・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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分類しても役に立たないことがある

2012年11月27日 | つぶやきの壺焼

科学には分類という手法が好んで用いられる。
どんな対象であれ分類してみると、考える道筋がついたような気分になる。
むかし「何かを考えるには、まず分類から始めなさい」と先輩から聞かされたこともあった。

しかし、分類が考察の手助けにならないこともままある。
たとえば、人工と自然、この分類などは人間の手前勝手な見方に過ぎない。

くもの巣、蜂の巣、花の形など、自然の中で生物が規則的なものをそれぞれに作ることもある。
これこそ真の自由な営みではないかと思う。
これらが不規則な自然現象とはまったく別のことであっても、人工の仲間入りはできない。
人間がいくらずうずうしくても、作った、作らせたとは言えない。

植林や河川改修など、人間による保護の手が加われば、それはもう自然ではないなどと考え出すと、人工と自然を分類することはたちまち難題となる。

分類が難しいと思われるときは、分類技法の問題ではなく、分類の必要性、あるいは分類区分のたて方、区別の仕方が、もともとおかしい場合が多い。

何年か前にあった、○○党に対して非○○という区別に似た、いい加減さも感じられる。
あることが安全か危険かという区別の仕方にも、どこか似たようなところがある。

考えを進めるためのつもりの分類が、考えを分裂させてしまうようでは、くもや蜂に笑われることになっても仕方がないかもしれない。

分類、区分の目的が、対立の理由付けのためでしかない場合には、植物にさえハナで笑われることになりそうだ。


分類思考の世界 (講談社現代新書)
三中 信宏
講談社


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