マスメディアが共産党に注目「ネット選挙は自民と共産の『2強』だった」(しんぶん赤旗の記事より)
小学生の頃、お盆に関西某県の母の実家へ帰省するのが一番の楽しみでした。
年長の従兄弟たちもよく面倒を見てくれましたし、関東の郊外育ちでシャイな僕にとって関西の田舎育ちの彼らの快活さは憧れでした。
広い敷地の一方に母方の叔母夫婦と従兄弟の家、そして玉砂利の敷き詰められた庭を挟んでもう一方に祖父の住む家があり、僕達家族はそちらの空き部屋で寝泊まりをします。
万葉集にも読まれた山の麓にあるここでの朝は一風変わっていました。
夜明け過ぎ、庭にとまっている伯母さんの軽自動車のエンジンの音が辺りに響きます。
共産党の熱心な党員であった伯母さんは 毎朝党機関紙の「赤旗」をボランティアで配達しに回るのです。
それから程なくして、祖父の家の広間では「祝詞」を読み上げる声が響きます。
商売で成功した祖父は50歳の若さで早々に引退し、その後は宗教に熱心に打ち込んでいました。
無神論者の叔母と宗教家の祖父が軒を並べて暮らしているわけです。
お互い大いに反発し色々と喧嘩が絶えず、叔母は祖父が庭に植えた紫陽花が気に食わないと全部引っこ抜いたりしてました。
その一方でこんなことも思いました。
この二人は選んだ道こそ正反対ですが、どちらも自分の信じた道だけを突き進んだ人です。
祖父の子どもは叔母と母を含めて全部で四人いましたが、実はお互い反発し合ったこの二人が性格的に一番似ていたのかもしれません。
その証拠というわけではありませんが、どういうわけかこの父と娘は同居していたのですから。
そして叔母は祖父が痴呆にかかった後も心を砕いて介護に当たり最期を見届けてくれました。
そんなお世話になりっぱなしの叔母に僕なりにできることを考える毎年の夏でした。
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