ちょっと歴史入門<19>摂関政治

2013-09-21 21:55:06 | ちょっと歴史入門

842年、承和の変が起こり、第54代 仁明天皇の皇太子だった

淳和天皇の皇子・恒貞親王は廃され、仁明天皇の第1皇子・道康親王が立太子します。


道康親王の立太子に関わったのが、藤原良房でした。

良房の妹・順子が仁明天皇に嫁ぎ、道康親王が生まれたためです。

 

850年、甥・道康親王が即位(第55代 文徳天皇)。

858年、文徳天皇が崩御すると、娘・明子と文徳天皇の間に生まれた惟仁親王が、

わずか9歳で即位(第56代 清和天皇)。

良房は外戚となり、政治の実権を手に入れ、摂政に就任します。

 

そんな中の886年、応天門の変が起こります。

伴氏が建てた応天門が放火され、大納言・伴善男は左大臣・源信の犯行と告発。

良房の取成しで、源信の嫌疑は晴れました。

(源信は嵯峨天皇の皇子。臣籍降下で源氏)

放火犯は伴善男だと、目撃者が現れ、伴一族は流罪となります。

事件後、源信と右大臣・藤原良相が相次いで亡くなり、良房は朝廷の全権を手に入れます。


承和の変、応天門の変で、伴氏・橘氏・藤原式家の勢力をもぎ取り、没落させ、

また天皇に娘を嫁がせ、外祖父として政治基盤を整えたのです。

 

 

 下の図でも分かるように、藤原家は天皇家との姻戚関係を結び、力をつけていきます。

 

系図:桓武天皇~陽成天皇-藤原家との関わり-

 

娘を皇室に嫁がせる手法は、この後、藤原北家の伝統となり、

天皇の代理者・補佐者としての地位を手に入れます。


これが摂関政治の始まりです。




次は・・・・・「寛平・延喜の治」


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