ちょっと歴史入門<21>承平・天慶の乱

2013-11-16 20:58:34 | ちょっと歴史入門

930年、醍醐天皇の崩御に伴い、即位したのが8歳の寛明親王。

第61代朱雀天皇です。

母の中宮・藤原穏子は怨霊を恐れ、匿うように育てられたそうです。


幼帝のため、伯父・藤原忠平が政務をとります。

 

その朱雀天皇の時代、関東で戦が起こります。

「平将門の乱」です。

 

この時代、地方の政治は国司まかせ。

国司は一定の税を朝廷に納めていれば良かったのです。

なので国司が勝手に税率をかえ、高い税を民から徴収。

一定の税を納め、残りは自分の懐に・・・・・。

 

こんな状態では、地方の治安は悪化していきます。

そのため、民は身を守るために武装し始めます。

武士です。

その武士をまとめていたのが、国司をして地方に下った清和源氏桓武平氏です。

 

平将門の祖父で桓武天皇の曾孫・高望王、平氏の姓を賜り、

上総国の国司として赴任します。

しかし任期後もその地に居座り、勢力を拡大し、武士団を形成するようになります。

 

その子・良将が亡くなると、相続争いが起こります。

935年に平将門が叔父を殺害。

939年には従弟・平貞盛の引渡しを常陸国府が断った為、将門は国府を攻撃。

国府を攻撃され、朝廷が軍を挙げます。

将門は関東の国府を次々に攻撃。

国司を追放し、ついに「新皇」と自らを名乗ります。


朝廷は藤原忠文を征東大将軍に任命し、派遣しますが、

軍が到着する前に、将門は地元の武士・藤原秀郷と平貞盛に討たれてしまいます。

 

 

「平将門の乱」が起きた年、瀬戸内海でも「藤原純友の乱」が起きます。

 

藤原純友は藤原北家の血統を継ぐ、中級貴族でした。

父・良範を早くに亡くしたため、中央での出世を諦め、

地方官の伊予掾(いよのじょう)の任務に就きます。

伊予掾として、瀬戸内海で強奪を働く海賊の鎮圧を行っていましたが。

自身が海賊の首領となり、海賊行為を指揮するようになってしまいました。 

 

朝廷は追捕使長官・小野好古、追捕使主典・大蔵春実、

征西大将軍・藤原忠文に純友の征伐を命じます。

940年、伊予国警固使・橘遠保によって、本格的な追討が行われ、

純友と息子の重太丸父は捕縛され、処刑されます。

 

 

この二つの反乱を合わせて「承平・天慶の乱(しょうへい・てんぎょうのらん)」といいます。

関東と西国で同時に発生した事件で、

公家政権の統治力の衰えを象徴する出来事でした。

 

 

次は・・・・「安和の変」

 

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