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親のものを片付ける時

2008-05-11 23:59:42 | 親とのこと
「親の家を片づけながら」 リディア・フロム 著

親との絆より、結婚相手や友達との絆の方が、強く、幸せなものかもしれない。
けれど祖父母や両親の死後、自分の後ろから見守ってくれる人は誰もいなくなる。
よりどころを失った背中は薄ら寒く、その寒さに震えながら喪失というものを深く感じることになる。


まだ父がいる。でも二人ともいなくなるときを想像してみたら、

よりどころを失った背中は薄ら寒く

という感じがするのだろうか。



自分が恥知らずな人間に思えた。慎み深さのかけらもない。
親のカバンやプライベートな書類をあさり、自分あてではない郵便物を勝手に開封する。
礼節とは何かを教えてくれた親に対し、礼儀の基本すら破るようなことを行う。
私は傷ついていた。今までの私は、厚かましさとは無縁だったのに。人のポケットを探ったことも、鍵のかかった引き出しをこじあけたこともなければ、自分あて
ではない手紙を開けるなんて、もってのほかだったのに。


私は、こんな風に感じたことは無かった。
恥知らず?
感受性が鈍いのかもしれないが、母が存命中から母のものを片付けるため、
家中のガラクタを(母に亡くなられてしまうと、ガラクタと言い切れなくなる)整理していた。

今は、母がつけていた家計簿も、その中に簡単に記述した3行日記もながめている。
勝手に読んではいけないものだろうか。



親から子へ何かを引き継ぐ時、何も無いのもつらいだろうが、ありすぎるのも子供にとっては苦しいものだ。

ありすぎる。
選別をしないなら楽だけど、すべてに目を通しておきたいし・・・。
親のものを整理するというのは、エネルギーを要し、遅々として進まない。

懐かしいもの、珍しいもの、面白いものを見つけられるといいんだけれど。
勝手に読んではいけないのだっけ。

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2 コメント

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Unknown (narnia)
2008-05-12 00:23:41
フロムは親の死が背中の拠り所を失うように感じたんですね。

私は逆方向(?)で、自分前に見えていた親の背中がなくなって、ぽっかり大きな闇を直接見なければならなくなったように感じています。

幸いにも母が元気なので、その闇もまだ半分しか見えませんけど。

ウチの場合、父の持ち物の整理は実家で母が一人で行ってます。
だから私は「見る」ことがほとんどなく、あれこれ悩まずに済んでます。
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私も後ろから (azami)
2008-05-12 07:38:46
☆narnia様
 私は、親が後ろで支えてくれているイメージが元々あったので著者に共感したのですが、親の背中がなくなるというイメージは、新鮮でした。
 親を追いかけ追い越そうとする男性ならではのイメージかと感じました。

 お母様はお元気とのこと、昨日は母の日でしたねえ・・・・・。
  
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