・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

冷観・暖感ノート:27

2017年11月08日 | つぶやきの壺焼

ニュースの放送が片手落ちである、もう見ないから受信料を払いたくないという評をたびたび聞きます。

放送の内容は、放送局が切ったり繋いだりして、視聴者に受け取らせたい筋書きを作り上げることができます。
それをどういうものにするかは、放送法にそれらしいことは定められていても、だれにもわかる共通の目標が示されていませんから、放送局の勝手気ままということになっているようにも見えます。

放送法
(目的)
《第1条》
この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

冒頭の(目的)という条文を見ても、この法律が目指していることを示したものか、放送が目指すものを示しているこのかをはっきりさせずに、読み方次第でどちらにでも取れるようになっています。

公共の福祉に適合とか、健全な発達を図るとか、どんなところにも顔を出すような言葉が書かれていますが、放送事業者が、視聴者が喜んで受け入れる内容こそが公共の福祉に適合するものだと言ってしまえばそれまでということです。
たとえ事実でないことでも、これが真実だと何度も言って聞かせれば、なかったこともあったように聞こえ、あったこともなかったように受け取られます。

ここでひとまず、ごく善良な視聴者になったつもりになってみると、こんなこともあるのかという考えが首をもたげてきました。
中継放送などにはマニュアルがあるのではないかということです。
たとえば、信用できない人の話ほど、しっかり聞いてもらうために、一言一句漏らさず、しかも繰り返し何度も放送するよう、時間の割り振りを調整して編集することになっているのです。
そうなれば、確かな話のほうはごく短く切り詰められ、発言の断片しか放送されません。

放送の聞き分け方を発見、長い話や同じことの繰り返しは嘘交じりと見ればよいのでした。



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