ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

納期

2010-06-29 | 雑記
そろそろ家賃を払いに行こう、と思い、シャワーを浴びて珍しく髭もそって出かける。
家賃は振り込み式ではなく、近所の不動産屋に払いに行く形になっている。
取引銀行もローカルなので、返ってこちらのほうが早いようだ。

夏はどこかお出かけで?という話で、実家は遠いし金かかる、などと話をしていたら、
奥から確か専務かそれくらいの役職のいつものおばさんが野菜ジュースをくれた。
かなり長い間、野菜ジュースを飲んだ覚えがないが、実家で飲んでいたものより人参臭くない。

どこかで冗談半分で触れられていた話だが、野菜ジュースには二種類の派閥と呼べるものがあるらしい。

ひとつは人参の味が強いもの。昔の野菜ジュースはこれが多かった。
もうひとつは果物を多めに入れて、「野菜」の風味を弱めたもの。

飲みやすさでいえば後者に軍配が上がるのじゃなかろうか。もらったのもおそらくコレ。

などと考えていたが、ちょっと気がかりがあった。

これから昼飯にしようと思っていたのだが、腹に入るかなと。


で、「和」に向かう。今日はビールとゴーヤ丼セットにしよう、などと思いつつ入店。

席について水が来ると同時にもう頼んでしまった。


暫くして、目の前にビールが来る。さて一口、と飲んで思いだしたことがあった。

「六月一杯は呑まないつもりだった」のだが、明日は仕事なのでまあいいかと笑いながら忘れた。

いつもの人じゃなかったのと、昼時なので客も多い。黙って食べて呑んで終了。

野菜ジュースのせいかビールのためか、後半はペースが落ちる。おそらくビールだろう、とは言わない。

サーターアンダギーも買って、茶を飲みながら、とはいかず、茶を飲んで寝てしまった。


さて、動画を二つアップ。のんびり出す理由もないので、日を空けずに出した。時間は空いたけど。

一本目の冒頭でも語っているが、以前の撮影後にクリアはしてきた。が、撮影の時しかプレイしないので
色々と忘れている。だからあんまりいつもと変わらない。「お、お、お」という感じ。

三十五日目



上の一本目の終了が、触手に捕まったところで終わるという、そういえばあまりやらなかった区切り方。

わざとここで日を空けようかと思ったが、編集のついでにアップしておいた。
この先の編集の都合で、先に作っておいたほうがよい、ということになったため。


三十六日目



ミニゲームの途中で終わる。そこでご注意を。次回(三十七日目)はその続きから始まるが、
だらだらしすぎなので早送りで始まる。声も早送りなので何を言っているかはわからない。
そして、その後半、PCゲーム特有の操作不良で失敗があり、イライラした声をごまかすために
こちらも早送り編集をいれている。撮り直したほうがいいかなどとも考えたが、
遥かにそちらのほうが面倒になるので、その形に落ち着いた。

それに時間がかかったので、気が付けば(わかっていたけど)朝になっていた。

さてさて、本当にDead Spaceも終わりが見えてきた。エンドロールでまたリクエストでもやろうかなどと。

候補は二本。二本ともやっちまうか?などというのもありか。でも、やるとしたら一本だろうが。では、また。

症状

2010-06-27 | 雑記
先週くらいだったかその前の週だったか、六月の終りまで酒は呑まない、と思って過ごしてみた。

そのせいか知らないが、右手に湿疹のような赤みが現れる。

何年か前から、左手の甲をよく掻くせいかずっと荒れていたのが最近は落ち着いてきたのだが
代わりに右腕から手先にかけて痒くなることがあった。そしてついつい掻いてしまう。

もう少し清潔にしておくべきか、とも考えたが、あとは制服のシャツや自宅で着る服に残った
洗剤に反応して、去年患ったアトピーの再発かとも思ったが、今のところ不明。掻かなければ問題ない。



話は代わり、六月に入って視聴数ががくっと下がった実況動画。今月中にはなんとか取り掛かる予定。

まあ、前回のチャプター終了後からそのままエンドロールまで突き抜けたので、内容を忘れるための
休憩時間でもあったが、どっちにしても大して英語がわからないので変わらない気がする。
最後は衝撃的に過ぎるので、忘れようにも忘れられないのだが、それは措く。


では、予告を。次のチャプターでは、今までちらついていたとある生存者が姿を現す。
たびたび出てくるマーカーについても詳しく語られるのだが、英語がわからないので適度に流す予定。

なるべく六月末までに一本目を出せるよう、今日明日中には取り掛かるつもりで。では、また。

帰還

2010-06-25 | 雑記
たとえば、サッカーが好きな人に「サッカーは面白いか?」と聞けばおそらく、如何に面白いか語るだろう。

聞いている人間が面白いと思わないようなものの楽しみ方も延々語り出すかもしれない。

つまりはサッカーの面白さを語るその人は、これがサッカーの面白さだ、というのだが
実は理由にならないのである。彼の中にある面白さ、は理屈じゃないのだから。

その逆で、あれこれできっと楽しいに違いない、面白くなるはずだ、と考えるのも蹉跌に陥りやすい。

そもそも、合理的な推論が及ばないところから現れる感情を論理で逆算しようというのが間違いだった。


もう少し、自分の感覚に素直に耳を、目を向ければよかったのかもしれない。




乗りかかった船だし、船か自分がくたばるまでもう少し熱心にお付き合いをしようと考え始めた。

まあ、一生のお付き合いになるわけじゃない。三日後に死んでたら一生ではあるが。

何の話かは、左の「ブックマーク」欄の下から二番目を見てくれたらいい。見なくてもいい。

では、変な写真とその記念撮影の風景をどうぞ。


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どうやら、一人でこの三名を動かしているらしい。まだ編集してないが踊りもやっていた。
ちなみに、画面のうち一人はドラクエでいう村人で、仕事の受付をしている。
よくもまあ、ここまでそっくりにキャラを作りあげたもんだ。

というわけで傍にいた人と記念撮影。このコピー人形の人と知り合いのようだった。

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右に誰か写っているが気にしない。もう一枚はチャットの吹き出しが入っていたので却下。


さて、ピザでも頼んでみようかね。では、また。




自然

2010-06-22 | 雑記
老子だったか荘子だったか、まとめて老荘、と呼ばれたりするのだが、「自然」という概念がある。

自然というのはあれか、木々が豊かに生い茂って、ではない。その自然とは何かを喩えた一文の概略を下に。

  大きな湖に魚が泳いでいる。自由に泳ぎまわっている。その時、他の魚がいるだとかどこに
  いるだとか考えることもない。仮に傍を泳いでいても気になることはない。
  反対に、小さな水溜りでうごめいている魚たちがいる。お互いに泥をはね掛け合っている。
  やれ、こちらのほうが大きいから小さいお前はどけだの、美しいから俺はえらいだのと。
  これが孔孟の徒で不自然なものである。

と言った具合の喩え話をする。

酔っ払いは酔っ払いらしく、酔っ払いの喩えも載せようか。

  ある人が馬車に乗って夜道を行く。途中、石を踏んだかで転げ落ちてしまう。
  彼は意識のある状態で飛び出したため、着地の際に無理な踏ん張りをしようとして怪我をする。
  反対に、酔っ払いが同じ状態になったとき、無傷で済んだ。
  泥酔で意識がなかったため、「自然」に反した無理な踏ん張りをしなかったからだ。

と、ここまで書いてふと思い出した一文がある。作者はニーチェ。「生に対する歴史の利害について」から。

  君のそばを草を喰らいながら通り過ぎる畜群を考察し給え。彼らは昨日がなんであり、
 今日が何であるかを知らず、跳び廻り、食い、眠り、消化し、再び跳び、かくして朝から
 晩まで、毎日毎日、彼らの快と不快に短く、すなわち瞬間の杭にしばりつけられて、それ
 ゆえに憂愁も倦厭も知らずに過ごす。これを見るのは人間には辛いことである。なぜなら
 人間は動物の前で、われこそは人間なりと胸を張ってみせているのに、動物の幸福に嫉妬 
 の眼を向けているからである―まことに、人間がただ一つ欲していることは、動物と等しく
 倦厭もなく苦痛も伴わずに生きることであるが、しかし徒にこれを欲すのみである、なぜ
 なら人間は動物のごとくこれを欲することができないからである。なぜ君は私に君の幸福 
 について語らず、ただ私をじっと視るだけなのか?と人間が動物に仮に問うたとする。動
 物は答えのつもりでこう言うだろう、それは、私は言おうと欲したことをいつでもすぐ忘
 れてしまうからだ、と―だがそのとき動物はこの答えをまたすぐ忘れて黙り込んでしまう。
 だからこそ人間は動物を不思議に思うのである。
  しかし人間は忘却を学びえず絶えず過ぎ去ったものに固執している自分自身についても 
 いぶかしく思う。彼がこんなに遠くまで、どんなに速く走っても、過去の鎖も一緒に走って
 来る。瞬間は忽ちにして来たり、忽ちにして去るのに、以前にも虚無、以後にも虚無であ
 るのに、なおも幻影として再び来たり、次の瞬間の安らいを妨げる、これは実に驚くべき
 ことである。……動物は直ちに忘れ、あらゆる瞬間が現実に死に、霧と夜のなかに沈み込
 み、永遠に消えうせるのを見る。動物はかくして非歴史的に生きる。
  ……一切の過去を忘却して瞬間の敷居に腰をおろすことの可能でない者、勝利の女神の
 ごとく目まいも恐れもなく一点に立つ能力のない者は幸福の何たるかを決して知らぬであ
 あろうし、なお悪いことには、他の人々を幸福ならしめることを何もなさないであろう。                              
                                             (強調はニーチェ)      
強調は本来では傍点だったが、代替である。気にしないように。 

つまりは、水溜りで泥をはね掛けあい、動物の前でわれこそは人間なりと胸を張る、むなしい存在に
なりさがっていたのだな、と自身を振り返ったが、そう思ったことをまたすぐ忘れることにする。では、また。

散策

2010-06-20 | 雑記
「文字ばかりじゃないか」「なんでそんなこと知っているんだ」「難しくてわからん」
と、正直な感想を戴く。たしかに、文字しかないなぁ。動画も予定より数日ほど延期中である。

まあ、ケンカしてふさぎ込んでいたのもあるが、それより何より、出歩く機会が減っている。

別によいではないか、いつものことだろうと言われればそれまでだが、先月の「昭和の日」、だったか
それ以来ご無沙汰していた、多摩動物公園に行って来た。

都内の動物公園は、前述の「昭和の日」などの休日は、終日無料。今日も日曜ではあるが
比べてはいけないが、客は多くなかった。ブラブラするには丁度よいので好都合である。

値段は一般が六百円。三百円、という記憶は大阪の天王寺動物園だったと思われる。


見たい動物がある、というほどではなかったが、気ままに足を運んでみた。

前回は「昆虫館」を廻った覚えがないな、あそこの洞窟で光る虫の展示は涼しかったなと、などと。

この日はボランティアのスタッフが解説をしている姿を散見できた。入梅したとはいえ天気も悪くない。
何年か前に、「モウコノウマ」のところで雑談したのを思いだしたが、昼を過ぎると姿が減った。

しかし、足が重い。夜勤明けで疲れているのだ、とは思うが、平地はなんともない。
坂道が辛くなっていた。実に運動不足だ。仕事も体を動かすわけではないのだから。
これからは天気が悪くないときや、風邪などで自重しようという以外は出かける機会を設けることにする。

さて、昆虫館を出て橋を渡る。その先にサル山があった。

日本猿の学術名はmacacaなんたらかんたらとかいうのだが、英名をよくよく見ると少し気になった。
「Japanese macaque」と書いている。てっきり「monkey」だと思っていた。

monkeyはあまりいい意味がないのか、それとも別の種類を指すのか。興味があるかたはお調べ願う。

日露戦争前に日本を訪れ、警官に斬りつけられた当時のロシア皇太子はそれ以後、日本人を
ことあるごとに「あのマカクめ」と罵っていたという。ちなみに猿の露語訳ではない。

・・・などとぼんやりサル山を眺めていたら、俄かに小猿が騒ぎ出した。

まったく意想外だったので少し驚きの声を上げてしまったが、猿の運動神経は素晴らしいと思いつつ離れた。


結構気に入っているマレーグマは展示されてなかったり、海外産のオオカミの毛並みがチーコを彷彿させたり
(しかもオオカミ皆寝ていた)と、以前は気づかなかったことが少しあった。自身の体力の現状も含めて。

雨は結局降らなかったが、少々気がかりでもあった。園内で食事を摂る気はなかったので帰ることにした。


さて、京王線では自宅から遠い。「高尾山口」のほうまで行くという手もあったが、忘れていた。

せっかくなのでJRに乗り換えずに歩いて帰ることに決めた。ちょっと昼飯もと。


帰り道にはこれまた動物を見つける。名前を思い出せないので調べてみたら、これだろうか。

ボルゾイというらしい。ロシア繋がりとは恐れ入る。洋服店の入り口に連れられていたのだが
手を出すのをためらいつつ通り過ぎようとしたら、すぐ後ろのアベックがこっちが驚くような声を出す。
驚いたのもわかるが(店の前まで来ないと見えなかったため)それの方が驚いた。

女性のほうが恐る恐る、だが笑いながら手を出す。ボルゾイ君は少し鼻先を近づけたが
舐めるでなし、実に落ち着いた物腰だった。先のリンクの記事はWikipediaなのだが、人なつっこいらしい。

その通りとは反対のほうを眺めながら歩く。理由は簡単だ。

その通りの果物屋さんにはこれまた真っ白な日本スピッツだろうか、犬が飼われている。
何年も前から居るのは知っていたが、前を通った時に限っていなかった。

しかし、今回はお店の敷居あたりで寝そべっていた。

奥からの声か何かに反応して首をむけ、そちらに行ってしまった。元気そうで何よりだ。


歩き疲れしかも夜勤明けなら、よく眠りたいところ。しかし、枕がちょっとよろしくないと考えていた。

そこでこんな物を買ってみた。



藤製の枕だ。

子供のころ、祖父母の家にいくと、これが転がっていたものである。転がって、はないが
使い込まれたのか、落ち着いた色合いがあった。そして意外と頑丈。

い草枕にしようかと考えたが、昔100円ショップで二百円(嘘ではない)で購入したものがある。
中身が硬いスポンジで、夏には悪くないが、常に使うには厳しいと思っていた。

その店のは中身がソバ殻ではなくパイプだったりする上に、重いのでこちらにしたが、これが結構いい。

横向きに寝てみると、自分の肩の高さと合うので首が痛くなかった。では仰向きはというと
茣蓙を敷いてある床へ直に寝ていたので、いつもより首が高い気がしたが、ヒンヤリしてよかった。

長々と結局書いたが、ついでに動画も完成していたのでこれも掲載しておく。

今回も大変なことになった。主要人物が一人死亡する。とてつもなく凄惨な殺され方で。

三十四日目



ケンカのせいでせっかくの数少ない視聴者が確実に二人減ったと思うが、仕方ない。では、また。

尊崇

2010-06-18 | 雑記
目が覚めたのは早朝だったと思う。用事もないのでまた寝ようと試みる。

そして暫しの時が経った。おそらく正午だろう、と時計を見ると予想通りだった。

かといって別に出かける用事がない。六月は客の入りが少ないのもあって、今週は暇になっていた。

そしてまたゴロゴロし始めた。

いい加減起きよう、そう思ってヨーグルトを飲んだりはした。が、また転がってマンガを読んでいた。

マンガの名前は「ギャラリーフェイク」直訳して偽者画廊。

面白い面白い、と人に言うのだが、こう喩える。「美術商版ブラックジャック」と。
数年前に、都内では土曜深夜にTVアニメになったりはしたのだが、マンガ自体はかなり前にあった。

ギャラリーフェイクが面白いとかいう話はもう前にしたので今更いう気はないが、
先日、チャットでこのマンガが面白い、また読もうと語った覚えがあるのだが、どうしてそうなったかが不明。

それにしても腹が減った。何か作るにしてもちと面倒くさい。そう思って着替え始めた矢先、電話が鳴る。

ケータイの着信はメールの到来を告げた。さて、この時間に定期的にくるメールがあったろうか。

時期も時期だ、もしかして・・・。そして予想は当たった。実の兄からだった。
内容は父の日のプレゼントについて。下の弟と自分はもう送った。まだなら早くせよ、とのこと。

先月の母の日に、一番下の弟がもう何か送った。我々はどうするか、などという相談があったので
今回もそう来るか、と思っていたのだが、なかったので忘れ去ろうとしていた。その上呑みに行こうとする。

手早く「わかった。酒以外がいいよな」と送って近所の本屋に向かった。


さて困った。何も考えてなかった。
まさか去年に、軽いとはいえ脳梗塞を患った人間に不健康の差し入れをするわけにはいかない。

酔っ払いの親父なのだから飲んでくたばれれば本望だろう、などとは健康な時には思うが
こんなときに言うほどひどくない。飲めなくなったのだから嫌がらせだろう。

お前は実に嫌がらせだとかひどいことを言うのが生きがいだ、と言われれば間違いではないが
何がしかの不自由な状態に置かれた人間に止めを刺すほど非常ではないつもりではある。
伝わりにくいが、G.O.W2のドムとその妻マリアの状態ほどのっぴきならんわけではないのだよ。

弟はうなぎを送ったといっていた。うなぎ?生きたまま送って観賞用か?んなわけない。
兄はペンを贈ったという。脳梗塞の軽度の後遺症があった(今はどれほどかわからないが)
父は退院後もリハビリをしていたので、そのペンを使って日記を綴り始めるかもしれないな。

そこで思いついたのが、ギャラリーフェイクを読んでいたせいというのが大きいが、画集を贈呈すること。

皮肉にも近いが、常々、文化がどうこうとかいう組織にいるのだから、絵画の写真は喜ぶだろうと。
喜ぶかどうかはしらんが、重厚な西洋美術史のすぐ手に入るような本を贈ったとしても
読むことすらしんどい状況には違いなかろう。以前にも言ったようにあまり教養のない父である。
日本の仏教美術などの本は見向きもしないのはわかっているので、わざとらしく西洋にした。
収録されている画家は「フェルメール」。昔、本屋で見かけてつい買った画集もそれ。

送った本の収録点数は三十六だったと記憶する。自宅の画集は三十七とある。まあ、気にしない。


フェルメールはリンクをご覧いただければすぐわかるが、十七世紀のオランダにいた画家。

写実的な、だがどこかぼんやりしたような不思議な絵を描く人だった。

その「ぼんやり」の理由は彼が使っていたといわれる技法にある。

「カメラオブスクラ」といい、スクラはスキュラだとか言い方は気にしないい方向で。
今のカメラの始祖的な構造で被写体を見、そこから直に絵を描き上げる手法を採ったといわれる。

現存する完成した絵はあるものの、下書き(デッサン)や習作と呼ばれるものがまったくないのである。

カメラで構図を切り出したような、と言われるのだが、絵画にするにはやはり多少のディフォルメもある。
全部を全部写実的に区切って書き写そうとすると無理が出たのではないかという話があった
かもしれないが、ちょっと思い出せない。
ぱっとみの印象は実に写実的であり、かといってくどくない画家だと感じる。

画集というからには、多少の解説はあるのだが、ほとんどが写真なのでパラパラと見ていただければと。


さて、首尾よくそのような本を手に入れ、宅配が出来るか確認したが、結構手間がかかった。
「時間は大丈夫ですか?」と問われたが、なに、これから呑みに行くだけですから、とは答えなかった。


それから「和」にいくことにした。
また、というには日があいた。たまには別のメニューを頼もうかと頭を悩ませていたら
いつもの兄さんが「何か新メニュー出しましょうか?」とくる。

今日は食事というより飲もうかと考えていたので、丁度よいと思い、頼むことにした。

常連さん向けに色々メニューを考えていて、といい、今は新ジャガがあるのでこれのバター炒めはどうかと。
早速頼むことにした。その直前に頼んで出てきた紅いもの天麩羅は忘れてよい。


すこし時間がかかって出してきながら言うには、味付けがちと濃いとのこと。
そういえば奥で味見を念入りにしてたなと思いつつ味見をしたが、言うとおりだった。

単体で食べるにはすこし濃いだろう、多少飲んだ人には問題ない、としこたま飲んだので正直に言う。
向こうも同じ意見だったようだ。

そして、いわゆる中華風のチャーハンも出来ますよとのことで、作ってくれた。

以前までの試作にさらにかまぼこをいれて、これなら足りない味を増やせるだろうと踏んだそうだが
お互い同時に食べて感じたのはやはり味が薄い、ということだった。

チャーハンは油と味が満遍なく米粒にいきわたるくらいが丁度よい。
油に味がついていればよい、といっていえなくもない。

元から付ける味が薄く、素材でまかなえないのであれば、これはもう少し濃くしてよいだろうが、
いつものソバを一緒に出す形であればこれはこれでよいかもしれない。と感想を伝えた。

ご飯はもう少しふわっとしたほうがいいかという。冷めてきていたので正確にはいえないが
もう少し柔らかいほうがよいだろうというと、兄さんも思い当たる節があるようで
「ちょっと念入りにいためすぎてしまうようだ」とのこと。

また後日、裏メニューに進展があるか、忘れてなければ聞いてみたいと思う。では、また。

象徴

2010-06-15 | 雑記
ワールドカップが開催中。先ほど結果を見ると、カメルーンに日本が勝ったという。

先日も、アルゼンチンとナイジェリアの試合を見ながら、妙に感動してしまった。
試合が素晴らしいとかそういうものではなく、国の代表として期待を一身に負って戦う姿を見て、
変な言い方だが、格好いいな、などとと思って少し泣きそうになった。

日本も、おそらく負けるだろうが、などと今覚えば失礼なのだが、それでがんばってほしいなどと。

その日本のユニフォーム、何年か前に聞いた話だが、胸の標章にとある動物の姿があしらわれている。
単なる動物ではなく、日本の神話に出てくる神の使いで、いわば神獣とよばれる存在である。

名を八咫烏という。いや、そんな話はどうでもいい。知っている人は知っている。

何年か前に聞いた話、といったが、実はこういう件である。
「日本代表のエンブレムが神道の象徴たる八咫烏を使っている。これは信教の自由をソガイする!」
と、二つ三つ年上の先輩が、大学の教授からそう聞いて、興奮しながらまくし立てていたものだった。

神道は国家神道であってそれは軍国主義でこれが使われ始めるとなると日本は暗黒時代に逆戻りする!
と、本気で信じているような口ぶりである。実際そういう風に言っていたのだからなんと応えればよいか。

てっきり、八咫烏の意匠はその話を聞いた前後にぱっと取り付けられたのかな、などと思ったが
本来はずっと前に決められていたらしい。軍国主義がどうとかいう時代ですらなかった。

大学教授のイデオロギーによる不勉強は実に悲しいものである。載せられた先輩は悪くない。


さて、話は上記を引き継いでまだ続く。

ワールドカップが始まる前、卓球の世界選手権があった。こちらも各国代表が鎬を削る。
本当に鎬を削ると殺し合いだが、卓球で削れるのはラケットのラバーではある。

ある日の仕事中、卓球を見ていた一人が急にこう切り出す。「おい、エヴァンゲリオン知ってるか?」
「ええ、TV版は全部見ましたよ。それが?」「日本代表の肩を見てみろ」「これが?」
「まるでロンギヌスの槍じゃないか!」「ああ!」と、お互い大笑いしたものだった。

あのアニメについて喋々する気はないので軽く言うと、思春期の妄想と西洋思想風な象徴を
SFロボットアニメとしてまとめあげたようなもの、といえばひどいか。
昔、監督の庵野が漫画版のコメントか何かで「いってしまえばシンジ君の成長物語でしかなないのに」と
やたら深読みする視聴者の態度を嬉しく思いつつも訝しげに語っていた。

「人型決戦兵器」の名前は通称エヴァ。少しストーリーに関わる話だが、それのルーツはアダムという。
アダムの肋骨からエヴァ(一般的にはイヴという表記が多い)から作り出した、という話にも則っている。

そして戦う相手は「使徒」。さらに先ほど言ったロンギヌスの槍。

キリスト教の象徴が散々使われている。別に布教しているわけではないが、そういう主題なのだろう。

ロンギヌスについて簡単に説明すると、ゴルゴダの丘で磔刑になったイエスを突き刺した槍
として、後に聖遺物の一つとして扱われるが、実際にあったのかどうかはよくわからないそうだ。

アニメにあったデザインが聖遺物としての形と同じだったかは知らないが、そういう曰である。

そういう信教の自由をソガイしそうな宗教的意匠を凝らしたのである。
同じ口ぶりで非難してこそ学者らしい、と思うのだが、寡聞にして知らない。

これがおそらく、キリスト教が日本発のものだと仮定して同じように歴史をたどったとしたら、
同じ教授が同じように語るだろう。「信教の自由をソガイする!」と。

彼らの思想は「日本発のものは危険なもの」という宗旨に端を発している。
宗旨なのだからまともな理屈などない。だから宗教といえるのだが、それでいて語るのが信教の自由である。

人のシュウキョウをとやかく言う気はないが、滑稽な宗旨をさも素晴らしいものと吹き込む。
これこそ「信教の自由をソガイ」してやしないのかと。では、さようなら。

無為

2010-06-14 | 雑記
三国志の有名な逸話に「泣いて馬謖を斬る」というのがある。

軍律を破り、その上重要な戦いに惨敗してきたため、有為の人材だが、泣く泣く孔明は処刑したという。
ちなみに、この記述は歴史書の「三国志」にあり、上述の、「辛いが仕方ない」という
孔明のつらさや、規律を守ることの大切さを云々する話として現代も一般的に使われる。

だが、吉川英治も下敷きにした、小説としての「三国志演技」では違う話が記述されている。

正史のほうで孔明が泣いたのは、馬謖を斬るのがつらくて泣いていた、というのだが、
実は、自分がバカだったのでそれを思うと情けなくて泣いていた、という。

劉備が生前、孔明に馬謖のことでこう語っていたそうだ。
「あいつはうわべを飾るだけで中身が伴っていない。重用してはならぬ。」

しかし、孔明はその言葉に耳を傾けず、そして「泣いて斬る」羽目になった。

殿の言っていたことをちゃんと聞いていればよかった、自分のバカさが加減が情けない、と。


そしてここにも「馬謖」が一人いる。比べるのもおこがましい無為な存在ではあるが。


「うわべを飾るだけで中身が伴っていない」奴なのだ、ああなって当然だ。
我が身の不明を嘆じつつ斬ってくれて結構。では、さようなら。

告恥

2010-06-12 | 雑記
以前に、肉親が嫌いだ、兄が親父が嫌いだ、と言いもし、ここでも書いた。

父親については読み返すのも面倒なほど長ったらしい一文を書き上げたが、
父親は少々つまらないものの考え方をまともだと思っているだけのどうしようもない人物ではあるが
別に父親としておかしいところはない。その点は自慢してもいい父親である。

自慢する気にはなれないし、肉親自慢ほどバカバカしいものもない。ああやって非難したのも
逆肉親自慢かもしれないが。嫌よ嫌よも好きのうち、などというわけか。


さて、兄貴について書き上げて溜飲を下げておこうかと思う。火に油を注ぐ結果にならなければよいが。


父は若いころ、兄がいうにはだがとても厳しい人だったらしい。兄が幼少のころはそうだったという。

自分、さらにその下が生まれて育つに連れ、少しずつ丸くなっていた、という感じなのだとか。

だから、兄が小さいころに受けた厳しさを、下の兄弟は受けていないことを感じていたという。

つづめて言うと父親らしさが薄らいでしまったので、自分が何とかしなければ、などと使命を負ったと。
何事もなければ、そのようなくだらない気負いはいらないのだが、まあ、これはこちらの問題。

中学時代は学校をサボって家でごろごろしていた。それはもう母親が泣くくらいに。
理由はあるといえばあるが、これといった理由もない。いわゆる適応障害だったのかもしれないが
とにかく家を出たがらない。高校になってもある程度引きずるのかあまり出歩いてはいなかった。

自分が高校に行くころには、兄貴は高校をなんとか卒業し、したものの大学を一浪するハメになり
遠方の親戚の家で一年間、浪人生として暮らし、その後希望の大学に合格した。


中学の時から兄と両親とのいざこざに近いものを見てきた自分は、嫌になっていたのかもしれない。

不良にあこがれたのかしらないが、喫煙が見つかり、生徒指導の先生にこってりと絞られ親も呼ばれる。

そして夜はなかなか家に帰ってこない。昔は五人揃って戴く夕食だったがなくなった。

何故この兄貴はこんなにバカなんだろう。などと考えていた。

人を呪わば穴二つというもので、向こうは向こうで「何故こいつはこうも引きこもりなのだ」
と感じていたそうだ。お互い様だが余計なお世話である。

と、上記の使命感に至る。バカはバカなりに考えるのだが、「下手の考え休むに似たり」という。

あまり感情を表に出さない(そうでもないが)ので、こいつは根暗で駄目なやつだ、
父親はこいつを力づくででもまともにする気概がない、これではこいつは駄目になる、
と感じていたそうだ。何度も言うが余計なお世話である。

自分と物の感じ方や考え方(考え方の良し悪しは別としても)が違うのに、自分から見た
いわゆる一般的な存在と違う、ただこれだけで人を矯正しようと躍起になっていたのだ。

両親が薦め、兄もいる大学などいきたくもない、と反発しながらも結局その大学に入るのだが
そこで茶道を始めた。

兄は文化がどうこうと喧しい某団体でお互い育ってきたのに、こちらをやはりバカだと思っていたそうだ。

茶道なんぞ根暗のやるもんだ、などと。根暗で結構だが、文化の何たるかを考えてこないのは
バカなので仕方ない。恥ずかしながらいうと、兄貴のやっていた物は茶道なんぞと比べれば
浅い歴史だが、文化だとは理解しているので、兄貴がバカだとは考える気もなかった。
歴史の長さで良し悪しが決まるわけでも派手さ加減で決まるわけでもないのだが、兄のを
派手さ加減で良いというなら北のマスゲームと似たようなものなので実に素晴らしいだろう。


それくらい兄貴は我が身に対して強烈な偏見を持ち続けていた。今もないとはいえない。
強烈な偏見、はやはりお互い様だとは思うがそんな相対化は措く。


さて、後年、一人暮らしを始める。

今も昔もバカをやっているのは兄のことではなく自分のことなのだが、少々過ぎた。
隣人に通報されたのだ。いや、警察ではない。警察だったらそれはそれで面白いが。

余りにも我を見失い、見境もなく大声を張り上げたりとそれはもう出版物なら規制される表現の状態。

警察沙汰にならなくてよかったなぁ、などと今では笑い話だがやはり笑えないのがこの先。

先ほどさらっと触れた「喧しい某団体」。このつながりで兄に話が行った。

そして電話による説教が始まる。

筒井康隆が前に、タイトルが「バカの壁」のパロディのような本を出したがその中で、
「どうして延々説教は続くのか」と言った風な話があった。

肝心の部分は最初の一部のみで、説教がかくも長く続くのは怒りの余りとりとめもない話を
次から次へとぶち込んでしまうだけで、やるほうもやられるほうも何の実にもならない、と
筒井一流の諧謔で解説していた。

そう。まんまそれ。お説ごもっとも、とこちらも神妙に聞くのだが、何回も同じことを言われると
怒りを通り越して笑えてくる。

不謹慎な!お前の兄貴はお前のためを思って貴重な時間をだな!と、いわゆる心ある人はいうかもしれない。

その上兄貴は俗物である。よくもまぁそこまでいうな、と思うがそう感じるので仕方ない。

兄「お前がそのまま実家に戻ったら引きこもりが親殺して、などと事件になりかねない」
じゃあ、まずは兄の家に行きますね。心配はこっちのことですか?親ですか?それとも自分の体裁?

兄「働くようになって新聞やニュースの経済面見るようになったよ。お前、GMつぶれたのしってるか?」
そんなニュース、テレビで見るだけの分ならいくらでも子供のころから見てた。
IntelがAMDに独占禁止法の賠償でいくらか払うことになったって知ってますか?

兄「俺、ここしばらくずっと頑張ってきたから、自分への褒美に40万の時計買おうか
悩んでるんだ。何故お前はそうがんばらないのだ?」
ない金叩いて当時の高級PCパーツ買って自分で取り付けて、それでやりたいことがやっと
できる、とは思ったが別になんとも思ってない。褒美?笑わせる。


と、神妙に聞いている間はそこまで過激に思わなかったが、思い出し怒りという
どうしようもないもので、後々こういう風に感じたものだった。

これは事件後まもなく、人に語ったことだが、少しでもこちらを信用するなら、こういうだろう。
「あいつはちょっと常軌を逸したところもあるが、話せばわかるやつだ、直接話しあったほうがいい」と。
こう言わずに正義のヒーローぶって、第三者による交渉に陥ったわけだ。
元々こちらに信用がなかったのは仕方ないとして、偏見の塊なのである。
「人をイデオロギーや立場で判断してはならない」はここでも生きない。生きないからこそ教訓である。
そんなもの教訓にもならない、と一蹴したので、わしが言うのはお門違いではある。

物と金に振り回されるのは人間致し方ないのだが、それをさもありがたいことのようにいう。
これを俗物といわなくてなんといおうか。

俗世間に塗れてそれしか見えないいわゆる庶民を救済する、だなどと高邁な理念を掲げる
団体にいるのに、有体に言えば俗物を嘲うところにいるのに心身ともに俗物である。

ならば、ありもしない高邁な自分を追い求める、だなどと愚劣なことをするくらいならやらないほうがいい。
「下手の考え休むに似たり」とは先にも言った。人に高邁になれと突っかかるその言葉が実に後ろ向きだ。

愚者に貶されるは第一の誉れ、とは開祖が言ったもの。愚者のわしは精一杯兄を褒めたいと思う。では、また。

虚妄

2010-06-12 | 雑記
心理学の病状分析だかで、今では「古典的」とされるような分類に「パラノイア」というものがある。

大雑把に言うと、妄想に憑かれた状態というのである。以下に簡単な症例を挙げる。


ある夫婦がいる。共通の知人Aとはとても仲がいい。

だが、最近妻の様子がおかしい。具体的にこうだ、とはいいづらいのだが、所々不審な点がある。
Aと話しているときの様子が以前より楽しそうで目つきもどことなく違う。Aもだ。

これは妻がAと浮気しているのではないか。そうに違いない。


と、妻とAは本当に何もないし以前と変わらないお付き合いをしているにも関わらず、こういう状態になる。


普段と変わらない状況を一方的に証拠と断定したり、つまらない偶然を歴然としたものと思い込む。
そういうことはいつも誰にでも起こりうるのだが、常軌を逸した状態が続くのをパラノイアと呼ぶ。

なんだ、いつものお前じゃないか、と思われた方は正しい。別にそれでかまわない。

ただし、この症例にはこういう分析が続く。

妻とAの不実を疑っているのではなく、Aに対する同性愛、つまりは妻に対する嫉妬と、いうわけらしい。

自分は妻帯者だ、同性愛など抱くわけがない、という無意識の抑圧が形成するのだといわれている。

で、人は非難していることを本当に非難しているのではなく、嘘とは言わなくても裏返しや
別の心理でモノを語っている可能性があるのじゃないか。
「あなたはわたしのことを嫌っているのか」という問いかけは実は「わたし」が「あなた」
を嫌いたい、もしくは嫌っている、そう思っているのかもしれないな、などと隣席のMさんと話していると
身に覚えがある、と言い出してひどくうろたえ始めたのだった。

Mさんを説教しているわけではないのに、滝の汗を流しかねない勢いである。

我ながらひどい、と思ったが、ひどいのは心理学の診断のほうなので悪しからず。


というわけで、下に貼る動画なんて見なくて結構。

画質も音質もひどく、実につまらない動画である。喋りながらゲームをプレイする意味がない状態だ。



と、いう冗談はさておき、今チャプターの後半戦である。時間の都合で中途半端に終わるのは毎度のこと。
実はこの次にかなり衝撃的な展開が起こるのだが、それは次回のお楽しみに。

三十三日目



立て続けに動画を出したので、来週後半まで続きはお休みになるかと。では、また。

休暇

2010-06-10 | 雑記
昨夜仕事場から電話があった。あった、といっても気づいたのが寝る直前だった。

電話をすると夜勤のT君が出た。案の定というか、木曜と金曜の込み具合によって入る仕事は無しとの通達。

もし急に増えたら午後十二時までに連絡もらったらいけるようにするけど、まさかないよな、
などと軽く雑談して寝ることにした。

そこで寝ながら動画も作っておいた。分割してエンコードするだけだ。
分割も最近は一気に撮った分を全部眺めて、時間配分を考えるようにした。
そうやってデータを残しつつすれば、あとで時間が半端になるというミスもないのでうまくいく。

内容がうまくいっているのかはわからない。見る人が疲れてきたのか、精鋭だけになったようだ。

さて、その精鋭達に送るDead Space ISHIMURAでサバイバルの最新を公開。
この辺りから終盤にかけて多く出てくる強敵が襲い掛かり始める。

とはいいつつも、のんびりタコ焼きをやっている姿なんかもある。屋台の定番ではない。

三十二日目



さて、結末まではさらっと通してみてしまったが、動画にする時はどうなるか。
我が事ながら、少々楽しみだ。では、また。

過大

2010-06-10 | 雑記
個人主義だとか利己主義だとか、カタカナでそのままエゴイズムだとかいうが、
全部ひっくるめて、個人主義とほぼ同義であると、日本では言われている。
欧米の厳密な区別だと、エゴイズム、エゴセントリズム、インディビジュアリズムなどなど
度合いや性質によって違う名前がつくようだ。現場でも同じかしらないが、そのあたりは専門外。

大衆化の兆候として「一つの言葉に多くの意味を重ねて使う」というオルテガの話は前にもしたが
話はそっちの方には向かわない。つまらなくてたわいのないひどく個人的なことに突き進む。


先日、前々から宣伝していたゲームを本格的に勧誘していたわけだが、多少話に関心を持った人間に
結局は断られたと。向き不向きもあろうがその点はどうでもいい。人に期待するほうが愚かしい。
この時点で、それとこの先からもだが、交際を拒絶された人間が相手をあしざまに罵る風景になる。
なので、読む気なら生温かい目で見守ってもらいたい。指摘された当人が怒り心頭に達せば成功だ。



いつも仲良くやってくれている人だから、という理由でなかなか断りにくい感じがあったという。
アクションが苦手でイライラしそうというのもわからないでもない。そうだから一緒にやろうというのも、
一緒ならもっと簡単になるから、などというのもこちらの誘いたい一心での謳い文句でしかない。


それはそれとして、ある言葉がずっとひっかかっている。
「俺のせいでメンバー死なせてしまったら申し訳ないと思うから」というのを。

前述のやり取りが過熱していたので(特にわしが)、もう一人が仲裁に入り、
あーだこーだいっているうちに出てきた言葉だったと記憶している。

いや、ことあるごとに出てくる言葉だった。今朝ようやく、再認識したというべきだった。


一見してとても相手を気遣う責任感に満ち溢れた謙虚な言葉だと思える。思っていた。
当人の性格上、おかしな気遣いが過剰なところもあるとはいえ、真っ当に見えた。


さて、人と一緒のゲームをやるというのが、が大多数に伝わりにくい状況なので、野球に置き換えてみよう。

当人が言う「俺のせいでメンバー死なせたら~」は、九回裏フルカウントで最後の一球を投げる、
で、「俺はこれで勝負する!」で投げて投げれた球じゃなく失敗した球で、見事もって行かれた、
を想像しているのだろう。内容がというよりその責任感とやらの持ちようとして。

ではもう少し例の状況を緩やかなものに置き換える。

内野ゴロを一塁より遠い場所の誰かが拾って一塁に送球した。が、運悪く取れなかった。
一塁手のミスかもしれないし、送球者が無茶な投げ方をしたのかもしれない。
相手がイチローだったら、送球から捕球にミスがなくてもセーフになったかもしれない。

そして、そのランナーが生還し、その後の展開はどうあれ、チームが負けたとする。

「あの時俺がちゃんと球とらないから負けたんだ」と思いたいわけだ。

送球したほうが「あの時ちゃんと投げなかったら」と考える状況でも意味は同じだ。

そうなるとピッチャーとキャッチャーも悩まなければならない。「あのボールはもっとこうできた」などと。

お互い仲間同士協力しあったり足の引っ張り合いをしたりしながら進む展開に
「自分の力量が伴なってなかったから」などといえるものではない。あるとしても一因としてだ。

一塁手だけがんばったからといって野球の勝負に勝てるわけではないのはわかろう。
一塁手は守備が下手な人が立つ最後のポジションなので、打撃でがんばりはするだろうが。

さて、例のセリフを振り返って思うに、そのセリフは寧ろこっちが吐かねばならんだろう。
アクションゲームが苦手な人間なのだから、多少手馴れたこちらより窮地に陥る可能性は高い。
それをこちらが助けようと思ったが間に合わなかったり、状況が厳しかったりというのもあったとしても
それを申し訳ないと感じるのは普通の感覚だといえるだろう。
うまくないと思っている相手の不手際を笑うほど自分は下品でもない。



あのセリフをこちらではなくあちらがどうして吐いたのかを追求すると、
「一塁手ががんばるだけで野球の試合に勝てる」と非論理的に考えているのだ、といえる。

しかし、一塁手ががんばらなければ負けるとはいえる。毎回捕球ミスしてたらどうしようもない。
本筋とは関係ないのでがんばっていることを前提に話を考えてもらおう。


あのセリフは断り文句で特に他意はなかったのかもしれないが、無意識に出る言葉ほど意識の塊である。

自分のせいで失敗する、というこの理屈は裏を返せば、自分のおかげで成功する、と考えている。
前述したように「一塁手ががんばるだけで試合に勝てる」というわけだ。ひっくり返った過大評価だ。


物事の帰結というのは、特に他人との関係で生じるものは、他者との関連性という
実に曖昧なものの間に浮かぶ幻のようなものなのだ。

他者との関連性とかいう綱渡りのような不安定なものの上に成り立つのだから、どちらか一方のものではない。

だから全ての帰結が自身にのみあるかのように考えるのは、他者との関連性を無視していることになる。


日頃から、仲裁に入った一人と、「バカだバカだ」と本人に直接にも裏でもいっていたものだが、
別に物を知らないから、だとか、頭の働きが別の方向に良いからだとかいうわけではないな。

人を気遣うような言葉を使っているが、どこまでいっても自分中心にしか頭が回らないからバカなんだと。

こちらは「失敗も成功も共有して一緒に楽しもう」と誘いかけているのに
あちらは「失敗したら自分が悲しいから」といっているのだ。

わしが別に他人のことを考えて行動してる、などと思うわけはないし、論理的にありえないのだが
何かにつけ「自分は」や「自分が」と立場の表明を繰り返す相手にこれ以上の問いかけは不毛なのだ。


と、半端に期待を持たすようなグダグダした断られ方で少しイライラしたのもあったが、
それ以上に不毛な思考を感じてこれに腹を立てた次第である。願わくば読んで泣き叫んでもらいたい。

長くなった。動画はこの記事が目立たないように直後の更新記事貼ることにする。では、また。

相違

2010-06-08 | 雑記
この一週間ほど、これから正式サービスが始まる(予定ではこれの後日)ゲームのβテストに参加していた。
βってなんだカロテンか、などという話はさておくとして、広告だけでなく、この手のゲームでは珍しい
オフライン体験版なるものも触ってみたところ、自分が下手なせいもあるが、なかなか楽しめそうだと判断。

そして今に至る。しかし、一人でやって楽しいものでもない。楽しくはあるが、地道になる。

というわけで動画にしたり、普段顔を出すPSU組とアイオン組に誘いを直接かけてみたりした。

アイオン組について少し話をすると、今は自分を入れて三名。そして、アイオンにはいない。

ある日ログインすると、「アイオンがマンネリだからリネージュⅡにいこうぜ」と誘われた。
アイオンの大型アップデートは六月なので、それまでの繋ぎだという。

特に断る理由もく、アイオンの風景は堪能したので、別の所を見るのも悪くない。

リネージュⅡも、アイオンと同じくNCジャパンが運営するMMORPGで、高いグラフィックが評判だった。
無論、出た当時の話で、今の基準ではない。

3Dの作りが拙いせいか、妙な空間にぶつかって動かなくなったり、扉もない入り口にひっかかる。

これで三年ほど続いているのだから、世の中妙なものだと思ったが、人のことは言えないのでこの辺で。


さて、アイオン組の状況はこんな感じで推移しており、相変わらず自分のログインは実に不定期。


リネージュⅡやらアイオンの話をしたかったわけではないので、本筋に戻す。冒頭の話へ。

そのゲームは、公式のジャンル表記は「アクション アドベンチャー」となっていて
4GamerではアクションRPGと紹介されている。

引き金を引くのも銃口をどこに向けるのかも自身の判断次第で、それで当たったり当たらなかったりする。
FPSやTPSのごときアクションシューティングの趣があるのだが、アクションRPGというのなら
PSUにも通じるところがあるかな、と感じた。まったく同じではないが。
その点で興味を引いてくれるかと思ったが、よく考えたらPSUの皆はPSOに連なる世界が好きであって
ゲームがとことん面白いかどうか、は二の次のように見受けられる。
(PSUは面白い、というのを否定する気はないし、昔は自分もプレイ自体が楽しい時期もあった。
思い当たる人は気を悪くするかもしれないが、今回の主題ではないということで堪えて戴く。)
「オンラインゲームは一つでいい」とばっさり切られたので、まったく無視された次第だった。

とまあ、そういう予想があったので、想定の範囲を超えることはなかった。

さて、残ったほう。自分を入れて三人だから、相手は二人。

こっちも某かの予想は立ててはいたものの、片やアクションは苦手、片やレベリングの鬼。
前者のほうが興味をまったく持たない可能性を考えていたのだが、実は反対だったという結末。
前者もどこまでやりたいのかはわからないが、可愛らしい絵柄に興味を持ってはいたそうな。

後者はこう答えた。
「クリゲー(マウスでクリックする操作がメインのゲーム「クリックゲームの略」)がいい。簡単だから」

さて、ここで後者を揶揄する話に単純になるのかと思ったらそうは問屋が卸さなかった。


今日は娯楽、ここではほぼ中心の話題になっているゲームという娯楽について、少し見当をつけてみたい。



いきなりだが、パチンコの話をしてみよう。

玉がじゃんじゃん流れ込んでいって、いざ!ルーレット開始!演出でギリギリまで引きつけて結局はムダ。

パチンコでフィーバーがうれしいと思えるのは、上の嫌がらせのような演出を数多見せ付けられたから。

鬱屈した感情がフィーバーで解放されて、有頂天になってしまうと。これが快楽の理屈だといえる。

昔ジャンプでやっていた漫画「忍空」のTV版の主題歌が旨いことを歌っている。
「楽しいことでも毎日続いたら、それと気づかずに退屈と変わらないね」と。
鈴木結女は今頃どうしているのかと思ったら、主婦業に専念して、音楽活動は休止中だそうな。

余談はさておき、ゲームも同じだったりする。

難しいステージを何度もコンティニューしてようやくクリアして、というわけだ。
それ(何度もコンティニュー)ばっかりだったら嫌になって辞めることもあるが。

オンラインゲームなんかはその引き付け演出みたいな状況がずっと続くような気分ではある。
別にMMORPGとかいうものに限らず、オンライン対戦でストリートファイターⅣやってみたけど
誰と戦ってもまともな勝負にならない日が半月続いております、などというのも同じ状況だろう。

さて、我らがクリックゲーに話を戻すのだが、ゲームとはいうのだが、どちらかというとパチンコに近い。

最近のパチンコは凝ってるというか、画面に特定の演出が始まったらボタン連打、なんてあったり
有名な他メディアの素材を使って、その演出専用の動画を収録してあったりと、
人目を引くのに躍起にな・・・いやなんでもない。見てて楽しくはある。やったことはないが。

で、何がパチンコに近いのかというと、運任せ。運とはいっても内部の計算の産物だが。
そして、人を痴呆にしそうなほど単純な操作。ほんの少し手を捻るだけ。

操作についてはパチンコほど単純ではない、といわれそうだが、さもありなん。

大昔のDiabloという、PCで出ていたRPGも、マウスとキーボードでプレイするものなのだが、
移動するには画面の行きたいほうにポインタを持っていって左クリック。
敵を攻撃するにはこれまたポインタ合わせて左クリック。攻撃するごとにクリッククリック。
今はそれほどマウスを酷使することはない。なんせ、攻撃目標を定めたら自動で歩いていって
通常攻撃は自身のキャラか敵が倒れるまで放っておけば続く。

攻撃を避けるとか、狙いを定めるだとか、プレイヤーの工夫を入れる余地はほぼない。
別にDiabloにはあった、というわけではない。通時的な比較である。

MMORPGと呼ばれるゲームというのは、ファンタジーなどの世界を仮想に構築して
「その世界の住人の生活を追体験させる」という実は面白くなりにくいものだったりする。
冒険と呼ぶには余りにも地味である。これは幻想世界の日常生活と呼ぶべきである。
ああいうメリハリがあまりなさそうなダラダラとしたシステムがうってつけなのだといえる。

と、結局揶揄するような話になってしまった。ここまでで娯楽についての話は終わる。


マンネリで実際はパチンコと変わらないようなものを延々やるくらいなら、
大して変わらないが、帰結が自身の操作になるものをやったほうがいくらかマシだろうに、
と、思ったが、難しいパチンコなぞ誰もやらないのだった。では、また。

黙殺

2010-06-08 | 雑記
予想通りとはいえ、見事なまでにただ見られただけのようだったという。

はいはい、一人でがんばりますよこうなったら。前回に出したおまけの動画のゲームのことね。


さて、今週の休みは動画をがんばろうと思っていたので、早速作っていた。なんというか
夜勤明けでくたびれ、夕方から寝続けたために早朝に目が覚めたので、撮影まで朝から開始という。

あまりにも今回のチャプターで苦戦したため、不安にかられたのと先を見たいのもあり、
クリアまで続けてやってしまったことを白状する。やー、あれが実際の立場にいたら狂うね。

最後に関するヒントは、ゲーム冒頭にアイザックが見せられる、恋人が通信途絶前に送ってきたビデオ。

あまり、というか皆無だろうが、うちの動画で内容も追ってる人は、最後に近づいたら
また最初から見直して、何を言ってたか思い出すか、いっそのこと解説ページを見るのもいいだろう。
まったくこっちは内容をうまく伝えてないので、その辺は視聴者任せ。

では、新チャプター開始第一回目をどうぞ。

三十一日目



その不安に駆らせてくれた手ごわい敵は姿を現したものの、この時はまだ戦わない。
おっかなびっくり戦うのはこの次からになる。何度か驚いたり慌てたりで声も出ていたりする。
と、まだ出してないところを解説しても仕方がないので、次回を期待しない程度にお楽しみに。では、また。

朝餉

2010-06-05 | 雑記
おはようございます。

実は、動画作ってたらこんな時間(朝七時)になったという。

仕方がないのでご飯を炊いて味噌汁を作って戴いている最中という。

長ネギではなく、万能ネギで埋め尽くされた味噌汁は実に青臭いが、これはこれでいい。
梅干もカツオ梅なので眠いような眠くないような体には刺激が薄く、これも素晴らしい。

などと、自賛しても仕方ないので、とっとと動画を貼り付けて終わりにしたいと思う。

まずは今回、時間かかった理由が、おまけのせい。まとめると33分あったのだが
何故かその状態では動画に出来なかったので、半分に分けて仕掛けたところ、問題は起こらなかった。

都合、三本の動画を並べることになったので、おまけは暇なときか気が向いたときにどうぞ。

まずは本編のDead Space。およそ三分の二までこれで終了したことになる。

三十日目



では、おまけ。何故おまけを作ることになったのかを少し言うと、
ある日「今度のでDead Spaceは三十回を迎えることになる」と話していたら
「じゃあ、記念に何かやるのか?」と聞かれた。その時はすかさず「無い!」とは答えた。

が、ちょっと気になるゲームがあって(予定変更したBorderlandsでもAssasin's CreedⅡでもない)
これをちょっと紹介して、あわよくば一緒に誰かやらないかなぁ、などと邪な気持ちで作成。
「一緒に」というのも、オンラインゲームなのである。操作の感じはFPSやTPSの感じ。
カメラの位置の感じはDead Spaceとほぼ同じといえばいいだろう。

ゲームのタイトルは「ドラゴンネスト」。基本無料でアイテム販売の形式でサービス予定。
まあ、基本無料でアイテム販売ってのはどんどんひどくなるかもしれんが、ま、最初だけでも。
月額制でどーしようもないゲームもあるので一長一短というわけだ。未来のことはわからない。

動画はオフラインの体験版という珍しいもので(手に入りにくいわけではなく)
現在オープンβテスト中のものとは一部異なるところもあるが、ゲームの雰囲気は十分つかめるかと思う。

いちいち喋りながら(酔っ払ってるので悪ふざけ気味もある)やってたら長くなったので
動画が二部構成になってしまった。


前半



後半



さあ、朝だが夜勤だ。飯食って寝やがれ。では、また。