TBS「世界ふしぎ発見!」は,TV東京の「お宝鑑定団」と並んで好みの番組だ。いつもチャンネルをあわせるというほどでもないが,ときおり見ては楽しんでいる。
先週は「インド 巨大石窟に封印された伝説の都を求めて!」と題して,インド仏教再生の指導者,インド仏教遺跡発掘の指導者(現代のシュリーマン)として大活躍の佐々井秀嶺師をとりあげていた。
インドに渡って仏教の布教活動を続けている日本人僧がいるという話は耳にしていたが,番組を見て佐々木師の情熱に大いに感銘を受けた。画面に映る佐々井師は,ものにこだわりをもたない痛快な人物とお見受けしたが,彼はカースト制度に苦しんできたインドの人々(多くが仏教徒に改宗中)の堂々たるリーダーだった。
ネットで調べたところ,
http://homepage2.nifty.com/munesuke/india-sasai-ambedkar-buddhism-etc.htm
が充実していた。2004年くらいから,わが国のいろいろメデイアで紹介されはじめていたようだ。例により私はうっかり見落としていた。
それらによると,佐々井師は「インド仏教再生の父」ともいうべきアンベードカル博士の後継者。アンベードカル博士とは?
(「仏教に改宗 カースト制と闘う」によると)
アンベードカル博士とは、不可触民出身ながら独立インドの初代法務大臣を務め、平等を保障したインド憲法の起草者だ。博士は不可触民同胞の解放のため生涯をヒンドゥー支配層と闘い、国民から「独立の父」と英雄視されるガンジーと激しく対立した。ガンジーが、不可触民を「ハリジャン(神の子)」と呼びながら、実はカースト制を守ることに固執したからだ。
最下層の権利を無視し続ける支配者層に絶望した博士は、ヒンドゥー教がインドの発展と民主化を阻止していると見限り、一九五六年、五十万人の不可触民とともに仏教に集団改宗した。仏教を選んだのは、インド古来の文化であり、ブッダの説く自由、平等、友愛の精神は民主主義に欠かせない生活原理だと考えたからだ。
改宗で生まれ変わった人々は博士を「アンベードカル菩薩」と呼びブッダと同格に信仰する。だが、集団改宗から二ヶ月後、博士は急逝し仏教徒は指導者を失った。そこへ現れたのが日本人僧の佐々井秀嶺師(六八)だった。
次は,佐々井師のインタビュー記事(「問答有用」 (週刊エコノミスト 2004年8月31日号掲載))の一部。
-----インドはどんな国ですか。
佐々井 過去と現在と未来が一緒になって動いている国。過去の世界がまだある一方で、未来の世界もある。カーストの弊害でお互いに、信用しなかったり、憎悪しあったり、陰謀をめぐらしたり、足を引っ張り合う悲惨な国、不幸な国である。
インドには二つの顔がある。世界や日本が知っているのは、中級以上のバラモン世界の国。もう一つの顔は中級以下の人の国。つまり、何千年もの間、間として扱われた人たちの世界です。その姿を見ないでインドの真実を語ることはできない。外国人は化粧し道化したインドを見ているだけだ。
---インド人には宗教を信じるあつい信仰心がありますが、日本人にも信仰心は必要でしょうか。
佐々井 日本の坊主が尊敬される人間にならなければ信仰なんかできませんよ。坊主が裸踊りをしたり、衣来て酒飲みにいったり、麻雀をやってみたりでは、信仰も何もない。人々のためとなる菩薩行ができないといけない。日本人の信仰心を失わせているのは日本仏教界の罪です。
-----日本仏教界はそういう罪を意識しているのでしょうか。
佐々井 意識なんかしているわけがないでしょう。もちろんそうでない人もいるでしょうが。今の仏教界を見るとまず不可能だね。政治を牛耳ったりするようでは。
豪快。もちろん,日本に言及している部分については「そう大ざっぱにくくられるのは不公平で大迷惑」というご意見もあるでしょう。私は,前回の投稿のせいか,「坊主」というところを(いくつかの地方公共団体の)「教育委員会」もしくは「政治家」と置き換え読んで,妙に納得した。
先週は「インド 巨大石窟に封印された伝説の都を求めて!」と題して,インド仏教再生の指導者,インド仏教遺跡発掘の指導者(現代のシュリーマン)として大活躍の佐々井秀嶺師をとりあげていた。
インドに渡って仏教の布教活動を続けている日本人僧がいるという話は耳にしていたが,番組を見て佐々木師の情熱に大いに感銘を受けた。画面に映る佐々井師は,ものにこだわりをもたない痛快な人物とお見受けしたが,彼はカースト制度に苦しんできたインドの人々(多くが仏教徒に改宗中)の堂々たるリーダーだった。
ネットで調べたところ,
http://homepage2.nifty.com/munesuke/india-sasai-ambedkar-buddhism-etc.htm
が充実していた。2004年くらいから,わが国のいろいろメデイアで紹介されはじめていたようだ。例により私はうっかり見落としていた。
それらによると,佐々井師は「インド仏教再生の父」ともいうべきアンベードカル博士の後継者。アンベードカル博士とは?
(「仏教に改宗 カースト制と闘う」によると)
アンベードカル博士とは、不可触民出身ながら独立インドの初代法務大臣を務め、平等を保障したインド憲法の起草者だ。博士は不可触民同胞の解放のため生涯をヒンドゥー支配層と闘い、国民から「独立の父」と英雄視されるガンジーと激しく対立した。ガンジーが、不可触民を「ハリジャン(神の子)」と呼びながら、実はカースト制を守ることに固執したからだ。
最下層の権利を無視し続ける支配者層に絶望した博士は、ヒンドゥー教がインドの発展と民主化を阻止していると見限り、一九五六年、五十万人の不可触民とともに仏教に集団改宗した。仏教を選んだのは、インド古来の文化であり、ブッダの説く自由、平等、友愛の精神は民主主義に欠かせない生活原理だと考えたからだ。
改宗で生まれ変わった人々は博士を「アンベードカル菩薩」と呼びブッダと同格に信仰する。だが、集団改宗から二ヶ月後、博士は急逝し仏教徒は指導者を失った。そこへ現れたのが日本人僧の佐々井秀嶺師(六八)だった。
次は,佐々井師のインタビュー記事(「問答有用」 (週刊エコノミスト 2004年8月31日号掲載))の一部。
-----インドはどんな国ですか。
佐々井 過去と現在と未来が一緒になって動いている国。過去の世界がまだある一方で、未来の世界もある。カーストの弊害でお互いに、信用しなかったり、憎悪しあったり、陰謀をめぐらしたり、足を引っ張り合う悲惨な国、不幸な国である。
インドには二つの顔がある。世界や日本が知っているのは、中級以上のバラモン世界の国。もう一つの顔は中級以下の人の国。つまり、何千年もの間、間として扱われた人たちの世界です。その姿を見ないでインドの真実を語ることはできない。外国人は化粧し道化したインドを見ているだけだ。
---インド人には宗教を信じるあつい信仰心がありますが、日本人にも信仰心は必要でしょうか。
佐々井 日本の坊主が尊敬される人間にならなければ信仰なんかできませんよ。坊主が裸踊りをしたり、衣来て酒飲みにいったり、麻雀をやってみたりでは、信仰も何もない。人々のためとなる菩薩行ができないといけない。日本人の信仰心を失わせているのは日本仏教界の罪です。
-----日本仏教界はそういう罪を意識しているのでしょうか。
佐々井 意識なんかしているわけがないでしょう。もちろんそうでない人もいるでしょうが。今の仏教界を見るとまず不可能だね。政治を牛耳ったりするようでは。
豪快。もちろん,日本に言及している部分については「そう大ざっぱにくくられるのは不公平で大迷惑」というご意見もあるでしょう。私は,前回の投稿のせいか,「坊主」というところを(いくつかの地方公共団体の)「教育委員会」もしくは「政治家」と置き換え読んで,妙に納得した。