ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

おかわり

2011-08-29 | 雑記
昨日の夜、普段なら夜勤明けの昼とか夕方ごろにふらっといくことが多い「和」に行ってきた。昼間はちょっと食べ過ぎたので、夕方から少し昼寝をしていたのだ。


この時間は珍しいですねぇ、また痩せた?などと言われながら、ゆっくり飲んだり、初めて見た店員にキセルを吸ってるのを見せたついでに、タバコの話をしてみたら、以前は喫煙者だったのを辞めていたが、やってみようかななどと、タバコなだけに火をつけてしまったりしていた。


「明日(これを書いている今日)は、予約で十八人来るんですよ。今からビビッてます。」なんていっている。明日行こうとしなくてよかったなぁ、家でカレーでも作ってますよ、というと、また羨ましがられた。


仙人(とは普段呼ばれてないが)の顔を見てたらカレー食いたくなってきますよ、カレー食いたいなあが、滞在数時間の間に五、六回でるほど、あのカレーはうまかったようだ。

タバコの話をした店員にも、「前にカレー作ってきてくれてね、すごくうまかったんだよ」などと言っている。そんなことを言っているとまた作って持ってきてしまいそうだが、自家製乳酸菌による豆乳ヨーグルトを作ろうかと考えているので、出来たら実験体になってもらうということは伝えておいた。(まず自分が食べてうまかったら、というのは最低条件としてある)


というわけで、今日もカレーを作る事にした。日曜の早朝、体重を量ってみたら、過去最高に細くなっていたのと、せめて食べるなら嬉しくなるくらいをたまにはやってもいいだろうと考え、やたら作ってみた。





これが本日のカレー。名前は「アルムリマサラ」。アルはジャガイモで、ムリは大根のこと。マサラは近所のカレー屋の人がいっていたが、スパイシーって意味だそうな。Mixだと言ってたりよくわからんが、混合スパイスだとか混ぜたもの、って意味なのかもしれない。

ジャガイモ大根、という実にそのまんまなネーミングのカレー。こいつにはニンニクとショウガ、トマトは入らない。スパイスと素材のみの味で、辛いだけでなく、噛めば煮えた大根とジャガイモの甘さも相まって、いい味わいがする。二皿分くらい作ったのに、バクバク食べて空にしてしまった。

肉ももちろん入ってない。今は少々パイナップルと、気まぐれに作ったチャイを飲んだが、苦しい事もなく。牛乳は使い切りしか買わなかったので、次は単に紅茶にスパイスを入れてみることにする。

そんでもってあんまり意味がないけど、今日のチャパティ。




少々膨れてくれた。恋人やらの膨れっ面は辛いだろうが、チャパティの膨れっぷりは立派なほうがよい。


写真を撮るのを忘れたが、アチャールという、インド方面の漬物も仕込んでおいた。作り方はここ。リンク先は赤唐辛子でやっているが、たまねぎで仕込んである。


大根あればしばらく使いまわせるだろうと、でかでかと一本買ったのもあって、たくさん作る羽目になったのだが、これならしばらく続いても問題ない。以前、作るつもりで別のカレーになった覚えがあったが、これも悪くなかったので、ありあわせの野菜を混ぜて作ればなんでもいいということがよく分かった。

ありわせでたくさん入ったものもいいが、この数種類だけ使ったもの、というのも素晴らしい。大根のカレーなんて味気ないんじゃないか、とは思ったものだった。


しかし、スパイスで台所が狭くなってきた。まだ小瓶程度でいいのだが、予備まで置き始めた。そして空になった瓶も邪魔になる。こうなったら袋のやつを通販で大量に買うことにしよう。そのほうが色々と助かる。小瓶はすぐ使えるように、予備は袋のやつを仕舞いこんで。詰め替え用というやつですな。通販なら、そこらで買えないようなスパイスも多く手に入るようだ。実に楽しみである。では、また。


政治活動

2011-08-25 | 雑記
タイトルを見てどう思うだろうか。

例えば特定の政党を応援するとか、政党じゃなくて政治家を応援する。確かに政治活動である。

先日大騒ぎになった、フジテレビへのデモ運動も、これも立派な政治活動である。


これらは、行政への働きかけであり、フジテレビも大企業であるので、行政への影響も大きな存在であるから、真に政治的な運動であるということは疑いの余地もない。まあ、フジへのデモはなんだか胡散臭い、という話もないわけではないし、そんなことを言うと、リビアの革命もなんでも嘘っぱちばかり。ここで徒に書き続ける器量もなければ余裕もないので、これは措く。



政治的な運動=行政機関やその周囲だけ、と考えるのが一般的な日本人の思考である。自分だってそう思っていた。


さて、政治とは何か。政治の思想だとか力学をとやかくいうのではない。政治的である、というのはつまり何をさすのか。


政治家と言えばどういうイメージを持つだろうか。

権力がある、これは確かにそうだが、権力は何から来ているのか。

人柄?そんなものは嘘っぱちだと分かっているだろう。


政治と政治家の間で一番大きな話題になる、といえばそれは、つまりは「カネ」。ということは、カネの動きを察知し、流れを制御することであると。


特定政党を応援するにしても、政治家個人を応援するにしても、行き着く先は行政でのカネの動きをどうするか、ここに行き着く。アホな公共事業だったり、効果バツグンで失神者続出のワクチンを莫大なカネをかけて行政でやるくせに、被災者を知らん振りする、そんな素晴らしいカネの使い方をする政治家を選ぶという、素晴らしい政治的な日本人の姿がここに今あるわけだ。

フジもそうだ。どこの馬の骨ともしらん、人造人間の歌手を送り込んで、自身の放送局で延々流し、「情報」番組とやらでは、「日本人は韓国が大好きです!」と、宗教団体もかくや、というようなことを延々とやる。

ついでに、K-POPの国内の版権をフジの子会社が持っている。そういうやり口は日本ではあまり気にされていないが、例えばアメリカだと処罰されるほどの大問題である。


お分かりだろう。テレビ局が金儲けのためだけに電波を使っているから、みんな腹を立てたのだ。そのカネは日本の全体に行き渡って、い~ことに使われます、なんていうわけがないだろう。



つまり、普段のカネの使い道自体が実は政治的行動だったといえるのである。フジのアホ番組のスポンサー企業のものを買わない、というのも立派な政治活動である。

韓国つながりなので、それに纏ろう全てを拒絶するのも、これまた政治活動だと。要するに、パチンコ行くな、韓国製のゲームやるな、焼肉いくな、ソニー(SCEの方は特に)もボイコットでも構わない。

しかしだ。日本のほとんどが乗っ取られているので、ムリなんじゃないか、と絶望にかられそうな気もする。上の話は別に嘘じゃないが、真に受けすぎて、半狂乱になる人(いないかそんな人)にはムリである。

あと、まともに考えようともしない人は、そのまま地獄に落ちてくれれば結構です。そういう人を相手にする気はないのですから。


と、話が逸れた。


今までの話はとても局地的、といえば局地的な話である。本質はさかのぼる事九行ほど上か、「普段のカネの使い道自体が政治的行動だった」である。


我が家の米は、近所にある米屋で買う。こっちのほうが安いのかな、と思ったのもあったがよくよく比べるとちょっと違う。安いのは安いのだが、高いのは高い。ブランドだから、といえばそうかもしれないが、それもちょっと違う。

そもそも契約栽培で作られている米だそうで、どの米もスーパーで売られているものよりはるかに農薬の使用量が少ない、有機栽培というような米しか置いてないのである。以前買ったコレは無農薬である。

スーパーで売られている米は実に農薬まみれで(大抵の野菜もだし、特に海外から来るものは国内に入る前にまた農薬をまく。「ポストハーベスト」というやつだ)一説では、農家は自分のところで採った農産物は食べない、という話もある。飽くまで農薬まみれの農家の話だが。


さて、自分が米を無農薬しか買わなくなったとする。もうそのつもりではある。少食にも多少慣れたとはいえ、ちょっとぶり返した気がしないでもないので、ちょっと気を引き締めたいところだ。

そしてあなたも無農薬米しか買わなくなったとする。他のあなたも無農薬を買う。そうすると、非倫理的な農家の米は売れなくなる。

淘汰されるか、悔い改めて無農薬、もしくは有機栽培(多少農薬は使うのでまだまだだが)の米を作り出すと。無農薬が当たり前になれば安くなって、誰も困らない。ある程度の値はするだろうが。


農薬が河川を汚染し、飲み水にも混入し、海に流れ込んで魚介類の体内に蓄積されていく。そういう悪循環がずっと続いているわけである。

そういう水を飲み、そういう食物を食べ、子供ならアトピーやらわけのわからん病気になったり、大人でも異常が出てくる。体、というなら脳もやられるだろう。


あなたは、そういうことに無頓着で「今は」特に何もない(と感じているだけだろうが)から別に問題ないとしつつ、「大局的」だからと、例えばフジへの抗議デモに賛同したり(するなといっているわけじゃない)、あっちもこっちも半島の政治家だらけの中から徒労にしか見えない支援活動をしたりすることを持ってして「政治的活動をやっている」と自負する。


これをこれ、頭でっかちという。足元(上の米の話など)を見てきた上でそういうことをやるならいいだろう。まあ、TV局は全部つぶれてしまえばいいし(だから、デモには意味がないと考えている。「良くする」という意味ならなおさらいらない。もともと良くないものなのだから)、そういうのに出資してる大企業も一蓮托生。そんでもってくだらない政治家も道連れにしてくれればこれほど喜ばしいことはない。


だから、そういう意味で以前、某オンラインゲーム(経営母体はパチンコ屋)への課金を停止した。



フジが韓流ばかりするのは経営が苦しいから、という話はあるのだが、それでもそれなりにカネが回っているから腐った事を出来ると。政治家もしかり。


ならば、奴らを手助けして、もっと馬脚を現してもらい、徹底的に膿を出すだけ出し切って(TVをぼけっと見ているだけの人もついでに)全部流してしまおうじゃないかと。出つつあるかしらんが。


というわけで、また課金することにしたのである。これで世の中ひっくり返るかはわからんが、面白そうである。


ゲーム自体がそもそもこのくだらない世の中のくだらない仕組みを補強するためのものであって、なんら「現実」逃避的な娯楽ではない、というのは、最近思うところである。

かいつまんで言うと、1、与えられた課題を手際よくこなすこと。2、課題をこなすための技術を修練すること。3、数値の増減に一喜一憂すること。つまり、数字が高ければ高いほど喜ばしい。4、数値と個人間でなく、他者との競争の場の場合、相手を如何に効率よく倒すかを考える事(つまりは1に含まれる)。「ルールに則って」もしくはルールを破って。5、他者との競争の際、ネットワークなどでランキングを示し、競争心をさらに煽り立てること。6、TVや映画のように、センセーショナルな映像を見せ続ける事。

こんなところだろうか。以前書いた時はもっとめんどくさい書き方をしたが、これくらい噛み砕けば分かるだろうか。


6については、TVや映画と同じく、映像を駆使するものとしてなので、ゲームだから、という話ではない。関連はするが、主軸ではない。きっちり区切られるものでもないのだが。

それ以外については、例えば、子供時代は「いい子」競争ともいうべきストレスに晒され続け(裏ではいじめ)、知的好奇心のための勉強ではなく、進学のためだけの情報を詰め込み、成績の順位や進学した先のランクを気にし、妬んだり優越感に浸ったりする。

いわゆる「社会」に出ると、セールスマンがまさにそれに当たるであろう。営業成績で給与が変動したり、順位を張り出されたり。劣等感と優越感の波状攻撃にさらされるであろう。

セールスマンは飽くまで例である。3の数値の増減に一喜一憂というが、これはまさに営業成績でなければ、会社自体ならその業績であり、個人であればいくら持っているか、年収いくらになったか、と同じになるわけである。

カネをいくらもってるだとか高価な物を見せびらかすために持っているだとか、そういうもので世間は煽りあいをしているだろう。

そこでTVをご覧戴こう。別に今見ろ、というわけではないのだが、一般の乏しい年収では到底食えないようなものや、もてないものをコレでもかと見せつけ、人々を煽っているだろう。あとは何だ、ここは韓国か?


かくして、人はどんどんアホになっていく。アホになる、がくだらないものを捨て去った状態のアホならむしろいい。わしが目指しているのはそこである。

ただ煽られているだけなのにつまらないものに躍起になる。そしてそれが自分の感情だと思い込む。「世間の何か」に踊らされる、つまりはロボット染みた状態になっていくことをさしているのである。仕事が出来るアホ、勉強が出来るアホ。つまりはそういうこと。


TVもゲームも映画も漫画も根っこは皆同じ。自分で選び取った娯楽だと思ったら誘導されていただけに過ぎなかった、というわけだ。


以前書いた「一廉の人物」も、単にその包囲網の中で着々と養育された結果だったというわけである。驚くに値しない。むしろ自分もそうなってておかしくなかったし、今より以前は似たようなもんだったろう。大して変わらんかもしらんが。


このごろ色々知るところがあり、感じるところがあったからこんなことを言い出しているのだが、思い起こせば、子供のころから変なところがあったなぁと。元々そういう素質があったのかもしれないと。

書くと自慢?のようになるし、触れると厄介な話もあるので、一つだけ。


高校で、保育所(実家はビンボーだったから)で一緒だった奴と再会したのだが、たまたま音楽の話を振ってきた。誰でも思い浮かべられるであろう質問である。

「音楽は何聴いてる?」

こう返した。「何も聴いていない」

そいつは多少、ぎょっとしていたが、聴いていないモノは聴いていない。


大学でも似たような話が出たのだが、敢えて聴いてるとしたら、ゲームやってるときに流れてくる音楽が耳に入ることくらいか、と答えていた。

歌が嫌い(音痴だし、歌いたくもないのに歌わされるのが嫌でたまらないから、というと学校自体否定することになるな)で、それもあって音楽が嫌いだったのに、何故か然る吹奏楽団に所属していた(くそ親父のたわけた説得に負けた感じだ)。パートがアルトサックスだったので、じゃあジャズでも聴いてみよう、と一枚だけ買ったり、流行の曲なんぞそこらで流れてくるから買って聴くまでもない、と、クラシックのイージーリスニングを買って聴いていたものだった。まあ、クラシックも昔の流行音楽だが。後はそのぉ、なんといいますか、アダルトげえむ(エロゲーですよエロゲー)やったり、その曲をよく耳にしてはおりましたがええ。それはまあ、高校に入ってしばらくしてからのお話。

話が前後したが、ジャズのCDだけは大学にも持っていって、聴いたり聴かなかったりしていたものだった。くそ兄貴に盗られてしまったが。


思えば、子供のころから「政治活動」をしていたのだなぁと、感慨にふけってしまいそうになるのであった。まあ、ゲーム(エロゲーも)やってた時点でダメだろうが。では、また。

田園風景

2011-08-23 | 雑記
先日、ついに玄米がなくなってしまった。

といっても、白米が残っていたので麦飯にして食べてみたのだが、やっぱりというか、砂糖を食べた時ほどではないのだが、頭に少し来るような気がした。

頭に来た、ではまるで怒りが頂点になったかのようだが、そういうわけではない。急激な血糖値の上昇が砂糖ほどではないが、体に影響を及ぼしているのである。別に糖尿病ではない。


休みとはいえ、ごろごろするのもなぁ、散歩の予定も流れてしまったしなぁ、と、二服ほどしながら考え、梅干もなくなったからいつもの米屋に行こうとなった。


以前、無農薬の米はないか訊ねたが、一つの銘柄しか指し示されなかった。今回、他の触れるように置いてある他の玄米とは別にある、その無農薬栽培の米の棚を見ると、別種の無農薬米もあれば、さらに農薬を絞ったものも確認できた。(その店で普段買っていた米ですら、スーパーに置いてあるものと比較しても、五割以下の農薬使用量が当たり前なのである)


一つ、変わったものがあった。変わった、というほどではないのだが、タイトルが面白い。





その名も「有機合鴨農法」。


以前、恐らくTVだったか、合鴨を田んぼに放して、生えてくる水草やらを食べさせることで、農薬を使わないようにする農法というのを見た。

そういうのにとても弱いので、(無農薬とも書いてある)今回はコレを購入することにした。量も、最低2キロラインに達している。

この袋のまま置いてあったのをそのままもらった。中身が玄米なので、開ける。米の品種は気にしたことがなかったのだが、こしひかりを買ったのは初めてか。



さて、「最低2キロライン」と言ったが、このお店では、特典をもらうのに、最低2キロの米購入が必須である。

会員になっていると、たまに葉書が届く。広告が書かれていたりするのだが、一人暮らしの消費量はたかがしれているので(最近は毎日食べるにしてもさらに少ない)そこは関係ない。

広告以外では、期間内にこの葉書持参で米購入の方には~をプレゼント、とあるわけだ。


そこはまあ、普段ならジュースとか卵だったりするので、あまり気にしていなかったのだが、誕生月になると、ちょっとしたものがもらえる。その時も最低2キロであった。


それがこれ。




今年のプレゼントは「華兎銘々皿」二枚セット。思ったより大きいのだが、茶道のときにも使った「銘々皿」というのはこれくらいの大きさだったような覚えがある。

例えばこれに葛餅でも載せてみるだとか、貝割れ大根載せてみるだとか、はたまたいつもの饅頭を乗っけてみると。今日は使わないので、撮影だけして仕舞った。


以前にも、刻みタバコ加湿用に、ノンラップ大鉢を買ったのだが、それにも雪兎みたいな絵が描かれている。


兎といえば先日、近所の川原の橋のすぐ傍に、小さな公園がある。車道二つ分くらいの幅の小さなその広場を通りかかると、自分と公園を挟んだ反対側の道を歩く犬がなにやらそわそわしている。

その目線の先には、女の子とその母親が公園で写真を撮っているのだが、女の子は紐を持っていた。先には黒っぽい、猫くらいの生き物。


最初は猫を繋いでいるのかと思ったが、猫にしては元気に跳ねている。なんと、兎を繋いでいた。


女の子は楽しそうな声を上げながら、兎と広場に少しだけある芝生を駆け回っていた。駆け回るほど広くないが、繋がれた兎には広かったろう。


犬は兎がひどく気になっていたのだなぁと思ったのだが、こちらも気になって、ちょっとだけ足を止めて見ていたものである。


つまり、何を言いたいのかというと、兎が好きなのだというわけだ。



さて、米はなくても(買ってきたけど)粉はある。小麦粉にスパイス。あとは足りないものを買い足せば作れるぞ!


というわけで、こういうものが出来上がった。




作り方は適当だったのだが、インドでも定番の料理で、ジャガイモと大根のカレー。やはりインドでも子供には大根が不人気で、大人向けのメニューなのだとか。

丼に入れたせいで見えないが、一応、汁はある。もともと汁気のあるカレーではないので、余計に分かりづらい。

作り方を改めて確認したら、トマトは使っていないようで、ニンニクとショウガも入っていなかった。なんてこった。単なるカレーになってしまったわけだ。

でもまあ、うまかったからいいや。にんにくしょうがなし、というなら仕事前に食べても問題ないメニューである。いっそのこと晩飯に持っていってもいいかもしれないが、少なくても汁気のあるものは持っていきづらいので、パス。


代わりに、大根を使った別のメニューならある。

チャパティの生地で大根おろしを包んで伸ばして焼く、というのがある。パラタという名前になる。大根をムリというので、ムリパラタという。

大根おろしも、スパイスを和えてあるものだそうな。何をどれだけ和えてあるのかはわからないが、あり合わせでいいのだと思う。ムリだと思ったら、塩だけでよかろう。


しかし、動画で作り方を紹介しているところで見ていると、どうも我が家のチャパティは薄いようだ。これでは何か挟んで焼くのは難しい気がする。

以前焼いた量で、二枚ぐらいにすれば丁度よいのかもしれない。

動画を見直してみると、パラタとチャパティでは、生地の厚さがもともと違ったようだ。なーるほど。


それにしても、このブログは何のブログだったのだろうか。思い出せなくなった。ゲームもやる気が起きない。本当にあのまま来年まで放置しようかねぇ。では、また。

まかない

2011-08-21 | 雑記
昨日の夜勤のとき、「昨日、いつも飲みに行くところの仲いい人のところへカレー作ってもっていって食わせたら、うまいとずっと言われた」と、同じく夜勤していたおこわの窓口の人に言うと

「じゃあこれからはご飯だけ持ってくればいいんだね」という。

「肉は入ってませんよ」と釘を刺したら(やるつもりはないが)、「肉は別に持ってくる」とのこと。

なるべく、肉の味が入らない、純粋な肉無しのカレーを味わってもらいたいものである。


というわけで、「和」の兄さんが平らげたカレーを少しアレンジして作ってみた。アレンジと言っても具が増えたとか、トマトの入れ方変えたぐらい。





ほうれん草となすとしめじのダールカレー、といえばいいのだろうか。ごった煮というべきか。

あまり見えないだろうが、レンズ豆が入っている。緑色の小さいのはトッピングのしし唐。


横浜にある、インドの一流ホテルのレストランで、要人に料理を出していた事もある人が、インド家庭料理のお店をやっている。

そこのホームページで、家でも出来る手軽なカレーの一部(肉を食わんから)を調べていたら、仕上げる前に刻んだしし唐とほうれん草を入れて、二分煮込んで終了、というのがあった。


そういう使い方もあるのか、と納得したので、今回初めて、油と醤油で炒める以外の料理をすることが出来たのである。カレーの味の大勢に影響があったかはよくわからないという、いい加減な判定だが。

ほうれん草のほうは、前回示したのと同じ、茹でてピューレにする。上記のお店では、刻んだものを茹でてからペーストにするのだとか。真似してやってみたが、擂粉木でやる以上、あまり変わらない気がした。

ナスを入れるときは、やはり素揚げしたものを最後のほうに入れるというのが多い。もともと油分を吸い込んでしまう性質のナスだから、仕方がないとは思うが、いつもどおりまとめて炒めてやった。

トマトは、刻んで炒めてしまえば、そのうちグズグズに融けていく。わざわざピューレにしなくてもこの手でいいようだ。汁無しカレーの場合もそうやって炒めてしまえば、余計な水分が入らなくてよかろう。「和」の兄さんのセリフを借りてこう言おう。「勉強になりました」

ただ、やっぱり我が家のキッチンでは時間がかかって困る。なんせ、こういうのも作るから。




ようやくチャパティらしくなってきた。粉の量が少なかったようだ。水はもう少し多くてもよかったのかもしれない。生地をまとめておいて買い物に行ったせいで、寝かせる時間が長くなったのもよかったのかもしれない。最低三十分は寝かせたほうがいい、という。そのままやっても大丈夫だが、時間があるなら寝かせるべし、というわけだ。一般の醗酵パンのように、味にこだわる以外で待つ必要はないのである。


ただ、今回はカレーの出来立てにこだわったので、パンも米も冷たくなっている。ほんのり暖かいが、レストランで食べるような熱々感がないのが残念だ。次回からはやっぱり、カレーを先に仕込んで、それからご飯とチャパティにするべきだろう。

熱々の味を見たいなら、後でおやつに焼いて食べてみればよいだろう。今回のはしっかり出来ていたようで、薄いのに歯ごたえがあり、汁気の少ないカレーとはやはり最高の相性だといわざるを得ない。

直径十六センチくらい、という基準も今回はぴったりだったようだ。その上、生地がべとつく事もなければ、薄過ぎて破れる事もない。


チャパティといえば、その話をしようと思ってすっかり忘れていたので、ちょっとばかり。


住んでいる市内に、結構前からある、北インド料理店がある。(南インド料理店ってのはあまりないようですな)以前、二、三度ほど人と行ったことがある。

初めていったのが、そのビルの地階にあるJAZZバーに行く前だったという話で、誰かさんに大笑いされたものである。ウヰスキー飲む前にカレー食べるなんて!というわけだ。


一日カレーばっかりでもよかろう、と考えて立ち寄る事にした。(あまり人通りのない道のイタリアンの店と迷ったのはナイショ)

ランチメニューは、何種類かあるのだが、ナンで固定ではなく、ナンを含めて四種類から選ぶ。ナン、ライス、バターライス、そしてロティ。


写真見て「チャパティもあるのか」と思っていながら、ついついナンで頼んでしまったのだが、メニューにこう書いてあった。


ロティ(全粒粉の香ばしいパン)


どこかでチャパティはロティとも呼ばれる、などと書いてあったのをそれで思い出したしだいである。


というわけで、メニューに「ロティ」と有ったら、チャパティとも言うんだ、ということを思い出して忘れずにご注文くださいませ。まあ、初めて食べるなら、甘いナンからをお勧めする。

食べ比べて好みを選ぶといい。ナンもいいのだが、味以外で個人的に困ること(卵に砂糖に牛乳やヨーグルトを使う)があるのと、結構重たい。カレーにもよるだろうが。ライスを忘れていたけど、措いてくれ。


上のチャパティ三枚で、カレーを包みながら食べたのだが、それでも結構な量を食べられる。カレーがあまりすぎて困る事は無かった。ご飯もあったから、というのもあるけども。
それでいて重たい感じはなかった。それ以上食う必要を感じないが、入れられることは入れられるな、という感じで、おなか一杯でも苦しくならなかったものである。


しかし、そこのカレー、とても辛かった。もとから辛いのもあるが、辛口が近所のカレー屋の激辛並だったように感じた。今度は魚介のカレー(月替わりのカレーを頼んでみたら貝のカレーだった。肉でもいいやと博打やってみた)じゃなく、野菜系のカレーにして、ロティで頼んでみよう、などと言っていると、明日朝一、いや、昼一で食べに行ってしまいそうな気がするが、そう書くから余計に行こうとする。ちょっとスパイスの感じが分からなかったのでね。味わって分かるような舌じゃないが、もう少し何か分かるんじゃないかなぁと。多分、何も分からないと思うが。では、また。

感想というより感嘆

2011-08-20 | 雑記
と、いうわけで(わからない人は前回の記事をご覧になってください)カレーを作って「和」へ。

飯屋に飯を持っていくというのは変な話だが、いつでも構わないといわれてもその次の日は仕事で、いくら前日、かつてないほど悪酔いしたとはいえ、朝にはほぼ元通りになったので、やるしかないと。


さて、写真を撮るのを忘れたのだが、書いてどういうカレーを作ったかを伝える。


材料は

ほうれん草
トマト(缶入りのホールトマトでもよい)
なす
しめじ

ここまではカレーの具やルゥにあたるもの。

スパイスは
クミン
ターメリック
鷹の爪(ちぎって入れる)
にんにく
しょうが

あとは塩で味を調える。


さて作り方。

まずはほうれん草をよく茹でる。茹ですぎて融かさないように。そこまでやるやつぁいないか。

茹でたらちょっと水洗いしてから、あるならフードプロセッサなどで細かくして、ペースト状にする。

トマトは、これまたペースト状にするか、すでにペーストのがあったら早い。


鍋に油をひき、にんにくしょうが一かけずつを摩り下ろしておいたものをいれ、あまり強くない火で温める。

香りが出てきたら、他のスパイスを投入。適当なんで、クミンとターメリックは小さじ1にしている。微調整したほうが好みになるので、やりたいなら色々挑戦するのがよい。

焦がさないように油となじませて軽く炒め、そのあと刻んだなすとしめじを投入。なすが油を吸い込むので、これまた焦がさないように注意する。

スパイスと絡まって、ちょっと火が通ってきたかと思ったら、作っておいたペーストを放り込んで少し煮込む。ちょっと不安だったので水を足したりしたが、ペーストの量が適性なら多分いらない。

なすに味がしみこんできたかなぁというくらいで、最後に塩を入れて味を調整する。今回は気まぐれに、あんまりそういうのはないのだろうが、「和」の兄さんが辛いの苦手だったかどうか忘れてたので、甘い隠し味にシナモンを入れてみた。(後で聞いたら辛いのは大丈夫だといっていた)

これで終了。ペースト作りに手間がかかってなければすぐ終わる。チャパティのほうが時間がかかるのが笑えてくるぐらいである。

こっちは以前の写真がある。こういうパンである。



焦げているのは、単なる焼きすぎで、これが基準ではない。


五枚焼いたので、あまり大きくなかった二枚を選び出し、カレーをお椀一杯ほどによそって食べてみた。うん、美味い。と自分で納得してもよくわからんのだが、完成だ。


早速包んで、軽く雨が降る中、甚平で外に出ると寒かった。まあ、長ズボンはいて、靴も濡らすよりは半ズボンの甚平と雪駄で歩くほうが合理的である。


事前に電話して、「四時までにはいけるかなと」言ってあったのだが、ちょっと遅くなった。


さっそく食べてもらったのだが、美味い美味いとしきりにいう。向こうは和食の店に弟子入りしたこともある料理人だとはいえ、スパイスから作るカレーについては未知の領域。ビールを飲みながら簡単なスパイスの使い方を伝授してきた。さすがに泡盛は厳しいなぁと思っただけで、一杯なら多分大丈夫だったろうが、念のため。

味付けに塩しか使っていないというと、結構おどろいていたようだった。

これならカレー単体で酒にもあいますよ、という。家じゃあ飲んでないけど、合うから近所のカレー屋でククリラムを飲んでいるのさ、と答えておいた。


新メニューの試食で、これがいいんじゃないかな、などという意見も参考にしたりしてくれるようで、お互いの味覚は意外と近いのかもしれない。


素材などの好き嫌いなんかはあるだろうが、これなら人に食べさせても大丈夫、とまで太鼓判をくれた。

スパイスはどこで調達するのか、というのだが、別にそこのスーパーで買えるやつで問題ない、とはいったが「この味だせるかなぁ」と偉いべた褒めであった。


と、ここまで書いて肝心なことを忘れていた。

水が違うのだった。

元は水道水には違いないのだが、ブリタを通してあるのと、ブリタのポットの底に砕いた御影石を入れてある。

ヨーロッパでは温泉を飲むという療養がある。ラジウム鉱石の一種である御影石もそういう効果があるわけだが、味も少し変わるのである。

ブリタは水を軟水に近づけるので美味くなるのだが、わざわざ硬水にしてしまうわけだ。まあ、水道水に直に浸けるよりはいいだろう。


めくるめくスパイスの魔力にまた一人引き込まれてしまったかもしれない。これが引き金になって、新しいメニューが登場したりして。ちょっと楽しみである。


かめ仙人ならぬ、カレー仙人!などと冗談を言って帰ってきた。そしてコレを書きながら、米を買うのをすっかり忘れていたのを思い出したのであった。困ったもんだ。


小麦粉を練るのも楽しくなってきた。自然食品店で買ってきたものは、日○製粉のよりちと粘るなぁと思ったら、パン用ではなかった。が、先ほどおやつに作ってみたのだが、手に引っ付きやすいだけで問題なく焼けた。

色が白めの粉だったので、なお更チャパティっぽくなった。明日はこれを弁当にしようと画策中。スパイスで味付けした野菜を包んで焼くというのもある。考えると食べたくなるので、タバコでも吸って気を紛らわすことにする。では、また。

導かれて

2011-08-19 | 雑記
先日、この近所、といっても一駅向こうだが、刻みタバコも扱っているような専門店があるという話を、伊勢屋のおばちゃんから聞いた。そこの通販ページを見てみたら、美味いと聞くタバコも一応扱っていた。

しかし、通販については今は取り扱っていないのだとか。散歩ついでに尋ねてみると、もうなくなったと言われ、ちょっとショック。

腹いせに「宝船」を買って、さらに腹いせに(どっちにしても腹いせなのか?)駅前のバーで一服して、バーテンさんがほー!ほー!と珍しそうにするので、キセルを見せびらかしたりしてきた。



というわけで、あの店なら何とかしてくれるに違いない、と感じ、仕事明けに電話してみた。問題なくあるという。変な念押ししてしまったなぁと思いつつ買ってきた。





彼の名は、彼女かもしれないが、「MANITOU」。カタカナでマニトウと読めばよろしい。

お店の人曰く、これは手巻き界隈では一般的なもの、という。わざわざ在庫を確認するほどのもんじゃあないというわけだが、近所の専門店では言い方が悪くて変に伝わったが、置いてなかったのだ、というと、「そりゃ変ですねぇ、ショックでしょう」と慰められた。

なんせ、その近所の店の通販でも置いてある事は確認したのに、行ってみたらなしのつぶて。ショックのあまり悪口のようになってしまったが、気にしない。


倉庫にも一杯あるそうで、出してきましょうか?といわれたが、ためしなので一つ。


その店で腹いせに「宝船」を買った、というとなんと「あーマニトウの味は丁度それに似てるんですよ。宝船吸ってみたら『あぁ、マニトウだ』って」


そこはあまりショックではない、というか、そんな味なら別に慣れている。合わなくて止める事もないということが事前確認できたわけで、問題ない。


他の手巻きについてだとか、マニトウは葉が細かいほうなので、キセルでやるのはいいかもしれませんねぇ、などと少し雑談。

ちなみに、手巻き初心者がよく紹介されて手を出して失敗するものが「アメリカンスピリット」。巻かれたものも置いてあるのだが、手巻き好きに洗脳されて手を出して失敗する。とても上級者向けらしい。

葉が大きい上に保湿剤がないので(無添加とはそういうものだ)あまり作れない吸えない初心者が、封を切って三日ほど経ってガサガサになったのを持って「上手に巻けないんですよ」と、お店に相談に来ることが多いそうだ。気をつけろ。

刻みタバコ(キセル用のタバコ)なんかは、密閉容器に水を入れたコップなんかと一緒に一晩閉じ込めておけばいつでも快適に吸えるのだが、アメスピは頑丈らしく、さほど戻らないらしい。ヒヨコ豆を水戻しするなみに手間がかかりそうだ。


さて、このマニトウ。ドイツからやってきたものなのだが、名前の由来はネイティヴ・アメリカンの言葉で霊だとか精霊を指す言葉らしい。なかなかシンプルなデザインで、名前の響きも意味もいいなぁと感じるしだいである。

英語の辞書なんかで引いてみると、「自然を支配する超自然的存在[神]」と、オンラインのgoo英語辞書で出てきた。


そもそも手巻き用なので、封を開けるとこうなっている。

一本巻いてみた

キセルに慣れた自分には、ちと煙が目に沁みるのだが、キセルの癖だとわかったので、まっすぐやってみたら沁みなかった。

ちなみにこの巻紙「PURE LIGHT HEMP PAPER」と書かれている。おお、こんなところに麻が。ついつい三本ほど吸ってみたり。


これを買った足で「和」に行ってカレーの話をしたり、こいつを巻いてみたり、実験的カクテルを作ってもらってぐいぐい飲んで、美味かったのだが死に掛けて、トイレを一時間くらい占拠したりと、やりすぎた。マニトウ恐るべし。

ちなみにトイレは二つあり、男女の区別は撤廃されていた。いいんだが、よくない。しかし、過ぎた事を言ってもしかたないので、笑い話としてお納めいただこう。


スパイスからのカレーの作り方やチャパティの話をすると、よっぽど美味そうだと思ったのか「今度作ってきてくださいよ」という。実は、試しに誰かに食べさせてみたいと思っていたので、いい実験に、いや参考になりそうだ。

しかもおあつらえ向きに、自家栽培のナスを二本くれた。こいつぁ明日休みなので、トイレ立てこもりの侘びのつもりで作るしかないなぁと、ぐらんぐらんする頭で献立を考えることにした。

あまり辛くないほうがよさそうなので、唐辛子を控え目に作るタイプで、ほうれん草のピューレを使うやつで、あとはシメジを加える方向で。

正直、自分の舌が一般と合わないかもしれないので、(肉無しでもよいと許可は受けているが)あんまり甘くなかったと評判の伊勢屋の大福みたいに、あんまり味がないと評判になる気がする。その辺は検討中である。

レンズ豆も入れた、具沢山のドロっとしたカレーにする。というか、作ったら勝手にとろみがつく。「小麦粉いれなくてとろみつくんですか?」と聞かれたが、つくものはつくので、こっちも困っている。


ドロっとした濃厚なカレーには、さらっとした米と、ナンもいいがチャパティが実によい。ただ、チャパティーはあんまり自信がない。まあ、こういう感じの食い物だと伝わればよしとしよう。

米は炊いていかない予定だが、さらっとした米を食べるなら、玄米のびっくり炊きをするとよい。相性がばっちりである。


カレーとチャパティとさらに、御影石を少し砕く予定である。ちょっとした欠片を冷蔵庫に入れたら、充満していた味噌の匂いがなくなった、こりゃ本物だというと、まんざらでもなさそうだったので、こいつも持っていく約束をしたが、御影石様は非力な我々では太刀打ちできないほどのご威容の持ち主であらせられる。カレーよりそっちのほうが強敵な気がしないでもない。


タバコとカレーとお石様のよくわらかない話はお仕舞い。たしか、動画を作っておいたはずなので、掲載して終了とする。


十三着目

ダジャレを堂々と書いてあるのに無反応である。くやしいのうくやしいのう


十四着目

間だけ何故か再生数が半減。これをこれ、半減期とはいわない。


十五着目

「次回も楽しみにしてます」とコメントがあるのだが、やはり読まれていない説明文。
冗談だが、次回以降来年と書いたのだが。


十三回目から、ニコニコで直接見ている人にはわかるのだが、説明文を読みやすくしてみた。こうすりゃ読むかと思ったのだが、だーれも読んでいないか、コメントをしない人だらけなのだろう。要するに平常運行である。

よろしい ならば来年だ  覚悟せーよ!というわけで、明日はカレーと御影石との壮絶な戦いです。では、また。

本日の料理

2011-08-15 | 雑記
気まぐれにタバコを買いに行って(見事空振り)気まぐれにバーによって帰ったりする、気まぐれな人の気まぐれなカレー。

今日はこんな感じです。




真っ赤っかなカレーの正体は、トマトの入れすぎです。

後はいつも焦げるチャパティ



先日、「和」に行ったら、緑のカーテンに使っているゴーヤから収穫した実をもらった、というのは多分誰も見てないが書くには書いた。

その次の日には早速カレーにしたのだが、ちと失敗気味だった気がする。


インドでもこのゴーヤを食べるようだが、なんと、表面の粒々を取るそうだ。そして中のワタとタネも煮込んで食べるそうな。


ならば、こっちも煮込んで食べてみようかと思ったのだが、結局タネは食べなかった。一緒に炒めて煮たワタは融けたのか、タネにはまとわりついていなかった。


そこで学習して、いきなりわけのわからんことをやるのは止そうと。やるなら下準備をしっかりしてからだ。


というわけで、スタンダードにゴーヤを切って中のワタとタネをくりぬいたやつだけ使った。

このゴーヤ、写真にはしていないのだが、日照が不十分なのかそういう奴なのか、白っぽかった。お店にあるような黒いような緑の奴からすると、ヒョロヒョロである。


材料が微妙に足りないような気がしたが、たまねぎなしで作るやつもあるので、気にせず開始。

中身は

ゴーヤ
レンズ豆
ホールトマト(一缶は多かったか)

スパイスについては
生姜
にんにく
クミンシード
クミン(粉)
ターメリック
コリアンダー
チリペッパーとかカイエンペッパーじゃなくて鷹の爪(これはケチって家にある鷹の爪を使っただけ)

あとはオリーブオイルと塩。

作り方は適当に。スパイスは焦がすな、コリアンダー使うのは煮込み向けだ、これくらい。

レンズ豆は水戻ししたほうが、カレーを作り始めて煮込む時間は少ないかもしれない。どっちにしても多少煮るので、お好みで。


しかし、写真を見るとゴーヤなんかあるのか?という感じがする。

レンズ豆については、見た目をしらなくても豆らしいのがよく見えるのでわかるはず。


作っている最中は実にトマトの味しかしなかったのだが、水気がなくなり、塩で味を調えるとあら不思議。カレーの味になっていた。辛さは食べる分には問題ないのだが、スパイスの感じがよくつかめない。辛味以外に色々と不思議な感じがあるので、これがスパイスの組み合わせで変わるのだろうか。

人に食わせたことがないので、うまいかまずいかよくわからん。まあ、この一皿を飽きずにあっという間に食べたようなので、多分問題ない。また近所のカレー屋に行って、食べ比べをしてみようかと思うが、いつも激辛で頼むからよくわかりません。というより、近所のカレー屋ではククリ・ラムをぐいぐい飲んでいるので、覚える気が無かったりする。

おまけに、ナンには大抵、卵や砂糖、ヨーグルトを入れて作る。何が入るかは店で違うようだが、大体は砂糖や卵に牛乳なんかは入っているようだ。

そんでもって、ヨーグルトのデザートで、お店の文句だと「ネパールで人気のデザート」とかいう、シーカルニまで食べていたりする。いけないねぇいけないねぇ。ゲームやめるとかいいつつ、こっそりやっているんだろうねぇきっと。

でも、肉は食べません。たまーに食べる(おととい、「和」で誕生祝いだーということで、豚足の煮付けみたいなのを食べてはいた)かもしれないが、肉を食べる気は全く起きない。

肉を、例えばハンバーグだとかステーキくらいの量を食べたりすると、次の日、気分が悪くなる。他の原因もあったかもしれないが、少なくとも体臭悪化は肉以外には考えられないだろう。


海外の然る医者が言うには、肉を食べるなら生で食べるとよい、などと言っていた。

なんでも、動物園のチーターが変な病気にかかって死ぬのだとかいう。その医者が指摘することには、生の食べ物を与えていないからだという。飼育員はそれがわかっていなかったのだと。

火を通すと、野菜にしろ肉にしろ有益な物質がなくなったり変質したり、変質の場合、ものによっては発癌性物質になったりする。特に、肉なんかはそれが顕著だといえそうだ。


その医者は「わたし自身については、たんぱく質タイプなので、オーガニックの生肉を食べている」ということだった。そういえば、ユッケは今も販売自粛だったろうか。


そういう人もいるが、肉は食わんほうがいい。環境問題にも食糧問題にも寄与できるぞ。それでも食べたいのなら、上の医者のいう、オーガニック(と言ってた気がする)のや、野生の肉を食べるべし。

後、どれくらいの割合で生食を取るべきか、などという話もしていた。その辺は読んで考えていただこう。「病死するチーターが教える健康の極意


肉骨粉と抗生物質で育てられたそこらの安売り肉を毎日食べて、狂牛病かよくて癌にでもなって、余生を文字通り呆けて暮らすのもまた一興。どうぞ毎日肉を食らってくださいね。では、また。

御影の御陰

2011-08-14 | 雑記
先日、よく見て回るブログをチェックしていたら、RSSパーツで表示されている別のブログ記事リンクにちょっと気になる話があった。

石がどうこうと。石?ぱわーすとーんってやつか?と思ったらそんな安っぽい言葉で表されるようなもんではなかった。


以前から、地下から採れる鉱石には、地表にはあまりないような物質が多く含まれていたりする。分かりやすい例で言うと、ウランなんかがそうですな。

そこでウランかよ!と思われるがしらんが、あれも「ウラン鉱石」という地下から掘り出された石ころだったわけだ。

わかり難い、というか時代を逆撫で?しそうなのでもっと身近な話だと、鉄も鉄鉱石を掘り出して、それを溶かして純度を上げて(百%ではないのがミソ)鉄鋼にすると。

あとは金や銀。金はまあいいとして、銀なんてアクセサリーでも持ってない、というだろうが、さもありなん。馬鹿馬鹿しい抗菌ブームで使われる抗菌剤は、コーティング剤だと銀由来だったりする。

宝石なんかも掘り出し物である。真珠は違うが。


どこかで採れる石が体にいい、といわれて、名前がついていたりして売られているのだが、実はもっと身近なものでさらに効果が高いといわれるものがあったそうな。


さてこちら




模様でピンと来る人もいるだろうが、それは御影石だそうな。墓石だとか神社の鳥居などに使われていたり、官公庁の入り口の銘を刻んだ石に使われたりと、様々なところで使われている。


とりあえず、画像検索で見て回れば、いたるところにあるのを感じられると思う。


御影石は通称で、本来は「花崗岩」という。かつて、兵庫のほうだったか、御影というところで産出されたところから、そう呼び習わされているという。


花崗岩とは詳しくはなんとかぺディアを参照!というとあれだが、要するに、マグマが冷え固まったもの、というわけである。二つ説があったそうだが、現在はマグマ論が一般的らしい。

さらっと読んでみたら、地球ではよく採れるそうだが、太陽系の岩石天体ではあまりないらしい。海があるからかもしれないのだとか。


さて、それの何がいいのかというと、こいつも放射能を持っている!らしい。

さあそこで身構えない。恐怖という先入観は人をアホにする。だから、頭空っぽにして夢詰め込めて生きてください。



ではなく、そもそも地球上及び宇宙(太陽からも燦燦と降り注ぐ)放射能さん。こいつは要するに電磁波の一つなのだ。

電磁波。それはTVやPC、ケータイやその他家電、電線、飛び交う電波。これら全部放射能といえる。


つまり、毎日被曝しているわけだ。そして、人工の放射線は、遺伝子を痛めつける。

では、天然の放射線はどうなのかというと、地表でもよく見られる花崗岩や、宇宙から降り注いでいるこれらの天然の放射能に適応してきた結果、それを体が生かすように出来上がっているという。

でなけりゃ地球上の生物はみんな死んでるかゴジラになっている。ゴジラにはならんが、多様な生命があふれる惑星にはならんかったといえるだろう。


余談になるが、日本の西と東では、元々西のほうが原発など関係なく放射線量が高かったらしい。福島が吹っ飛んで東京も色々降り注いできたわけだが、それでやっと釣り合うくらいだとか。まだ西のほうが高いかもしれない。まあ、養殖の放射性物質なので、無添加のほうがよい。

諸説ある(大陸のほうの原発やら同じくナイショの地下核実験など)が、花崗岩が多いからともいう話がある。西のほうが植物の色合いが濃いという感想を持つ人もいる。放射能で元気!というと、頭おかしいのか?と思われるが、都内のこちらでも近くの川原を散歩すると、去年より桜並木の葉の緑が濃くなった印象を受ける。


御影石にはラジウムが入っているそうだ。温泉なんかでもラジウム温泉だとかラドン温泉があるのをご存知だろう。てっきり御影もラドンだと思ったらラジウムだったので、口頭で間違いを教えてしまったが、まあいいや。記事の下のほうを見たら、ラドンがどうこうも書いてあるので、混乱のきわみ。

ラドンラドンと聞いて、古い漫画のネタを思い出してしまったが、聞かないほうが身のためである。ドンしか関係ないし。

まあ、こういう話を書いてあったわけで、そこを読んでみてね!


天然の放射線は体を修復する。人工の物は体を壊し、最近はTVなどでもよく騒がれる甲状腺がどうとか、いずれは癌になるという話に繋がっているわけだ。

つまり、御影が傍にあれば、壊れる端から治していくという、いたちごっこになる。というわけで、TVを見るのをやめましょう。


上のリンク先の記事には、そのいたちごっこが実は有害な放射能に対する抵抗力が高まった存在を生み出しているんじゃないか、という話をしている。上の記事自体は転載されたものだが、執筆者曰く、「光の子」と呼んでいるそうだ。


四年ほど前の新聞記事の内容で、アメリカの被曝者調査結果だとか。以下、そこを引用。

 「広島や長崎とアメリカの核実験場付近の住民を調査したら、放射能に対する免疫を持った人達が見つかった。その人達は放射線を浴びると更に元気になる事が分かった。その様な遺伝子を持った人達の子供も同様で、遺伝子自体が変化してる事が分かった。しかもその人達は、広島や長崎、アメリカの核実験場近くの住民に沢山存在してる事がわかりました。」


自分が買ってきた石ころも、一個九十八円(税込み百五円)。中国産かどうか、そもそも天然かどうかは(感じからして天然だろうけど)聞いてない。


買ってついでに、「和」におすそ分けしようかと思ったが、重い。仕事帰りだったので他に荷物もある。そんでもってでかいので断られたが、小さくして水槽に入れるとよさそうだ、などと言っていた。

飲み水に浸けて飲むのもやる予定なので、風呂用に大き目のやつと、後は槌と鑿を買って、俄か石工になろうと考えている。メーソン!おお、こわいこわい。


さて、去る八月十二日は、自分が生まれて十万とんでいくつだったっけ、の日でした。

夜勤だったので、じゃあ今日は「和」で何か食うかーとなったわけだ。むしろ飲むのだが、それはいつものこと。


誕生日だったんですよー、というとなにやら作ってプレゼントしてくるという。ケーキは?というのだが、以前、砂糖満載のクレープで頭が痛くなったことを話してあったので、向こうも遠慮した。まあ、たまにはいいかとは言ったが、結局ケーキは無し。

桃を切って、ジャムを絡めたものをくれた。両親が桃狩りで貰って来たものだそうな。以前、果物はあんまり好きじゃない、といったのをお互い忘れていたようだ。最近はこちらも果物についてはあまり好き嫌いはなくなった。

てびち、という豚足の煮込みをもらったり(これは注文したのだが)、それを温めるだけにしてはやたら時間かかってるなぁと思ったら実はモツ煮を作って出してくれたりと、ちょいとサービスをしてくれた。

あとは、なんだか思いつきで泡盛を使ったカクテルを出してくれた。次に作ってくれと言ってももどきになります、というホントに思いつきのものらしい。


泡盛ちょっとに、シークワーサーとあとグァバジュースだったかと、ちょっとコーラ!を入れている。ぶどうを一粒沈め、レモンをひっかけて完成。

なかなか美味かった。ただ、コーラが怖いのがなぁと。そういう話を前にちょっとやったので、(アスパルテームがダイエットにはならない、という話も)やるならせめて普通のコーラで!ということにはなったが、コーラもペプシもアレつながりなんだぜぇとも伝えておいた。アレってなんでしょうねぇ?そいつぁ石屋に聞いてくれ。

まあ、たまにはいいかと飲んでいたのだが、てびちに気を取られたら忘れそうになって「まずかったら捨てていいですよ」と言われてしまった。本人も美味いかどうか、というより飲めるもんだか分からなかったのが大きいようだ。

それと、誕生日云々ではなく、入店してすぐに、緑のカーテンとして育てたゴーヤから、実を一つもらった。一応無農薬ですよ、という。いやーありがたい。今度カレーにしよう、最近はスパイス混ぜて作ってるんだというと、にいさんも作ろうとしたが、なにやらジュースを混ぜてみたらまずくて捨てた、などと言っていた。もったいないが、おそらく、食えたモンじゃなかったのだろう。


終わろうと思ったら、そういえば動画を出してあった。忘れるところだった。

九着目

挨拶はナマステ


十着目

ククリ・ラムのククリはナイフという意味ですって


十一着目

調子が悪いんじゃない 頭をおかしくさせられそうになるからだ


十二着目



全体的に、中の人もコメントも低調気味でした。ダブルとシングルで一杯ずつ飲んで、カレー食べたんだもんね、仕方ないね。というより、お盆か。

お盆のことなんか忘れて、石を砕いて暮らします。では、また。

手作り

2011-08-10 | 雑記
昨日の夜勤の晩飯として、チャパティーを焼いて持っていったが、冷めても風味が変わらないので、弁当にもよさそうだ、と思って色々見て回っていたら、やっぱりあっちでも弁当だったりするようだ。

ただ、具を包んでから伸ばして焼くので、「炊き込みご飯のおにぎりみたいなもの?」とかなんとか。


こりゃ帰ってから焼くしかない、と思って昼ごろ電車に乗ったのだが、ふと思い出したことがある。


帰り道で大きな交差点に出くわすのだが、仏壇屋があったり、でかい愛玩動物の牢獄、じゃなくてペットショップがあったりと、分かりやすい目印のあるすぐ近くに、一件カレー屋があった。


以前、散歩で通りかかったときはディナー前だったので休憩中だった。


と、いうわけで家に帰ってカレーを作るのを断念して、そこで食べてしまったとさ。


名前は分からんのだが、ああスパイスの香りだなぁという感じのにおいがする店内は客がおらず、自分一人だけだった。あんまりそんな事は気にしない。


肉は食べないのでもちろんベジタブル。といいつつ、ラッシーを飲んだが、そのあたりは気にするな。


カレーの色はクリームを混ぜているのか、なんでか白っぽい。でも、食べた感じは別に牛乳っぽいとも思えない。

具はインゲンが目立ったが、色々入っていた。ナンの大きさはどこも同じだなぁと思ったが、味は甘さ控え目で、毎日ナンを食べるなら(インド人も家では作らないので毎日は食べない)丁度よいかなぁと感じたが、毎日なら米かチャパティーでよい。


久しぶりにヨーグルト(ラッシー)を口にしたが、たまには悪くない。が、やっぱり色々と飲むべきものではないなと知ってるし(まさか裏で飼ってる牛から搾ってるとかいう健康的なものではあるまい)忘れたころに飲むことにする。どこに行ってもね。


店員さんが会計をしくじっていたりと、色々と大丈夫かなあと思ったが、あまり美味くないらしいが、インドの米もあるようなので、思い出したらまた行って試すことにする。マンゴージュースがなかったのが悲しいが。



帰宅して、風呂に入る。今日と昨日はひどく暑かった。暑いせいか、これを書いている先ほどからPCのグラフィックドライバに異常が何度か起きて、画面が少し暗くなったり、挙句の果てには再起動までした。

まあ、これは実は暑さのせいではないだろうな。かなり強い太陽フレアが観測されたとかいう話がある。


細かい話は忘れたが、太陽からのそういうエネルギーがマントルに影響を与えて、地震を起こしうる、などという話も出ている。キチガイが言ってるんじゃなくて学者が言っている話だ。

余りにも強い電磁波だかなんだかが地球に押し寄せた場合、地球上の電化製品が動かなくなったり、PCも全部壊れたりしうる、と数日前にはそんな警戒情報も出ていた。


地球を覆う電離層だとかそういうものを、人工的な電磁波だかで穴を開けて、狙った先に太陽フレアの影響を集中させてみたり、すぐに何も起きなくてもマントルに影響を与えて地震へと繋ぐ、なんてことも決して夢物語ではないようで、自民党から民主党へ移籍した、浜田和幸という議員だったか、先月末くらいだったかの国会の質問で「昔、気象兵器があるだとかそんな論文書いてたみたいですが、頭おかしいんですか」みたいなアホの質問にきっちり答えていた。

「気象兵器は、かねてより各国で研究されてきており、実用化段階になっているというのは世界の常識になっている、というのが私の認識です」と言い切った。

ちなみに、質問をしたのはみんなの党の議員だったのだが、そいつは東大を出ていて特技は英語だとか。東大でてもアホはアホ。というか、東大を出るとアホになるのかもしれない。

などとつらつら書いてきたが、太陽フレア云々、浜田さん云々は、このブログからの聞いてきた話です。すんません。


というわけで、妙にPCの調子がおかしい、と思ったらしばらくしたら何か起きるかもしれないな、と頭の片隅に置いておくといいかもしれない。目に見えて何か変わらなかった、何てこともあるが、どういう影響があるのかはそもそもよくわからんし、地球規模の人体実験をされているのかもしれないのだから。



だから、今日の夜は、カレーだ!





焼いてみたよチャパティー、作ってみたよカレー。玄米ご飯が見切れているが、そこは仕方ない。


スパイスは焦がさないようにしなきゃならんのだが、やっぱり慣れてないので色々と失敗気味だった。が、別に食えないものでもなかったので、平らげてしまった。ある程度辛ければいいのだろうか。


右上の赤いのが、レンズ豆のカレー。キーマカレーのような作り方をして、後は適当に作った。

左の黒いのは、以前にも紹介した、ほうれんそうをピューレにして作るカレー。変な炒め物のようでもある。作り方を見ながら、でもやっぱり適当に作った感が否めない。

実際、ザブジという、汁なしカレーというのもある。たまねぎ以外の生野菜が尽きたので、後日買ってきては作っているかもしれないが、目指したものはこんな炒め物ではなかった。

それでもなんとなくカレー。カレーと思い込んでいるだけかもしれないが、カレーに違いない。


チャパティーに乗っけてはさんで食べると、実にカレー。玄米ご飯と食べると、玄米ご飯が甘く感じる、というのは前にも言ったかもしれない。ただ、「びっくり炊き」という手軽に作れる方法で炊くようになってからは、いつ食べても甘く感じる。玄米まずいから、と敬遠される方は、この方法をお試しください。

次は、チャパティーを焼くのはもちろんだが、台所の火が限られるので、カレーを一つにすべきであること、スパイスやらの扱いに慣れること(このあたりは数こなすだけ)何を作るのか明確にする事(行き当たりバッタリ万歳)だろうか。

お粥か玄米菜食的な何か、もしくはスパイスから作るカレー。しばらくはこの調子でお送りいたします。ただ、にんにく食べると汗がくさくなるから注意だな。では、また。

紅い

2011-08-08 | 雑記
前回の長ったらしい記事の最後のほうに、こんな写真を載せている。






まさか読んだとは思えないので、敢えて問う。これはなんでしょうか?



正解は・・・カレー。カレーというのは分かるかもしれないが。

ペースト状にしたほうれんそうで作るカレーなのだが、見事にカレーの色となっている。

トマトピューレも入っているのにどうしてこんな色になるのか。


というわけで、今日は調子に乗ってもう一つカレーを作って、さらにチャパティなるものを焼いてみた。


買い物に出かけた先で、レンズ豆なるものを購入。これを入れたカレーを作ろうと思い立ったのはいいのだが、チャパティの材料たる、全粒粉が売り切れだという。

来るのは来週の木曜とかいう。今日は何曜日だったっけ。まあいいか、と取りおきを頼んで帰ることにした。


帰り道、駅前のダ○エーならあるかもしれないと立ち寄ってみたら、あったあった。コレに決まりだ。


写真は無いが、なんとか作り上げてみたものの、チャパティはうまく焼けなかった。本来ならこんな感じになる。もちろん、こっちはならない。例えるなら、生地のぎっしりした濡れせんべいのようになった。

カレーはもう少し辛くするために、鷹の爪を刻んで入れるかな、という感じであった。

思いつきで買ったレンズ豆だが、これを水で煮てやわらかくするだけでうまかったりする。つまみ食いしながら「これだけでご飯が食べられそうだ」と感じて、カレーが危機に陥りそうだった、というのは嘘だが、いい味だった。



我が家の台所では、やっぱりカレーは一つでいいやと感じる。カレー作って玄米炊けばもういいかな。



チャパティはおやつに食べられたりもするらしい。失敗気味とはいえ、あれだけ食べても悪くなく感じた。ちゃんとできたらもっとうまいだろう。昼飯に作るか、焼いて持っていって晩飯にするというのはどうだろうか。一体どこの人だ。


というわけで、動画を掲載して終了する。

まずはながーいながい返信動画。


番外編



開始から一分ほどはダイジェスト動画を入れているのだが(高画質だがカクカク)疲れたので編集疲れたとメッセージを入れておいた。毛筆で。

その辺については無反応だったが、後の話(何故やめるのかなど)についてもやはり無反応だった。宣言どおりやめるだけである。何を考え、感じたのか理解してもらおうとはあんまり思っていない。


そんな感じで本編へ。

六着目


ここから次のマップまでの区切りが短かったのと、さっさと抜けてしまったのもあって、三本で約三十分程度。


七着目



八着目



時間を十分程度に区切って、音質を下げて、その分画質に振り分けてみた。前回まではシャープフィルタがきつすぎたようで、画面が白いような明るいような感じが強かったのだが、今回からのはバランスがよさそうだ。音質もまったく下げたかどうか素人目に(耳だが)判断つくものではないので、これでよい。ずっと昔は、これを聞いてみて違いが分かったのだが、今ではよく分からないし、分かったところで見せる分には意味が無い。

九月までには終了としたいが、はてさて、この生活がいつまでも続くのだろうか。仮に続いていたとして、やはり疑問は尽きないのである。疑問というより半ば確信じみてきたのだが。では、また。

禁断症状

2011-08-07 | 雑記
これを書いている時点で昨日、夜九時ごろに、近所のインド料理屋でカレーを食べる。

ククリラムもぐいぐい飲んでしまったので、帰ってから横になってしまった。

その後、数時間で目が覚めたので、起きてPCをいじったり、茶を飲んだ。


うーん、これではいけない。と感じ、水だけで一日を過ごそうと思い立つ。

水断食と言って、水以外口にしない方法である。初心者にはハードルが高いので、いきなり挑戦しないように。


カレーを食べてから口にしたものは、早朝の茶と一緒にクルミを少々。これを食事と考えたら、次の日の朝四時半ごろまでになる。


カレーから考えたら、その日の午後十時ごろと相成る。

タバコもダメだろうが、タバコは許可する事にした。


夜勤のときは、酒を飲むわけはないので、特に体に負担がかかっている状態ではない。よって、晩にちょっぴり食べてそのまま次の昼まで水か茶だけ、というのは苦にならない。


今回は、前日にカレー(おかわりできるからと、ナン二枚食べた)と、ククリラムを飲んだ。夜中に寝たのも、酔ったせいであって、昼寝が多くなってしまったりした。

結局、カレーから数えて二十数時間あたりでやめて、「和」に行ってしまったとさ。歩きながら、「別に食べなくても大丈夫そうだなぁ」とは思ったが、それなら食べても別に問題ないか、となんだか間違った結論にたどり着いたようだった。


水断食時は、水を1から2リットル摂取せよ、とのことである。指導する人によっては、ビタミンなどが摂れるお茶などがよい、ともいう。

ただ、デトックス目的なら水にするべきだそうな。体にたまった有害物質は脂肪に溶け込んでいて、その脂肪は水に溶けない。

そこで断食をして脂肪を分解し、血中などに有害物質を溶かし、汗や尿にして排出するというわけである。風呂に入って汗をかくのもよいし、ここのところ暑いので、歩くのもよい。脂肪の燃焼を促すから、さらによかろう。

そのためにしっかりと水分を、なるべく真水に近いのを飲む、というわけだ。


川原を散歩という感じにはならなかったので、近所のドラッグストアに出向いた。カレー屋の近くだというのが危険きわまりないが、がんばってやり過ごした。

以前から懸念材料だった、洗濯洗剤。経皮毒といって、皮膚からも毒素は入り込んでくる。特に、洗濯洗剤に含まれている物質は、衣服に一年ほど染み付いて、じわじわと体を蝕み続けるという。


別に今なんともないぞ、というだろうが、今日明日で死なないから騒がないという暢気な話であって、老い先短い人はともかく、子供なんかは将来病気にさせられるわけだ。元々そういう生活のうえに、今は放射能である。


放射性物質の危険性は、高線量を一瞬浴びる事より、今のように低線量をじわじわ浴び続ける状況のほうが極めて危ないという。

ペトカウ効果という、低濃度の放射線と細胞の防御反応についての話があって、一部の研究者の間ではノーベル賞ものだとか。こういうところでもご覧になってください。
リンク先は1、ペトカウ効果云々は2でございます。


ペトカウ効果云々ではないが、マスコミはまったく言わない、普段我々の口にしている有害物質。放射能と変わらないように、じわじわと体を蝕んでおりますゆえ、放射能を心配するのと同じくこちらも心配しないと、片手落ちというわけでございます。


つい先日、サッカー選手が心不全で亡くなったが、これにも日本では(でも、か)まったく広まっていない話がある。


運動選手がバタバタ死んでいるそうだが、原因として、「化学調味料」がある。

Aの素とアス何とかテーム。Aの素は(アミノ酸等)の名前で、アスなんとかはカロリーゼロ食品などを筆頭に、多くの物に添加されている。

聞いた話を自分で調べたかのように言うのもあれなんで、こちらをお読みください。


というわけで、どちらも改めてサイトを紹介したいと思います。

順序は逆になるが、フッ素フライパンを捨てるきっかけになったサイト、「THINKER」捨てたのはさて、フライパンだけだったろうか。

上のブログは、そのTHINKERさんところのブログで、ブログ内のリンク「管理画面」の上のリンクが紹介したページ。


もう一つは、THINKERブログ内のリンクにもあるのだが、「さてはてメモ帳」 然る人物が「上級者向け」と冗談だかでおっしゃっていたが、なるほど、上級者向けだ。という内容。

正直、いきなり読んでついてこれる人は多分、自分の周りにはいなさそうだ。というような内容である。


ついでというと悪いが、もうひとつ。フライパン捨ててからもっとお世話になったサイトを。タバコを始めるきっかけにもなった。ありがたやありがたや。

Beyond 5 Sences」 さてはてメモ帳を上級者向け、と言っていたのは、記憶違いでなければ、サイト運営者の為清さんだったと思う。こっそり掲示板を覗いておりまして。ええ、見るだけで申し訳ない。


と、いうわけで、ここ数ヶ月はこういうところを見て、色々学んだり考えたり、あとは感じたりして今に至る。

別に上記のサイトでTVゲームが危険だから辞めろ、という話はない。のだが、陰謀とかいうものを感じるにつけ、TVゲームなんぞもそれの一つと考えて差し支えない、と結論付けたのである。

その上、TVゲームを見るとやはり気分がおかしくなる。いつぞやのAなんとかBよんぱちのPVを見せられた時よりは無いに等しいものだったが。


国外ならまだわかるが、国内のゲームにまるで「猿の惑星」と同じような日本人への悪意に満ちた寓意が盛り込まれていたり、正直言って、まともな感性を持ちたいと思うなら、触れるべきではない。

全部が全部悪意に満ちている、などとは言わんが、例えるならTVに写っている人間の中から、ヤクザや宗教や半島や沖縄と関わりの無いまともな人間を探すのと変わらないぐらい無理がある。


ちょっと話が逸れるが、以前からシリーズを動画にしてきた、「Dead Space」。たまにこんなコメントがあった。

「死体をばらしていかないの?」と。

わざとばらしたくないから(しかも敵じゃなくて、一般人の死体)踏まなかったのだが、「バラしていくのが当たり前」みたいに問いかけてくる。


ゲームごときで、と思うなら、もう何も考えないほうがよい。あなたはお世話になった人や、両親の写真を踏みつけられるだろうか。平然と踏んづける人が多くなっているだろうがともかく。

ゲームに出てくる死体が架空だから、というなら、(仮に)あなたが踏みつけられないその写真も、架空でしかない。これを感性の麻痺といわずして、何と言おうか。


というわけで、ゲームと決別することにした。やりたいという気持ちはまったくもって起こらない。悪い夢だったとすら感じている。


それとはまた別の内容で、ゲームをやるべきではないからやめる、という話を吹き込んだ、コメント返信動画を作る事は作ったのだが、まだアップしていない。続けざまに本編を撮っておいてからと思ったら、数日開いてしまった。


まだおしゃべりしながら(おしゃべりというより独白だが)やる分にはましだろうが、息を詰めて素潜りをしているようなものである。酸素ボンベが壊れたので、もう長くは潜れない。


他にもいろいろ感じている。学校の成績アップの敵にされるゲームだが、実際はゲーム攻略の過程と、学校の勉強の過程は、本質的に変わらんな、などという話もあるのだが、さてはてと同じで、いきなり言われても上級者向けだろう。ついぞ書く機会を失していたため、提示だけしておく。


というわけで、本当のタイトルに向けた内容をやっとこさ始めることにする。上は悪い夢だと思って。


先週の何日間か、妙にカレーを食べたいと思って、度々お店に行った。夜勤明けの駅前で食べたと思ったら、夜に近所のカレー屋へ。

さすがにそれだけ食べれば十分かと思ったら、断食前日にもう一回食べたと。もう十分だろう、そう考えた。


しかし、別の気持ちが湧き出す。よし、スパイスを買ってカレーを作ろう、と。


というわけで、ここのページのカレーを参考に作ってみた。

下の方にある、ほうれんそうとひよこ豆のカレー。だが、ひよこ豆はないので、ジャガイモで代用する。

おまけにミキサーもないので、擂り粉木と擂り鉢でペーストを手作りだ!


そして出来上がったのがコレ。





ほうれん草が少なかった気がする。二束とはいうのだが、細いので三束にしたが、それでも足りなかったのかもしれない。

別の種類のカレーに使うであろう別のスパイスも微量に混ぜてみたり、塩をでたらめに入れたので、黒砂糖を入れてみたりしたが、複雑な味わいをする。

これを玄米で食す。チャパティーなんかも焼いてみたかったのだが、全粒粉なんて目の前のスーパーには置いていない。これはまたいずれ。


スパイスの味がよくわかる。鷹の爪を三本ほどちぎっていれたが、辛さはまずまず。これもまた、擂り粉木で粉にするかしないかで変わりそうだ。

クミンとターメリックというスパイスがメインなのだが、これの割合でまたカレーの風味が変わるのだろうな。

初めて作って、スパイス追加やら砂糖いれたりしたのだが、ちゃんとカレーの味がする。こりゃレトルトのカレーは食えんな、と強く感じたしだいである。

肉は食わないが、むしろ肉を使うよりバリエーションが増えるのがベジ料理。明日も練習がてらに作っている事だろう。では、また。

なし崩し

2011-08-05 | 雑記
前から断食してみよう、と考えていたのだが、なかなかやらなかった。めまいがするんじゃないか、途中で諦めるだろうと。途中で別に諦めて問題はないのだが、拒絶反応が出て、無駄に苦しむのではなかろうかと。


さて昨日、夜勤を共にしていたEさんに最近の食事状態(Eさんが我がブログを流し読みして習字を見て笑ったりしていたら、「肉食べていない」に気づいたため)を言うと、一言。

「安生君、イスラム教徒になれるんじゃね?」と。「まあ、イスラムでなくても断食ってのはやりますよ」と、月並みな答えをしておいた。


おやつのクルミもなかったため(持っていき損ねた)では、水とお茶、たまに塩なめて、タバコを吸ってやり過ごしてみようと相成った。


Eさんに伝えた最近の食事状態とは、食べに言ったりしない場合の基本を伝えた。つまり、夜勤の日の昼に起きてお粥を食べ、仕事場には小さなタッパに玄米飯を半合つめたものに、海苔とごま塩をまぶし、梅干を真ん中にすえたものを食べるだけ、というやつ。その後は、昼に帰宅するくらいまで食べない(茶やら水は飲んで)で過ごす、というのが最近の普通になっていたと。駅前でカレー食べてたり、「和」にちょくちょく行ったりはするけども。


夜勤前日は、約束した飲みのせいで夜に早く寝てしまい、深夜に目が覚めたのでそのまま動画を作ってアップ作業をしていた。

明るくなってきたので、じゃあ家でいた場合の晩飯をやろう、というわけで、昼にお粥はなしで、午前中に食事を済ませた。

内容は、玄米飯半合と、冬瓜とマイタケの味噌汁、梅干一個。冬瓜の味噌汁はもう少し味噌が多いほうがよかったかもしれない。出来たすぐは味が十分だと感じたのだが、時間が経つと、冬瓜の水分が出てきて薄まったか、電熱コンロの余熱だけで十分一煮立ちしていたのに、余計に火にかけてしまったか。ちょっとわからない。

それから茶を飲んでしばし寝る。夕暮れ前、起きて弁当を作っていざ仕事へ。で、冒頭の状態へ至ると。


残業でもないのに、着替えた後風呂敷の包み方を調べて実践していたら(鞄がダメになってきたので急遽風呂敷で出かけた)十一時を過ぎていた。


そしていつもどおり歩いて自宅まで行った。せめて日没まで無しにするかと思って、そのまま帰った。

近所の公園でちょっと風を受けて涼みながら「和」に行ってしまおうかと悩んで入り口まで行ったはいいが、どうやら今日はいつもの兄さんではなさそうだったので、辞めた。


風呂に入って、一服する。家の前のスーパーから、宝くじの宣伝の放送がする。これが実に耳障りで、すぐに散歩を決心した。


武蔵陵墓近辺まで歩いて帰ってきたら六時くらいになろうと、三時半は過ぎていたか、歩いてきた。


帰り道で、土手に手作りというか投げやりに作ったような、板を延べただけの箇所があって、向かいの岸からなんとなくそこを見ると、何やら座っている。

犬かと思ったら、どうもおかしい。犬があんなところで座っているのは不審だ。よーく見たら猫だった。過ぎた橋に引き返して近寄ってみた。近所の猫を最近みないので、猫を見たいなぁと思っていたら、願いが通じたようだ。


休んでいるのもあるが、結構、散歩やらランニングしている人が多い場所である。明るい時間でもあった。逃げないだろうと近づいたら、やっぱり逃げない。


背中を撫でると、背中の腰のほうから尻尾のほうが、撫でるたびに痙攣するかのように反応する。これは嫌がっているのかねぇと思って手を引っ込めると、なぜか伏せていた顔をこっちに向ける。

また撫でるとビクビクする。話すとこっち向く。どっちなのかわからんぞ、と猫に話しかける怪しい人になりながら、今度は喉のほうをくすぐってみた。

嫌がる風もなく、なすがままになっていたが、指の先から猫の喉の奥がゴロゴロ鳴るのを感じる。そして手を引っ込めると、こっちを見る。撫で始めると顔を前に向けて(体の側面をこっちに向けて寝そべっていた)また伏せる。

猫ってのはよくわからんなぁとか、いやなら逃げるか、などと、甚平を着た変な人が猫とおしゃべりする風景。奇妙である。


その奇妙な光景は、奇声と共に打ち破られた。


いきなりランナー風の男が乱入し、猫が驚いて退いた。どっちに向かって言ったのかしらんが、「こんにちは!」と。「こんにちは!」の前に駆け寄りながらの奇声があったわけだ。

こっちも十分アレかしらんが、ちょっと脳味噌が明るい性質の人のようだった。


どっちにしても、猫を驚かせるような奴はロクでもない。その脳天気な奴は、驚いてベンチの後に立った猫の腰をわしづかみ。そして走って去っていった。


興が削がれたので、こちらも帰ることにした。猫もしぶしぶ帰っていったようだった。


で、何の話だったかな。それでそのまま帰宅して、ちょっと疲れたので一時間ほど横になった。そしてコレを書いていた、ということになる。起きて一口水を飲んだくらいで、とりあえず、変な苦しさは今のところない。


また後日、猫がいたら撫で撫でしてみたいと思うのでしたマル


余計な話が長くなったが、動画を掲載する。

新シリーズ「Crysis2でおっさんのお古を着せられる」を開始。


話は通じているようでやっぱり通じてなかったが、一応、これの終了でもって、ゲームの動画作成及び、ゲームのプレイを断絶する予定になっている。

断絶、とまではいかなかったとしても、新規にゲームを買うことは恐らく無い。金が有る無しではなく。

懐かしさで引っ張り出してきた、とあるRPGでやるかも、とは考えているが、ここまでゲームする気を失くしてしまったのでは(そのRPG、一度クリアしてからやろうかと考えていたのだが)完全に棚上げ状態である。


一着目


さて、久しぶりに解説。動画の中で、「禁煙パイポ」のCMじゃないが、「私がゲームをやめようと思ったのはこれです」ということに対する反応が一つだけあった。

目ん玉マーク、三角形、人差し指と小指だけ立てるハンドサイン。大雑把にこれをヒントとして出したのだが、「それはわかったけど、何故それがやめる理由がわからない」という。

上の三つが何を指しているのかはちょっとだけ知っているのだろうと思うが、結局、個別の出来事としてしか認識できない人なのだろう。

動画の冒頭で現れるとあるマークが目ん玉。アメリカの然るTV曲か何かも目ん玉。ちなみに、Crysis2の製作はドイツの会社。

果たして、これが「個別」に発生して採用されたことなのだろうか?ハンドサインについてはローマ法王も日本の政治かもアメリカの大統領も、皇太子もやっている。

これらを見て何も感じないのなら、感じなくてよい。ずーっと都市伝説だと思って暮らせばよい。


というわけで、いずれ説明のために動画でしゃべるか、ここで記事を作り、動画へその記事への直リンクを貼ろうか、と考えているのだが、上の内容についてここで説明するのは能力的にも難しい。

だから、自分がTVゲームと向き合ったときに何を感じているのか、を書こうと考えている。前置きやら例えを使って長く書くのは差し控えるが、つまりこうだ。「TVやTVゲームの画面と音を目の当たりにすると、気分が悪くなる」

AなんとかBよんぱちのPV見せられて気分が悪くなった、と書いたのを見た人がいるかもしれないが、そう、同じ空気を感じている。ゲームは自身のフィルターが強かったので、気づこうとしなかったというわけだ。


それもひっくるめた上で、三つのヒントへ繋がるのだ。まあ、動画では三つのヒントを示しただけで、何も具体的な話はしていないが。


というわけで、気を取り直して続きへ。

二着目


動画内のコメントは冗談だと思いたいが、「症例がどうこう」としゃべるメガネのおっさんと、切り替わって潜水艦のシーン以外のアメリカの様子は実写です。


三着目


説明は飽きたので、以下貼るのみ。

四着目



五着目


と、思ったが一つ。「ちゃんと実況って書けよ、NGにしてあるんだから」とコメントがある。

グーグルなんかの検索でキーワードを打って検索する、あれの逆バージョンがあるわけだ。そのキーワードがあるものを検索結果に反映しない、という。

機械に使われるなんて恥ずかしくて外を歩けませんよ。わざと胡散臭いタイトルをつけて想像を喚起してるのに、機械に使われるだけの愚か者というのは何も想像しない。

猫は、犬ほどではないが鼻は多少利くのだが、匂いで追跡をするというような能力は無い。食べる前に、「食べて大丈夫だろうか」と確認をする程度だそうな。

飼い猫でもするような話を聞いたことがあるが、よくわからない。人ならその鼻の代わりに目と想像力ではなかろうか。憐れで泣けてくる。

検索結果に入って邪魔だ、とかいうならいっそのこと「実」でNG打てばよかろうて。まあ、どっちにしても情けない話である。どっちにしても同じような事をする程度だろう愚か者の身振りがご覧になれます。


飼い犬は、基本的に飼い主がくれたものは何でも食べる。飼い主=機械に餌を貰い、喜んで飛びつく犬というわけか。人の姿をした犬に成り下がるなら、猫そのものになったほうがずっといいと感じるしだいである。では、また。

誘い

2011-08-04 | 雑記
結局、前回の更新の後、近所のカレー屋にいってしまったのだった。


財布にあまり金を入れてなかったので、ククリラムはシングルで、といいつつ、ちょっと高めのセットを食べていたような気がしないでもないが、覚えていないという事にする。


なんでも、インドでも「ナン」は毎日食べられているものではなく、レストランで食べるのだとか。タンドールなんてものも家にはないそうだ。


じゃあ何を食べているのか。米?それもある。が、別のパンがあるそうだ。


チャパティという、薄焼きパンがある。アーユルヴェーダという、古代インドからある医療関係の書物には、発酵食品(大抵のパンはこねた後醗酵させるし、ヨーグルトが入っていたりする)は、健康によくないと記されている。


チャパティの作り方なんかを見てみると、こねた後、寝かす時間は三十分ほど。

で、薄く延ばしてフライパンで焼くと。


全粒粉を使うというのも素晴らしい。全粒粉というのは、小麦を精製しないで丸ごと粉にしたもので、国内外を問わず、健康によろしいと絶賛されている。



というわけで、それを頼んだのはよかったが、ちょっと失敗してしまった。


どう食べたものか考えあぐねた結果、カレーがあまってしまったのだった。


ディナーでは、セットを頼むとナンが食べ放題とあったのだが、一つ尋ねてみたら、そっちじゃやってない、この場合はライスだと、カウンターに座っていた私服の店員らしき人にも突っ込まれた。


だが、今回だけ特別に、というわけでナンをおまけしてもらったのでした。次は気をつけるぜ。

ライスをメインに食べつつ、チャパティをちぎっては浸けて食す、こんな感じだろう、うんそうに違いない。


まあ、外食自体はあんまりやらないほうがよろしい。どこいってもアジ○素が入っているので、味覚も思考も混乱する。人によっては、ちょっとでも入っているだけで体が反応するのである。わしはまだ鈍感なので、なんとも無かったりする。まだ修行が足りぬようだ。


なんとかの素だが、日本人はほとんど中毒状態で慣れてしまっている。だから、救急車で運ばれるようなことは起きないのだが、海外、特にヨーロッパでは激しい。

イタリアで中華料理店に入って食事した人が、突然固まってしまい(体が麻痺したわけだ)救急車で運ばれる、ということがあるそうだ。

チャイニーズレストラン症候群、などと呼ばれている。救急車までいかなくても、食後に気分が悪くなるときは、グルタミン酸ナトリウム中毒だと考えて間違いない。

ちなみになんとかの素は、加工食品には「調味料(アミノ酸等)」と書かれて入っている。イギリスだったか、ちゃんと「AJIN○MOTO」と書くようにしているそうだ。


そーいう危惧だらけなので、いずれは自宅でカレーをスパイスから作るつもりである。チャパティはどうしようか。


そういった不自然な味になれてしまうと、普通のだしで取った味噌汁では味を感じなくなる。

我が愚兄が昔、三人で暮らしていたときに、今とは違ってよく多めに味噌汁を作っていたため、一つくれと食べたのだが、味がないまずいと乞食(ホームレス的な意味でなくて)の癖に文句をつけていった。

「出汁の味があろうが!」と言ったが、実家じゃ味噌はこんなに少なくなかったなどという。わかっていなかったのはお互い様だが、Aの素の「ほ○だし」を我が母は使っていたものである。アレにも満載でっせ。

味覚が混乱している愚兄は、今は知らんが、腹が張り出していた。そりゃうつだとかパニックにもならあ、と慈悲のかけらも無い、慈悲の言葉を投げかけたくもなる。

言うほど自分も上記の通り、味覚が正常であるかと問われれば「たぶんだめ」とは思うが、最近は昆布だしと野菜類だけの味噌汁でとても美味く感じるのである。まさか・・・味噌にアレが!?と思ったが、そりゃないかなぁ。

ちなみに味噌は、実家のおばあちゃんだか親戚だかが作っているものだそうな。市販のより美味いと言ったらあれか、手前味噌か。手前じゃないが。


まあ、あまりお勧めしないが(本当は勧めたいところだが)Aの素を抜いた(調味料(アミノ酸等)も抜く)料理を作って食べてみるといい。最初のうちはほぼ確実に味がないと感じるはずだから。

そこで諦めるのが普通である。もう存分に飼いならされているので、このまま家畜として過ごしていただきたい。家畜は幸せだなぁ。


先日、「和」の兄さんにもAの素は危険だという話をしたら「味を調えるのにどうしてもちょっと入れるんですよ、でも多く入れると気分が悪くなるんで少しだけなんです」という。

中華料理では大量に使うのだが、なんでも、弟子入りした中華料理店ではあまり使っていなかったそうな。完全に抜くと、その店は閑古鳥が鳴くであろうが、仕方ない。

というわけで、「和」では砂糖とAの素抜きでやってもらえる事になった。なんせ、生野菜に塩を振って食べるだけで満足できる性質になったのでな。

肉はやらないつもりだが、Aの素抜きのそばをどう感じるか、ちょっと楽しみである。


グルタミン酸ナトリウムというのは、その昆布だしにも入っている事は入っているのだが、ああいう純粋な成分としては自然界に存在しない。

丁度、大麻の成分を生(マリファナとかモルヒネ)で摂取するのと、モルヒネを精製し、成分を純化したヘロインでは毒性が段違いになるのと同じといえる。もっともっと精製したものは、少量で人を死に至らしめるそうだ。

サトウキビから黒糖、それを精製して砂糖、というのと同じである。砂糖もひじょーによろしくない。最近、つくづく体感したので、よくて和菓子(伊勢屋のまんじゅう)、「和」でたまに売ってる、手作りさーたーあんだぎーだけにしている。食べて違和感がなかったから、という話で、実は危ういかもしれないのだが、スーパーのなにやらてんこ盛りのまんじゅうや大福など、危なっかしくて食えたモンじゃない。まずいし。

要するに、美味く感じたらいい、というわけだが、伊勢屋の大福を初めて食べたときは、まったく甘くなかった覚えがある。

最近はというと、あんこを噛むととても甘いということが分かる。これも砂糖か、と思うが、あんこは近所のあんこ工場から来ているので、おそらくそうだろうが、クレープを食べたら頭痛がした、というようなことは起きなかった。


というわけで昨日、添加物の伏魔殿たる、居酒屋に行ってきた。先日、飲もうといわれたので、肉は食わんぞ、といいつつ行ってきた。

まあ、食っても何もならんなぁと思いつつ帰ってきたのだが、飲みすぎだが頭が痛くなった。口の中に何か違和感があるが、ここ数日続いているので、カレー屋に行き過ぎたせいもあるだろう。恐るべし、Aの素。


肉は食わんと言ったら「いつからマクロビオティックなんて始めたんですか」、という。

大体三ヶ月くらい前か、といいつつ、から揚げを一つつまんだり、カルパッチョに何故か乗っているチーズを食べたりはしたが、空かさず「宗旨はどうしたんですか!」と突っ込まれた。


「わしは別に禅僧でもないから、気が向いたら食べる」と答えておいた。実際そんな気分ではあるが、一般に売られている食肉もこりゃまたひじょーに危うい。セシウム牛どころの騒ぎではないのである。


詳しくはこのページの、倫理的問題というカテゴリーの「自然界からの警告」と「家畜のエサを検証」というところを見て欲しい。


肉を食べなくても(むしろ食べないほうが)健康になる、というのは、近ごろ痛感するところである。顔が細くて不健康そう、という方もいらっしゃるが、カレーの食いすぎか、ちょっと丸くなって来た。細かったのは単に少食をやっていただけの話。


あとは日光浴がよろしいようで。古代ギリシャあたりだか、「筋肉を強壮するには日光浴がよい」などといわれていた。だが、肉ばっかり食べる人はやめたほうがよい。日差しが強いときなんかは火傷になること請け合いである。

そのせいか、別にトレーニングを積んだわけでもなく(散歩はしていた)脂肪が落ちて細くなったのに、しかも体つきが前より筋肉質になってきている。脂肪に取って代わって、筋肉がつき始めたような具合である。


元々の日本人の生活と体質は、日光には弱くない。欧米人は皮膚癌になりやすいが、日本では稀だという。

ということはつまり、肉ばっかり食べていて肉には耐性がある欧米人ですらそうなるのだから、肉に弱い日本人が肉を食べていたら自分で癌を作っているようなものである、といえる。


ソマチッドといって、血に微生物がいて、何も無くても増殖するような働きがある、という話がある。ちょっと違ったかもしれないが、具体的にいうと、ある実験で不思議なことが起きているという。


それは、肉片を密閉した瓶にいれて、日光に晒しておくと、腐るどころか増殖し、肉はピンク色に(新鮮になったというわけか)なっていった、というのである。

一般的な学者はソマチッドを非科学的といって一蹴しているため、広く知れ渡っていないようだ。そんでもって、ソマチッドを曲解して変な金儲けのネタにしているところもあるので、ご注意を。


「科学的」という前提の下、ありのままを見ないで決め付ける「科学者」より、古代の医者や、ソマチッドの話をしている人のほうがよっぽど科学的なのだろう、と思うしだいである。


飲まず食わずで日光浴するだけで体が強くなる!なんてどこにも儲けが出ない話だから、もうなくなったあるある大辞典だとか、ためしてガッテン!などで流れる事はなかろうて。


だまされたと思って、肉をやめて、玄米だとか全粒粉のパンだとか、野菜の多い生活をして、体を日に晒してごらんなさい。まあ、「普通」の生活をしている人にはハードルが高いかもしれないが。(一日中事務仕事じゃ日も浴びれんわな)

昨今は放射能がこわいーとなっているのだが、それよりも何よりも、普段から危ないものばかり食べていたのである。ちなみに紫外線も放射性物質の一つである。肉ばかり食べる欧米人には紫外線は害毒となりうる、というのも肯ける話であるし、まあ、だからといってフクシマの爆発の傍にいても大丈夫!というわけにはならんので(いまのところは?)、本質的に体が丈夫になる食べ物をお摂りください、というにとどめる。

夜が明けてしまったのでここまでにする。動画は作ったが、まだアップしておりません。ただ、八月はどうなることやら。自分と東京が生きていたら、お目にかかりたいと思います。では、また。

職業

2011-08-02 | 雑記
数日前、なんだか毎日いるような気がする(そんなわけはないが)「和」で飲みながら、いつもの兄さんにこういっていた。

「昨日は夜から(夜勤で)クルミかじって過ごしてたよ」

すると兄さんこう返してきた。

「忍者ですか!」


ある時は手抜き仕事をする間抜け、ある時はゲーム野郎(近い将来止める)、ある時は酔っ払い、ある時は新メニューのアドバイザー、またある時は霞を食らって生きる仙人!(まだ無理っぽい)


その正体は!!




だったらしい。ちなみに手裏剣は持ってない。どこの国から派遣されたのかトンと覚えがないのだが、これからも「草」として色々やっていきたいと思います。


というわけで、プロフィール画像用にこれも書いた。




クルミかじっているようではまだ仙人とは呼べないが、「和」の兄さんからしたら、よっぽど仙人らしい。


えー、昨日の食事はといいますとぉ、玄米粥四分の一合と、梅干一個、黒ごま塩をたべてー、行きがけに「伊勢屋」でまんじゅう二個買っていってー、晩飯に食べたと。

で、おやつはこれまた持っていったクルミ。たまに塩を振ったり振らなかったりをかじっては、お茶を飲んだり飲まなかったりで過ごす。

これが曲者で、間隔を空けずに食べ過ぎると、後で疲れてしまう。ちょくちょく食べないで、決まった時間にまとめて食べたほうが良かったと思うが、クルミが美味いので仕方ない。


実際疲れたのか、仮眠の寝起きはちとしんどかった。食ってないからだろう!?と言われそうだが、そう思ってくれてもかまいません。


終業して、茶を飲んでまた一口かじって、二服くらいしてから帰途へ。


いつも通り歩いて帰って、また「伊勢屋」でまんじゅう買って、「これから家で飯を作るんだ」などとしばし歓談する。


荷物を置いて買い物に行き、歩きながら思いついたメニューの素材を購入。

最近は土鍋でご飯を炊く。白米の場合は必ず浸水を三十分ほどするので、一時間はかかる。


ならば戯れにと、上の二枚を書いていた。書きすぎて、一時間近く書いていたのは気のせいだ。


そこから土鍋に火を入れ、余熱で放置する間に料理を開始すると。沸騰してから五分弱火で煮て、その後は余熱で放置が三十分である。

料理も手間取ったので三十分どころではなくなったが、土鍋がお櫃代わりになるので問題なし。


夏なので冬瓜の煮物を作るぞ!と決めて、出来上がったのがコレ。



本来は鶏のもも肉だかを使う料理だが、今は肉を食べない生活をしている。外だとたまに食べるが、家ではもうやらない。

そこで、干ししいたけを使う。昆布だしも使った、「精進だし」で煮る事にした。

簡単にだしを取った干ししいたけも具として使えば、旨みについても無駄が無くてよいだろう。歯ごたえもあるし。

ついでにまいたけも入れちまえ!と。そうしたら上記の写真のようになったわけだ。

料理酒も必要なのだが、切らしていた。歩いて三十分近くのところにあった(要するに帰り道)自然食品店で買った謎の調味料「あい味」という、味醂と料理酒を混ぜたようなものを少し入れてみる。これが途端に甘くなりすぎたので塩を入れなおしたりと、実に行き当たりばったりで仕上がった。

器に盛って、摩り下ろした生姜を添えて食べる。



左で見切れているのが、そのための下ろし生姜。真ん中上は、甘くなくて何故かしょっぱいきゅうりの酢の物。きゅうりに塩を振りすぎたらしい。



さあ一口。香りは作っている時点で合格だった。・・・ちょっと味が弱い気がするが、にたような味になった。そりゃ冬瓜をにたんだから、とかいうなよ。


干ししいたけを入れよう、と思い立ったのは、然るベジタリアンのブログで、干したキノコ類を入れると、肉っぽい味がつくという話を読んだから。ありがたやありがたや。

じゃあ肉いれろよ!と言われそうだが、肉を食べるとしんどくなるので却下。心身の健康によろしくない。よろしくない、といいつつまんじゅう買ってくるあたりが出鱈目である。


「このまんじゅうに白砂糖が入っていても俺は食う!」というつもりで覚悟しているので、死んでも「伊勢屋」を怨まない!


昼飯といいつつ、食べて皿を洗ったら四時前だったとさ。めでたしめでたし。


じゃあ、ククリラムでも飲みに行くかねぇ。




と、思ったが、明日は飲みに行く約束をしているので、我慢する。と、書いてみる。「これからしばらくの間、カメレオンの事を考えてはいけません!」というわけだ。




冗談はさておき、ついにDead Space2の動画が終了した。一挙に二時間半ほどやっている。いやぁ疲れた。夜を徹してアップロードしたのが疲れた。ニコニコ動画は非人道的な場所でございます。


長いブログがさらに長く見える、動画掲載の始まり始まり。


第三十六夜



第三十七夜



第三十八夜



第三十九夜



第四十夜



第四十一夜



第四十二夜



第四十三夜



第四十四夜

ここでラストバトル終了。あとはエンディング。


最終夜



はい終わり。いやー、改めて並べてみると、アホみたいに多いねぇ。


さて、ここで載せる前にもうコメントがあったりする。まあ、ここで見てる人ほとんどいないようなので。

「とても楽しかった!」とくれるのはありがたいのだが、とりとめのない関係のない話やら、よく分かっていない英語テキスト読解だとか、疲れてきたり戦闘に集中したりでしゃべってなかったりだとかあったりする上に、やったこともない即興落語を、しかも観客なしの録音でやっているような気分なので、果たして、これは面白いと思えるのだろうか?と、そういう素直に喜べばいいコメントも素直に受け取れないような気分になってしまうものである。


別におしゃべりするのは嫌いではないが、見えない相手ではつらいもんである。TVなんぞ見る価値も無いが、見えない相手の見えない反応というのは、気になるとひどくおっかないモノに見えるだろうな。気にしているのか知らないが、TVに出続ける人は神経がどうかしているのかもしれない、などとジンケンシンガイの言葉を述べてみる。


ところで、最終夜のエンドロールでもしゃべっているし、ここでも以前書いたが、恐らく、次のCrysis2で動画及びTVゲームから足を洗うつもりである。


もしかしたら、動画自体は、と思ったが、ゲーム以外で動画をやっていないので、恐らくないだろう。


ゲームをプレイする事に対して、日に日に嫌悪感が増すとでもいおうか、楽しいといえば楽しいのだが、その楽しみ自体に疑問が湧く。「楽しいと思い込まされているだけじゃないか」と。


科学的な根拠にはならんし、当てにもしていないが、以前にも、今まで一緒にプレイしていたオンラインゲームの然るプレイヤーについてだとか、TVゲームの枠組みについて簡単に示したりだとかしてきたので、もうこれ以上は言わないが、オンラインゲームも含め、ゲームをやり続けるのも、TVを見続けるのも、本質的には同じであろう、と考えているのが今の立場である。ああ、あとパチンコを加えてもいいだろう。金が出るか出ないか、くらいの差だ。

それでも敢えてプレイしよう、というなら、ゲームやってなくても知っている人もいるであろう、某名人の言葉を示して終わりとする。

                        「ゲームは一日一時間」

毎日もやってないのだが、ほんとにそんな感じである。では、また。