石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

懐かしの文化放送トピッカー

2013-03-27 | Weblog
買ったー。

吉田照美さんのインタビュー記事つき。

車には思い出がともない
思い出には人がいる
イキイキとした姿を甦らせるトミーテック

いい仕事してます。

荒城の月

2013-03-23 | Weblog
小学6年の時にギターを弾き始めた。
小学校にオーケストラがあり、顧問だった担任に
コントラバスをやるよう勧められたのだが、
でっかくで家で練習できぬ。

ギターの下から4本の弦は
コントラバスと同じ並びなので
練習になると思ったのだ。

教則本を買ってきて一番最初に弾いたのは
なぜか「荒城の月」だった。
理由は最初に載っていたから。

故郷浜松には「浜松城」があって
通っていた高校から城址公園までの道は
この季節、まさに「花の宴」だったと記憶する。

ところが、この「荒城の月」
歌詞が難解であるとかで
とっくに教科書から消えているとか。

「言葉が古くて生徒にはわからなくなっているし
環境が変わってしまって歌われている状況が消えてしまっている」のがその理由。

確か、「ふるさと」も似たような理由で消えた気がするが・・・
群馬県警担当時代に山中の事件現場に度々いったり
震災関連で東北などを取材をしていたりすると
「こうした環境が消えた」といのは都会人の決めつけのような気がする。

そもそも「環境が変わった」のが理由だっちゅー話ですけどね。
「荒城の月」はそもそも「古の栄枯盛衰に想いを馳せる」歌なのですから
そういう日本人の心を安易に捨てるのはどうなのかっちゅー話ですよ!

・・・ちょっと待って、ウーロン茶飲むから。

今、飲んだ。うまい。

だからさ。
前にも書いたけど
春は秋よりもセンチメンタルなのです。
なぜなから環境が変わり、ある人は去り、ある人は来る。
人の世の移り変わりは、人の心の移り変わりなのだと
れんたろー・たき、も言いたいのではないでしょうか。

この歌を知っている人が少なくなっちゃうのは寂しいから
うたっちゃうよ。

春高楼の花の宴
巡る盃かげさして
千代の松が枝わけ出でし
昔の光いまいずこ

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数見せて
植うる剣に照りそいし
昔の光いまいずこ

いま荒城の夜半の月
替らぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛
松に歌うはただ嵐

天上影は替らねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお
嗚呼荒城の夜半の月

アルバム

2013-03-13 | Weblog
遠州弁を思い出せなくなってしまった。
大切なものを無くしてしまった気がする。
~~~

『過去の記憶を未来に繋ぐ作業なんです。』と、その人は言った。

津波で倒壊した家屋から流された写真やアルバムを
自衛官や消防は拾い集めてきた。

『家族の思い出になるようなものがあれば確保せよ』自衛隊は
そういう指令を出していた。
岩手県宮古市だけで少なくとも二万点。

それらを丁寧に洗浄し
持ち主の元に返そうとしてきた人々がいる。

市役所も連携し
去年春に
常設の返却センターが設けられたが

それだけでなく
毎週仮設団地などを巡回させている。

持ち主の手がかりがあれば
写真を携えて訪ねて行くこともある。

すると最初は驚かれ
『どこにあったんですか』と写真を愛しそうに手にとるという。

311の追悼式典でも
会場の別の部屋で
1500点が展示された。

湯船ではしゃいでいる
父親と幼い子供

幸せそうな新郎新婦と
緊張した面持ちでマイクを握る父親

運動会のゴールシーン


会場で一生懸命アルバムを探していた来場者は
『あった!』と声をあげ
写真ではなく
子供の表彰状を見つけた。

市の担当者は言う。
『写っている人の想いはもちろんですが、決して写真に映ることのない、シャッターを押した人の想い。そしてセピアに色褪せても、ずっと大切に保管してきた人の想いがここにあるんです』

会場で市の担当者や
来場者にインタビューをしながら生レポートをした。
その中で流した
来場者の録音カットをイヤホンで聴きながら
インタビュー相手の担当者は言った。

『ああ。いいですね。
宮古の言葉だ。』


きのう
担当者からメールが届いた。
『ラジオを聴いた新聞記者から、取材の依頼がきたんです』

クサイとは思ったが
言わずにはいられない言葉があった。

例え家や大切な人が失われても
ここで
みんなが一緒に暮らした事実だけは誰にも奪えない。
写真がその証しになるのなら一枚でも持ち主のもとに返って欲しい。

~~
ついつい情緒過多になってしまうのは
あの直後に東北で滞在取材をしたこともあろうが

遠州灘を望む村で
海を身近に感じながら
育ったこともあるのだろうか。

それなのに
遠州弁のイントネーションを思い出せなくなってしまった。

『あ、宮古の言葉ですね』と担当者が微笑んでから
記憶の底を手探りしている。

『311』とラジオ政治記者

2013-03-01 | Weblog
311を前にして政治担当のラジオ記者の話題は被災地取材のことになる。…というのもご存知のように国会がメッサ忙しい状況のため、その合間に取材先や宿泊先に連絡をとるからだ。横で聞いていて、お?石森さんも宮古市にいくの?などとなる。実は政治担当といってもラジオは記者の数が少ないため僕のように震災取材を平行して行っている記者もいる。テレビや新聞は分業化されているのでそういうケースは多くない。永田町と被災地の解離ぶりを肌で感じられる僕らはむしろ恵まれているし、ある種の責任もあると思う。文化放送の場合は何度も被災地取材をさせて下さり『俺も行こうか』と本気で仰る部長や、ケツをもんで~もとい、叩いてくれる、一緒に番組を作ってきた報道ディレクター、休みの日にも東北を目指す若手記者などがいる。身内のことだからここに書くのは恥ずかしいが、尊敬するし感謝するし誇りに思う。文化放送は
311、女川をベースに岩手や福島にも記者が行って放送します。良かったら聴いてください。またいくつかの地方局では制作させていただいた『南三陸~立ち止まった復興』もオンエアされます。地元のラジオ局の番組表をご覧ください。