Art & Life in Toronto

カナダ・トロントに住んで出会ったアートを紹介します

Doors Open Toronto (2)

2015年05月26日 12時30分48秒 | 美術

Coach House Pressから南へ歩くこと数分、次に訪れたのは、トーマス・フィッシャー貴重本図書館。この図書館はトロント大学の付属施設で、Doors Openでなくとも常に一般に公開されているのだが、これまで訪れたことがなかったので、この機会に足をのばした。ここには、紀元前1789年のバビロニアの楔形文字の粘土版から現代カナダ人作家の書籍まで、約70万冊が所蔵されている。



毎年3回の企画展を通じて所蔵資料を紹介しており、今は、戦争に関する資料と、今年のDoors Openのテーマであるスポーツやレジャーにちなんだ資料を展示している。そんな中、私が注目したのはこちら。



「今月の1冊」として紹介されていた『チョーサー作品集』。ウィリアム・モリスが設立したケルムスコット・プレスが1896年に出版した。この本に含まれる87点の版画の挿絵は、モリスの友人であったエドワード・バーン=ジョーンズによる。モリスは見出しと縁飾り、頭文字のデザインを担当した。モリスとバーン=ジョーンズは、この本の制作に4年を費やし、425部を発行した。出版が成った年にモリスは亡くなっており、遺作のような作品がその後のブックデザインに影響を与え続ける偉業となった。赤と黒の2色刷りで、モリスのことだから紙は手作りということだが、紙の白さとインクの黒が、まるで最近刷られたもののように鮮やかだ。
ケルムスコット・プレスの出版物は全部で53点あるそうで、「今月の1冊」以外の本も展示されていた。花柄の布張りの本もいかにもモリスで、手にとってみたい衝動に駆られる。



上述のとおり、今年のDoors Openのテーマは、パンナム・ゲームにちなんでスポーツやレジャーということだったが、私にとっては本と印刷のDoors Openとなった。手書きの写本ということではむしろ日本が長い歴史を持つが、印刷についてはヨーロッパの伝統を受け継いで、ここでも勉強できることがありそうだ。

Doors Open Toronto Thomas Fisher Rare Book Library
(5/23/2015、Thomas Fisher Rare Book Library


Doors Open Toronto (1)

2015年05月24日 12時47分21秒 | 美術
気温はまだ不安定だが、トロントにもようやく街歩きが楽しい季節がやってきた。Doors Open Torontoは、トロント市内の歴史的建造物や社会的・文化的施設などが一般に無料で開放されるイベントである。毎年この時期に開催され、16回目となる今年は155の施設が参加している。興味をひくものはいろいろあったが、今年は欲張らずに2つだけ、自宅から散歩を兼ねて訪れた。
10月初頭のNuit Brancheもそうだが、トロントの人たちは、地図を持って自分たちの街を歩くのが好きらしい。天気が良かったせいもあるだろうが、Doors Openの公式マップとカメラを持って歩く人たちが大勢いた。

最初に訪れたのはCoach House Press。1967年に設立された印刷所兼出版社で、マイケル・オンダーチェやアレン・ギンズバーグ、バリー・フィリップ・ニコル、ウィリアム・バロウズといった作家や詩人のたまり場にもなった、前衛的な独立系出版社である。
1880年代に建てられたレンガ造り・2階建ての建物の、入口正面には1917年製のライノタイプ(Linotype)。鉛で活字を鋳造して版を作る鋳植機だ。現役だったのは1975年までで、今はさすがに通常営業には使われていない。





その隣には、Coach Houseのロゴのもとにもなったゴードン印刷機(Gordon Press)。ペダルを踏んで動かすこの印刷機は、今も表紙に折り目をつけるのに使われているという。



その奥の部屋には手回しの活版印刷機VanderCook。ここでは私も印刷体験。

奥にはさらに2つの部屋がある。手前の部屋には製版機と2台の印刷機。印刷機はいずれも1960年代・ドイツ製のオフセット印刷機Heidelberg。インクのにおい。蒸気機関車のようなごっつい機械ががちゃがちゃ動いて印刷するのを見るのは楽しい。



一番奥の部屋には、紙折機、糊付け機、裁断機。折られた紙は手でまとめられ、糊付け機にかけられる。糊付け機では、背の部分だけに糊がつく。本の中身をセットする人と表紙をセットして仕上げる人の2人で操作し、1時間で400冊に糊付けができるという。楽な仕事ではないのだろうが、こういうコツコツとモノを作る仕事にはちょっと憧れる。

以上の全ての部屋において、それぞれの機械・工程の担当者、「職人」というべき熟練のおじさんたちが、説明しデモンストレーションしてくれた。古くて決して広くはない建物内に大きな機械が所せましと並び、さらに今日は人でいっぱい。でも味わいのある楽しい「職場」だ。



2階の売店で、ここで作られた本を1冊買った。この出版社の本には、ケベック州で作られている特注の紙が使われている。未漂白なので優しい風合いで、なめらかでページめくりがスムーズだ。そして奥付には、使ったフォント、紙、インクの説明に加え、上述の機械を使ってここで印刷された本であることが述べられている。あのおじさんたちを思い浮かべながらこの本を読むのは楽しい時間になりそうだ。

Doors Open Toronto Coach House Press
(5/23/2015, Coach House Books

ロベール・ルパージュのオペラ

2015年05月18日 04時14分17秒 | カナダの芸術
オペラはこれまでの人生で一度か二度しか見たことがなく、知識もないのだが、ロベール・ルパージュ演出と聞いて見に行った。演目はバルトークの「青ひげ公の城」とシェーンベルクの「期待」で、1993年にルパージュが初演した舞台の再演だ。前者は約1時間、後者は約40分、休憩を入れて全2時間というコンパクト(?)な演目で、歌手も前者は2人、後者は1人しか登場しない。しかも「期待」のほうは、失恋により精神に異常をきたした女性の一人語りを精神科医が観察しているという内容で、オペラと言えばモーツァルトやヴェルディ、という知識レベルの私としては、こういうオペラがあるということがまず発見だった。フロイトの精神分析を劇化したものということで、オペラも20世紀に入るとこうなるのかと興味が湧いた。

舞台のプロセニアム・アーチは、クリムトの黄金の時代を想起させる、金色のモザイクが縁取っている。舞台上は常時薄暗く、はっきり認識するのが難しいが、舞台上の構造物は、舞台右手前から舞台中央奥にかけて建てられた大きな壁面と、舞台の縁に沿ってしつらえられた幅1.5メートルほどの水面のみ。あらゆる場面は、プロジェクション・マッピングのような、構造物にぴったりと合った映像によって展開し、大きな壁面が城壁になったり、青ひげ公自慢の広大な領土の光景になったりする。ルパージュ作品は、2013年に「Needles and Opium」を見たのに続きまだ2つ目だが、ジャン・コクトーとマイルス・デイビスの孤独な生活を描いた「Needles and Opium」でも、舞台上に吊り下げられた巨大な立方体の内部にぴったりと映像を照射することで、そこが安宿の部屋になったり、ライブハウスになったり、ニューヨークの路地裏になったりしていたのと、同じ手法だ。

「青ひげ公」における圧巻は、第7の扉を開けたことで、青ひげ公の過去の3人の妻が登場するシーンだ。舞台左袖の水面に人影が映って、その部分は人が泳げるほども深かったということが突如わかり、3人の妻が、一人ずつ、ゆっくりと水の中から現れる。ドレスが赤く染まっているように見えるのは照明によるものだろうが、舞台は一気に死者の世界に支配される。
同じ水路は、「期待」においては、女性を裏切った男性が、全裸で、舞台上を奥から手前へとごろごろと転がってきて、最後にそれを飲み込むものとなる。全ては病んだ女性の幻覚として何でもありだが、オペラとしてはこれもなかなか衝撃的なシーンだ。

歌手や演奏の良し悪しなど音楽的なことはよくわからないが、いろいろな意味で心に残る観劇経験となった。そういうわけで、この夏トロントで開催されるパンナム・ゲームの文化行事のひとつとして予定されている、ルパージュの新作公演のチケットを早速購入してしまった。

Bluebeard's Castle/Erwartung
(5/12/2015, Four Seasons Centre for the Performing Arts

HOT DOCS 2015 (2)

2015年05月03日 12時55分03秒 | 美術
続いて見たのは「How to Change the World」。「Missing People」とうってかわって、収容人数700人以上の大劇場が満席。当日券を求める「Rush Line」に100人以上並んでいたと思うが、多くの人はチケットを入手できなかったのではないか。

これは環境保護団体Greenpeaceの1970年代の草創期を、初代代表Bob Hunterが遺した記録を基に、大量に残るアーカイブ映像と、草創期のメンバー等関係者へのインタビューによってたどるドキュメンタリー。恥ずかしながらGreenpeaceの発祥がバンクーバーだったとは知らなかった。ヒッピー・ムーブメントとカウンター・カルチャーを背景に、ジャーナリスト、写真家、音楽家、科学者、アメリカの徴兵忌避者など様々な立場の友人同士の寄り集まりで結成された。アメリカのアラスカ州アムチトカでの地下核実験に対する反対運動から始まっており、Greenpeaceの前身はその名も「Don't Make a Wave Committee(波を起こすな委員会)」。その時から船で現場を目指し、記録映像を撮影するという方法を採用。アメリカがアムチトカでの核実験を停止した後の1970年代半ばからは、一部のメンバーが商業捕鯨に対する反対運動を開始。カリフォルニア沖で漁を行うソビエトの捕鯨船に近づき、銛打ちとクジラとの間にゾディアックボートで入り込んで抗議を行ったことで一躍有名になった。彼らの「How to Change the World」、それは現場で起きていることと自分たちの抗議行動を映像でマスメディアに流すことである。同時期の類似の活動に、毛皮目的の子アザラシの乱獲に対する反対運動もある。子どもを取り上げられた親アザラシが漁師を攻撃したり、追いかけたりする映像は確かにセンセーショナルである。Greenpeaceのメンバーはアザラシ猟の砕氷船の前に立ちはだかったり、(売り物にならないよう)子アザラシの毛皮をスプレーで着色したりした。
Don't Make a Wave CommitteeがGreenpeaceになったのは1972年。それが1970年代半ばには、世界中にGreenpeaceを名乗る、本家とは関係ない団体が15ほどもあったという。しかし本家メンバーには組織の拡大と国際化への準備はなく、1979年に設立されたGreenpeace Internationalは他のイニシアティブによるものだ。

草創期の記録映像を見ていると、「過激な抗議行動」ではあるのだが、芸術活動のような瑞々しさとちょっとしたユーモアを感じる。当時の彼らの活動がオリジナリティを持っていたからではないかと思う。ちなみにアメリカ現代美術史では、1970年代はコンセプチュアル・アート、パフォーマンス、ランド・アートが興った時代だ。

ところで、上映後の質疑応答には、Jerry Rothwell監督と、Bob Hunterの妻と娘が登場。娘のEmily Hunterも環境保護の活動家とのことで、自分と同じ若い世代が行動を起こすことの大切さを熱く語る様子は、監督や母親の存在をすっかり圧倒し、2005年に亡くなったBob Hunterのオーラはこんなふうだったかと思わせるものだった。

How to Change the World
(4/28/2015, Bloor Hot Docs Cinema

HOT DOCS 2015 (1)

2015年05月03日 12時45分42秒 | 美術

トロントでは今、カナダ国際ドキュメンタリー映画祭HOT DOCSが開催中だ。22年目を迎える今年は、45ヵ国からの200を越えるドキュメンタリー映画が、4月23日から5月3日までの11日間に上映される。市内9つの主だった映画館が会場となっており、市全体が、とまでは言わないが、映画に近い人や場所はドキュメンタリー一色になり、新聞やフリーペーパーでも「今年のHOT DOCSで見るべき映画」といった特集記事が出る。

私もお祭りに参加しようと、まず「Missing People」というアメリカのドキュメンタリーを見た。主人公は、ニューヨーク・マンハッタンのアートギャラリーRonald Feldman Fine ArtsのディレクターだったMartina Batan。1978年、彼女の弟が何者かに殺されたが、犯人は捕まらず未解決のままで、彼女はその心の傷により不眠症に悩まされている。このドキュメンタリーでは、彼女が私立探偵を雇って弟の殺人事件の真相を調べる過程と、彼女がその作品を集めているニュー・オーリンズの画家Roy Ferdinandの家族を訪ね、2004年に40代で亡くなった画家の人生に迫る過程を追うが、実はその2つの過程は重なり合っている。というのも、Roy Ferdinandはニュー・オーリンズのアフリカン・アメリカンのコミュニティで起こる暴力を写実的に描くアウトサイダー・アーティストであり、両者は暴力の根源の探究という共通項を持っていたからだ。気鋭のキュレーターとしての華々しい活躍の陰で背負っていたMartineの人生の苦しみは想像すべくもないが、芸術と共に生きている人である彼女を知ったことは私にとって励ましとなった。
物語のようなこのドキュメンタリーはしかし、ハッピーエンドでは終わらない。ある日Martinaは脳卒中で倒れ、半身に麻痺が残る身体となった。自らのRoy Ferdinandコレクションをホイットニー美術館に寄贈するという彼女の夢のゆくえが気にかかる。

HOT DOCSでは、多くの作品の上映に監督やキャストが参加し、上映前の舞台挨拶と上映後の質疑応答がある。観客からの、Martinaの今を尋ねる質問を聞いていて、どんなにストーリーに没入しても、スクリーンの向こうにその現実が続いているのがドキュメンタリーなのだと、改めて思った。

Missing People
(4/27/2015, TIFF Bell Lightbox)