもやっているイメージで、ここで思い切り曲がってコーナーを駆け抜けて、だとかを想像する。

音楽をやるなら、楽器の演奏をマスターするところからだが、曲を作るほうに切り替えていく。旋律はパクリになっていようが、自分の曲を作り上げていくのである。

そうやって自分の意識を掘り起こす作業をする。いつしか、意識の変革とでもいうべきことが起こるだろう。

そして、アイクは言っていただろう。全ては「コンシャスネス」が起こしているのだと。


変えるべき環境は外にはない。自分の内側である。自分の内側を見ないから、外のせいにして、それが内外の環境を悪くしていることに気づかず、「バカな人類は滅べ」などと言い出すのである。

環境が悪いとかいうなら、スーパーで売っているワインを飲んで頭痛がしない理由を明確に教えてもらいたいものである。

食後の紅茶が効いた、などというのは見当違いである。そんなことは昔からしていて、それでも頭痛がしていたのだから。



というわけで、特に不調があるわけでもない皆様方にも、何がしか創作を捜索して頂きたい。

我々が人の姿を取っているのは、あなた自身が創作すべきものを捜索するためなのだろうと、思うからである。

しかし、またダジャレか。わしはダジャレを捜索しているらしい。そこら中にあるので、創作の余地もないが。


では、よき終末を。