読売テレビ清水アナ 乳がん死の妻「どうしても子供産みたい」 (NEWSポストセブンの記事より)
前の仕事で大変お世話になったIさんの話です。
このIさんは神戸出身で大変ユニークな人でした。
例えば、息子さんとも何度かあっているのですが本当の名前を僕は知りませんでした。
というのも、爆十郎というソウルネームか、それを英語風にしたボム・ボーイとしか呼んでませんでしたから。
いつでもその調子で冗談ばかりのIさんでしたが、一方でスジの通った人でした。
まず、いい加減そうに見えて、仕事の愚痴や同僚の悪口を聞いたことがありません。
得意のジョークも人との絶妙な距離を取る絶妙なうまさがあります。
そうやってモノゴトをめんどくさくさせてしまう一線を絶対に越えないバランス感覚がありました。
そんなIさんの車で家まで送ってもらった時に聞いた話です。
Iさんには何歳か年上のお姉さんがいました。
結婚して数年、お腹の中に赤ちゃんがいることが分かったのと同じ頃、ガンが見つかったそうです。
若かったために進行も早く、見つかった時にはもう手の施しようがありませんでした。
最後の望みのはずだった放射線治療も、お腹の子の事を思えば、することはできません。
それで取りうる限りの治療を続けていたのですが、最後はお腹の子と一緒に亡くなってしまったそうです。
ご本人やご家族のつらさは想像に余りありますが、Iさんはたんたんと話してくれました。
それで自分の子どもがピンチの時は「どうかうちの子を助けたってくれ」とお姉さんにて祈るのだそうです。
Iさんの不思議な懐の深さの裏にはそういう経験もあったのだと僕は知らされました。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
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