まずは市庁舎でガイドマップを入手。市庁舎からほど近いCampbell House Museumは、nuit blancheの夜は毎年建物を取り囲むように長い行列ができるので、これまで入ったことはなかった。今年はビル・ヴィオラのビデオ作品が展示されているということで、覚悟を決めて並んでみた。結局、入館までになんと2時間近くかかった。
Campbell House Museum
展示作品は<Visitation>と<Transfiguration>という2つのビデオ作品。前者は、2人の女性らしき姿が、ビル・ヴィオラ独特の西洋の静物画のような漆黒の背景にぼんやりとうかびあがり、見る者のほうへ徐々に近づいてくる。最初は服の色すらわからないほどに不鮮明だが、ある瞬間、水のヴェールを突き抜けて、こちら側に鮮やかに姿を現わす。想いを遺し、水のヴェールという生死の境を越えて一瞬、この世に姿を現した死者のように。
2つのビデオ作品は人物が異なるだけで同じ作り。水のヴェールという巧みな装置によって、現実には表現不可能なことを伝えてくる、よくできた作品だ。
マップを見て、街を歩き始める。道路を封鎖して設置されたこのような作品は、nuit blancheらしい作品だ。
Paco Barragán<Utopia’s Ghost (Fallen Flags)>
向かったところはAGO。現在開催中の「Toronto: Tributes + Tributaries, 1971-1989」展出品作家の一人であるレベッカ・ベルモアが、パフォーマンスを行っていた。レベッカ・ベルモアはオンタリオ州北西部のアップサラ出身で、先住民族のひとつであるアニシナアベ族の作家である。先住民族をめぐる問題をはじめとする社会的な問題をテーマや契機に作品を発表してきた作家で、2005年には先住民族出身の作家として初めて、ヴェニス・ビエンナーレカナダ館の出品作家となった。
およそ10メートル四方の画面に、茶色の粘土を塗りつけていた。画面の外に積み上げられた缶からバケツに粘土を移す。そのバケツをもって画面内に入り、かがんだり、座り込んだりしながら、まだ塗りこめられていない場所に自らの手で粘土を塗りつけていく。長時間続ける作業としては、しんどそうで痛々しい。見ているうちに、私の代わりに何かと戦ってくれているように思えてきた。いつ、どのように終わりを迎えたのだろうか。
AGO最寄りのセント・パトリック駅から地下鉄に乗り、ユニオン駅に行く。ユニオン駅では駅舎内に2つの映像作品。David Hammonsの<Phat Free>は、真っ暗な画面からパーカッションらしき音のみが聞こえてくると思いきや、しばらくして映った画面には、歩道でバケツを蹴飛ばしながら歩く男(作家自身)。パーカッションの音と思ったのは、実際はバケツがコンクリートの道を転がる音だった。ただそれだけの映像作品だが、なぜか印象に残る。
それと相対して設置されたテレビモニターで上映されていたのはブルース・ナウマンの<Slow Angle Walk (Beckett Walk)>。
ユニオン駅には駅舎外壁に映像作品がもうひとつ。市民参加型の作品で、つまりは匍匐前進する人々の姿を壁に映し出したものだが、外壁をよじ登っているように見える、楽しい作品。これもnuit blancheらしい作品だ。
Daniel Canogar<Asalto Toronto>
これはBrookefield Placeというオフィスビルの1階ロビーに設置されたKevin Cooleyの<Fallen Water – Niagara Escarpment>。
船が?
最後はDesign Exchangeの映像作品2つ。John Akomfrahの<Vertigo Sea>は、クジラ漁やホッキョクグマ漁などの圧倒的な映像が、巨大な3面スクリーンで上映される。あまりに雄大な映像なので、いかにして一作家が撮影したかと思いきや、BBCのアーカイブの映像とのことで腑に落ちた。すごいことはすごいのだが、もう疲れてきていたからなのか、うまく受け止められない。
もうひとつはAngelo Muscoの<The Body Behind the Body>。会場の手前に、この作品には裸体が含まれています、との注意書きがあったが、中に入ったら、含まれているというより裸体のみ、だった。宮殿のような建物やさまざまな構造物が、クローズアップすると全て全裸の人間の組み合わせでできている。疲れたアタマにも刺激的な、すさまじい作品だった。
ということで今年は、見た数は少なかったけれど、いい作品が見られて満足でした。3時まで頑張りました。
nuit blanche toronto
(10/1-2/2016)