東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

榎坂(千駄ヶ谷)(2016)

2016年07月25日 | 坂道

榎稲荷(千駄ヶ谷) 榎稲荷(千駄ヶ谷)




勢揃坂下から外苑西通りを横断し、そのまま進み、次の神宮前二丁目の信号を横断し、そのまま北へ進むと上り坂で、ちょっと歩くと、右手にある小路が榎坂であるが、右折せずに直進すると、まもなく右側に榎稲荷がある(現代地図)。このあたりをお万榎といった。(上り坂をまっすぐに上り、鳩森神社の手前の四差路を左折すると、将棋会館である。)

狭いところに石段があり、ぐるりと上ると、その上に小さな社が建っている。よく手入れされている。そこから瑞円寺が見える。わきにビルがあるものの、いかにもそのむかし田園地帯であったという雰囲気を醸し出している。

榎坂(千駄ヶ谷) 榎坂(千駄ヶ谷) 榎坂(千駄ヶ谷) 榎坂(千駄ヶ谷) 東都青山絵図(安政四年(1857))




榎稲荷からもどり、次を左折すると、榎坂の上りである(現代地図)。渋谷区千駄ヶ谷二丁目28番と29番の間を東へ上る。 緩やかに上っているが、ちょっと歩くと、左に大きくカーブし、このあたりでちょっと勾配がついている。

前回(以前の記事)訪れたときは、坂上からだったので、ちょっと違う感じがしたが、これはいつものことである。

同じ名の坂は都内のあちこちにあるが、以下は、これまでもたびたび引用してきた横関の説明である。

榎坂と榎地名は、いつも街道にあり、古い榎坂、古い榎地名は、古い街道に並ぶ。江戸時代の榎坂は、江戸時代以前の街道を示している。榎坂のそばにはかならず榎があり、または榎があったところである。場合によると、古い鎌倉街道、奥州街道、中仙道(木曾街道)、甲州街道、日光街道、東海道などをひそかに知らせてくれるものと考えてよい。

江戸時代の榎坂と榎地名などを地図に描き、それらの点を結びつけると、一時代前の奥州街道や鎌倉街道や甲州街道を再現できるという。この坂の場合、渋谷の宮益坂を上って、青山通り、青山百人町(五枚目の尾張屋清七板東都青山絵図(安政四年(1857))参照)を通って熊野権現から勢揃坂に出て、そこから渋谷川の橋を渡って、榎坂のお万榎へ出て、千駄ヶ谷八幡(鳩森神社)に出る。ここが鎌倉街道で、これより北は奥州街道になる。(これから先は、以前の記事を参照。)

榎坂(千駄ヶ谷) 榎坂(千駄ヶ谷) 内藤新宿千駄ヶ谷辺図(文久二年(1862)) 御江戸大絵図(天保十四年(1843))




左へ曲がる大きなカーブを上りきると、かなり緩やかになって坂上である。左手前方に瑞円寺が見える。このカーブがこの坂の主要部で、そんなに長い坂ではない。

三枚目の尾張屋清七板の内藤新宿千駄ヶ谷辺図(文久二年(1862))を見ると、左端中央に瑞圓寺があるが、この前の緩やかなカーブを描く道がこの坂であろうか。

四枚目の御江戸大絵図(天保十四年(1843))に「ズイエンジ」とあるが、この辺はあまり丁寧に描かれていないようで、この坂がどこかちょっとわからない(あるいは描かれていない)。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)

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