石森則和のSEA SIDE RADIO

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チャンピオン。

2011-11-14 | Weblog
これはまだ、文化放送に入る前の話。

後楽園ホールについたのは泊まり勤務あけの午後。
すでにリングの設営が終わっていた。

WBC世界フライ級タイトルマッチ。
17度防衛中のチャンピオン、タイのポンサクレック選手に
内藤大助選手が3度目の挑戦をした。

1度目の挑戦で内藤は
「世界戦上、日本人最短記録」の34秒KOで敗れてしまう。
勝ち続けていたときと違い、
ひとたび負けると風当たりは強くなる。
内藤は厳しい批判の中、苦しい日々を送るが
不屈の闘志でその後は勝ち続けた。
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そして彼は、
ポンサクレックにチャレンジする2度目のチャンスを得ることになる。

しかし、やっと手に入れたチャンスであるにも関わらず
バッティング(頭があたること)で右目の上を切ってしまい
不運なことに「負傷判定」で敗れてしまった。

そして、2007年7月。
「負けたら引退」と3度目に臨んだのだ。
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ところが
中継を予定していた大手TV局が降りたことから
資金難のため開催が危ぶまれることになる。
・・・こんなことは前代未聞だ。
それでもなんとか幸いなことに
スポンサーや一般の方からの援助にくわえ
東京ローカルのMXTVが中継を買って出たのだ。
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とはいうものの、
MXTVがボクシングの、
しかも世界タイトルマッチを放送するのは初。ノウハウはない。
ベテラン実況アナは確保できたものの、人材は不足している。
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そのTV中継で、僕は
控え室レポーター、リングサイドレポーター、
そして勝利者インタビュアーも、やらせていただいた。
(いかに人がいなかったか!)
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正直にいうと、かなり苦戦が予想された。
内藤選手本人も
「ボクシングセンスでは
チャンピオンにかなわない」などと発言していたし
チャンピオンも
「相手が必死なのはわかっている」と
一切手を抜かずに臨む姿勢だった。
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野球の試合は数十秒で終わることは無いが
ボクシングではありうる。
だからいろんなケースを想定して番組は作られる。
12回最後までやって判定になるのか?それ以前に決まるのか?
早く終わったら残りの放送時間はどうするのか?
また、どちらが勝ったかで放送の展開も細かく変わる。
・・・僕は内藤選手に勝ってもらいたかった。
でも、どの資料を見ても新聞を開いても悲観的だ。
放送スタッフも「前評判」は頭には入れて構成を考えていた。
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内藤大助。
彼は屈強なコワモテではない。
おとめ座で「生まれかわったら女の子に」なりたくて
好きなテレビ番組は「田舎にとまろう」
(絶対ラストで泣いてる)・・・根が優しいのだ。
中学のころは「いじめられっこ」だったという。
お金もとらたしヤキも入れられた。
「そのころの自分は大嫌いで
人と同じでないと不安だった」という。

・・・でも、ボクシングを始めて
初めて「自分」を意識したという。
「人と違う自分が好きになった」と。
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プロボクサーになって
かつての「いじめっ子」からチケットをねだられた時、
「いじめっこ」に「お金をはらってくれ」と
きちんと催促できたという(笑)
それは強いパンチを手にしたからでなく
自信に裏づけられた「精神力」を手にしたからだ。
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そして試合が始まった。

彼の入場曲はクィーンの「ウィ・ウィル・ロックユー」でも
「ロッキーのテーマ」でもなく、CCBの「ロマンチックがとまらない」
でも、めちゃめちゃもりあがってる!
大勢の観客や支援者も踊っている、今も耳から離れない。
僕は青コーナーで内藤陣営のセコンドのすぐ後ろに陣取った。
序盤からすごいスピードでパンチを繰り入れていく内藤選手。
セコンドも目を見開いて
「あいつ、きょう速ええな」とつぶやいた。
1R終了のゴング。セコンドは立ちあがってのガッツポーズ。
もう勝ったみたいな騒ぎだ。会場全体が震えた。
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「足を使って左に回りこめ、小さく確実に返していけ」
セコンドから指示が飛ぶ。
歓声にかき消されて声は聴こえなかったが
コーナーに上ったジムの宮田会長の口が、
「オマエ、スゴイゾ」と動くのが見えた。
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2Rめからは会場全体が押せ押せムード。
チャンピオンが追い込まれていく。
パンチが、どんどん大振りになっていくのだ。
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試合は終盤にさしかかる。
僕は格闘技が好きで、セコンドからの指示も生で聞く機会はあったが
コーナーの椅子に座った内藤選手に
宮田会長から「珍しい指示」が飛んだのが聞こえた。
「信じろ。いいか?~みんなが、ついてる」
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そして最終ラウンド。
ゴングとともに出て行く内藤選手。
壮絶な打ち合い。内藤選手が優勢なのは明らかだった。
宮田会長の目が潤んでいる。セコンドから声が飛ぶ。
「いいか、内藤!あと1Rだ、あと1Rで




・・・人生が変わるぞ」


最後のゴング。敗は判定にもちこされた。
両者、レフリーに腕をつかまれる。
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それでは判定の結果を申し上げます。
「青。内藤選手!」
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最後のほうは、もう歓声で聴こえない。
僕はいそいでリングに駆け上がろうとしたが
ジムの仲間が泣き笑いで殺到しているので上れない。
どうにか這い上がって、急いでリングイン。
フロアディレクターから、マイクを渡される。
内藤選手に、チャンピオンベルトが渡される。

「放送席、放送席、勝利者インタビューです。
新チャンピオンの、誕生ですっ!」
うわあああああああああああ!

内藤選手は、切れた唇で僕の質問に一生懸命答えてくれる。
「みんなのおかげで、みんなのおかげでがんばれました。
苦しかった日々も、みんなが支えてくれました。
・・僕、いじめられっこだったのに世界チャンピオンになれました」
「きっとこれを見て
内藤選手みたいになりたいって思う子もいますよ」と言うと、
もともと「笑い顔」の内藤選手が、もっと笑顔になった。


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ボクシングジムや空手道場が
「いじめられっこ集まれ」などと募集することがあるが
あれは、「力を持って対抗する」という意味ではない。
「僕は、これならこんな頑張れるんだ!」と自信を取り戻すことと
自分を認めてくれる「学校以外の世界」を持つことに意味がある。
だから、子供自身がそれを実感できるならば
水泳でもいいし、音楽でもいいんだと思う。
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すべてが終わったあと内藤選手と握手した。
宮田会長は「もうボクシングをやめてもいいぐらい嬉しい」と笑った。
宮田会長もボクシングのダメージで現役を退いたが
内藤選手にかけた想いが痛いほど伝わった。
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その後、僕は文化放送の報道記者として
亀田VS内藤の確執云々を取材することになる。
どっちかっつーと、そっちが話題になりがちで
ちょっと悔しかった。
当時、内藤のオトナな対応が話題になったが
僕に言わせれば、実に彼らしかった。
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夢を追いかけるのはキレイゴトではなく
代わりに捨てなければいけないものも、別れも沢山でてくる。
だから、夢を追いかけるほど孤独になるものと思っていたが
どうやら、その逆のようだ。
あの仲間達の歓声の中でそう感じた。

彼らは、
内藤選手が一番苦しいときにそばにいた人たちだ。
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今月13日、内藤選手が引退を発表した。
思い出に残る試合について聴かれた内藤選手は、この試合を挙げ、こう答えた。
「まさか自分が世界を取れるとは思わなかった。
あの試合くらいは自分を褒めてもいいかなと思う」 

再会。

2011-11-07 | Weblog
かつて東京駅の地下にいた『碧の風』像。
いつも通勤客の流れの中に独り佇んでいた。

なかなか夢が叶えられなかった僕は、
いつも、その笑顔に励まされていた。

文化放送に通うようになってからも、
へこんだ時は顔を見てから帰ったし

番組が決まると
像の前で『頑張る』と誓った。

〜しかし改装工事のため、
ある日、像は突然姿を消してしまった。


東京駅を使うたび
処分されてしまうのだろうかと
気になっていた。


ところが。

きょう
文化放送のある浜松町駅におりたったら、
目の前にこの像が!


沢山駅のある東京で、
浜松町に来るなんて。

ダメな自分を心配して
来てくれたのだべか(笑)と本気で思った。

再会が
嬉しかった。