ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

地下鉄の壁の中は

2013年10月31日 | 日記B
都営地下鉄の駅で降りて階段に向かっている途中になにやら妙な雰囲気を感じました。


線路脇の壁面一帯に何やら四角と数字が無数に書き込まれているんです。


書き込みが一番密集しているのはこのあたりかな。

意味は分かりません。今は特に何も工事はしていませんがこれから始める何かの工事のための下準備なんでしょうか。

トンネル掘ってコンクリで固めてタイルを貼っただけと思っていた壁の部分部分に、実は何かすごく意味があるようなないような。
教えてだれか分かる人。

・・・とか言ってるうちに10月も終わりですね。

【追記】やっぱり、この風景は気になる人は気になるようで、ちらほらと検索される方がいらっしゃいます。
このまま切り取って現代美術館に運べばアート作品として成立しそうな雰囲気がありますので。
で、少し真面目に検索してみたのですが、おそらくはこの工事のための何か準備のひとつかと思われます。

三田線新板橋駅(1)ホーム軌道内対向壁の改修
落札金額 420,000,000円。奈良の企業体が落札しています。こんなところまで遠征して来るのかな。

ということで、工事は単なる「壁の改修」でした。なーんだ。

【追記の追記】
奈良建設は「奈良の建設会社」ではありませんでした。
横浜にある創業68年の立派な建設会社です。所在地は横浜。

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東京堂千代田ビルディング(現あおぞら銀行本店)

2013年10月30日 | 建築&土木見物
飯田橋から九段下の交差点を過ぎてすぐ。内堀に向かって並んでいる高層ビルの中にこんなのがあります。

シャープな造形。好き好き。

先日、茗荷谷の図書館流通センターの新社屋を「石落としのあるビル」としてご紹介しましたが、こちらの石落としはスケールが違います。
ビル全体が石落とし。これから、下に支えのない床部分が下から見えるビルを「石落としビル」としてコレクションしようかな。

正式名称は東京堂千代田ビルディング。
なんとなんとこのデザインや現状からはちょっと予想もつかなかった1977年竣工。意外に長い歴史にびっくりですね。
1977年の竣工当時には当時の太陽神戸銀行が東京営業部として使用し、太陽神戸三井銀行を経てさくら銀行。そして現在は銀行としては何の関係もないあおぞら銀行へと
入居する企業が次々に変わっていったようでした。

それでもビル自体の「東京堂千代田ビルディング」という名前は現在もそのまま地図に載っていますがら入居した銀行がビルを買ったということはないようです。
東京堂ってあの書店の東京堂なんでしょうか。本業とは別にこの巨大不動産の賃貸収入があるのかな。


まあ、そんなビルの背景はどうでもいいですね。竣工から36年経った今でもこのオーバーハングは全ての敵の襲撃を拒み続けるのでしょう。
さすがに裏っかわはちょっと汚れてますね。日本設計+鹿島建設。

飯田橋から東京駅方面に行くときに通る道に建っています。



自転車で走りながら横から見る姿はこんな感じ。横姿はそれほど特徴的でないので今まで気に留めたことほとんどなかったです。こんなにえぐられいるとは知らなんだ。
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放射25号線 工事快調です

2013年10月29日 | 放射25号線

久しぶりの放射25号線工事状況です。
これは工事の東側の端。私が鋼版印刷の解体に興味を持ったころにはすでに更地になっていた部分です。地形的にも一番低く傾斜のない部分なので
一番早く工事が進んでいるものと思われます。中央分離帯や歩道の枠のコンクリート部分も7割くらいできていて、現場には早くも歩道のブロックが積んでありました。
後はアスファルト敷いて歩道ブロックを並べれば完成と言うような状況です。思っていたより全然早い!

ええと、工事現場は長さ300mありますので工事はいくつかのブロックに分けて進んでいます。
私も写真を撮った場所や方向を文字で書くのはめんどくさいし分かりにくいので、私的に工事現場をブロック分けしました。

右からA,B,C,D区。
・A区が上の写真部分です。ここで既存の道と接合して東京ドームから本郷方面へ繋がります。
・B地区が今年の春まで鋼版印刷が在った一帯です。
・C地区は厚生年金病院の敷地だったところ。ここから神楽坂方面に向かって上りの坂道です。
・D地区は銀星寮が在ったところです。道に対してX軸向きもY軸向きも傾斜になっているという一番ややこしい地帯。
じゃあ、今後はこのABCDを使って説明していきますね。


A地区を先ほどの写真の反対側、AとBの間の道から撮影したところ。一番奥に「木造の高速道路(笑)」が見えてます。


同じ場所からB地区を眺めたところ。こちらももう地盤工事としては終わってるみたいです。


A地区とB地区の間に今は道路がありますが、ここは25号線が完成した時には「連続した道」としての機能は失います。25号線の中央分離帯でまさに「分離」されちゃうから。
上の写真に写っている計画図を見ると、新しい道路を横断できる場所はB地区の中央辺り、「車両転回路」と記されたあたりだけになるのでは。中央分離帯が切れているのはここだけだから。
そう考えるとこの道路の北側から南側に行き来する人や自転車にとってはこの新しい道によって歩くコースの変更を余儀なくされそうです。


このカテゴリーの前回、前々回の記事でこれはいったいなんだろうと悩んでいたコンクリート枠による土地の嵩上げ部分ですが、なんとコインパーキングでした。
これは道路完成後もこの場所で営業できるのか、それとも当座だけの営業なのか。そもそもなんで一段土地を高くしたのか。
いろいろと疑問は尽きませんが、こういう疑問がアハ体験みたいに解決するのが楽しみです。

C地区は盛大に盛り土をして基礎工事の前段階、終点のD地区は銀星寮解体の後は、土地全体にビニールシートを敷いて今は熟成させているところです。
ではまた次の進展ご報告まで。





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東京ドームシティ・アトラクションズ

2013年10月28日 | TOKIO散歩
大人の人は「後楽園ゆうえんち」って名前で憶えているかも知れませんが、それは昔の話。
2003年からは『東京ドームシティ・アトラクションズ』です。幼児が噛まずに言うには難しすぎる名称ですね。


ラクーアの方向から写真を撮ることが多いんですが、今日は初めて南側の施設の敷地内に入って見ました。観覧車とジェットコースターとバイキングがカオス化してます。


何度も何度も振り上げられては自由落下。恐そう。絶対に乗りたくありません。


普通のジェットコースターはローラーチェーンでかたかた登って行きますが、サンダードルフィンはワイヤーをウィンチで巻き取って一気に上までひっぱり上げます。(上まで20秒)
ゆっくりゆっくり上っていくのも緊張が長引くので嫌だけど、心の準備をする間もなく引き上げられるのも嫌ですね。絶対乗りません。


捻って裏返ってます。


長い時間シャッターを開いて見ました。一番暗くなるように露出やISO感度を押さえても結局露出オーバー。高いフォルターを買わないと思ったようには撮れないようです。


後楽園ゆうえんちと言えばヒーローショー。私も現役で幼児の父親をやっていた時期には二度ほど見に行ったことがあります。


そのころはこれでしたね。その次がとなりのカーレンジャー。1995年にカーレンジャーショーを見た体験を面白おかしくNiftyのフォーラムに書いた記憶が残っています。


ヒーローの顔出しごしののゆうえんち。お、俳句になったか。季語は「顔出し(夏)」

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トライオート

2013年10月27日 | 日記B
納品直前に生産上のトラブルが発生し、このままでは絶対に間に合わないというような緊急事態が発生すると、営業部などにも声がかかって
とりあえず工場に駆けつけることができる人がかき集められることが希にあります。この事態を「動員」と言います。
その品目の担当者にとっては自分の担当品目のために多くの人の時間を奪うことになり、仕事上のもっとも辛い場面の一つです。
一方、かき集められて工場に行く人たちは担当者の辛い気持ちがよく分かるので助けてあげたいし、言ってしまえば「他人の仕事」ですので、
「動員」が一種のお祭り騒ぎのように感じられる部分もあります。

今週、そんな動員がありました。私自身が参加するのは1年ぶりでした。
朝、自宅から都心の職場に着いたとたんに「午前中行ける人はいないか」と全員に声がかかり、余裕で行けそうだったので参加。
ついさっき自宅から会社に向かったコースを戻る方向でタクシーに分譲して工場に駆けつけました。この時は総勢30人くらい。



私はできあがった本を15冊でビニールひもで縛る結束機という機械を手伝いました。事務職でも本を縛るくらいはできます。
単純作業ですがそこそこ重量があるのでやっていると汗がたくさん出てきます。途中からワイシャツを脱いで下着姿。
作業は無事に3時間ほどで終了。なんとか最悪の事態は逃れることができたようです。



若いころは週に何度も現場に行って職人さんととあーだこーだやったものですが、今はそういうこともほとんどなくなりました。
パソコンで指示を打って、必要があれば工場ではなく生産管理部みたいなところと電話かメールで話します。
物を作る会社なのに、自分自身は物を作る場所からは離れてしまっています。楽だけど少し寂しい。

久しぶりに入った工場で久しぶりに見る機械を眺めていました。
写真はトライオートと呼ばれる機械の一部分です。



『トライオート』というのは製本所にある機械です。
納入前の本の最後の仕上げの段階で、製本された本に全自動でカバーをかけて帯を巻いてボーズを差し込みます。

カバーは分かりますね、帯は本の下の頬に巻かれている細長い紙で「○○さんも絶賛!」とか購買意欲を煽るような宣伝文句が印刷された紙です。
ボーズは本の上の方に挟まれている細長い短冊みたいな小さな紙。半円形の部分が本の上から飛びだしているその姿から通称「ボーズ」。
正式名称は「売り上げカード」。本屋さんのレジでお店の人がレジ打ちの前にさっと引く抜くあの紙の事です。

トライオートは本の表紙を押し広げてカバーと帯を開いた表紙に巻きつけて袖を折り、本文の一か所を少し開いてそこにボーズを差します。
機械の全部の部分が目に見えて、それぞれの金具や空気管や開店する板が何の役割を持ってそこにいるのか、見ればすぐに分かります。
その単純な仕掛けと動きは原始的で、30年前からほとんど変わっていません。その実直すぎる繰り返しに愛おしさを感じてしまうのです。



最近、私たちの周りにある機械はほとんどがブラックボックスで、中を開けても電子回路の虫のような部品が見えるだけで
それがどんな役割なのかなんて誰にもわかりません。なかなか物としての愛着を感じることは少ないです。

がちゃこんがちゃこんと、大きな音を立てなる機械の横で必死にお手伝いをしながら、定年が近づいてきたサラリーマンは少しノスタルジーに浸ります。
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コロッケ

2013年10月26日 | 食べ物のはなし
久しぶりに料理の話でも。
相変わらず週に3~4回くらいは夕食を作っています。平日私で土日がRさんみたいなパターンが定着しつつあります。
メニューのバリエーションは少ないけど、その分失敗は少なくなりました。
最初の頃はレシピ通りに作っていましたが、最近はレシピは構造と手順をざっと見てあとは自由にやっています。

会社から戻ってほぼスーツ姿のままで準備をしている時もあります。基本的には台所に立つことが楽しい。
包丁テクニックは伸び悩んでいます。今でも千切りは苦手。ピーラーで皮をむくのは熟練の技です。

今までいくつかの理由で避けてきた揚げ物に徐々にチャレンジしています。

火曜日にはメンチカツを作りました。以前書いた「よし子のハンバーグ」のタネに衣を付けて揚げるだけ。
必要なパン粉の量が予測できず途中で足りなくなったんだけど手は小麦粉や卵でぐちゃぐちゃで難儀しました。
よくテレビドラマで見る「オットが慣れない料理をした後の汚れたキッチン」みたいになっちゃった。
普段は段取りを考えて、料理が完成した時には洗い物がシンクに残っていない状態を目指しているのに・・・。
でもまあ味は良かったし、割ると中から肉汁~~みたいになったので良しとしよう。
難を言えばころもの仕上がり。
とんかつ屋さんのように盛大にふわっと毛羽立ったような衣には程遠い。
でもあれをやるには油を1000mlくらいなみなみと使わないと難しいらしい。それは無理。

そして昨日の夜は揚げ物チャレンジの2回目。Rさんがもらってきたじゃがいもを消費すべくポテトコロッケに挑戦。

衣を漬ける時に、小麦粉と卵と少量の水を最初にまぜておいて、それにつけてからパン粉という方法を教わりました。
小麦粉→卵→パン粉の順番でやるのが一工程少なくなるだけですが、それだけで驚くほど楽になりました。

茹でたじゃがいも中くらいの3個に玉ねぎ1個と牛ひき肉100gを15分炒めたものを混ぜて作りました。
中身があらかじめ火が通っているので生焼けの心配がないのがコロッケのいいところです。
かなり美味しくできたと思います。

このまま続けて次の日も揚げ物を、と思ったのですが一日おきに揚げ物ではRさんのカロリー計算が大変になるので次の日は鮭。
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世界で一番小さなギャラリー(12)

2013年10月25日 | 小さなギャラリー
台風多いですね。
たまたま私たちの場合、外に出る週末は晴れて、予定のない週末は雨みたいな繰り返しなんで
それほどダメージはないのですが、旅行と台風が重なったりしたら本当に悲しいです。
来月はまたマイル消費の小さな旅行があります。どうか晴れてお願い。


9月に(11)だったのに、もう(12)。
前回のコスモスと赤とんぼが意外と早い段階で粘着力が弱くなって、何度も下に落ちていました。
それでおそらく作り直したんだと思います。


コスモスと夕日と赤とんぼ。テーマは同じですが赤とんぼの作り方が違います。

わきっちょのネコは私には不要に見えるんですが、作者には必要だったんだろうな。
アーティストの意向を尊重します。
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代々木公園2013

2013年10月24日 | TOKIO散歩
代々木への興味、続きます。
1年に何度かは訪れる代々木公園で下が、大きな公園の中の全体はそれほど見ていなかったということに気づきました。
青少年総合センターの柵ごしに見た代々木公園の知らない風景のあたりに行って見ようと思います。


園内に保存されているオリンピック選手村の建物の一部。でもこれこそがワシントンハイツの遺産です。


園の一番奥にサイクリングセンターがあって、全長2kmの自転車専用路が木々の中を走っています。子供の頃にも走った記憶があります。


サイクリングセンターの奥に幼児専用のサイクリング公園があって、その奥に青少年総合センター宿泊棟D棟が見えました。9階が生姜焼き定食を食べたレストランです。


サイクリングコースの途中に池がありました。


この池の当たりの地下に大きな人口の貯水施設が埋め込まれているという説明ボード。雨が多く降った後だけに見られる池という説明。今がその時なんですね。


ドッグランもありました。


代々木公園の中は何かを練習する人たちで溢れています。各種運動、ダンス、演劇、楽器演奏、アナウンス部、いろいろ。

そういえば、2020年のオリンピック村オリンピック選手村はどんなのかなと思って探したらこんなのでした。

オリンピック招致のプレゼン資料から。晴海に建設するんだそうです。右手の建物の仕上げ方が隈研吾っぽいですね。本人?

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代々木公園 今昔

2013年10月22日 | TOKIO散歩
現在の代々木公園に至る変遷を空中写真でまとめてみます。

1936年(昭和11年)6月11日
明治42年にできた陸軍の練兵場の姿がそのままです。この年に二・二六事件勃発。


1947年(昭和22年) 11月28日
第2次世界大戦が終わり日本は占領下。ワシントンハイツと呼ばれる米軍の兵舎・家族用居住宿舎が並んでいます。


1956年(昭和31年)3月10日
1952年にサンフランシスコ講和条約に調印した日本は主権を回復。ワシントンハイツは北西部にも集合住宅を増築しています。


1963年(昭和38年)6月26日
翌年の東京オリンピックに向けて現在の第一、第二体育館がある南東部の住宅がなくなり建設工事が行われています。
ワシントンハイツは1964年に返還されその建物を利用してオリンピック選手村となります。


1966年(昭和41年)6月29日
オリンピックが終わり体育館の西側の土地も更地に。その南のNHK放送センターも徐々に形ができつつあります。


1971年(昭和46年)4月25日
代々木公園の開園は1967年(昭和42年)。この航空写真はその4年後ですがまだ樹木はほとんど成長していません。


1975年(昭和50年)12月1日
ようやく航空写真がカラーになりました。北東部の団地のような建物がよく見えます。この頃公園にはまだ噴水の池はなかったんですね。


1984年(昭和54年)10月31日
10年経っても1975年と特に変わりはないのですが、木々がかなり繁ってきました。まだ噴水池ないのか~。


1992年(平成4年)10月22日
北西部の建物が減りました。青少年総合センターの建設が始まっているようです。


これらの写真は昨日だみあんさんが教えてくれた国土地理院の空中写真閲覧サービスで拾ったものですが90年以降はいい写真がありません。
撮影の高度も高くなってしまって一枚の写真の範囲がすごく広い。だもんで解像度もよろしくない。
実際には精度の高い衛星写真がどこかにわんさかあるんでしょうが、それはこのサイトではないんですね。
ということで最後に今手に入る一番きれいな航空写真、Google Mapの代々木公園と青少年総合センターです。


自分の歴史と照らし合わせながら写真を見ていました。
1975年ごろなんてけっこう遊びに行ってるはずですが、あんなに木のない原っぱだったかなあ。
今とはかなり違う風景のはずですが目を瞑っても風景を思い出すことはできません。
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パリ4区

2013年10月21日 | 食べ物のはなし
何一つ予定のなかった土曜日。
話しの種と、この界隈で唯一のフランス料理店にランチに行きました。

JR板橋と三田線の新板橋の間の商店街(メトロ通りという名前だけどそう呼ぶ人はいない)。
狭い範囲に焼肉屋と焼き鳥屋と中華料理がぎっしり詰め込まれたこの一帯に、
場違いと思えるこの店が現れたのはどのくらい前の事だったか。10年経ったかな。
誰もが長持ちはしないんじゃないかと懸念したそのフレンチのお店はいつのまにか風景と馴染んでいました。


真紅の壁面にParis 4me 10年経っても読み方知らず。

先ほども書きましたが隣が牛角板橋店、斜め向かいが韓国焼肉オセヨ1号店という立地。


店内も赤。収容人数最大で15人くらいか。いわゆるビストロにあたると思います。


窓の外は焼き鳥北海か。少し違うか。

ランチは2100円で前菜orスープ、メイン、デザート、コーヒー。
2600円で前菜とスープと両方。話しの種に来てるんでお高い方で。


前菜。手前がシーフードいろいろのサラダ。奥が生ハム。
噂には聞いていたんです。量が「板橋盛り」だと。これくらい山盛りにしないと板橋では続きません。


Rさんのお魚料理。味は鯛みたいだったけど鯛? 皮がパリパリで美味しかった。


私はハラミのステーキ。大きな厚切り肉が3枚。がっつり満腹になれる量です。


デザート。なんだったかな、チョコのムースの上にナッツ味のアイス?

グラスワインも2杯飲んでいい感じでした。
「きっちんナカノ」とか「玉彦」とか「くわい」とか「あぺたいと」なんかでお昼を食べるのの3倍かかりますが
他にお金を使うあてもない週末ですので、イベントとして楽しみました。お料理も充分満足できました。
家から徒歩5分圏内に1軒でもこういうお店があるのはありがたいことだと思います。末永くがんばって。


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国立オリンピック記念青少年総合センター

2013年10月20日 | 建築&土木見物
渋谷から飯田橋の帰り、普通は原宿から外苑、四谷というコースなのですがたまには気分転換をと考えて代々木公園の東側に向かって見ました。
何か面白いものはないかなあと思っていたら、とびきり面白い物がありました。


最初に道から目に入ったのは、この写真の上の当たりのカオスな建築群。
直角の線と斜めの線と円弧が無秩序に組み合わされていて、それがサーモンピンクと黄色に塗り分けられている。「うわぁ」って思いました。

青少年が研修するための施設がここらへんにあったことはなんとなく思い出しました。
私の会社でも30年くらい前に研修で使っていたかも知れない。いや確かに来たことがあるはず。でもその頃はこんな建物ではなく白い団地みたいなのが並んでいた記憶。

とりあえず誰でも入れそうだったので自転車を駐輪場に入れて散策開始。
敷地全体は代々木の森に向かって小さい山のようになっています。まずは最初の写真の斜面を登って広場に向かいます。
丘の上に見えていたカオスな建物は「センター棟」と呼ばれているものでした。

右全景。建物の外部に張り付けられたポンピドーセンターもどきな斜めのガラスチューブは、中は階段でした。


そして左全景。やっぱり「うわぁ」としか言葉が出てこない。「未来的」と「メルヘン」と「無秩序」を足して2で割ったようなこの雰囲気。
時々個人住宅でこっちの世界に来てしまう人はいるみたいですが、これだけのスケールでそれを完成させてしまったといのは本当にすごい。
幸か不幸かこの日はちょっと曇り空で光線がよろしくないので、くすんだ写真になっていますが、これ、晴れてたらかなり違って見えるだろうな。

建築されたのは1994年から2001年。コルビジェの弟子のひとり、坂倉準三が1940年に設立した坂倉建築研究所による設計。
昨日からいろいろ探っているのですが、この建物に関するネット上の情報は驚くほど少ないです。まあとりあえず散策を続けよう。まずは目で見て。

神宮の森に面した広大な敷地の中に、先ほどの「センター棟」の他に750席の大ホールや音楽室、工芸室を備えた「カルチャー棟」、大小さまざまな5つの体育室やプールのある「スポーツ棟」、
国際会議やレセプションが行える「国際交流棟」、そしてA~D棟の4つの建物で合わせて1500人が宿泊できる「宿泊棟」が並んで建っています。

全体図はこんな感じ(Googleマップ)



宿泊棟A


宿泊棟D

雲の隙間から日が差し込むと、黄色のペイントがきれいに見えます。この辺りは北欧風と言えなくもない。
宿泊は手続きをして申し込めば誰でも泊まれます。一般で一泊3,000円ですから、都内に用事があって帰れない時なんかどうでしょう。青少年は一泊1500円です! 安っ。
泊まった人の書き込みを見ると、やっぱり「研修合宿所」的な施設なので、シーツ交換とか自分でするみたいで、ホテルのサービスを期待してはいけないみたい。


明治神宮と接しいるあたり。


(私以外では)普通のサラリーマンがお昼に憩いに来るような立地ではないので、中にいる人はすべて何かの研修か会合の人達だと思います。
本日の使用者ボードを見ると企業の研修、フォークダンス、弓道の大会、何か社会問題を考えるっぽい団体、老人サークルなど様々。
ざっくり数えても80~100くらいの団体が今日だけでも利用しているように見えました。


宿泊棟D棟の9階にあるレストランで食事をしました。東側方向はそりゃもう見渡す限りの緑です。スカイツリーと東京タワーが一度に見えます。


北側はこんな眺め。新宿から目と鼻の所にこんな施設があったなんてね。まったく気がついていませんでした。それにしてももうすぐ紅葉だね。

時々は違う道を行って見るのもいいものです。



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1964 東京オリンピック前

2013年10月19日 | 美術館と博物館
江戸博5階の第2企画展示室で「オリンピックがやってくる」という展示をやっていました。

昭和15年に開催されるはずだった幻の東京オリンピック、戦後の復興、そして1964年の東京オリンピックを
沢山の写真や資料で見せてくれるなかなか楽しい物でした。

展示されていた写真の中からいくつかご紹介します。


東京空襲でドームと3階部分が焼け落ちた後、新たな寄棟の屋根を載せて復興した東京駅のできたての頃。もうすでにこの背の低さに違和感が。


高速道路がなかった頃の日本橋周辺。


日本橋の上に首都高速が覆いかぶさりつつある頃。時間も予算もない中で運河の上に作るしかなかったという事情です。


ワシントンハイツ。昭和29年頃の米軍宿舎。現在の代々木公園と代々木体育館第一と第二、NHK放送センターまでの地域一帯でした。


そこに代々木体育館が建設されたところ。ワシントンハイツはオリンピックの選手村として整備されました。
写真中央に見えている建物群のあたりが現在の代々木公園の正門入口あたり。代々木公園になるのはオリンピックの3年後、1967年です。


神宮外苑、絵画館辺り。まだ現在の国立競技場はありません。これはいつごろなのかな?


こちらがほぼ現在の霞ヶ丘あたり。外苑周辺はそれほど大きく変わっていないようです。
これから新しく建設予定の国立競技場に大きすぎると否定的な声が上がっているようです。何か変更はあるのかないのか。


代々木第一体育館の設計図面から。

オリンピックの選手村跡地のもう一つの再利用については明日また続きます。
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外堀通りビフォー・アフター

2013年10月18日 | TOKIO散歩
9月末に書いた外堀通り市ヶ谷あたりの歩道を広げる工事。
先日通ったらもう工事区域の半分以上できあがっていました。
早いね!


ビフォー。


アフター。

んー、やっぱり広い。
街路樹をどかしただけでなく歩道自体も少し広げたのかな。

なんとなく見通しもよくすっきりした感じ。悪くないか。

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風速計

2013年10月17日 | 日記B


風速計を買いました。

上の部分に小さな5枚羽根があって風を受けると回ります。
下の液晶パネルに風速が表示されます。この写真では秒速8.8mの風。
表示はリアルタイム表示の外に、瞬間最大風速や平均風速など切り替えられます。
秒速から吻側や時速にも変えられます。マイル表示にもできます。

コンパクトで軽いので自転車のバッグに放り込んでおいても邪魔になりません。
強い風の中にいるときに、ちょっと止まって風速を計測して、
ああ今○メートルの風の中にいるんだなあと納得する。
ただそれだけのものです。

ストラップで首にかけることもできて意外とおしゃれです。
会社で首にかけて歩いていると計測器好き男子社員からの注目度はかなり高かったです。

一週間くらい使っていますが、今までの最高風速は18m。
先日の台風の時にも外に出て計測したかったのですが、安物で防水能力が低そうなので諦めました。

これで風とともだちになれます。
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漫画家さんと走った

2013年10月16日 | 日記B
先日のポタリングの時、国立競技場を出てから、最初の10kmくらいの間、私の前に女性の方が走っていました。
背中のゼッケンにとてもかわいいワンコのイラストが描かれていました。


今日は頑張るワン 押忍

自転車はそれほど乗り慣れているようでなく、ギアチェンジはほとんどしない。
青山通りに向かう表参道の坂道を重たい方から2番目のギアのまま(真後ろだからチェーンがどこにあるか良く見える)。
かなり力を入れなければ回せない状態で、最後にはその重たいギアで立ち漕ぎになってしまったので、
これで最後まで大丈夫だろうかと少し心配になりました。

築地の手前くらいの信号待ちの時に、背中のイラストがかわいいですね、みたいな感じで声をかけて少しだけ話をしました。
なるべく軽いギアにして早く回した方が脚への負担は少ないですよ、とか。
でも話を聞いてみると去年はマラソンで出られたそうで、だとすると体力は私よりあるってことですね。余計なお世話だったか。

勝鬨橋あたりで、彼女が上着を着るので止まった時に追い抜いてそのままゴールまで会うことはありませんでしたが、
私がゴールを終えて帰途につき、新宿方向に走っている時に、反対側の道を競技場に向かう彼女を見かけました。
ゴールまで残り2kmくらいの場所で、笑顔で走っていたのでもう大丈夫だなと少しほっとしました。

ポタリング翌日の月曜日。日記にでも書いている人はいないかなと検索していたら、目に飛び込んできたワンコのイラスト
そこに書かれたコメントにびっくり!
昨日、私の前を走っていたのは、私たちもよーく知っているご夫婦の漫画家さんだったのでした。

旦那さんの方は小学館系の雑誌で4コマを中心にギャグ漫画を描いていました。「傷だらけの天使たち」は探せば本棚に絶対にあるはず。好きでした。
奥様の方は、動物マンガが好きなRさんが時々持って買える雑誌や単行本でよく見ていました。くりくりお目めの黒いワンコのマンガ。
漫画家のご夫婦って珍しくはないですが、両方とも読んでいる漫画家夫婦はそれほど多くはないです。

そっかー。そうと分かっていればもう少しお話もできたものを。ゼッケンにサインもらえばよかったなと思いましたが、後の祭り。
思わぬところで思わぬ方にお目にかかったという思い出話でした。




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